はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

「1922年のちきゅう」

2007年11月05日 | はなし
 僕のなかに、「1922年のちきゅう」が、デン、とあります。
 デデーン、と。


 1922年、世界一周旅行から戻ってきた岡本一平が東京でその漫遊記を描いています。
 将棋界をみると、関根金次郎が前年に名人になったばかりで、そのライバル坂田三吉は大阪にいます。升田幸三はまだ3歳、広島の山野で遊んでいます。将棋はまだおぼえていなかったかもしれません。
 いわさきちひろはどこにいたでしょうか。東京の渋谷道玄坂にいました。ちひろも3歳。お絵描きの天才少女とよばれていたちひろ。道に描かれた絵をたどっていくと、その先に、幼いちひろの姿がみつかったとか。
 秋にはアインシュタインが日本郵船北野丸に乗り、インド洋を渡って日本にやってきます。
 浦辺粂子は19歳。どこかの劇団で踊っていたのでしょうか。
 東北には、無名の、あの個性的な男がいました。宮沢賢治は、農学校の生徒達と「イギリス海岸」に遊び、吠え、山を歩いて詩を描いていました。1922年の1月6日、詩「屈折率」を書きとめました。(この2年後に出版する『春と修羅』の巻頭の詩です。) 同じ月の19日に、童話『水仙月の四日』を書きました。吹雪と子どもの姿を美しくスケッチした話です。1922年__賢治の天才がイーハトーブで開花しました。
 「1922年のちきゅう」は、こんなふうにおもしろい。


 子どもは、やどりぎの枝をもって、一生けん命にあるきだしました。
                              (『水仙月の四日』から)
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