97歳のおばあさんが言った。
「長生きしたいの~~~」
・・・
長生きの基準って?
どこまで生きたら長生き?
これはまあ、幸せな基準。
年を聞かれたおばあさん。
「89です。」
聞いたおばあさんが言った。
「ありゃ、若いの~~~」
・・・
若いの基準って?
どこからが若くてどこから年寄り?
でもこれもまあ、幸せな基準。
長期間の介護に疲れ、なんとかデイ利用をしてほしいと思った家族が、気難しいおじいさんを見学に連れてきた。
おじいさんは、部屋の中の人たちを見て言った。
「こんなところに来るようになったら、おしまいじゃ!」
気難しいおじいさんは、どんなところなら納得できるのだろう?
こんな所でなかったら、どんな所がお望みなのかしら?
年老いたおじいさんの、暮らす場所の基準とは?
常に基準はあいまい。
人によって、様々。
あいまいではあるけれど、
その基準のどれもが、
その人にとっては正しいと思っている基準。
「その人にとっての正義の基準」
世界中のいろんなことも、身近ないろんなことも、
日常のいろんなことも、
その人にとっての判断の基準と、
その判断の正しさと、
客観的に判断するときの基準と、
その判断の正しさと、
それらの間の隙間の大きさに、
ちょっと悩んだり、苦しんだりする毎日。
あいまいさは、時に必要になる。
白か黒かではなく、正義か悪かでもなく、
〇か✕かでもなく、
「ちょっとグレーな部分をどう解釈するか」
ということをできるようになると、
ちょっと大人になったような気がするような、
そんな気がする。
自分なりの正義感を、
前面に出して過ごしていた若い頃には思わなかった曖昧な世界。
グレーな部分があることで、グレーな部分をその時々に解釈することで、
人はゆるやかで、穏やかな関係を維持できていたのかもしれないと、
この年になって思う。
彼岸が過ぎ、春の訪れもあと少し。
穏やかで暖かい太陽の光を、
すべての人が受けることができるよう、
今夜も祈りを続けたい。
サクランボの花が散り始めた。
今年は、きれいに咲きそろい、ミツバチもたくさんやってきた。
風は強かったけれど、なんとか受粉できているといいな。
どうぞ、今年は美しい実がなりますように。
春の楽しみをみんなに与えてくれますように。
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