ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

MACONDO

2007年11月18日 | ミュージカル・演劇
さるところから知った情報で、「行ってみるか」と行ってみた舞台です。
フランスのPremier Actという劇団?が、ガルシア=マルケスの「この世で一番美しい水死人」「大きな翼を持った老人」「無垢なエレンディラと非情な祖母の信じがたい悲惨の物語」をベースに舞台化した上演です。ガルシア=マルケス好きの私としては行かずにはいられなかったという感じですね(笑)
ちなみにチラシには原作は「エレンディラ」としか書いてなく、会場で配られた台本の日本語訳やプログラムには前の2作しか書いてなかった・・・なんでだ?
あと、タイトルはマコンドなんだけど、3作品ともマコンドが舞台ではないんですよね。これも不思議。まあガルシア=マルケスと言えばマコンド、ではありますが。
この上演、学習院女子大学の学生さんが主催している演劇祭なんだそうです。国内外の9団体が、学習院女子大学構内で上演します。すごいなあ、学生さんがこんな国際的なイベントやっちゃうなんて。
場内の案内等も整然とやっていて、むしろプロの劇場の人よりも親切なくらいでした。
会場は学内の講堂・・・というよりは大教室、という感じの部屋で、座席に机がついてるのが懐かしい感じでした(笑)
でも、照明も音響も結構ちゃんとしてたと思います。
キャパがそんなにないとは言え、ほぼ満席の人気でした。念のためチケット予約しておいて良かった。売り切れてはいなかったようですが。

さて、作品の感想ですが。
先にも書きましたが、どの作品もマコンドを舞台としてないのが不思議だなあ、と。
劇中では前の2作、そしてもしかしたら「エレンディラ」も、マコンドが舞台、という設定になっていて、単に名前を借りているだけのようでした。
別にいいんだけど、ちょっと違和感。「-美しい水死人」はもちろん海のそばの村ですが、マコンドは海から遠く離れた土地なので・・・。
この海から離れている、というところにマコンドの閉塞性があるように思うので、なんだか違和感なんですよね。ただ名前を使っただけなんでしょうけど。
そして、「-美しい水死人」と「大きな翼を持った老人」が同じ村で起こっだできごとというのもなあ。そんなすごいことばかり起きる村なんて、確かにマコンドっぽいかもしれないけど(汗)
登場する役者さんは3人のみ。女性二人が語り手のジプシー?を演じ、男性がなんとエレンディラを演じるという形態。(女性二人より背が低かったし、顔は仮面を被ってたけど多分男性かと・・・)まあ、エレンディラも物語の中のエレンディラ、ではないのですが・・・
最初女性ジプシー二人が舞台の中央に座ったところに黄色いライトがあたり、幻想的な中二人が語り始めます。
両脇に字幕がありますが、ほとんど「今話がどころらへんか」を判断できる程度にしか訳してません(汗)確かに全部訳したら字幕しか観なくなってしまいますが・・・事前に配られた日本語台本をしっかりと読んでおかないと厳しいですね。私は原作を知っているのでなんとかついて行けましたが。
またフランス語なもので本当にちんぷんかんぷん・・・(汗)たまにスペイン語がちょこって出てくるのですが(スペイン語っぽいフランス語もあったもよう)、スペイン語の方がまだわかりました(汗)
二人の衣装は、編んだ紐や細かい端切れ、毛皮などが複雑に重なった、ボロのようで、しかも色彩が美しい、独特の衣装でした。照明もあいまって視覚的に強い印象を残してました。
おりおりに紙ふぶきや粉を振りまくのも効果的で美しかったです。
最初はほとんど動かずに話していた二人が、話が進むにつれて動き出し、「-水死人」の最後の水死人を送り出すシーンなどはかなり感情をこめて演技していたので、結構感動的でした。
原作は短いのもあってさらっと読んでしまいましたが、原作が持つ祝祭的な雰囲気を十分に出していて(たった二人の出演者で!)、原作を読んでいた時よりも強い印象を受けました。
そのまま休憩なしで話が続きます。なぜか舟に乗り込もうとするジプシー二人。そこにエレンディラらしき少女が隠れていました。
やがて嵐になり、3人は一緒に嵐を乗り切り、そして二人のジプシーは再び話を始めます。今度は「大きな翼を持った老人」の話を。
この話は、ちょっと私のイメージと違いましたね。最後の翼を持った老人が飛び立つシーンを、結構コミカルにやっていて。
それでも、翼を持った老人を見送るエリセンダの「自分と老人のために安堵した」という心持は、原作を読んだ時よりも感じたかな。
まあ、翼を持った老人をウリセスの成れの果て、にしてしまった妙にメランコリックな坂手洋二脚本よりはずっと良かったです。原作どおりで。
この話を聞きながら、最初おびえていたエレンディラはしだいに話に引き込まれ、最後には一緒に踊り出します。
そんな心を開き始めたエレンディラに、ジプシーたちは今度は彼女自身の物語、「エレンディラ」を語り始めます。まるで彼女を糾弾するかのように・・・
エレンディラは自分の役を演じつつ、苦しみを思い出したかのように苦しみのた打ち回ります。
しかし、不思議なことに、この舞台はエレンディラがウリセスに祖母を殺せるか訊いた後の、「でも私のおばあちゃんだもの」をつぶやくところで終わっています。
その前も、エレンディラの過失で祖母の財産を失い、体を売ることになった、といういきさつしか語られていないのですが。いきなりウリセスとか出てきて、原作知らないと「誰?」ですよね。
で、エレンディラが「私のおばあちゃんだもの」とつぶやき、海に沈むかのようにくず折れたところで次第に舞台が暗転し、ここでおしまい、でした。(あ、エレンディラの台詞は女性ジプシーが代弁していました。エレンディラ役の男優さんは台詞なし)
なんでエレンディラが走り出すところまでやらないんだろう・・・とちょっと消化不良な気分。ここまででも1時間程度で、もうちょっと長くても大丈夫そうなのに。
もしかしたら、ここでのエレンディラは祖母を殺すことができず、まだ祖母のもとにいるエレンディラの生霊なのかも・・・それとも、祖母を殺した罪悪感に囚われているとか? でもそれなら最後までやっても良さそうなものですが。
エレンディラの苦しみを表現したいなら、こういうのもありかな、と思いました。でも原作の持ち味を考えると、やっぱりエレンディラは消息不明であって欲しいんですが。
男性ってエレンディラのその後をどうしても書きたいものなんですかねえ・・・坂手脚本といい。
前の2作はなかなか良かったので、エレンディラ出さないで他の短編使った方がむしろ良かったのでは、と思ってしまいました。「ママ・グランデの葬儀」とか。
そして、同じ村で起こったという設定にしなければなお良かったかなあと。
とまあそんな感じで違和感あるところもありましたが、全体としてはガルシア=マルケスの幻想的な雰囲気を上手く表現していて(蜷川演出よりも)、良かったです。ジプシー役の二人の女優さんの演技もとても良かったし。
なかなか表現が難しそうな短編2つを「語り」という形を使うことで上手く表現していたなあ、というところも評価したいです。
コメント
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