朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」に連載中の「世界史レッスン」第22回目は、「名曲で赦される」。ヘンデルの名曲「水上の音楽」にまつわるエピソードを書きました。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/07/post_8236.html#more
ヘンデルはバッハと同じ1685年生まれ。ともに多作で、ふたりとも互いの評判は聞いていたから意識はしていたものの、けっきょく一度も会わずじまいに終わった。生き方は対照的だ。
バッハは音楽家一族に生まれ、職業気質そのままに黙々と作品を作り出していった。ついでに子作りにも黙々(?!)と励み、2回の結婚で子どもを20人も作っている。音楽家の血は彼以降も脈々と続き、息子の一人はモーツァルトに音楽の手ほどきをした。
ヘンデルの祖先には音楽家は皆無。父親は理髪師兼外科医、母は牧師の娘だ。親は法律家にさせたかったらしいが、小さな頃から音楽の天才ぶりを発揮し、若いころから頭角をあらわした。生涯独身を貫いたので、子どもはいない。
バッハはドイツ語圏の外へ出ることなく一生を終えたが、ヘンデルはイタリア各地を渡り歩き、最終的にイギリスに腰を落ち着けた。
バッハは雇い主の注文で作品を書き、楽団をまとめ、指揮をしたが、ヘンデルは自分でオペラ劇場を経営したり破産したりと波乱万丈の生き方だった。
とうぜん性格も異なるだろうと思われるが、存外、ふたりはよく似ていて、ともに短気で頑固で自意識過剰。美食家で大食漢。そのせいで死因は同じ脳卒中である(ヘンデルの方が10年ほど長生きしたが)。
青年時代に就職探ししているころ、ふたりは意外な形で同じ体験をしている。リューベックのブクスフーデの後継者として、大寺院のオルガン奏者になってはどうかという話しがきたのだ。非常に魅力的なオファーではあったが、条件はブクスフーデの魅力的ならざる娘と結婚すること。どうもなあ・・・ということでふたりとも丁重にお断りした。
晩年にもふたりは同じ体験をする。視力が弱くなったので、名医というふれこみのイギリス人に手術をしてもらったところ、逆に完全に見えなくなってしまったのだ。この藪医者は、バッハとヘンデルという大作曲家ふたりを盲目にしたことで歴史に名を残した。
あれほど働いたのにバッハの死後、未亡人とひとり娘は救貧院へ入らざるをえなかった。ヘンデルは「イギリスの偉人」としてウェストミンスター寺院に葬られた。
♪♪バッハの「マタイ受難曲」は彼の死後長く葬り去られていたが、それを復活させたのがメンデルスゾーンである。「メンデルスゾーンとアンデルセン」⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」
ヘンデルはバッハと同じ1685年生まれ。ともに多作で、ふたりとも互いの評判は聞いていたから意識はしていたものの、けっきょく一度も会わずじまいに終わった。生き方は対照的だ。
バッハは音楽家一族に生まれ、職業気質そのままに黙々と作品を作り出していった。ついでに子作りにも黙々(?!)と励み、2回の結婚で子どもを20人も作っている。音楽家の血は彼以降も脈々と続き、息子の一人はモーツァルトに音楽の手ほどきをした。
ヘンデルの祖先には音楽家は皆無。父親は理髪師兼外科医、母は牧師の娘だ。親は法律家にさせたかったらしいが、小さな頃から音楽の天才ぶりを発揮し、若いころから頭角をあらわした。生涯独身を貫いたので、子どもはいない。
バッハはドイツ語圏の外へ出ることなく一生を終えたが、ヘンデルはイタリア各地を渡り歩き、最終的にイギリスに腰を落ち着けた。
バッハは雇い主の注文で作品を書き、楽団をまとめ、指揮をしたが、ヘンデルは自分でオペラ劇場を経営したり破産したりと波乱万丈の生き方だった。
とうぜん性格も異なるだろうと思われるが、存外、ふたりはよく似ていて、ともに短気で頑固で自意識過剰。美食家で大食漢。そのせいで死因は同じ脳卒中である(ヘンデルの方が10年ほど長生きしたが)。
青年時代に就職探ししているころ、ふたりは意外な形で同じ体験をしている。リューベックのブクスフーデの後継者として、大寺院のオルガン奏者になってはどうかという話しがきたのだ。非常に魅力的なオファーではあったが、条件はブクスフーデの魅力的ならざる娘と結婚すること。どうもなあ・・・ということでふたりとも丁重にお断りした。
晩年にもふたりは同じ体験をする。視力が弱くなったので、名医というふれこみのイギリス人に手術をしてもらったところ、逆に完全に見えなくなってしまったのだ。この藪医者は、バッハとヘンデルという大作曲家ふたりを盲目にしたことで歴史に名を残した。
あれほど働いたのにバッハの死後、未亡人とひとり娘は救貧院へ入らざるをえなかった。ヘンデルは「イギリスの偉人」としてウェストミンスター寺院に葬られた。
♪♪バッハの「マタイ受難曲」は彼の死後長く葬り去られていたが、それを復活させたのがメンデルスゾーンである。「メンデルスゾーンとアンデルセン」⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」