きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

中国はなぜアヘン戦争で負けたのか

2011-10-06 11:29:20 | Weblog
中国はなぜアヘン戦争で負けたのか        (2011.10.06.)

国際派日本人養成講座の伊勢雅臣氏によるアヘン戦争の記事で、考えさせられた事を紹介する。

中国がまだ「清国」と言っていた時代にイギリスは清国からお茶の輸入を行っており、その見返りに、インド産のアヘンを転売していた。其のために清国ではアヘンの中毒患者が激増し、時の皇帝「道光帝」からアヘンの輸入根絶を行うため、湖広総督の「林則除」(りんそくじょ)に勅命を発したのである。

林則除は大変優秀な官僚で、命令に従って忠実に禁輸の処置を行ったが、イギリス側はなかなか言う事を聞かず抜け道を造っては持ち込んでいた。其のため、広州でのイギリス商館の封鎖、や没収した大量のアヘンを焼却処分するなど強硬措置を講じた。そして皇帝からも賞賛を得ていたのである。

所が、あるとき、香港で、イギリスの水夫と中国人との暴行事件から端を発し、両国のいざこざが続いたが、イギリス側は得意の賄賂攻撃で、林則除を除いた官僚や中国人に働き掛け、官僚の中にもイギリス側のご機嫌取りに走るものもいたと言う事である。

終には林則徐の皇帝への上申書も「たわごと」と退けられて免職になり、その後はイギリス海軍の大量の艦船や、その勢いに皇帝も自分の立場の安泰だけを考え、恐れをなして、イギリス側の要求を受け入れる事になりアヘン戦争は事実上の敗北となって終わった。

其のため、清国は莫大な賠償金を払わされ、香港は割譲され、アヘンの販売も自由と言う事実上の植民地化されてしまったのである。

この敗戦の原因は、国防に国を挙げての努力がなく、地方の官僚も賄賂をもらって、アヘン密輸の手助けをしていた、また、道光皇帝も国家の独立よりも自らの安泰を優先していたからで、「公」より「私」を優先していた事である。

アヘン戦争の、11年後にペリーが日本に来て、幕府に開国を迫っている。この時も日本国内は「攘夷」と「尊皇」の二つに分かれていたが、それらは政策の違いで有って、国を売ってまで保身をはかろうとする人物は居なかったのである。
徳川慶喜も「大政奉還」を行い、「私」よりも国家の独立を維持する事「公」を優先した事が、国を救ったのである。

しかし、今日の日本は、東日本大震災後の、津波と原発事故による将に、国難に晒されている状態である。しかるに、どの政党も、自党の利益優先ばかりを考えた行動に出ている事は真に、目に余るものがある。情けない事であると言わざるを得ない。ただただ、国を潰すことに繋がる事を心配するばかりである。
(えびなたろう)