浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

2021-02-25 | 日々是好日

昔のミカンは、ときどき種のあるのがあったりした。

夏ミカンのように袋の中に種が入っているものがあった。

今はミカンの種など見たことも聞いたこともない、という。

そうか、時の過ぎゆくままにミカンは大きく変貌していたのだ。

今でこそ、ミカンに種があったということは嘘みたいに聞こえるが、果物を食べるときは必ず種と付き合っていた。

ブドウがそう。

ブドウの場合は、たまにある、ではなく一粒一粒に必ず種がある状態だった。

味わう時間より、種除去作業のほうが長かった。

種さえなければ…

人々は種を憎んだ。

種なしのブドウが出回ったときは、人々は大いに喜んだ。

スイカはどうか。

壁面にびっしりと張りついている種を一つ一つ除去する作業は大変疲れる。

種さえなければ…

でも、何となく困るんですね、種がないと。

困るんじゃないか、種のないスイカなんて、とみんな思うんですね。

人間は心の奥底では、種を愛しているところがあるみたいですね。

種は命の根元であるをみんな知っていて、その人格というか種格というか、そういうものを認めている。

居れば邪魔だれど居ないと寂しい、それが種なんですね。

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ほどほどに

2021-02-25 | 定年波止場

どんなふうに歳をとっていきたいか

…と尋ねられたら、病気とは無縁で元気溌剌として過ごしていきたいのではあるが、そううまくはいかないのが人生というものである。

そうなりたくない、と思う方向に進む場合もある。

若くても将来どうなるかはわからないし、それは中高年でも同じなのだけれど、日に日に人生の最期が近づいているのは間違いないのだ。

こうなりたい、こうしたいという希望はなく、とにかく重大な問題が起こらないように毎日過ごしていくこと。

普通に生活できればそれでよい。

老後の生活費については、何千万必要などといわれたり、一度生活ランクを上げると元には戻れないという人もいるが、そのあたりの順応性はあるので生活できる自信はある。

気持ちよく暮らしていくには、やはり体調が整っていないと難しいので、この点だけは気をつけていきたい。

それ以外は加齢によって様々な出来事が起こるだろうが、そのつど対処していく。

それでも体調が悪くなってしまったら仕方がないし、受け入れて暮らすしかないのだ。

とにかく自分のこれからがどうなるかは誰にもわからない。

推測だが、自分はこうなりたいと頑なに考え、また努力してしまう人が、そうならなかった場合に絶望してしまうのではないだろうか。

若いうちならともかく、中高年はすべて「ほどほど」にしておいたほうがいい。

なかには目標に向かって突っ走って成功する人もいるが、そういう人はほんの一握りである。

自分はこれからも毎日をゆるく過ごし、そのまま高齢者枠にゆるゆると入っていきたいと思っている。

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ラー油

2021-02-24 | 日々是好日

大阪王将の卓上          

ギョーザのタレの間には、べたついたラー油。

ビンもフタも耳かきみたいな小さじもヌルヌルベタベタ。

ラー油が置いてある店はどこも同じである。

かけ放題飲み放題なので、飲み会などの罰ゲームとしてラー油をゴクゴク飲ませるのもいいかも。

なんてくだらない話でした。

 

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ケチらず人生を楽しむ

2021-02-24 | 定年波止場

基本的にお金はケチるよりも、使った方がいいと考えている。

それによって学ぶことが多いからだ。

満足感もあるだろうし、損したと思うこともあるだろう。

お金をたくさん貯めるのが人生の目的ならば、そうすればいいけれど、お金は人生を楽しむためにあるのではないだろうか。

貴方はケチか浪費家かと問われたら、後者だろう。

しかし、すってんてんになる度胸はないので、通帳の残高を眺めながら財布を開ける。

使ったお金は戻らないが、買いたいのを我慢してその分のお金が手元にあったとしても、だからどうなんだという気持ちがある。

自分がやったことは仕方がないので、それを反省するかしないかは本人次第だろう。

貯金はいくら持っていても、どれほど物を持っていたとしても、免状をたくさん持っていたとしても、すべてあの世には持っていけない。

40代、50代半ばくらいまでは、頭でわかっていても、現実問題としてそのような心境にはなれなかった。

さすがに還暦を過ぎると、人生のゴールが小さな山の向こうに見えてくる。

なるべく周囲の人の手を煩わせず、どうやって自分のゴールに到達するかを考えざるをえない。

これから先、新たに必要なものはほとんどないが、生活を楽しむためのものは買っていきたい、と思うのであった。

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記憶力衰退

2021-02-23 | 定年波止場

昔に比べて明らかに記憶力が衰えてきているので、意識して忘れないようにしないと危ないことになる。

忘れてもどうでもいい、芸能人の名前とか本のタイトルならいいのだけれど、そういったどうでもいいことばかり覚えていて、肝心な事柄を忘れがちになるのが怖い。

若い頃は何もしなくても覚えられたが、さすがに今は覚えようと思っても、それを文字で書いてまた頭に叩き込まないといけない。

それでもどこの穴から出ていっているのかわからないが、頭の中から消え去っている。

ただあわてふためくものの、すべてギリギリのところで思い出して事なきを得ているのは、運がいいからか、記憶が薄れているとはいえ、脳がふんばってくれているかのどちらかだ。

これから益々記憶に関しては不安があるので、とにかくこまめに「書く」ことで対処している。

 

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かに玉

2021-02-23 | B級グルメ

中華の店に入る。

メニューを見る。

メニューの中にかに玉がある。

このときの万人共通の思いは、「カニがどのくらい入っているんだろうか」というものである。

そのとき出される万人共通の結論は、「ちょびっとだろう」というものである。

そうした経由を経て、結局かに玉を注文する。

かに玉がやってくる。

そのときの万人共通の感想は、「やっぱり」というものである。

事実は何よりも先行する。

かに玉のカニはちょびっと、カニクリームコロッケのカニもちょびっと、かにサラダのカニもちょびっと、かに雑炊のカニもちょびっと、ということわざもある(そんなの無いか)。

ちょびっとの悲劇はここにも          

好きです、かに玉。

中華料理には肉団子とか棒棒鶏などの体育会系がある一方、かに玉のようなふわふわ系、ふっくら系の一派がある。

どちらかというとおかず系で、おかずとしてご飯によく合い、天津飯ということにもなる。

かに玉は軟弱だが、天津飯になると途端に体育会系になるのが不思議である。

 

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Go To Eat

2021-02-23 | 日々是好日

ローソンで買ってきた          

ひとり一回2万円まで購入可能          

Go-Toトラベルのほうは運用停止がいつまで続くか分からないが、イートは使用可能な店が結構あるのでありがたい。

宿泊飲食業の打撃は深刻さを増している。

微力ながら少しでもお役に立てればと思いつつ、25パーセントのプレミアムに期待する罰当たりモンかなぁ。

なんて思っているしだいである。

 

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残して食う

2021-02-22 | B級グルメ

ラーメンにおけるチャーシューは、店によって大小がある。

ハガキ大の店もあれば、名刺大の大きさの店もある。

ハガキ大のほうは、どう対処するか。

一枚を一口で食べてしまう人はいない。

誰もが一部分をかじり取る。

かじり取った残りを麺の上に置く。

置いてとっておく。

そういう自分がみみっちくて嫌、なんて思う人はいない。

正々堂々と、かじり残してとっておく。

そうする自分を「いじましい」とか「みみっちい」とか「せこい」なんて思う人は一人もいない。

誰もがそうしている。

大阪王将の中華そば         小さいチャーシュー1枚だけがとても悲しい

問題は名刺大のチャーシューである。

一口で食べれるサイズなのに、半分だけかじり残り半分を麺の上に置くのがみみっちい。

ちょっと大きくかじりすぎたかな、なんて思ってる自分がせこい。

食べている間、苦労が絶えない。

食べ終わったときは自己嫌悪に陥る。

きつねうどんの油揚げの場合はどうか。

「どん兵衛きつねうどん」の場合は、狭い丼の中に油揚げはたった一枚しか入っていない。

この一枚を、人に何と言われようとも、何回も何回もかじり取ったり、残したり、置いたり、また拾い上げたりする。

大きくかじりすぎたかな、と反省したり、みみっちいと自己嫌悪に陥ったりして食べることになるのだが、これはこれで結構楽しいのである。

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竹島の日

2021-02-22 | 日々是好日

今はたして、朝から晩まで天下国家のことばかり考えていて、お金のことなど考えるヒマはない、という政治家がいるだろうか。

昔は確かにそういう人はいた。

坂本龍馬、伊藤博文もそうだったし、明治、大正、昭和にかけて日本の男たちは事あるごとに、天下国家を論じあっていた。

床屋で、銭湯で、居酒屋で、世界の状況これからの日本のあるべき姿を、激しく論じあっていた。

日本男児などという言葉もあって、そのころの男たちは気概にあふれ、大東亜共栄圏などという発想もあり意気軒高、日本がやがて亜細亜の盟主となるという構想さえあった。

今そういう日本男児は一人もいない。

今の政治家は、朝から晩までお金のことばかり考えていて、天下国家のことなど考えるヒマはない。

のほうが似合うような気がする。

2月22日は「竹島の日」である。

島根県庁前の県民会館で記念式典が行われるが、全国から例の黒いバス集団が大音響を響かせて集まってくる日でもある。

竹島は島根県の隠岐の島に所属する島であるが、韓国が実力支配していることをどれだけの人が知っているのだろうか。

島根県の竹島、ではなく日本固有の領土「竹島」ではないだろうか。

沖縄の尖閣諸島も中国が頻繁に領海侵犯を繰り返している。

これも日本国の領土である、と当たり前の言動行動をもっと力強くできないものなのか。

天下国家を論じなくなってから幾年月。

このままでは祖国日本の行く末がどうなるのか、不安が募るのであった。

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春一番

2021-02-21 | 日々是好日

昨日、当地は春一番が吹いたという。

そういえばその昔、キャンディーズというアイドルグループが唄っていたなぁ。

などと感慨にふける高齢者の入り口に立つ者である。

出雲縁結び空港の吹き流し          

今日も強風、気温も20℃を超え、すっかり春めいてきました。

ちょっと気取ってお出かけしたい気分ですが、それもままならない昨今であります。

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