はんどろやノート

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ガニメデのクリスマス

2008年12月23日 | ほん
 今日はアイザック・アシモフの『ガニメデのクリスマス』という愉快なSF短編をご紹介します。これは『アシモフ初期短編集2 ガニメデのクリスマス』に収録されています。初期の作品ということで、それまでの作品集から漏れた作品を集めたものの一つで、ですから代表作ではなく、あまり読まれておらず、僕も先月に初めて読みました。
 読んだ感想は、「おお、これは楽しい!」でした。


 まず「ガニメデ」についてご説明。ガニメデとは、木星にある衛星の一つで、この名前はギリシャ神話からとったもの。木星は「ジュピター」ですが、これはローマ神話の神で、この神はギリシャ神話ではゼウスに相当するのだそうです。ガニメデというのはそのゼウスの(数多い)愛人の一人。
 1610年にガリレオが、木星の4つの大きな衛星(小さいものは50くらいある)を見つけました。のちにその衛星はイオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト、と名づけられ、まとめてガリレオ衛星と呼ばれています。ガリレオは、イタリア・ピサの生まれ。ここはトスカーナ地方といって、ルネサンスの中心地です。もっともこの時代はすでにルネサンス時代は過ぎて、大航海時代の幕が開き、宗教戦争の激しい時代でした。ガリレオのこの発見は、当時のイタリアやドイツやオランダのレンズ職人らの技術がもたらした発見と言ってよいでしょう。「科学の芽」がこの時代に芽吹いてきています。 (しかし… オレってほんと説明ズキだなあ… ←ちょっとおちこむ)

 そして人類は宇宙に出た! 月に行き、火星に行き、木星のガニメデにも!

 それでは『ガニメデのクリスマス』の話をご紹介しよう。


 ガニメデ物産で働くオラフという男がこの小説の主人公。オラフは、クリスマスが近づいてきたということで、樅(もみ)の木をながめつつ、鼻歌と歌いながら、デコレーションの準備をしようとしていた。すると、突然、上司であるペラム隊長から呼び出しがあって、オラフはどなりつけられたのだった。その理由はこうだった。
 「オラフ、オストリ人に地球のクリスマスの話をしたのはお前か!?」
 「はい」
 「ばか者! そんな話をするから、オストリ人どもは、自分たちにもサンタクロースが来てほしい。もしサンタクロースが来てくれないなら仕事はしないとこう言うんだ! つまりストライキだ! おまえが余計なおとぎ話などするからだ!」
 オストリ人というのは、ガニメデの現地人である。オラフやペラム隊長はガニメデ物産の社員で、彼らは地球からやってっきて、ガニメデの鉄マンガン重石、カレンの葉、オキサイト等を地球に送る仕事をしていた。その下で働くのが、現地人のオストリ人。その彼らが、地球にはクリスマスというものがあってサンタクロースが…などとオラフが話したために、サンタが来なきゃ働かないと言い出した。これでは、ノルマが達成できない! このままでは、会社は存亡できなくなる!
 ペラム隊長は吼えた。 「いいか! なんとしても、サンタクロースとトナカイとプレゼントを用意するんだ! 急げ!」
 トナカイのかわりに、ガニメデに生息する「トゲウマ」という動物をオラフは8頭つかまえることにした。橇(そり)は反重力装置を利用してつくった。反重力技術は、すでに開発されてはいたが、まだ飛行に応用するには効率悪く実用化には至っていなかったが、こんなところで役に立った。
 こうして、オラフや社員たちが苦労してオストリ人たちのためのクリスマスを準備した。オストリ人たちは大喜び。プレゼントはボールだ。それをくつしたに入れると、オストリ人たちは「タマゴだ、タマゴだ!」とさらにおおよろこび。彼らは、そのタマゴから「小さいサンタクロース」が生まれるのだと大騒ぎ。ペラム隊長は「ちがう!」というが、どうにもならない。「ちっさいサンタコース、いつ生まれるか? ちっさいサンタコース、なに食べるか?」

 とにかく、クリスマスは大成功だった。
 「よし、では仕事だ! 急げ!」
 というわけで、気分よく、オストリ人たちも働いて、めでたしめでたし、というのがペラム隊長の予定だったのだが…
 オラフは、オストリ人たちに「サンタクロースは毎年くる」と教えていたのだった。「おれたちも毎年キスメス(クリスマス)来てほしい」とオストリ人がいう。それなら働くと。「大変です!」と、社員の一人がそれをペラム隊長に伝えると、ペラム隊長は「それがどうした? 来年はまだ先じゃないか」
 「わかっていませんね。ガニメデの公転周期は7日と3時間です。つまり彼らは…毎週サンタをよこせといっているんです!」
 「毎週だと!!  …オラフ!!」
 サンタの格好をして「みなさん、メリークリスマス!」と叫んでいたオラフは突然逃げ出した。それを追っかけてゆくのは、怒り狂った顔のペラム隊長の姿であった。



 アシモフの作品は、どこかほのぼのしていて、明るい。
 オストリ人が働いてくれない、それで会社は大変なことになるのですが、だからといって力ずくで脅して働かせるという発想にならないところが、アシモフの明るさです。
 アイザック・アシモフがこの短編を書いたのは、1940年12月だそうです。クリスマスシーズンの中、アシモフは、来年のクリスマスの時期に使ってもらえたらと、この話を書いたらしい。 <スタートリング・ストーリーズ>という雑誌に掲載されました。
 この1940年という時期は、日本は中国と戦争中で、1年後には太平洋戦争に突入するのですが、アメリカ・ニューヨークには、なんと20を越える数のSF雑誌がタケノコのようにぼんぼんと生まれてきていた時期なのでした。この時期こそ、アメリカSFムーブメントの絶頂期なのです。 (日本より30年早い!)
 アシモフは20歳。すでに幾つかの作品を雑誌に載せていましたが、半分はボツになりました。彼のSF作家としての名前が、アメリカのSFファンの間で輝く特別な名前となるのは、『夜来たる』からなのです。 (それまでは、アシモフ本人が言うには、三流作家だった。)

 それは1941年3月17日のこと。 (『ガニメデのクリスマス』を書いた3ヶ月後です。)


 その日、アシモフは、SF雑誌<アスタウンディング>の編集長ジョン・W・キャンベル・ジュニアのオフィスにいて、あるアイデアを話していた。が、キャンベルは即座にそのアイデアを拒否。彼、キャンベルには別のアイデアがあった。
 キャンベルはエマーソンの詩の一節を読み、それを考えることに夢中になっていたのである。

〔もし星が千年に一度、一夜のみ輝くとするならば、人々はいかにして神を信じ、崇拝し、幾世代にも渡って神の気持ちを保ち続ければよいのだろうか〕

 キャンベルはアシモフにこう言った。「どう思う? ぼくは人間たちは気が狂うと思うんだが」
 アシモフとキャンベルはそれについてしばらく語り、それを小説として書くためにアシモフは帰途についた。


 彼は振り返って、このように書いています。

〔まあ、わたしはよく不思議さに打たれて身震いするのですが、あの1941年3月17日の晩になにが起きたのでしょうか。どこかの天使的な霊がわたしの耳にこうささやいたのでないとしたら。
「アイザック、きみはこれからわれわれの時代の最高のSF短編を書こうとしているのだよ。」〕

 『夜来たる』。
 アイザック・アシモフはこの作品で、初めてキャンベル編集長の雑誌<アスタウンディング>の巻頭となりました。1941年9月号です。アシモフのほとんどの作品をそれまでキャンベルはボツにしてきたのですが、この作品の出来には大いに満足したようです。 (『ガニメデのクリスマス』も、初めにアシモフはキャンベルに見せたが受けとってもらえず。)
 ジョン・W・キャンベル・ジュニアこそ、アメリカのSFのグレードを飛躍させた男といえるでしょう。
 このSF短編は、星空を一度も見たことのない(太陽が6個もあるので夜になることがない)惑星に住む人々に、初めて夜が訪れる日の「てんやわんや」を描いたものです。
 上のアシモフとキャンベルのエピソードはSFファンにはよく知られたものですが、『夜来たる』をちゃんとを読んでいる日本人は案外少ないのでは? 僕も昨日、初めて読んだところです。

 
    吾妻ひでお『メチル・メタフィージック』より       ↑アシモフ