この六、七月、夏の始め頃かと覚えております。どこからともなく生まれていくらもたたない小猫が家の中に入ってきました。
猫嫌いのわたくしはすぐに外へつまみ出すのですが、いくらつまみ出しても、いつかしらんまた家の中に上がってきております。そこで夜雨戸をしめる時なぞは、見つけると因業につかまえては外に出したものです。しかし翌朝雨戸を操るが早いか、にゃんといっては入ってきます。
それがまたそれほど嫌われているとも知らず、歩いていると後ろから足にじゃれついたり、子供たちが寝ていると、蚊帳(かや)の外から手足をひっかいたりします。そのたびにまた猫がといって(子供が)泣くのを合い図に幾度残酷につまみ出されたり、放り出されたか知れやしません。
がなんとしてもずうずうしいと言おうか、無神経と言おうか、いつの間にやら入り込んで、第一気に食わないのは御飯のお櫃(ひつ)の上にちゃんと上がっておることです。
腹が立つやら根気まけがするやらで、私もとうとううだれかに頼んで遠くへ捨ててきてもらおうと思っていると、ある朝のこと、例のとおり泥足のままあがり込んできて、おはちの上にいいぐあいにうずくまっていました。
そこに夏目が出てまいりました。
「この猫はどうしたんだい」
(夏目鏡子 『漱石の思い出』)
猫嫌いのわたくしはすぐに外へつまみ出すのですが、いくらつまみ出しても、いつかしらんまた家の中に上がってきております。そこで夜雨戸をしめる時なぞは、見つけると因業につかまえては外に出したものです。しかし翌朝雨戸を操るが早いか、にゃんといっては入ってきます。
それがまたそれほど嫌われているとも知らず、歩いていると後ろから足にじゃれついたり、子供たちが寝ていると、蚊帳(かや)の外から手足をひっかいたりします。そのたびにまた猫がといって(子供が)泣くのを合い図に幾度残酷につまみ出されたり、放り出されたか知れやしません。
がなんとしてもずうずうしいと言おうか、無神経と言おうか、いつの間にやら入り込んで、第一気に食わないのは御飯のお櫃(ひつ)の上にちゃんと上がっておることです。
腹が立つやら根気まけがするやらで、私もとうとううだれかに頼んで遠くへ捨ててきてもらおうと思っていると、ある朝のこと、例のとおり泥足のままあがり込んできて、おはちの上にいいぐあいにうずくまっていました。
そこに夏目が出てまいりました。
「この猫はどうしたんだい」
(夏目鏡子 『漱石の思い出』)