朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第101回目の今日は、「世界初の私立探偵社」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2008/02/post_3dc0.html#more スコットランド移民で元シカゴ警察刑事ピンカートンが設立した、世界初と言われる私立探偵社について書きました。
ピンカートンという名前を聞いて、音楽好きがまっ先に思い浮かべるのは、実在したこの私立探偵ではなく、架空の人物である海軍中尉の方ではないだろうか?プッチーニのオペラ『蝶々夫人』で、アメリカ的ノー天気ぶりを発揮して蝶々さんを見殺しにした男が、ピンカートンだからだ。
『オペラギャラリー50』(学研)で、わたしが『蝶々夫人』について書いた一文から、少し抜粋したい。
<登場人物紹介>より
ピンカートン~健康でハンサムで女性にやさしくて、人生楽しければそれでいいという、たぶん牡牛座の男。悪意は全くない。ただ想像力が欠如しているだけ。異文化への敬意もないから、蝶々さんの自害も理解不能と思われる。
<男女間の深い溝、そして人種偏見>
フェミニズムの立場から『蝶々夫人』に対する批判は二つある。まずアジア女性のステレオタイプ(愛する男のため犠牲になる、優しい、はかない女)を讃美していること。もうひとつは、人種を超えて愛し合ったとしても、結局は別れることになる、というパターンを肯定したこと。
これが一理あることを劇的に証明したのが1986年に発覚したスパイ事件だ。フランス人外交官が、中国人の京劇俳優を女性と思い込んで恋仲になり、国家機密を盗まれていたというもの(『M,バタフライ』のタイトルで映画化された)。
何と外交官は20年もベッドを共にしながら、男と気づかなかったという。裁判で彼は、裸を見ればすぐわかったはずではないかと詰問され、こう答えている、「アジア女性はつつしみ深く、どんなときでも男に裸は見せない、と言われていたので裸を見たことがなかった」と。
これを偏見といわずして何と言おう。人はイメージに恋し、信じたいから信じる生き物であることがよくわかる。ピンカートンがそうであったように、蝶々さん自身もまた同じ間違いをしでかしたのだ。愛に値しない男を、ただ西洋人というだけで、つまり無骨な日本男性とタイプが違うというだけで、夢を託したのだから・・・
☆☆いま書店に出ている「サンデー毎日3/9号)の123ページをごらんください。南伸坊さんが「怖い絵」の書評を書いてくださっています♪
少しだけ抜粋するとーー「・・・これを知ってから見れば絵は、いままでと違う見え方をするし、面白がり方ができる。わたしはこの本を読んで、そうした新しいアングルをたくさん教えられた。こういう切り口で編集された絵の本というのは今までなかったのではないか。もっと読んでみたい」
☆「表紙からして怖すぎる『怖い絵』は、古今東西の呪われた名画とその慟哭の背景を紹介する恐怖の一冊」--これは年始の「週刊現代」で、桜庭一樹さんが書評してくださった文章の導入部です♪
☆マリーもお忘れなく!(ツヴァイク「マリー・アントワネット」(角川文庫、中野京子訳)
ピンカートンという名前を聞いて、音楽好きがまっ先に思い浮かべるのは、実在したこの私立探偵ではなく、架空の人物である海軍中尉の方ではないだろうか?プッチーニのオペラ『蝶々夫人』で、アメリカ的ノー天気ぶりを発揮して蝶々さんを見殺しにした男が、ピンカートンだからだ。
『オペラギャラリー50』(学研)で、わたしが『蝶々夫人』について書いた一文から、少し抜粋したい。
<登場人物紹介>より
ピンカートン~健康でハンサムで女性にやさしくて、人生楽しければそれでいいという、たぶん牡牛座の男。悪意は全くない。ただ想像力が欠如しているだけ。異文化への敬意もないから、蝶々さんの自害も理解不能と思われる。
<男女間の深い溝、そして人種偏見>
フェミニズムの立場から『蝶々夫人』に対する批判は二つある。まずアジア女性のステレオタイプ(愛する男のため犠牲になる、優しい、はかない女)を讃美していること。もうひとつは、人種を超えて愛し合ったとしても、結局は別れることになる、というパターンを肯定したこと。
これが一理あることを劇的に証明したのが1986年に発覚したスパイ事件だ。フランス人外交官が、中国人の京劇俳優を女性と思い込んで恋仲になり、国家機密を盗まれていたというもの(『M,バタフライ』のタイトルで映画化された)。
何と外交官は20年もベッドを共にしながら、男と気づかなかったという。裁判で彼は、裸を見ればすぐわかったはずではないかと詰問され、こう答えている、「アジア女性はつつしみ深く、どんなときでも男に裸は見せない、と言われていたので裸を見たことがなかった」と。
これを偏見といわずして何と言おう。人はイメージに恋し、信じたいから信じる生き物であることがよくわかる。ピンカートンがそうであったように、蝶々さん自身もまた同じ間違いをしでかしたのだ。愛に値しない男を、ただ西洋人というだけで、つまり無骨な日本男性とタイプが違うというだけで、夢を託したのだから・・・
☆☆いま書店に出ている「サンデー毎日3/9号)の123ページをごらんください。南伸坊さんが「怖い絵」の書評を書いてくださっています♪
少しだけ抜粋するとーー「・・・これを知ってから見れば絵は、いままでと違う見え方をするし、面白がり方ができる。わたしはこの本を読んで、そうした新しいアングルをたくさん教えられた。こういう切り口で編集された絵の本というのは今までなかったのではないか。もっと読んでみたい」
☆「表紙からして怖すぎる『怖い絵』は、古今東西の呪われた名画とその慟哭の背景を紹介する恐怖の一冊」--これは年始の「週刊現代」で、桜庭一樹さんが書評してくださった文章の導入部です♪
☆マリーもお忘れなく!(ツヴァイク「マリー・アントワネット」(角川文庫、中野京子訳)
ドミンゴとフレーニの映画版「蝶々夫人」は、ピンカートンが蝶々さんの自害現場にいきあたって、恐怖に障子を破って逃げ出すシーンで終わっていますね。どこまでも根性なしの男だ、とわたしなどは感じていましたが・・・
ま、オペラはいろんな演出があって解釈さまざまというのが面白いところ。
蝶々さんは、「ピンカートンと結婚しても、幸せはつかの間で、そのうち捨てられるのではないか、と予感していた」と言っていますよね。
そして、「でも、貴方の青空を映し出したような目を見たら、そんなことは忘れてしまった」とも。
不幸は予測できたのに、それでも夢を託したのは、それ以外に夢を持てない状態だったからではないでしょうか。
父は亡く、結婚するとしても、ヤマドリ公のように妾に望む人がせいぜい。一か八か、ピンカートンに賭けてみよう、という……。
だから、束の間でも幸せな結婚の夢を見て、子供も生まれ、その間、ある程度は生活も保障されていたというのは、何の夢もなく、芸者を続けたり、妾になるより、やっぱり幸せだったんじゃないのかなぁ。
それに、「愛する男のため犠牲になる、優しい、はかない女への讃美」、そして、「愛し合ったとしても、結局は別れることになる」というのは、プッチーニ好みだったらしいし。
「ボエーム」のミミなどもそうですよね。
それはそうと、フレーニの蝶々さんを相手に、映画ビデオ版でピンカートンを演じるドミンゴはステキですよね。
最終場面なんて、蝶々さんを苦しめた良心の呵責で、いかにも、もう堪え切れない、といった風情で……。
ああいうのを見ると、ピンカートンに想像力がないとか、異文化理解に欠けているというのも、ちょっとピントはずれのような気がするのだけれど……。
従軍慰安婦問題と同じで、むしろ当時の状況では、オペラのピンカートンなどより、よほど相手の現地妻に対する配慮のない人もいたわけで、現代の対等な状況での国際結婚と比較するのは、ちょっと酷なんじゃないでしょうか。
「怖い絵」を何度も読み返してくださっているとのこと、すごく嬉しいです!ちょうどパート2を脱稿したところなんですよ。お正月休みもなくパソコンにへばりついていたので、いま開放感が大きいです。
下記↓で「怖い絵」紹介されてました、のでお知らせします。
http://labaq.com/archives/50929173.html
中野先生訳の「マリー・アントワネット」はまだ読めてないんですが、こちらは読ませて頂きました。有名絵画を違った視点から見れる、と同時に当時の文化、モラルなどが知れて興味深かったです。何度も読み返しています。