赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

1月14日(土)のつぶやき

2017-01-15 01:53:36 | Weblog

四国ならぬ三国の旅(16)

2017-01-14 13:46:35 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回からのつづき)

高速に乗り一路香川県に戻ります。高速のICにほど近い善通寺に参拝するついでに、やはり讃岐うどんは食べておくべきだろうということで善通寺市にある「山下うどん」さんへ。有名なうどん屋さんのようで、ご覧のようにタクシーで乗り付ける光景も。



こちら山下うどんでいただいたのはご覧の冷たいぶっかけ(大330円)とイカ天、鳥の天ぷら。その昔職場の香川県出身の同僚が「都内の讃岐うどんなんて食えませんよ!」と豪語していた意味が少しだけ理解できたような気がしました。勿論あっという間に平らげました。



山下うどんさんの駐車場から臨む讃岐富士のひとつ飯野山(でよいのですよね?)。自分の中では四国を強く感じる光景のひとつです。



善通寺市というとお寺は勿論のこと、旧帝国陸軍第11師団駐屯地のあったところとしても知られているのではないでしょうか。その施設を見学したい思いも多少はありましたが細君に配慮して今回は断念。こちら善通寺市には現在も陸上自衛隊第14旅団の駐屯地があります。ちなみに、その善通寺駐屯地のウィブサイトを見てたら普通に「大東亜戦争」って書いてあってニヤリ。



さて善通寺ですが、四国48箇所霊場の第75番。真言宗の開祖である空海の生誕地で、平安時代初期にその空海の父が建てたものとされているとのこと。右手には五重塔も見えます。



日本の国柄のようなものを考えていく上で個人的に最近注目している概念のひとつ、「怨親平等」という言葉を境内で偶然見つけてびっくり。もともとは仏教から来ている言葉だったと思うので当然と言えば当然ですね。



その後再び高松市内をひとしきりぷらぷらしてレンタカーを乗り捨てして高松空港へ。うどんのだしが出るという蛇口は見つけられませんでしたが、空港施設自体は比較的新しく綺麗でした。その施設内にあって、この表示は妙に昔の地方空港っぽくて逆に印象的でした。今回は人生初のLCCとしてジェットスタージャパンで成田まで。お土産類は既に配送済のため荷物もさほど多くはなく、フライトの定刻にも間に合ったのでごくごく快適な旅でした。高松→成田で1万円切るのは大きいし、また機会があれば使いたいかな。



15年4月に成田空港に新たにLCC(ローコストキャリア)専用としてオープンしたばかりだった第3ターミナルへ到着。全体的にスタイリッシュでありつつ、よくいえばごくごくシンプルな造り、悪く言えば安普請という印象ですが、そこはLCC専用ターミナルに相応しい造りというべきなのでしょうね。



ところどころがこのように陸上のトラックのようになっているので、「天国と地獄」など運動会の曲が聞こえてきそうな雰囲気で、思わず早足で歩きそうになりました。この日は楽天オープンに出場するっぽい外国のプロテニス選手とその奥方っぽい方と、そしてそれを迎える大会スタッフっぽい姿も見られました。プロテニス選手もLCCなんて使うんですね。



ここからリムジンバスに乗り込んで一気にさいたま市内に帰還してようやく旅が終わりました。本旅行記もここでようやくひと段落。次回からは仲間内で行った秋田と弘前をめぐる旅について、これも既に2年以上前になりますが性懲りもなく書いていきたいと思います。

(了)

1月13日(金)のつぶやき

2017-01-14 01:52:08 | Weblog

1月12日(木)のつぶやき

2017-01-13 01:53:03 | Weblog

1月11日(水)のつぶやき

2017-01-12 01:52:41 | Weblog

1月10日(火)のつぶやき

2017-01-11 01:52:11 | Weblog

1月9日(月)のつぶやき

2017-01-10 01:55:16 | Weblog

四国ならぬ三国の旅(15)

2017-01-09 12:01:32 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回からのつづき)

道後温泉の宿のチェックインして周辺を散策した後、早速道後温泉本館へ。明治時代に建てられたもので、当時の町長が多くの反対を受けながらも「100年たっても真似の出来ない物を造ってこそ意味がある、人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしもよくなる」と住民を説得して莫大な予算をかけたもので、鉄道整備とあわせ道後温泉を一大観光地に仕立て上げた、というのがNHK「ブラタモリ」における大まかな分析だったかと。写真は館内で文豪夏目漱石が使用したという「坊ちゃんの間」にあった漱石の肖像。松山中学で教鞭を執り、松山を舞台にした「坊っちゃん」を記したのはもはや説明不要かもしれません。



この日は「神の湯」にしたのだったと思いますが、いずれにせよ2階席からの眺め。入浴前に上記「坊っちゃんの間」に加え、「又神殿(ゆうしんでん)」という明治天皇や昭和天皇もおいでになったという皇室専用の湯殿にも係の方に案内していただきました。



蜷川さんテイストがそこかしこに映り込みます。この日は近くの中学校の写生会だったようで、この本館を描く学生さんの姿もちらほら。しかしこれはもう相当描き甲斐があるでしょうね。自分が中学生の頃の写生会で描いたのは熊谷税務署ですからね(笑)…雲泥の差です。



入浴後は前回ご紹介した湯神社を参拝。12代景行天皇の勅命により建立されたと言われているようです。その昔天災により道後温泉の湧出が止まったことがあり、こちらの社で「湯祈祷」を行ったところ再び湧出が始まったとの言い伝えがあるのだとか。こちらにも写生会の中学生の皆さんの姿がありましたが、観光客の我々にも元気よく挨拶してくれました。



館内の能書きにもあったのですが、「伊予国風土記」によれば、記紀など神話において天照大御神系の天津神に「国譲り」をし、出雲大社に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)が、その大国主命とともに国造りをした少彦名命(すくなひこのみこと)とともに伊予国を訪れたことがあったようで、その際、少彦名命が急に体調を崩してしまったことがあった。



大国主命は少彦名命のために大分の速見の湯を伊予国に引き、小さな身体で一寸法師のモデルとの説もある少彦名命を掌に乗せてその温かい湯で入浴させると、調子を取り戻した。少彦名命は体調回復の喜びの余り、そこにあった石の上に立って踊った。そしてその少彦名命が躍ったとされる「玉の石」は、道後温泉にありました(撮影失念)。



湯築城跡をじっくり見られなかったのが個人的には心残りでしたが、ともあれこの後一泊して再び香川県に戻ります。

(つづく)

1月8日(日)のつぶやき

2017-01-09 01:52:24 | Weblog

1月7日(土)のつぶやき

2017-01-08 01:52:03 | Weblog

四国ならぬ三国の旅(14)

2017-01-07 23:57:01 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回からのつづき)

新年のご挨拶も浦和の移籍情報もすっ飛ばして旅行記が続きます。

宇和島から同県内の四国最大の都市・松山へ。松山には以前日帰り出張で訪れてその際松山城もしっかり堪能できていたこともあり、今回は道後温泉のフォーカスしての訪問となりました。



温泉宿にチェックインして早速近所を散策。まずはこちらの温泉街のシンボルと言って差し支えない道後温泉本館へ。



どうやら訪問時は、写真家で映画監督もやっておられる蜷川実花さんとのコラボ期間中だったようで、本館の暖簾もご覧のとおり。細君的にはうれしかったようですが。



おっさん的にはこちらの方がほっこりするかな…。「いよてつ」こと伊予鉄道の市内電車道後温泉駅で見かけた車両。こちらのサイトを参考にさせていただいた限りでは「モハ50形」、手前にちらっと見えるのが「坊ちゃん電車」ということでよろしいのでしょうか?



道後温泉駅のところにあるからくり時計。からくり時計ということなら浦和の埼玉りそな銀行のところで見慣れてはいるのですが。このあたりには足湯スポットがあり、NHK「ブラタモリ」のラストもここの足湯だったと記憶しています。



なんとも温泉らしい「湯神社」という幟をみかけておっさんは興味津々。道後温泉本館でお見かけした能書きによればこの道後温泉には神話時代からの伝承もあるようですが、それはまた後程。このあたりの高低差もブラタモリを見た後なら一層味わい深い。



道後温泉本館を別角度から。我々の宿も映り込んでいます。



この日は何やらのイベントをやっていたようで、ダンスパフォーマンスなどもやっていました。見にくいと思いますが、手前の「蜷川柄」の浴衣を纏った女性はご当地テレビ局のリポーターの方のようでした。



(つづく)

1月6日(金)のつぶやき

2017-01-07 01:51:41 | Weblog

1月5日(木)のつぶやき

2017-01-06 01:51:36 | Weblog

1月4日(水)のつぶやき

2017-01-05 01:50:58 | Weblog