〔 彼女はまた猫を一匹飼っており、ギターも弾いた。日差しの強い日には髪を洗い、茶色の雄の虎猫と一緒に非常階段に座って、ギターをつま弾きながら髪を乾かした。その曲が聞こえると、僕はいつもそっと窓際に行って、耳をすませた。 〕
(トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』)
映画『ティファニーで朝食を』の名シーンはといえば、やはり、オードリー・ヘプバーンが窓辺でギターを弾き「ムーン・リヴァー」を歌うシーンだろう。あの映画を観ると、ずっと後になっても、あのシーンが映像としてうかんでくる。そういうシーンが一つあるだけで、その映画の価値は永遠である。
カポ-ティにとっては不満足な映画だったが、オードリーはたしかに魅力的だった。
世界を見るために流れゆく私たち
未知の世界がこんなに広がっている
… ♪♪ ♪
「ムーン・リヴァー」は映画のために作られた曲である。作曲したヘンリー・マンシーニ(映画『ピンクパンサー』や映画『ひまわり』のテーマ曲でも有名)は、「あのメロディーには苦労しました」と、そして、「オードリーがいなかったらこの曲は生まれなかったろう」と話している。 試写会の後、パラマウント社長が「あの歌は削ったほうがいいな」と言った。普段は自己主張の少ないオードリーが立って言った。「絶対、削らせません。」
小説版では、ホリーの歌う場面は、次のようになっている。
〔 こんなのもあった。「眠りたくもない。死にたくもない。空の牧場をどこまでもさすらっていたい」。どうやらこの歌が彼女のいちばんのお気に入りのようだった。というのは髪がすっかり乾いてしまったあとでも、いつまでもこの曲を歌い続けていたからだ。太陽が沈んで、薄暮の中で家々の窓に明かりが灯り始めるころになっても。 〕
ホリー・ゴライトリー(この小説の主人公の女性)は、「僕」に向かってこう聞く。
〔 「ねえいやったらしいアカが心に染まるときってあるじゃない」 〕
それはブルーになるみたいなことかと「僕」が聞くと、ホリーはそうではないという。「もっとぜんぜんたちが悪いの」と。
このいやったらしいアカ」というのは村上春樹の訳だが、原文では「the mean reds」となっている。
彼女はthe mean reds」に染まりかけたとき、どうしたらよいのかと考えた。お酒ではだめだった。恋人のラスティーがマリファナが効くというのでためしてみたが、「ただ意味もなくくすくす笑ちゃうだけ」。
〔 いちばん効果があったのは、タクシーをつかまえてティファニーに行くことだったな。そうするととたんに気分がすっとしちゃうんだ。その店内の静けさと、つんとすましたところがいいのよ。そこではそんなにひどいことは起こるまいってわかるの。隙のないスーツを着た親切な男の人たちや、美しい銀製品やら、アリゲーターの財布の匂いの中にいればね。 〕
彼女は、ダイヤモンドが欲しいわけではない。ほしいのは… 「ティファニーのような場所」…。 そんな場所が…
〔 現実の世界のどこかに見つかれば、家具を揃え、猫に名前をつけてやることもできるのにな。 〕
オードリー・へプバーンにとっては、バレエを踊ること、スクリーンの中で生きることが、「いやったらしいアカ」に染まらないでいるための、「ティファニーのような場所」だったのかもしれない。
映画『ティファニーで朝食を』は1961年の作品だが、その前年にオードリーは待望の赤ちゃんを出産している。(オードリーはその前に一度流産を体験している。)
オードリー・へプバーンは1954年にメル・ファーラー(俳優・映画監督)と結婚した。彼女はミュージカル映画『リリー』を観て、その主役のメル・ファーラーをとても好きになり、それがきっかけで友人を通じて親しくなった。メルがオードリーに初めて電話したとき、彼女ははしゃいで、「ああ、『リリー』のあなたはすてきでしたわ!」といった。
映画『リリー』の原作はポール・ギャリコである。この物語は『七つの人形の恋物語』という題の小説として読むことができる。ほかに類をみないユニークなかたちの恋の物語で、傑作である。
ポール・ギャリコは1897年ニューヨークに生まれ、1921年にコロンビア大学を卒業した。(アシモフもコロンビア大学だ!) その後、スポーツライターとして活躍した後、いろいろな小説を書いた。 映画『ポセイドン・アドベンチャー』といえば、だれも聞いたことがあるだろう。原作は彼の作品である。
←黒いほうがジェニイ、白は「ぼく」ピーター
また、ギャリコは猫が好きだったことでも有名で、『猫語の教科書』なんてのも書いている。僕の持っている文庫版『ジェニイ』(猫が主役の物語)のうしろの解説に、「意を決して1936年、すなわち39歳のとき、『デイリィ・ニューズ』から退社して、イングランドの海峡に面したサムカムという小さな漁村にコティジを借り、グレート・デーン1頭と、24匹の猫といっしょにしばらくそこで暮らした」とある。ここで小説を書きはじめた。
1940年5月、ドイツ軍はオランダ・ベルギー・ルクセンブルク、そしてフランスに進攻。新兵器新戦術を駆使するドイツ軍の勢いに潰走したフランス軍イギリス軍の兵士たちはダンケルク(フランス北部の港)に追い詰められた。ポール・ギャリコはこの報を聞いていてもたってもいられなくなり、海軍に志願するも、入隊かなわず。 (この頃20歳アシモフは女性とジェットコースターに乗って恐怖で絶叫。)
その体験が後にギャリコの名作『スノー・グース』を生むことになる。せつなく、美しい物語である。
(トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』)
映画『ティファニーで朝食を』の名シーンはといえば、やはり、オードリー・ヘプバーンが窓辺でギターを弾き「ムーン・リヴァー」を歌うシーンだろう。あの映画を観ると、ずっと後になっても、あのシーンが映像としてうかんでくる。そういうシーンが一つあるだけで、その映画の価値は永遠である。
カポ-ティにとっては不満足な映画だったが、オードリーはたしかに魅力的だった。
世界を見るために流れゆく私たち
未知の世界がこんなに広がっている
… ♪♪ ♪
「ムーン・リヴァー」は映画のために作られた曲である。作曲したヘンリー・マンシーニ(映画『ピンクパンサー』や映画『ひまわり』のテーマ曲でも有名)は、「あのメロディーには苦労しました」と、そして、「オードリーがいなかったらこの曲は生まれなかったろう」と話している。 試写会の後、パラマウント社長が「あの歌は削ったほうがいいな」と言った。普段は自己主張の少ないオードリーが立って言った。「絶対、削らせません。」
小説版では、ホリーの歌う場面は、次のようになっている。
〔 こんなのもあった。「眠りたくもない。死にたくもない。空の牧場をどこまでもさすらっていたい」。どうやらこの歌が彼女のいちばんのお気に入りのようだった。というのは髪がすっかり乾いてしまったあとでも、いつまでもこの曲を歌い続けていたからだ。太陽が沈んで、薄暮の中で家々の窓に明かりが灯り始めるころになっても。 〕
ホリー・ゴライトリー(この小説の主人公の女性)は、「僕」に向かってこう聞く。
〔 「ねえいやったらしいアカが心に染まるときってあるじゃない」 〕
それはブルーになるみたいなことかと「僕」が聞くと、ホリーはそうではないという。「もっとぜんぜんたちが悪いの」と。
このいやったらしいアカ」というのは村上春樹の訳だが、原文では「the mean reds」となっている。
彼女はthe mean reds」に染まりかけたとき、どうしたらよいのかと考えた。お酒ではだめだった。恋人のラスティーがマリファナが効くというのでためしてみたが、「ただ意味もなくくすくす笑ちゃうだけ」。
〔 いちばん効果があったのは、タクシーをつかまえてティファニーに行くことだったな。そうするととたんに気分がすっとしちゃうんだ。その店内の静けさと、つんとすましたところがいいのよ。そこではそんなにひどいことは起こるまいってわかるの。隙のないスーツを着た親切な男の人たちや、美しい銀製品やら、アリゲーターの財布の匂いの中にいればね。 〕
彼女は、ダイヤモンドが欲しいわけではない。ほしいのは… 「ティファニーのような場所」…。 そんな場所が…
〔 現実の世界のどこかに見つかれば、家具を揃え、猫に名前をつけてやることもできるのにな。 〕
オードリー・へプバーンにとっては、バレエを踊ること、スクリーンの中で生きることが、「いやったらしいアカ」に染まらないでいるための、「ティファニーのような場所」だったのかもしれない。
映画『ティファニーで朝食を』は1961年の作品だが、その前年にオードリーは待望の赤ちゃんを出産している。(オードリーはその前に一度流産を体験している。)
オードリー・へプバーンは1954年にメル・ファーラー(俳優・映画監督)と結婚した。彼女はミュージカル映画『リリー』を観て、その主役のメル・ファーラーをとても好きになり、それがきっかけで友人を通じて親しくなった。メルがオードリーに初めて電話したとき、彼女ははしゃいで、「ああ、『リリー』のあなたはすてきでしたわ!」といった。
映画『リリー』の原作はポール・ギャリコである。この物語は『七つの人形の恋物語』という題の小説として読むことができる。ほかに類をみないユニークなかたちの恋の物語で、傑作である。
ポール・ギャリコは1897年ニューヨークに生まれ、1921年にコロンビア大学を卒業した。(アシモフもコロンビア大学だ!) その後、スポーツライターとして活躍した後、いろいろな小説を書いた。 映画『ポセイドン・アドベンチャー』といえば、だれも聞いたことがあるだろう。原作は彼の作品である。
←黒いほうがジェニイ、白は「ぼく」ピーター
また、ギャリコは猫が好きだったことでも有名で、『猫語の教科書』なんてのも書いている。僕の持っている文庫版『ジェニイ』(猫が主役の物語)のうしろの解説に、「意を決して1936年、すなわち39歳のとき、『デイリィ・ニューズ』から退社して、イングランドの海峡に面したサムカムという小さな漁村にコティジを借り、グレート・デーン1頭と、24匹の猫といっしょにしばらくそこで暮らした」とある。ここで小説を書きはじめた。
1940年5月、ドイツ軍はオランダ・ベルギー・ルクセンブルク、そしてフランスに進攻。新兵器新戦術を駆使するドイツ軍の勢いに潰走したフランス軍イギリス軍の兵士たちはダンケルク(フランス北部の港)に追い詰められた。ポール・ギャリコはこの報を聞いていてもたってもいられなくなり、海軍に志願するも、入隊かなわず。 (この頃20歳アシモフは女性とジェットコースターに乗って恐怖で絶叫。)
その体験が後にギャリコの名作『スノー・グース』を生むことになる。せつなく、美しい物語である。