きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

日本は再び逆戻りの方向へ

2011-10-01 12:33:11 | Weblog
日本は再び逆戻りの方向へ        (2011.10.01.)

戦後半世紀以上続いた自民党政権に、マンネリ化現象が起き、それが官僚天国を造り、政・官・業の癒着構造が蔓延し、「政治と金」の問題が談合を呼び、贈収賄事件を引き起こし、全てが金と利権の構造によって、政治が誘導されて来た事が、民意から政治がかけ離れてしまったのである。

それが国民の重大関心事である厚生年金制度の杜撰な管理に繋がり、事務管理の間違い、集めた資金の横領、データーの改ざん、等々が発覚し、財源の無駄使いはデタラメの極みであった。
そして、その制度そのものが、破たんの寸前に追い込まれ、国の財政も危機的状況にまで至ったのである。その結果、安倍内閣の辞任となった。福田内閣になったが、政治改革と、無駄の廃除に付いても、官僚の抵抗にあって失敗、これまた1年で麻生内閣に変わった。

その年の10月アメリカのザブプライム・ローン事件に端を発した、世界的大恐慌が起きた事から、麻生内閣は、国民からの不満の声を受けながらも任期切れの翌年8月まで総理を続け、やっと解散総選挙になったのである。

選挙の結果、2009年8月30日第45回衆議院選挙が行われ、民主党が193議席を伸ばして308議席を、自民党は181議席を失って119議席にと自民党創立以来の歴史的大敗北を喫したのである。

「政権交代」を謳って、発足した民主党政権は、鳩山首相が就任し、全国民から期待の眼差しで迎えられたが、半世紀以上の長きに渡って、自民党が作って来た国の政権体質は、内閣が変わったからと言って、そう簡単に変わるものではなく、特にアメリカとの基地問題で、行き詰まり、また、小沢幹事長の、政治献金問題で、野党から叩かれ、鳩山政権は辞任し、2010年9月に菅政権に変わったのである。

菅政権は「政権交代」の出直しを宣言し、小沢派を抑え込んで、民主党の看板である「クリーン政党」を表に出し、「政治主導」を謳って発足した。

しかし、「官僚を敵に回した政治の難しさ」と前政権である自民・公明の嫌がらせ的抵抗に合い、奮戦をしたが結局は「政治改革」の道半ばにして、交代させられてしまった。これには、3月11日に起こった東日本大震災が、発生したこともあって、それに伴う福島県の原子力発電事故も重なったため、不運ではあったが、多分に旧政権時代のシステムに改革のメスが入る事に消極的な野党に回った自民党の「菅おろし」旋風に影響するものがあった。

そして、今回、野田政権に変わったのである。野田政権にしてみれば、鳩山・菅両政権の実態を見て、改革は必要だけれど、性急に事を運ぶと、官僚からの抵抗にあう事になり、また、旧政権政党であった自民党の抵抗は、弱い立場の現政権では中々思い切ったことは出来ないと悟り、就任早々「“ノーサイド”」を呼びかけ、バランス重視の、低姿勢一辺倒の政治姿勢をとり続けている。

政策決定にも、民主党が唱えてきた「政治主導」「内閣への政策決定の一元化」もやめ、政調会長の権限強化を決め、党側が了解しないと内閣は決定できない様に改めたことは、昔自民党が行った、族議員制度の復活で、族議員と官僚重視の政治に戻る事を意味する。

野田総理の安全三原則は、「余計な事は云わない」、「派手な事をしない」、「突出しない」、で、ある。これでは何もしないのが良いと言う事のようだ。

また、自民党も、谷垣総裁は、党内人事改革について、「政権を取り戻し、政権与党になる事が第1の目標だ」と述べている。国民は元の自民党政治に「拒否」を示して「政権交代」を意思表示したのである。 自民党が新しく、生まれ変わった政党であれば、その反省の言をまず、谷垣総裁が発言すべきで、全く反省の無い自民党に、ただ政権の奪回を目標にすることは、国民をバカにしているとしか思えないのではないでしょうか。
(えびなたろう)