ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

三谷幸喜氏とLotR?

2004年06月03日 | 旧指輪日記

今日の写真はロンドンのシャフツベリーアベニューにある映画館ODEONの壁の広告です。イアン・マッケラン主演?のEMILEという映画を上映中で、その広告ですね。
この写真ではよくわからないのですが、左の方に白い紙が貼ってあって、ここに「今日午後6時10分からサー・イアン・マッケランの特別Q&Aがあります」と書いてあったのでした。コンサートの当日のことです。結局行かなかったのですが、生イアン・マッケランとニアミス???していたかと思うとちょっと不思議な感じです。
しかし、コンサート当日にこんなことやってるなんて・・・ひょっとしたらコンサートに来るかも、なんて思っていたのに、あんまり興味なかったんですねー(涙)
昨日の朝日新聞の夕刊で、毎週連載している三谷幸喜氏のエッセイ「ありふれた生活」を読みました。結婚指輪を失くした時の話だったのですが、(結局出てきたそうです)その時の心境をこんな風に書いていてびっくりしました。
「それにしても指輪一個で、これほどの喪失感を味わうとは。自分の中で何かが終わったような気さえした。(中略)俺はこのまま堕ちて行くのか-そんな風に思えた。指輪を手放した時のフロドの気持ちが痛いほど良く分かった
映画好きらしいけど特にファンタジーが好きそうではない三谷幸喜氏がLotRを観ているのかどうかは知りませんでしたが、観ていたんですねえ。
びっくりしたのは、三谷幸喜氏がフロドが指輪を手放したことで喪失感を味わっていたということを読み取っていたということでした。原作を読んでいるならまあわかるのですが、読んでなさそうかなあと。あの映画を観ていて、フロドが指輪を失ったことによる喪失感を得ていたということはあまり描かれてないと思うんですよね。指輪を捨てた直後のフロドはむしろ達成感にあふれていて嬉しそうだし。
強いて言えば袋小路屋敷のモノローグ、そして灰色港に向かう馬車の中でのビルボとのやりとりに感じられるくらいかと思いますが、ここで読み取れるとしたら結構鋭い人ではないかなあと思います。さすが脚本家、そういうあたり読み取っていたのか、なんてちょっと思ってしまいました。
しかし、普通の指輪でさえ失くした時にそんなに喪失感があるのなら、一つの指輪を失った時の喪失感にははかり知れないものがあるのでしょうねえ・・・
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