さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

歴史と文化の散歩道~品川宿~

2013-09-14 13:27:18 | 閑話休題


2013.9.7、ABC倶楽部。
品川宿は、1601年(慶長6年)に中世以来の港町「品川湊」の近くに設置された。
東海道五十三次の宿場の第一宿。
中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで「江戸四宿」と呼ばれた。

この夏も 終(しま)ひなるかや
品川の古き社(やしろ)に夕ゼミを聞く
              作 向後廣道氏 




本陣跡(聖跡公園)
本陣とは、武将の戦場の本拠地をさすが、転じて武家の主人の宿泊場所を示す。
1635年(寛永12年)参勤交代の制度ができた頃から、「本陣」の名で呼ばれ、大名行列のご一行をお迎えした。
明治元年、明治天皇の行幸の際の行在所(あんざいしょ)となったことを記念して、「聖跡公園」に改名された。
※「行在所」とは、天皇が外出したときの仮の御所のこと。




品川神社
東京都品川区北品川三丁目にある神社、東京十社のひとつ。東海七福神の1社として、大黒天を祀っている。
1187年(文治3年)源頼朝が安房国の洲崎神社から「海上交通安全の守護神」天比理乃命を勧請して祀ったのに始まると伝えられる。




板垣退助の墓
佐藤栄作の筆による「板垣死すとも自由は死せず」の碑があった。




品川富士
1869年に品川宿の富士信仰の講が築いた。当時は、品川沖の江戸湾から房州半島を一望する景勝地であった。
「富士塚(ふじづか)」は、富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚である。
頂上に浅間神社を祀り、関東地方を中心に分布する。富士山の山開きの日に富士講が富士塚に登山する習慣がある。1780年(安永9年)に高田籐四郎が江戸の高田に建てたものが最古であるとされる。




富士塚登山道に足神様「猿田彦神社」





養願寺(品川虚空蔵)
旧東海道から下町の風情が漂う路地を入った住宅街の奥にある。正安元年(1299年)の創建と伝えられ、虚空蔵尊を本尊とする寺。
「十三詣り」と結びついて、子どもが13歳から15歳までの時期にお参りすると、「福・徳・知恵」を授かるといわれ、古くから参詣者を集めてきた。鎌倉時代の制作と推定される「銅造阿弥陀如来像」は、品川区の有形文化財に指定されている。
 

一心寺
真言宗の寺院、「品川の不動さま」として知られ、延命、商売繁盛の守り神。


品川台場跡
1853年(嘉永6年)アメリカのペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航し、幕府に開国を迫った。この黒船来航に対する幕府の回答が開国であり、品川台場だった。
幕府は、諸外国に門戸を開くとともの、侵略に対する江戸防衛の最前線として品川台場を建設した。


「土蔵相模」跡
幕末の志士の拠点の一つ。大きな旅籠で、二階の大広間からは品川の海が見渡せた。
1860年(万延元年)桜田門外で井伊直弼を襲った水戸浪士らが事前の謀議をしたところで、ここで最後の酒宴をした。


ロビンソンクルーソーカレーハウス
ご主人の坂本さんは、島根県の「遣島使」(けんとうし。観光大使)
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