はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

エーゲ海

2007年11月17日 | はなし
 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、ギリシャの島で生まれ、アイルランドで育った。生れた島の名「レフカダ島」からとって、パトリック・ラフカディオ・ハーンと名づけられた。(パトリックは、アイルランドの守護聖人の名前である。)
 この島で、ギリシャに駐留していたイギリス軍所属のアイルランド人の父と、ギリシャ人の母とが恋に落ち、そしてハーンが生まれた。レフカダ島にハーンは2歳までいた。その後アイルランドの父の実家へ行くが、ハーンの母とこの家の相性が悪く、母はハーンをおいてギリシャへ帰ってしまう。
 ハーンは、日本の昔話のなかで、とくに「浦島太郎」が好きだったという。ハーンの中で「島」というのは、特別のものがあったようだ。浦島をさがしてハーンは世界を漂流し、日本島へ流れ着いた。1890年のことだ。


 もともと僕の「世界史の知識」は、中学レベルである。高校では、おぼえることの多そうな世界史を避けていた。受験においてはそれは正しい選択だった。しかし、大人になって、時々世界史に興味がわいてくることがある。それで何度か本を読もうと試みた。しかしそのたびに挫折した。
 ワカラン! 世界史はフクザツすぎる!
 どうにも「足がかり」がみつからないのだ。どっから手をつければいいのやら。

 ところが先週読んだ本にこう書いてあった。
 「第1次世界大戦は滅びゆくオスマン帝国のぶんどり合戦であった」と。
 それをみて僕は、「ははあ、そうなのか!」と、こんがらがった紐をほどくヒントを見つけた感じがした。
 「オスマン帝国」か! そうか、それがキーポイントなのか!

 「オスマン帝国」をガンバッテ調べてみた。14世紀から、20世紀までにまたがって広大な地域を支配したトルコ人によるイスラム帝国…。イスラムか…なるほど。
 調べていくうちに、「東方」とか、「アラブ地域」とか、「中東」とよばれるこの地域こそ、「世界史の中心」ではないかと感じるようになってきた。そうなのだ、地理的にも、東西の物資や文化が交わる場所なのだ。ヨーロッパを基点にして「世界史」を観るより、この地域、「オリエント」を中心にして歴史を観るほうが、判りやすいのだ。これは大発見だぞ。
 かつての大帝国オスマンが落ち目になり、それをロシアやイギリス、フランス、ドイツが狙っていて、また、各民族がオスマンからの独立を目指していて…。それを「東方問題」と呼んでいたわけか。「東方」って…、ヨーロッパ中心の呼び名だなあ。
 はあ、ギリシャも元はオスマンの支配下にあって、独立戦争の末に1832年に独立…。(このときはまだギリシャ王国) ラフカディオ・ハーンが生まれたのは1850年だから、このときにイギリス軍が駐留していたわけだ。イギリスはきっとオスマンを見張っていたんだな…。で、第1次世界大戦の結果、オスマン帝国は敗れたので、オスマン家は解体され、現在の「トルコ共和国」になったんだと。

 「オスマン・トルコ帝国」の首都はイスタンブール。イスタンブールは、今はトルコ共和国で最大の都市だ。(首都ではないらしい)
 で、さらに時代を遡ると、ギリシャの東の、今はトルコ共和国であるこの地は「東ローマ帝国(ビザンチン帝国)」であった。(こんな場所にローマ帝国があるのだからまったく世界史はややこしい…) ローマ帝国に最初にキリスト教を採用したのが、この東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のコンスタンティヌス大帝。彼が住んだ都がコンスタンチノーブルで、これが、後にオスマン・トルコ帝国に支配されたときにイスタンブールと名前が変わった。
 なるほど、するとイスタンブールという都市は、古くからずっと「世界の文化の中心」なんだなあ。

 うーん、だから、このあたりはずっと争いが多いのか。
 ギリシャの北の地は、「旧ユーゴスラビア」があった場所で、いまも緊張を抱えている。(コソボとか) サッカー全日本監督のオシムさんの生まれた国である。
 ギリシャ、トルコ、エーゲ海から、世界史をちょっと勉強してみた日。次回は、よーし、クレタ島を覗いてみるか。
コメント
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