RotK鑑賞も終盤になり、今必死でサントラを覚えようとしているところです。ちょっともう無理かなーという感じですが・・・(汗)
サントラを覚えるには、場面の転換の順番も覚える必要があるので、自然と場面の転換に目が向くのですが、RotKはTTTと違って、場面が次につながる時に、関連性のある場面につながっていることが多いなあと改めて思いました。
ミナス・モルグルや黒門前のように、同時進行の場面が交互に映される場面があったりとか、ガンダルフとアラゴルンがフロドの会話をするとフロドたちの場面に変わるとか、そういうのはもちろんなのですが、それだけではなく、違う場面に対比性を持たせたり、関連性を持たせたりしている場面が多いなあ、と思ったんです。
例えば、サムがフロドに「家に帰れ」と言われる場面の後に、デネソールに理解されずに出陣するファラミアの場面が続いたり。ピピンがメリーを見つける場面の後に、サムがフロドとオークの塔で再会する場面が来たり。はっきりしているところでは、黒門前、サムの「指輪は運べないけどあなたは背負えます」の場面の前にレゴラスとギムリの「友と一緒に・・・」の台詞があったりしますよね。
あと、これはこの間初めて思ったのですが、ピピンとガンダルフが死について話す場面の直前に、メリーが行方不明!?になりますね。まあ話を知っている人はここでメリーが生死不明、とは思わないと思うのですが、そうじゃないと、「メリーもピピンも死んじゃうのかも」なあたりが対比されてるかなあと思いました。他にもあったと思うんですが、今ちょっと思い出せないです(汗)
TTTでも終盤はそれぞれの場面に関連性が持たされているというか、3つに分かれた仲間たちがそれぞれの思いで戦っている、という感じでキレイにまとめたと思うのですが、RotKではさらにそういう描き方が進んで?されていると思います。
RotKを観たあとに思うと、TTTではわざとそれぞれの場面をバラバラに描いていたのかなあとも思います。SEEでのガンダルフとアラゴルンがフロドとサムのことを語る場面~サムにつながる場面も、劇場版に入らなかったのは正解かもとも思えます。まあ、コメンタリーによればPJは「台詞が説明的すぎる」ということでカットしたみたいですけど・・・。
TTTも、三部作通して考えると、真ん中の二作目としては正しい作られ方だったかもなあ、とも思ったりしました。
サントラを覚えるには、場面の転換の順番も覚える必要があるので、自然と場面の転換に目が向くのですが、RotKはTTTと違って、場面が次につながる時に、関連性のある場面につながっていることが多いなあと改めて思いました。
ミナス・モルグルや黒門前のように、同時進行の場面が交互に映される場面があったりとか、ガンダルフとアラゴルンがフロドの会話をするとフロドたちの場面に変わるとか、そういうのはもちろんなのですが、それだけではなく、違う場面に対比性を持たせたり、関連性を持たせたりしている場面が多いなあ、と思ったんです。
例えば、サムがフロドに「家に帰れ」と言われる場面の後に、デネソールに理解されずに出陣するファラミアの場面が続いたり。ピピンがメリーを見つける場面の後に、サムがフロドとオークの塔で再会する場面が来たり。はっきりしているところでは、黒門前、サムの「指輪は運べないけどあなたは背負えます」の場面の前にレゴラスとギムリの「友と一緒に・・・」の台詞があったりしますよね。
あと、これはこの間初めて思ったのですが、ピピンとガンダルフが死について話す場面の直前に、メリーが行方不明!?になりますね。まあ話を知っている人はここでメリーが生死不明、とは思わないと思うのですが、そうじゃないと、「メリーもピピンも死んじゃうのかも」なあたりが対比されてるかなあと思いました。他にもあったと思うんですが、今ちょっと思い出せないです(汗)
TTTでも終盤はそれぞれの場面に関連性が持たされているというか、3つに分かれた仲間たちがそれぞれの思いで戦っている、という感じでキレイにまとめたと思うのですが、RotKではさらにそういう描き方が進んで?されていると思います。
RotKを観たあとに思うと、TTTではわざとそれぞれの場面をバラバラに描いていたのかなあとも思います。SEEでのガンダルフとアラゴルンがフロドとサムのことを語る場面~サムにつながる場面も、劇場版に入らなかったのは正解かもとも思えます。まあ、コメンタリーによればPJは「台詞が説明的すぎる」ということでカットしたみたいですけど・・・。
TTTも、三部作通して考えると、真ん中の二作目としては正しい作られ方だったかもなあ、とも思ったりしました。