中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

ルートヴィヒ2世の謎の死(世界史レッスン第68回)

2007年06月19日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第68回目の今日は「ルートヴィヒ2世、晩餐にアントワネットを招待」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/06/post_fa98.html#more
 70年も前に死んだアントワネットを招待するのは不可能?いえ、そうでもないところがこのバイエルン国王の凄いところなのです。

 ルートヴィヒ2世の名前は日本でもよく知られている。ディズニーランドに建つシンデレラ城、そのモデルとなったノイシュバンシュタイン城の城主として。あるいはヴァーグナー最大のパトロンとして。またハプスブルク帝国皇后エリーザベトの従弟として。ルイ15世に優る美丈夫として。そして何より、謎に満ちたその最期によって。

 彼の遺骸は、ミュンヘン郊外シュタルンベルク湖のほとりで見つかった。溺死と発表された。40歳。政府から精神錯乱と宣告され、湖のそばの離宮へ幽閉された翌日のことである。付き添いの医者と散歩に出て、そのまま両人とも帰らぬ人となった。事故の可能性など問題外の、静かな湖である。王が医者を殺して自殺したか、それとも暗殺されたか……

 当時ルートヴィヒが、国のお荷物になっていたのは確かだ。すでに19世紀の後半で、どこの王制も存亡の危機だったというのに、彼は時代錯誤もはなはだしく、自らをかつての絶対権力者、太陽王ルイ14世に重ねようとした。現実の政治から目をそむけ、国家の財を法外な城造りへ注ぎこんだ。借財に借財を重ねた。政府の要人たちが、いわばクーデターのようにしてルートヴィヒを廃嫡し、新王を擁立したのも無理はない。彼らはしかし、ルートヴィヒの大衆的人気の根強さを恐れてもいた。密かに彼を亡き者にできれば、それが一番都合よかったろう。

 ーーもう7年ほど前のことになるだろうか、真冬のシュタルンベルク湖へ行ってきた。ちょうど陽の落ちかかる時間で、湖面には小さなさざなみが立っていた。ひとけのまったくない岸辺には、つもった雪の間からほそぼそと葦が生え、ルートヴィヒの死を悼む記念の十字架が、まるで彼の孤独そのもののように暗い水中に屹立していた。何だか異様に怖かったのを覚えている。

 このころノイシュヴァンシュタイン城の近くに、ミュージカル「ルートヴィヒ2世」を単独上演する劇場が建設中だった。「エリーザベト」の大ヒットに続く成功を見込んでのことらしかった。しかしこのプロジェクトは大失敗だったようで、数年後には赤字を出して打ち切りになっている。わたしも結局見られず、CDを手に入れただけだ。日本上演の噂も聞かないが・・・

☆新訳「マリー・アントワネット」(角川文庫)
☆☆アントワネットもまさか死後に他国の王から晩餐の招待を受けるとは、想像していなかったでしょうね。

マリー・アントワネット 上 (1) マリー・アントワネット 下 (3)
     
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
posted with amazlet on 07.07.14
中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」
















コメント (11)
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