浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

トンカツの微妙なバランス

2018-01-31 | B級グルメ

トンカツをいただく場合、少し(いやかなり)心が踊る。

ここで注釈、トンカツはロース肉ということで話を進めます。

ヒレ肉のお好きなお方はまたどうぞ。

ということでロース肉脂身大好きオジさんのレポート。

揚げたばかりの熱々のトンカツをまな板の上に置き、包丁を構え、一呼吸おいてあとは一気に切っていく。

右端からでも左端からでもいいけどサクッ、サクッ、サクッと間髪いれずに計4回(5切れの場合)

このときの素早さ、手捌きの美しさ。

包丁の先をトンカツを跨いでまな板に付かせておいて、包丁の付け根を勢いをつけてトンと下に落とすのがトンカツの切り方。

ストンと包丁の後ろの刃先がまな板に付いた瞬間、トンカツが時代劇の切られ役のお約束のごとく「やられた!」と倒れこむのがトンカツ屋の見どころだ。

宍道駅前こわた食堂のトンカツ定食          

トンカツに辛子(チューブタイプじゃなく粉から溶いたやつね)を一切れ一切れにたっぷりとなすりつけ、特製ソースに浸していただくと間違えなく美味いでぇ。

 

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老後の法則

2018-01-30 | 日々是好日

妻というのはやっぱりありがたいもので、家で晩飯食うとなると飯台に座っていれば「食いたい夕食」を作ってくれる。

無料だしなぁ。

タンス背負って実家に帰ります、とか妻が言って若いころは喧嘩したこともあった。

タンスはいらんから、子供と貯金通帳だけ残しとけ…アホンダラ。

なんて捨て台詞を言いたかったけど…言えなかった。

というか言わないでよかった。

逃げた女房にゃ未練はないが、逃げる前に野菜を必ず食べること、などと言われたもののウサギじゃないんだから4~5日食わなくても大丈夫だろうとチーズくらいでビールを飲み、やがてワインになり焼酎になる。

もし妻に先立たれると、しばらくはこんな日々になるんだろうなぁ。

やっぱりこっちが先に逝ってしまうべきだな、などと考えてしまう。

余生をいかに過ごすか?、という問題を少しづつではあるが考えだしてきた。

近頃身の回りにおいて、若くして突然逝ってしまう知人が増えたからか、明日は我が身としてとらえなければならない事態となってきた。

老後のことを真剣に考えると、次のようなパターンがあるのではないか。

その1 夫婦は無言無表情

レストランなどで向かい合って座っていても、双方ともほとんど黙っている。

あまりジロジロ観察しているわけにもいかないから瞬間的な推測だが、どうやらお互いに顔を合わせることもないようだ。

永いこと夫婦をしていると、もうあらかた、というか100パーセント話は出尽くしているから、自宅だろうが旅先だろうが「何も話すことはない」というのは当然のことで、そうなると別に旅に出なくてもいいのではないか、と思うのだが、そんなことは余計なお世話なのでした。

その2 服なんかどうでもいいけんね現象

自分の服など買いにいかなくなる。

こういうことはアタクシだけではないだろうが、歳をとると自分の服装なんかどうでもよくなってくる。

その3 老いては笑ってごまかせ

昨日のことは忘れても、40年以上昔のことは鮮明に覚えているのは不思議だ。

古い同級生は姿かたちが変わっても分かるが、付き合いの浅い人にバッタリ出会っても、果たしてどこの誰であったか思いだせない。

話を合わせるため必死に誰か探りをいれるが、老化頭は茫然とし「アハハ」などと笑ってごまかす。

相手を傷つけないためにも大切である。

あんまりいい画がないので今日はこれでご勘弁を…

天心の焼き飯とラーメン          

いまだ食欲旺盛であります 

 

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天心

2018-01-29 | B級グルメ

料理をするといろんな音がする。

煮る、焼く、切る、たたく、混ぜる、それぞれの作業ごとにそれぞれの音が出る。

これらの音は自然に出る音であって、そこには何の作意もない。

カウンター式の店でチャーハンを注文すると、豪快な音がする。          

注文と同時に店主は、鉄の大きな中華鍋をガンとコンロの上にのせる。

次に油を入れて熱してジュー。

それを鉄のおたまで忙しく掻きまわしてガンガンガン。

そこへご飯と具を投入してまたガンガンガン。

終盤に近づくにつれガンガンがいっそう激しくなって、おたまについたご飯粒を叩き落すために最後に大きくガン。

そんなお店のひとつかな、出雲の天心です          

お食事処きんぐさんと同じ母屋で営業中         

初めて入店したが、夫婦仲良く楽しみながら商売してる雰囲気が伝わってくる、ほのぼのとした雰囲気のお店です。

チャーハンとは呼ばず焼き飯(並)510円         

味は醤油ベースで濃いめだが具材は至ってシンプル、量もパラパラ感も及第点。

地元の人に愛される店のようで、次から次に来店者有り。

焼きそばをオーダーする人が多いように思えたので、次は是非焼きそばをいただきたいと思ったしだい。

話を料理の音、ってことに戻す。

日本人だとなるべく控えめにということを考えるのだが、中華系の人はそういうことを考えない。

和食系はわりと静かで、刺身を切ってるぶんには音が聞こえてこない。

油が参加する中華系焼肉系は俄然賑やかになる。

音も賑やか、匂いもクンクン、食べる人種も賑やか。

 

かつては昔の日本の家の台所は、まな板で大根を刻む「トントン」だったが、いまの音は「チン」だけ。

でしょうか…

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宍道湖朝景色

2018-01-28 | 水辺の風景

目からウロコが落ちる。

なんてことよく言う。

ワシらは爬虫類だったのか、などと思ったけどそんな言い回しがあったのか。

言いたいこと、意味は分かる。

ボーとしてたのが、いきなり「スッキリ」見えてきたようなことを言うのだろうな。

とある本を読んだとき、我が人生の何枚目かのウロコが両目からパラパラ落ちた。

人間と人間以外の動物(犬とか猫とか馬とか爬虫類とかね)とのたった一つの大きな違いは何か。

いろいろ考えたけど、難しすぎてよくわからへん。

だけど結論から言えば「自分の死を考えないこと」だそうな。

なるほど、そうか、いいなぁ、明日以降日当たりのいい布団の上で昼寝している猫は、いつか確実に訪れる自分の死のことを全く考えていない。

いや知らないのである。

山があってそこに雨が降り、渓流が集まって川となり、都市にまで流れ流れてむ海に注ぐ。

海から蒸発した水分が雲となり、山にぶつかって雨となり、地球のすべての生命に一番な「水」の健康的な循環を作っていく。

つまり地球は一日も休まず、地球生命のために生きているのだ。

定期的にやってくる梅雨や台風は、この循環に大量の水の供給をしてくれる、ありがたい地球の周期活動なのだ。

明日の「死」を知っている人間だけが、自分たちの死を早めるための「いろいろなこと」をしてるような気がする。

核戦争、いじめ、パワハラ、などなど。

…でもって全く関係ないけど、昨日は浜田屋陸上部恒例の新年会。

毎年1月最終土曜日のお決まり行事であります。

今年は松江しんじ湖温泉にて          

今後のレースの参加相談やら各自近況報告で場は盛り上がったしだい。

 

ここから水郷祭の花火見たらサイコーだなぁ。

なんて思ったけど、もぅすでに予約で満杯ですって。

そりゃそうだわなぁ

 

 

 

 

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しじみパワー

2018-01-26 | 日々是好日

永谷園シジミのカップ味噌汁          

そのカップの側面を見ると「しじみ70個分」という文字が目に入る。

シジミの成分であるオルニチンとかいうものが70個分、このカップ一杯分の味噌汁の中に入っているというのだ。

それにしても「70個分」とはただごとではないな、と思いつつすすっていると急に「ん?」となった。

シジミ70個? 個? 個でいいのか。

相手はシジミだぞ、貝だぞ、生き物だぞ、ああ見えてもちゃんと息してるんだぞ。

息をしてるものを個なんぞという単位で数えてもいいものなのか。

我々は普段1個、2個と数えているものは、石ころとか消しゴムとか瓶のフタとか取るに足りないものであって、いやしくも生きているシジミに対して失礼ではないか。

我々はそれでいいにしても、シジミが気を悪くするのではないか。

個がいけないということになると、どう数えればいいのか。

粒というのはどうか。

「しじみ70粒」

粒のほうが個よりも雰囲気が多少和らぐな。

粒ならシジミも機嫌を直してくれるかもしれない。

いよいよになったら奥の手がある。

ダイヤモンドを持ち出す。

ダイヤモンドも1粒、2粒と数える。

シジミも急に上機嫌になるにちがいない。

世の中には少しヘンな人がいるが、そういうヘンなことばっかり考えてしまう昨今であります。

 

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もしもし

2018-01-25 | 日々是好日

電話で最初にいう「もしもし」は、その昔の「申す」からきているらしい。

何か一言申し上げます、の申すだ。

「オレオレ」ではじまる近頃の詐欺電話。

詐欺に巻き込まれないために「オレオレ」と言ってきたら、「ダレダレ」と答える習慣をじいちゃんばあちゃんに指導を地域行政あたりがやるべきだ。

公衆電話は昔は10円玉投入式だった。

最初の頃は10円での通話時間が切れるまで。

やがて100円玉投入式にもなった。

しかしこれは100円以内で話が終わってもおつりは出てこなかった。

電話会社はこの「おつり」をかすめとった分だけでも、随分儲かったはずだ。

それからプリペイドのテレホンカード時代になったが、あとで考えるにあの頃まだ使い切っていないカード(残り度数5とか10とかで机の中にためておいてそのままのやつ)がいっぱいあったはずだ。

プリペイドだから料金前払いだから、いい商売じゃないか。

ほとんど利用されなくなった公衆電話                    

携帯電話時代になっていきなり「ヒロシか」などと名前から聞いてくる人も多くなった。

やがては「もしもし」が省略される時代になるのかなぁ。

どんどん便利になったきたが、当然ながら固定電話の加入率は年々減少している。

これも時代の流れですかねぇ。

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すし割烹 井津茂

2018-01-24 | B級グルメ

松江市役所にほど近い井津茂          

すし割烹ということで、ちょいと敷居の高い高級店ですが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で同居人(配偶者ともいうが)と一緒に入った。

休日の昼飯、入店は12時過ぎ、先客はセレブなご婦人ばかりかな?

なんて思ってたが、けっこうそうでもなく普通(年増の)おばさんの女子会かな? って感じだった。

行列店でなくて幸い。

ただ女子会(婆々会)はおしゃべりが止まらない。

まぁよくもあんなにしゃべれるものだ、などと感心しつつ鰻重をいただく。

写真はないが赤だしも付いてます          

その赤だしはマジ絶品、茶碗蒸しもそこそこ(いやいやかなり)美味しかった、ということを報告いたします。

話は飛躍するが、日本から鰻の蒲焼きが消える日が近いといわれている。

鰻の蒲焼きが消えれば土用の丑の日の文化が消える。

鰻屋のオヤジがうちわでパタパタ扇ぎ、通りかかった人が鼻をクンクンさせる風習も消える。

今のうちにお世継ぎを考えておかねばならない。

穴子、鱧、泥鰌、鯰あたりがその候補者かな。

穴子が有力だが寿司屋での穴子の地位は高く、ネタとして人気商品なので候補から外れる。

鱧は京都あたりを本拠地として気品が高いので、候補から辞退するらしい。

泥鰌は体格そのものが貧弱で、その世界には向かないようだ。

平成天皇の在位は平成31年4月までとされ、スムーズにお世継ぎが決まったのに合わせ、鰻のお世継ぎも安倍内閣の最重要課題として取り組んでいただきたい、と切実に思うのでした。

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神魂神社

2018-01-23 | 神社仏閣

松江市大庭町 国宝神魂神社          

パワースポット好きなつれあい(同居人)が行きたい、と申すので久々に寄ってみた。

寒波襲来の天気予報前、今しか行くチャンスないぜ!ってタイミングの1月21日。

小春日和ほどでもなかったが、薄めの上着で済むような天候であった。

のんびりと参道を歩くのもいいですね。

男坂を上がれば本殿          

駐車場からすぐ、観光地化されてない貴重な国宝          

由緒正しき神社          

神話の国出雲であります。

 

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焼き鳥

2018-01-22 | 日々是好日

焼き鳥は串に刺してあるから焼き鳥だ。

串に刺してあるから美味しい。

箸を使わずに食べる料理としてとても楽しい。

その焼き鳥を、いちいち串から外して食べるという風潮があるという。

まことにけしからん。

今の世の中、ちょっと目を離しているとアッという間に変貌してしまうので、焼き鳥屋のオヤジも「できたらそういう食べ方はやめてくれませんか」

などと控えめに申し立ててるんじゃないかな。

焼き鳥屋のオヤジは昼間「準備中」という札を表にかかげ、一串に4個ないし5個、一心不乱に鶏肉を刺し続けること数時間。

ようやく刺し終えて「準備中」の札を裏返しにして「営業中」にしたとたん、客が入ってきてその1個1個を外しにかかる。

こうなってくると焼き鳥屋のオヤジは、一串一串何のために鶏肉を串に刺したのか、その意味がわからなくなってくる。

「これじゃったらフライパンでジャーと炒めたほうが楽じゃったのう」

と嘆くであろう。

だが若い連中やご婦人方にとっては確かに串のままかじるとなると、とても上品とはいえないかもしれない。

焼き鳥には、ささみ、もも肉、レバー、つくね、手羽、砂肝などいろんな種類がある。

ささみ、もも肉、レバーなどは比較的楽に串から外れる。

だが砂肝となると頑強に串にしがみついて離れようとしない。

焼き鳥を串ごと食べるには、それなりの覚悟が要る、ということになる。

これに比べたら、串から外して食べるほうがどんなに楽か。

こうなってくると焼き鳥屋の立場はどうなるのか。

アタクシとしてはどっちの立場を支持すればいいのか。

ただウロウロしてるだけではすまないので、「大岡裁き」で名高い大岡越前守に裁いてもらうというのはどうか。

某ショッピングセンターにおける焼き鳥出張販売店          

お白州に焼き鳥屋のオヤジと町娘が平伏している。

一段高い所に大岡越前。

「これ、焼き鳥屋金蔵(仮名です)、そのほうの言い分、ようわかった」

「これ、町娘おゆき(これも仮名)、そのほうの言い分もこの越前、胸にしかと収めた」

「そこでじゃ、こうしたらどうであろう、これ金蔵、店で焼き鳥を串から外して食べる客を許してやれ」

「それはあんまりな」、と金蔵、小さくつぶやく。

「これ、おゆき、これからは堂々と焼き鳥を串から外して食べてよいぞ」

「キャー、うれぴー、これで歯茎を全面的露出しなくて済むわ」と喜ぶおゆき。

「ただしよいか、おゆき、その外した串は金蔵が一串一串心を込めて刺した串であるゆえ、粗末に扱ってはならぬ」

「であるからして、いざ食べる段においては箸を用いてはならぬ」

「必ずや金蔵の串で食べることを申し付ける」

「それならばあたくしめの面目も…」と伏して感涙にむせぶ金蔵。

これぞ名裁き、と後世に称えられればいいが…。

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潮風と水仙

2018-01-21 | 水辺の風景

美保関町法田から七類に至る道は「えびす・だいこく100キロ」のコース上ですが、初夏はアジサイロードとして有名、この時季は水仙が咲いています。

その花は年々増えているので、地元の方が維持管理していらっしゃるに違いない、と思う。

地味な花ですが、花の少ないこの時季その可憐な姿には癒される。

長閑な法田の港          

ロウバイも咲いてた          

1月20日撮影          

潮風香る花見もいいね          

でも、ちと寒かった。

また今週は寒波襲来の予報がでてます。

春まだ遠き島根半島でした。

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