国によって人種によって、人の距離感というのはずいぶん違う。居心地よいテリトリーの範囲がまちまちだからだ。
このことは少しでも外国人と接した人なら誰でも気づくことだろう。しかし面白いのは、語学の教員も、長くやっているうち次第に専門言語のメンタリティに近づいてゆくらしいこと。
ドイツ人と日本人は微妙な離れぐあいが似ているので、わたしとしては助かる。ラテン系はやはりくっついてくるんですね、これが。
知人のスペイン語教員。彼女のばあいはとりわけ南米に長くいたせいもあってか、お化粧やファッションもなかなか日本人離れしているのだが、身振り手振りは完全にラテン。そしてどんどん近づいてくるのです。
初対面はペンクラブのパーティ。飲みものの載った小テーブルのそばで、最初は歓談していたのです。ところがしゃべっているうちわたしはどうにも居心地が悪くなり、彼女から少し離れる、すると今度は彼女が不安になるらしくて、また距離を縮めてくる。離れる、くっつく、離れる、くっつく・・・とやっているうちに、とうとうわたしは壁際に追い込まれてしまったではありませんか。
これってもともとラテン気質だから専攻もそうなるのか、専攻言語ゆえにラテン的になってしまったのか、どちらが先かわからないという意見もありますが。
このことは少しでも外国人と接した人なら誰でも気づくことだろう。しかし面白いのは、語学の教員も、長くやっているうち次第に専門言語のメンタリティに近づいてゆくらしいこと。
ドイツ人と日本人は微妙な離れぐあいが似ているので、わたしとしては助かる。ラテン系はやはりくっついてくるんですね、これが。
知人のスペイン語教員。彼女のばあいはとりわけ南米に長くいたせいもあってか、お化粧やファッションもなかなか日本人離れしているのだが、身振り手振りは完全にラテン。そしてどんどん近づいてくるのです。
初対面はペンクラブのパーティ。飲みものの載った小テーブルのそばで、最初は歓談していたのです。ところがしゃべっているうちわたしはどうにも居心地が悪くなり、彼女から少し離れる、すると今度は彼女が不安になるらしくて、また距離を縮めてくる。離れる、くっつく、離れる、くっつく・・・とやっているうちに、とうとうわたしは壁際に追い込まれてしまったではありませんか。
これってもともとラテン気質だから専攻もそうなるのか、専攻言語ゆえにラテン的になってしまったのか、どちらが先かわからないという意見もありますが。
語感からいくと、屈折語のような気がしないでもないです、素人考えですが。
地域によっては、京都など屈折語という感じがします。
単細胞のわたしは、率直語がいいな。
京都は「ぶぶ茶飲んでおいきやす」と言って、「お言葉に甘えて」とやると軽蔑されるとか聞きましたが、確かに屈折してるわなあ・・・