浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

醤油

2020-05-17 | 日々是好日

その昔、とあるお宿で朝食を食べていてふと思った。

「もし、ここに醤油がおいて無かったら」

幸い、食卓の上には醤油さしがあり、醤油はたっぷりある。

しかし、もし醤油を切らしていたら、この食事はどういうことになるのか。

この日の朝食のメニューは、納豆、カマボコ、海苔、わさび漬け、とろろ芋、ほうれんそうのお浸し、生卵、湯豆腐、しじみの味噌汁というものであった。

これらのものを食卓の上にズラリと並べて、「では、いただきます」というときになったとき、醤油さしに醤油が一滴も入っていないことになったら…

とたんにこの食事は成り立たないことになる。

食事の中でも特に朝食は、醤油によりかかったおかずが多い。

このおかずを、醤油なしで食べていくことを次々に想像してほしい。

醤油なしの納豆をかき回し、これをご飯の上にのせて食べるところを想像するしてほしい。

醤油なしの海苔を、ご飯に巻いて食べるところ。

醤油なしのカマボコを、ご飯と一緒にたべるところ。

醤油なしの生卵を、ご飯にかけて食べるところ。

醤油なしのとろろ芋を、ご飯に混ぜて食べるところ。

納豆もカマボコも、生卵もとろろ芋も一応みんなおかずとして偉そうな顔をしているが、自分一人ではどうにもならない存在であったことを思い知らされるのである。

一見、立派に自立しているように見えてはいるが、実は醤油におんぶにだっこの人生だったことを、つくづくと知ることになるのである。

次の質問に答えよ          

「一回はフタを落としたことがある」

各家庭の醤油さしはいろんなタイプがあるでしょうが、ウチの場合、人差し指でフタを押えているので大丈夫かな。

まさに土瓶タイプでした。

出雲弁では「きびしょ」ともいいます。

 

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野菜苗

2020-05-17 | 日々是好日

野菜苗を買って植える時季          

農作業にはコロナは関係なし

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ネギの位置

2020-05-16 | 日々是好日

ネギは日本人の食生活に独特の位置を占めている。

主役になることは滅多にないが、陰に日向にあちらこちらに驚くほどの頻度で出没している。

ネギが無くなるとどんなふうに困るか。

「わたしは毎日ネギをお腹いっぱい食べているので、とても困ります」

という人は少ないだろう(ヌタ好きの人は除いてですが)。

味噌汁にネギは欠かせないから、具が寂しくなる。

蕎麦はどうか。

ちゃんとした老舗の蕎麦屋のちゃんとした蕎麦なら「ネギが無いなら無いでいいや」と思うが、立ち食い蕎麦屋の蕎麦にはネギが絶対にいる。

納豆はどうか。

ネギあってこその納豆こそ派にとってはかなり困る。

チャーハンはどうか。

チャーハンはネギが無いと成立しない。

チャーシューが入っていても、卵が入っていても、ネギが入っていないとただの炒めご飯だ。

じゃあチャーハンを食べながら、ネギを味わい分けているかというと、そういうことはない。

いるのにいない、というのがチャーハンに於けるネギの立場だ。

ラーメンはどうか。

ラーメンも刻みネギの果たす役割は大きい。

ネギの入っていないスープと、入っているスープを飲み比べると明らかだ。

風味が違う。

焼き鳥はどうか。

焼き鳥もネギが無いと寂しい。

ねぎまはトリ、ネギ、トリ、ネギと交互に刺してある。

まず先端のトリを歯で引き抜いて食べる。

次にネギが口の中に広がるが、心は次のトリに向けられて、実際にいま噛んでいるのに味わっていない。

ネギはいつもこういう位置にある。

日本人は、こうしてネギを愛しているような気がする。

 

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検察庁定年問題よりも

2020-05-15 | 日々是好日

マスクを2枚政府がくれたとしても、そのマスクのヒモをどこにどう掛ければいいのか。

全国民はその2枚のマスクを手にして、ただ呆然とするしかないのだ。

もうすでに配布されている人も、その2枚のマスクを手にしていまだに呆然としている人もいるはずだ。

人類は生まれてこのかた600万年。

耳の有難味を感じずに生きてきた。

その人類が初めて耳があってよかった、と思ったのがこの令和の時代だったということになる。

もし今回のコロナ禍の騒ぎが無ければ、耳の有難味を感じずに、耳をバカにしながら生きていくことになったかもしれないのだ。

顔面の側面に耳が付いていてよかった。

耳はこれまでまるっきり仕事をしていなかったわけではない。

眼鏡をひっかける、という仕事もしていた。

だが今回のマスクは、それとは違う。

人間の命にかかわる大仕事に携わっている。

命の大恩人、人類の救世主として人々の前に出現したのだ。

これからは耳を大切に生きていこう。

3月3日は「耳の日」

来年から国民的祝日として休日にすることを、とりあえず国会で決めてほしいものであります。

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JR荘原駅

2020-05-14 | 働く車

たまたまJR荘原駅前を通ったら、駅が新しくなっていたのでチョット寄ってみた。

ピカピカの一年生みたいに真新しい          

荒神谷の銅剣と銅鐸を意識した駅           

湯の川温泉も近いし八上姫伝説も           

なにやら古そうな車両が入ってきた          

引き込み線で停車中の車両          

どんな仕事をするかは不明          

ふらっと立ち寄ったJR荘原駅でした。  

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ゲソ

2020-05-13 | 日々是好日

イカの足はゲソという。

居酒屋でも寿司屋でもゲソで通る。

ゲソは下足からきていて、下足は脱いだ履物ということ。

イカは自分で脱いだわけではないのに勝手に「脱いだ扱い」になっている。

回転寿司や一般的な寿司屋では、イカ(胴体)は安いほうのネタということになっていて、やたらにイカばかり注文する客は安い客と見なされる。

胴体より更に格下のゲソは、評価は低いが居酒屋の一番安いメニューとして一般大衆に愛されている。

ゲソは刺身盛り合わせには参加させてもらえない。

ほんのついさっきまで、上下一体仲良くやっていたのに、突然上下に分かれ、身分も分かれてしまったゲソは不憫だ。

どんな食通でも、イカの足については何も語らない           アオリイカ

胴体のほうは、アオリイカの味はどうのこうの、白イカの歯ごたえはああだこうだといろいろ言うが、足については何も語らない。

アオリイカの足は、白イカの足と違って旨味にコクがある。

ぐらいのことを言ってやってほしい。

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山椒

2020-05-12 | 日々是好日

独特の風味          

ホームセンターで買ってきた。

趣味の園芸。

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赤飯

2020-05-11 | 日々是好日

我々は赤飯とは縁が薄い。

滅多なことでは赤飯は食べない          

身内の結婚式があって、引き出物と一緒に折箱の赤飯なんかが、何年かに一度あったりする。

そんな赤飯を、つい何となく手を出してしまうということはある。

ゴワゴワと冷え切った赤飯が、あずきの粒とゴマの粒を散在させながら展開している。

一瞬ためらったのち、割り箸をその一角に突入させて掘り起こそうとすると、予想したとおりの抵抗にあう。

冷え切った赤飯は硬い。

そして連帯している。

ほんの一口取り上げようとしているのに、周辺一帯がモッコリと立ち上がってくる。

ここで大抵割り箸が折れる。

ここで大体怒りがこみあげる。

「甘くみたのがいけなかった」と反省し、新たな決意をもって今度は慎重に割り箸を突入させ、慎重に掘り起こし、ようやく一口分を取りあげて口に入れる。

最初はゴワゴワしただけのものが口の中にあり、それが少しずつほぐれ、やがてもち米独特の味わいになっていく。

ややあってあずきの粒が加わり、硬めの皮が破れて中身の粉っぽい味わいになる。

そうこうしているうちに、ゴマの粒が参入してきて、思う間もなく突如という感じで塩の味がしてくる。

このときの塩の味は新鮮で妙にうれしい。

塩の味とはこういう味であったかと、改めて思ってしまうほどの感慨がある。

この感慨は、赤飯以外ではめったに得られるものではない。

塩の味があって、はじめて赤飯の味は生きる。

このあたりになると、「こうしてみると赤飯というのもこれでなかなか、そのあれだね」

などとモゴモゴ言いながら、皿の三分の二ほどは食べてしまっている。

「これでなんだね、たまには赤飯もなかなかいいもんだ」

ということになり、これからはときどき赤飯も食べてみようという気持ちになる。

そう思ったはずなのに、次の機会はなかなかやってこない。

一年や二年はすぐ経ってしまう。

三年ぐらい経って再び赤飯にめぐり合う。

再会した赤飯を見てつくづく思う。

「本当にもう、しょうがない奴だ」

そう思いながら、不用意に割り箸を突入させ、またしてもポッキリと折ってしまう。

そしてまたしても怒る。

怒りながら食べ始め、次第に「赤飯もこれでなかなか…」ということになる。

「これからはときどき…」と思い、そう思ったにもかかわらず、またしても三年間は食べないのである。

 

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築地松

2020-05-10 | 日々是好日

水田と築地松の斐川平野                    

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テイクアウト

2020-05-10 | 日々是好日

緊急事態宣言からにわかに広まったテイクアウト。

日本語で言えばお持ち帰り。

外食は控えている分、普段お世話になっている飲食店の売り上げ確保には少しでも協力しなくては…と思いまして。

道の駅湯の川にて生姜焼き弁当          

名産の出西生姜と島根県産米、これで税込み600円でした。

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