『決断と再生』
中小企業をどん底から救った男たち
■この本の内容
経営危機に陥った企業をいかに再生させたか? 成功とはいえない事例も含め、社長とそこに関わったコンサルタントや金融機関等の支援者たちの姿をリアルに描き、企業再生に必要なものを問いかけている。企業再生手法などもコラムで紹介、解説している。
■著者名 安田龍平 櫻田登紀子 編著
■判型 四六判
■頁数 240
■定価 1,785円(本体1,700円+税)
■第1刷発売 2010年02月05日
□第5話 中小企業をどん底から救った男たち
人を変え、会社を変える。プロの再生請負人の信念を築いた。つらい経験とは・・・・。
・企業のプロフィール
社名 株式会社信州硝子
業種 板硝子・サッシ・樹脂建材などの卸
本社 長野県
資本金 5400万円
従業員数 55名、役員4名
創業 大正12年
・登場人物
亀井清二 株式会社信州硝子 代表取締役社長
村木貞之 株式会社信州硝子 副社長兼CEO(株式会社ひたち硝子 元社長)
1
「チリリリリン……、チリリリリン……」
鳴り続ける電話。うつ向き加減の従業員。事務所には暗い雰囲気が立ち込めていた。
「クレームの電話ばかりなのだろう。誰も取りたがらないわけだ」
平成17年4月、株式会社ひたち硝子の顧問(当時)、村木貞之は、株式会社信州硝子の社長室に向かいながら、ひたち硝子が赤字続きだった頃を思い出し、目の前の光景と重ねていた。
株式会社信州硝子(以下、信州硝子)は、資本金5400万円、売上高24億円の、長野県では知名度の高い板硝子・サッシ・樹脂建材等の卸会社である。
しかし、3期連続の赤字決算により社長が更迭され、それまで常務を務めていた創業者の末子の嫡男、亀井清二が一年前に社長に就任した。
「事務所は薄暗い。そして机の上は……、やはり乱雑だな」
村木は心の中で呟き、案内された社長室に入った。
「失礼します」
「どうぞ。遠いところ、よく来ていただきました」
社長の亀井が立ち上がり手を差し出した。
「お声をかけて頂き、ありがとうございます」
村木も手を伸ばし、二人は力強く握手をした。しばらくの雑談の後、亀井が本題に入った。
「早速ですが、村木さん。あなたには副社長兼CEOとしてわが社の経営を立て直していただきたい」
村木貞之は、平成9年に茨城県にある株式会社ひたち硝子(以下、ひたち硝子)に社長として就任した。再建に尽力した結果、3年で黒字化を達成し、6年目には無借金経営にまでひたち硝子を立て直した実績を持つ。経営基盤が安定した後は顧問に退いていた。
村木に信州硝子再生の白羽の矢が立ったのは、社長職を退いて3ヶ月後のことだった。
村木と亀井の出会いは、亀井が主要取引先である日本板硝子株式会社に、信州硝子再生のため経営のわかる人材を紹介して欲しいと依頼したことがきっかけである。経営幹部への外部からの人材登用は、亀井にとって大きな決断だった。そして、日本板硝子から紹介されたのが村木だった。
村木は、この日、亀井から直々のオファーを受け、茨城から長野へやって来た。ひたち硝子では顧問として既に第一線から退いていたこともあり、
「ひたち硝子での経験を、信州硝子のために生かせないか」
という強い思いを持っていた。このため、亀井から信州硝子の状況説明を受けた時点で、村木の心は固まっていた。
「分かりました。お引き受けいたします」
村木と亀井は立ち上がり、もう一度固い握手を交わした。
村木は、信州硝子の副社長に就任後1ヶ月間で、財務分析と部長クラスの従業員と複数回の面談を実施した。そして、赤字脱却のために、以下の4つの方針を打ち立てた。
一.売上志向から利益志向へ ~不良債権整理・債権回収管理ルールの徹底~
二.人事制度改革 ~年功主義から実力・成果主義へ~
三.組織改革 ~ピラミッド型組織からフラット組織へ~
四.職場文化の活性化 ~朝礼の実践・コンピテンシー・マネジメントの導入~
この方針を基に、以下の再生3ヶ年計画をまとめた。
平成17年8月期 経営陣刷新、不良債権処理、債権回収管理ルールの徹底
平成18年8月期 黒字転換、財務改善、従業員のモラル向上
平成19年8月期 営業構造改革、業務改善による物流コストの削減
「会社が疲弊する前の、スピーディな黒字化が必要だ」
村木は、就任後2年目の黒字化を目標とした。そして、この再生計画を実現するために、具体的な施策と目標数値を盛り込んだ。「売上アップによる収益改善」のような絵に描いた餅ではない。社内の施策によって実現可能なものである。再生計画は、目標ではなくコミットメントでなければならない。必達であることにこだわりをもった。
1ヶ月かけて作成した再生計画も、従業員と共有しなければ意味が無いと村木は考えていた。内容の共有だけではなく危機意識を共有しなければならなかった。
平成17年6月、村木は全従業員を臨時招集し、一人一人に語りかけるように挨拶した。
「現在、当社は不良債権、借入金過大、労務倒産型の収益体質のため経営破たん寸前に陥っています。このままでは会社が倒産して全員が失業してしまいます。足もとの危機を克服して黒字化を図り、皆で力を合せて新しい信州硝子の創業メンバーとなることを決意しましょう。闇夜は続きません。必ず夜明けが待っています。社員の皆様にとって、やりがいのある会社、仕事を通じて自分が成長できる夢のある会社を創業しましょう」
皆が新しい会社に入社し、創業するつもりで再建を果たしていきたいと、村木は思っていた。
その後、村木は金融機関や主要な取引先を次々と訪問し、再生計画を説明した。金融機関や取引先はどこも、計画に理解を示し支援の意向を示した。
ここから、信州硝子の再生が始まった。
2
「皆さん、おはようございます」
「おはようございます」
これまでの信州硝子には全く無かった光景だった。村木は就任早々、毎日の元気朝礼を導入した。連絡事項を伝えることが主な目的である通常の朝礼とは異なり、大きな声での挨拶から始まる元気朝礼はマニュアル化され、テキパキとした段取りでの進行を従業員に強く求めた。朝礼にはその企業の社風、従業員の質がすべて表れると考えていたからだ。
元気朝礼と同時にコンピテンシー・マネジメントも導入した。コンピテンシーとは「高い業績をコンスタントに示している人の行動の仕方などに見られる行動特性」という意味である。保有している能力ではなく、行動として現れた能力を言う。グループ討議により、職場で重要視される「コンピテンシー」を従業員自らがピックアップし、具体的な行動基準を作った。職場を改革するために、どのような行動を習慣化すべきかを従業員全員が考えた。朝の挨拶や事務所内の清掃等は、村木自らも日々実践した。
また、平成17年8月より新人事制度を導入した。概要は以下の通りである。
一.年功主義から実力・成果主義への変更
二.少数精鋭主義への転換
三.マネージャ制度の導入によるピラミッド型組織からフラット型組織への転換
給与総額を大幅に圧縮し、年齢や勤続年数だけではなく、組織や業績への貢献度をベースに給与を再配分した。また、同じ仕事を少人数で実施することにより、人材の量から質へ転換を図った。さらに、マネージャ制度を導入し、経営トップと担当者の間にはマネージャが一人存在するのみというフラット型組織へ大幅な転換を図った。
就任から3ヶ月足らずで、村木は、元気朝礼とコンピテンシ―・マネジメントの導入、新しい人事制度の開始と、矢継ぎ早に手を打った。
これには、ひたち硝子で経験した二つの出来事が関係していた。
ひたち硝子は日本板硝子系の卸会社4社が合併してできた、いわば寄せ集めの会社だった。従業員に愛社精神は無く、あいつは旧どこそこ派だという会話がそこかしこで聞こえてくる。部署間の意思疎通は皆無で、社内には他責的な意識が充満していた。あの部署が悪い、仕入先が悪い、日本の景気が悪い・・・。職場の机を見ても、資料が乱雑に積まれており事務所の雰囲気は暗い。従業員はうつむき加減で電話が鳴っても出るのは遅い。
村木との面談ではベテラン従業員までが、
「うちの会社は、協調性が無いのが特徴なんですよ」
と言う始末だった。
「扱う商品は一流メーカーの一流商品なんだ。当たり前の商いを行えば赤字になるわけがない」
ひたち硝子社長に就任したばかりの村木は、事務所を見回しながら、どうしたら社内の一体感を醸成できるのかを考えた。そして、まずは再生計画を練ろうと考えた。労務費の圧縮、つまり人員整理と給与カットが必要なのは分かっていたが、一年ほどじっくり見てからで良いだろうと思った。ところが、親会社の日本板硝子から早急な人員削減を求められた。毎月赤字を垂れ流している状況を変える。変えなければ、いつまでも銀行や取引先が待ってくれるとは限らなかった。
当時、ひたち硝子の従業員は80名だった。固定費の圧縮による黒字化を考えた場合、適正従業員数は64名。2割の従業員を削減する必要があった、まずは、早急に希望退職者を募った。
「仮に、優秀な人材が希望退職に手を挙げた場合、慰留すべきだろうか……」
村木は迷った。文書による通達から2ヶ月後、幸いにも、優秀と見ていた従業員は手を挙げることはなかった。希望退職者を募るという、誰が手を挙げるかわからない怖さを感じた2ヶ月間だった。
翌年は、不採算部門の外注化などにより従業員数は58名まで減ったが、売上高が予想以上に落ち込み、黒字化の見通しは立たなかった。そのため、さらに、社長20%、管理職12%、一般従業員10%という大幅な給与カットも実践したが、それでも黒字化には至らなかった。「倒産」という言葉が目前に迫っていた。村木は、指名解雇を行わざる得ない状況に追い込まれた。
「2ヶ月後に、4名の指名解雇を行います」
村木は全従業員に通達を行った。この時点でいてもらって困る従業員は一人もいない。つまり、会社が平常時であれば解雇などする必要ないのだ。それでも4名を解雇しなければならなかった。管理職を呼び、自分の部下の中から一人選べ、ということもできたのかも知れない。しかし、会社の将来に責任を持つ自らが決断すべきだと村木は考えた。
「このままこの会社に居続けても、本人にとってマイナスになるのでは?」
「もしかしたら将来的に彼の仕事ぶりが会社にとってガンになるかもしれない」
理由にならない理由を自分に言い聞かせ、管理職1名、一般従業員3名を自ら選んだ。2ヶ月間、悩みに悩みぬいて出した結論だった。
該当者に対して、担当の部長が「面接があるので、社長室へ行くように」と指示した。
村木は、理由は言わず、ただ解雇する旨だけを伝えた。
「・・・わかりました」
拍子ぬけするほど、あっさりとした答えが返ってきた。
「社長とはこれほどまでに権限が大きく、社会的責任が重大なのか」
村木は、経営者として最も辛い指名解雇という経験を通じ、本丸である会社を守るため自らの信念を曲げないタフな精神力の重要性をひしひしと感じた。同時に、指名解雇を行わずに再生を果たすことができなかった悔しさも味わった。
「希望退職も指名解雇も行わずに再生を果たしたい」
信州硝子での元気朝礼やコンピテンシー・マネジメントの導入、年功主義から実力主義への変更は、指名解雇を行わずに再生を図る、そのための施策だった。急激な改革を行えば、変化を嫌がる従業員は自然と淘汰されていくはずだと、村木は考えた。
また、もう一つの経験が村木の信念を支えた。
ひたち硝子が黒字化を果たし、ようやく経営基盤が安定してきた頃、そろそろ係長に昇格させようと考えていた入社6年目の有望な営業職の従業員の不正が発覚した。
ある販売店で、総債権残高が数千万円に膨らんだため取引を制限していた先があった。だが、販売店の店主が取引先の工務店から商品を卸してほしいと頼まれたため、「別口でちゃんと支払うから、商品を流してほしい」と担当営業に泣きついたのだ。販売店とつき合いの長い担当者は断りきれず、限度額を超えて商品を流した。このため、その担当営業は、新規販売店を開拓したと会社に虚偽の報告をし商品を流した。その後、工務店から販売店に支払われた代金はサラ金の返済に消え、不良債権はさらに膨らんだ。
「仲間の給料をとったのと同じだぞ、どうするんだ」
不正を行った従業員を社長室に呼びだした村木は、強い語調で言った。
「首にしてください」
その従業員はあっさりと言った。これではこいつの将来はない、そう感じた村木は当人の父親を会社に呼び、三者で話し合った。村木がひとしきり状況を説明した後、父親は重い口を開いた。
「このままでは息子がダメになる。弁済させて下さい」
と言って謝罪した。村木同様、若い従業員の将来を思ってのことだった。損失の3割に当たる300万円を月賦で払う約束をし、父親が息子の連帯保証人になった。
その後、その従業員は懲戒解雇されたが、約束通り月賦で全額を弁済した。
村木は、不正社員の懲戒解雇という経験から、信州硝子ではマネージャ制度の導入と、ピラミッド型組織からフラット型組織への転換を早期に図った。社長の下にマネージャ、その下は担当者というシンプルな組織を実現した。これにより、担当者の管理責任を一人のマネージャに集めた。この体制変更でマネージャの考え方を変え、何か問題があればすぐに社長に情報が来るようになった。担当者も「自分の行動をマネージャが見てくれている」という安心感が生まれ、自ら進んで問題の芽があれば報告をするようになった。
「同じ過ちを繰り返さない」
村木の強い気持ちがそこにはあった。
3
元気朝礼やコンピテンシー・マネジメント等の導入により、組織に大鉈をふるうことはもちろんのこと、不良債権の棚卸・整理等の財務面の改革は経営者の最優先課題である。
村木は、従業員一人一人との面談を実施した。「報告書を書け」と言っただけでは何も変わらない。面談により従業員とコミュニケーションを図り、社長自ら「過去の負の遺産は経営者の責任だ。俺に任せろ」という気持ちをぶつけ、一つずつ従業員と一緒になって処理することにより、従業員は安心して自らをオープンにしていく。時間はかかったが、ほぼすべての不良債権は棚卸できた。
また、債権回収管理ルールを徹底するとともに、たとえ少額の回収遅れであっても、異常債権発生報告として、問題が発生した場合の上司へのホーレンソー(報告・連絡・相談)を徹底させた。敢えて悪い報告を評価した。うそ、隠し事、ごまかしが再建を阻むと考えていたからだ。
平成17年8月期は、総額2億5000万円もの不良債権を特別損失として計上した。3億円の赤字決算となったが、「膿は一気に出した方が良い」と村木は判断した。金融機関には、あらかじめ作成していた事業計画を丁寧に説明し理解してもらった。来期の黒字化を目指し、資金回収サイトの改善、不要な土地の売却、新人事制度導入による給与の見直し等の様々な施策を実施した。
また、村木は、短期的だけではなく、信州硝子の3年後や5年後の将来を見据えた施策も講じた。長野県から、中小企業経営革新支援法に基づく経営革新計画の承認を平成17年に取得した。
経営革新計画とは、「経営革新」を行うことにより「相当程度の経営の向上」を図ることを満たす3~5年の計画のことである。承認されると低利の融資が受けられる等のメリットがある。
信州硝子の経営革新は、以下の新事業がポイントである。
① 「窓」完成品販売
板硝子やサッシなどの部材の卸販売が主だったが、ペアガラス工場の隣接地に工場・倉庫を移転することで、ペアガラス+サッシ=「窓」製品の完成品組立ラインを建設、完成品販売体制を充実した。
② 物流拠点の統合
板硝子・サッシと樹脂建材の倉庫が2ヶ所に分散していたところ、新工場建設を機に1ヶ所に集中。積み合わせ輸送による多品種、少量、短納期に対応し、顧客サービスを向上させた。
信州硝子が経営革新計画の承認を受けたことは地元新聞にも掲載され、従業員の気持ちの中にも再生への前向きな気持ちが生まれた。
「皆さん、おはようございます」
「おはようございます」
大きな声、きびきびとした態度、リズミカルな進行。
「だいぶ様になってきたな」
就任早々に導入した当初は、挨拶の声も小さく、進行のための紙に顔を落としていたが、半年経過した今では、朝礼の様子は大きく変わっていた。朝礼だけではない。勤務中の事務所内の雰囲気や従業員の顔つきも明るいものになっていた。
コンピテンシー・マネジメント導入の効果も出始めていた。
「電話に出るのが早くなりましたね」
「事務所に行くと、さわやかに挨拶していただける。とても気持ちがいい」
そんな声が、取引先や銀行から上がるようになったのだ。周りの評価が変わっていくことで、ますます従業員の行動は変わっていった。
「職場の活性化により周りの評価が変わる、評価が変わることで自分の会社にプライドが持て、会社への忠誠心が芽生え始める。この土台作りが重要なのだ」
短期間での改革の実現。その実現のため、村木は副社長就任直後から継続して従業員に語り続けていたことがある。
それは、月に一度のCEOメッセージだった。給与袋に入れられた一枚の紙には、再生を果たすために従業員に求める考え方・行動が書かれていた。特に、業績を伸ばしている会社の特長を訴え続けたのだ。組織形態や人事制度を変えただけで人は動かない。従業員の心を変革するためには、経営者自らが継続して想いを届ける必要がある。村木はそう考えていた。
信州硝子就任から2年間。副社長からの手紙は24枚に渡り、一度も途切れることなく従業員一人一人の元に届けられた。
しかし、急激な改革により、会社に適応できずに自ら退職を申し出る従業員も出始めた。副社長に就任して半年後のことだった。
「都合により辞めさせて下さい」
「分かりました。今までありがとう」
村木は、いかに仕事で大きな実績を上げている人間であっても、慰留のための説得はしない、と心に決めていた。辞めたいという従業員には喜んで辞めてもらう。
「今辞めていく人間は、会社の風土の変化に付いていけないものばかり。元気朝礼の導入などで活性化した職場に合わないのならば辞めてもらっても構わない」
ひたち硝子での希望退職や指名解雇という苦い経験が、村木に確固たる信念をもたらしていた。
一人、二人と従業員が去る中、同じ部署の従業員たちは初めは戸惑っていたものの、数週間もすると彼らが辞める前と何も変わらない、もしくは残った従業員同士で辞めた人の分をカバーしあうことでより連帯感が生まれていた。業績は逆に上がっていたのだ。
従業員の推移は以下の通りだった。
平成17年5月 66名
平成19年4月 57名 (うち、新人採用8名)
希望退職を募ることも指名解雇も行わず、2年間で全従業員の2割強の17名が退職した。徹底した改革の実行により人材は淘汰された。
4
平成18年3月の、ある日のことだった。
「再生三ヶ年計画の通り、今期での黒字化を図り、来期には営業構造改革を実施し、物流コストを削減。2期連続の黒字決算を果たせるものと考えます」
村木はメイン銀行に再生三ヶ年計画の進捗状況を説明した。新規融資・金利引き下げの交渉に臨んでいたのだ。平成18年8月期決算の前ではあったが、黒字化の目処は立っていた。
「計画通り再建が進んでいることは理解できます。ただ、本店の方が、過去の実績・数字をもとに判断している。金利引き下げには応じられません」
銀行の担当者は計画に納得していたものの、新規融資や金利引き下げには応じなかった。
「分かりました。今後ともよろしくお願いします」
銀行からなんとか借り換え融資を取り付け、その場を後にした。容易には進まない。だが、確実に再生へ向かっている。就任からおよそ一年経ち、村木は確信していた。
それから更に一年が経過した。
「ご覧の資料のとおり、平成19年8月期には平成18年に続き、二期連続の黒字決算の見込みです」
平成19年2月。一年前に断られた新規融資と金利引き下げ。今回は実績とともに銀行担当者に相対していた。前回とは違う、村木には自信がみなぎっていた。
平成18年8月期、売上高は21億円と前期に比べ1億5000万円ほど減少したものの、労務費を中心に大幅な固定費の削減による収益力の改善、在庫・売掛債権の圧縮、土地の売却、不良債権の処理による消費税還付1000万円など、財務状況は大幅に改善した。その結果、5期ぶりの黒字決算を果たした。
また、平成19年2月期中間決算から今期の黒字化も見えていた。
「分かりました。金利も引き下げます」
銀行担当者は信州硝子の要請に応じた。計画を粛々と実行し、実績を残し数字として示す。当たり前のことを当たり前に実行して見せたのだ。
「数字だけではない。社員の生き生きとした顔を見れば分かりますよ」
社長の亀井は事務所内を見回し、会社の変化を改めて感じていた。
元気朝礼やコンピテンシー、新しい組織形態や人事制度の導入からおよそ2年、信州硝子は劇的に変化していた。毎朝の朝礼前の10分間、従業員は誰に言われるわけでもなく、自発的に事務所内の掃除を行う。そして、毎朝のキビキビとした爽やかな朝礼。進行表に目を落とすこと無く、段取り良く進んでいく。電話が鳴ると、皆が自ら進んで取り応対する。取引先からの評判も上々だ。また、従業員同士、互いの成果を褒めあう文化が生まれ、事務所は明るい雰囲気に包まれていた。
「本当に会社が変わったんですね」
「これからが大変です。本当の意味での再生はまだ始まったばかりです」
亀井は村木の表情を見た。これからも苦労は続くだろうが必ず信州硝子は再生する。これほど多くの人財を持った会社なのだ、再生しないわけはない。亀井は村木がそう感じていると、その表情を見て確信した。
村木が信州硝子にやってきて二年が経とうとしていた。
長野市内の某ホテル。信州硝子副社長村木の送別会が盛大に行われていた。信州硝子の真の再生が始まりを告げる会でもあった。従業員は皆、明るく前向きな顔で副社長の退任を祝っていた。これで本当の意味でスタートに立ったのだ、そういう表情だった。そんな中で、村木の最後の挨拶が始まった。
「皆さん、こんばんは。今日は私のために送別会を開催していただき、大勢出席して下さりありがとうございます。2年前の平成17年5月、この伝統のある信州硝子の再生・改革のために亀井社長にお招きいただき丸2年間、社員の皆さんと一緒に働かせていただきました。役員の皆さん、社員の皆さんの2年間に亘るご協力に感謝いたします」
不良債権の整理に始まり、元気朝礼・コンピテンシー・マネジメントの導入。組織の変化に耐えられず辞めていく従業員もいた。黒字までの道のりは決して平たんでは無かった。
村木の挨拶を聞く従業員は、短くも充実した日々を思い出していた。感極まって涙を流す者もいた。
それほど緊張感のある2年間だったのだ。
「皆さんのご努力が実って、会社はトンネルの出口を出ました。しかし、出たばかりです。元気・本気・根気を失わず、山の頂を目指して着実に歩んで下さい。皆さまのご健康、ご活躍、信州硝子の益々のご発展をお祈りしております」
挨拶を終え、2年前と同様に亀井と村木は固く握手をした。
しかし、そこには、2年前とは全く違う光景があった。しっかりと将来を見据えた従業員が、大きな拍手とともに二人を囲んでいた。
こうして信州硝子は倒産の危機を脱し、再生へのスタートを切り、その後も順調に業績を伸ばしている。赤字企業率が全国一の長野県で、信州硝子が再生し黒字経営を続けることができたポイントは以下の通りである。
一.止血を迅速に行い、経営悪化を素早く食い止めた
二.主要な取引先・銀行へのコミットメントにより、協力を引き出せた
三.徹底した組織改革により、全社一丸となって再生に取り組んだ
そしてまた、副社長の村木の手腕が大きいことは言うまでもないが、亀井社長の決断があったからこそ早期の再生が可能だったと言える。自らの経営手腕の不足を正直に認め、経営のわかる人材をCEOとして早々に登用。会社を絶対に潰さないという強い使命感。その使命感が副社長以下、全社一丸となって再生に取り組むことができた一番の要因だったのであろう。
(おわり)ここまで読んでいただきありがとうございました。