昔のミカンは、ときどき種のあるのがあったりした。
夏ミカンのように袋の中に種が入っているものがあった。
今はミカンの種など見たことも聞いたこともない、という。
そうか、時の過ぎゆくままにミカンは大きく変貌していたのだ。
今でこそ、ミカンに種があったということは嘘みたいに聞こえるが、果物を食べるときは必ず種と付き合っていた。
ブドウがそう。
ブドウの場合は、たまにある、ではなく一粒一粒に必ず種がある状態だった。
味わう時間より、種除去作業のほうが長かった。
種さえなければ…
人々は種を憎んだ。
種なしのブドウが出回ったときは、人々は大いに喜んだ。
スイカはどうか。
壁面にびっしりと張りついている種を一つ一つ除去する作業は大変疲れる。
種さえなければ…
でも、何となく困るんですね、種がないと。
困るんじゃないか、種のないスイカなんて、とみんな思うんですね。
人間は心の奥底では、種を愛しているところがあるみたいですね。
種は命の根元であるをみんな知っていて、その人格というか種格というか、そういうものを認めている。
居れば邪魔だれど居ないと寂しい、それが種なんですね。