足利事件無罪釈放 (009.06.05.)
栃木県の足利市で1990年に4歳の幼稚園児が殺害された事件で、幼稚園のバス運転手だった菅家利和さんを警察は逮捕した。
逮捕の決め手になったのは、被害者の衣服に付いていた体液と菅家さんの体液がDNA型鑑定の結果が一致したと言うもので、取調官は菅家さん自身も犯行を自白しているとしている。
しかし、菅家さんは、一審公判で、「DNA型鑑定では自白を強要されたものだ!」と一転して否認を示したのである。 しかし受け入れられる事無く一審も二審も最高裁も、DNA型鑑定と「自白」した事を信用して、無期懲役の判決が言い渡されたのである。
菅家さんは獄中その後も弁護団を通じて再鑑定を求めて訴え続けたのである。
DNA型鑑定の精度と言うものは、当時は、千人に1.2人を識別できる程度であったが、現在では4兆7千億人に一人の制度にまで向上している。従って間違いでは無いかと、再審査と共に再鑑定を強く求めたのである。
そして、東京高裁が依頼した再鑑定の結果は一転して犯人と菅家さんのDNA型はい一致しないと言う結果がでて、従って、東京高検は、「無罪の証拠にあたる蓋然性(がいぜんせい)が高い」とする意見書を東京高裁に提出されたのである。
此れにより、再審開始決定を待たずに受刑者の釈放をしたのは前例のない迅速適正な処置で人権尊重を重んじる「開かれた検察」をアピールする面を示したものと思うが、それにしても、今後は、DNA型鑑定だけに頼りすぎる判断や、自白の信憑性についても十分な検討が必要で、取調べ過程の録画や録音チェック機能も十分取っておく必要があるのではないかと思われる。
17年間も無実の罪を着せられ、獄中の生活を強いられた菅家さんの人生を思うと、検察庁の取調べや判断の仕方に一層の慎重さが必要であると思うが、その責任の重要さにも更なる思いを致して欲しいと思います。
人間が裁く事に完全無欠は無いかもしれないが、事件に対する先入観や、検察の思い込みが先行することは許されないことであり、十分な注意が必要である。
(えびなたろう)
栃木県の足利市で1990年に4歳の幼稚園児が殺害された事件で、幼稚園のバス運転手だった菅家利和さんを警察は逮捕した。
逮捕の決め手になったのは、被害者の衣服に付いていた体液と菅家さんの体液がDNA型鑑定の結果が一致したと言うもので、取調官は菅家さん自身も犯行を自白しているとしている。
しかし、菅家さんは、一審公判で、「DNA型鑑定では自白を強要されたものだ!」と一転して否認を示したのである。 しかし受け入れられる事無く一審も二審も最高裁も、DNA型鑑定と「自白」した事を信用して、無期懲役の判決が言い渡されたのである。
菅家さんは獄中その後も弁護団を通じて再鑑定を求めて訴え続けたのである。
DNA型鑑定の精度と言うものは、当時は、千人に1.2人を識別できる程度であったが、現在では4兆7千億人に一人の制度にまで向上している。従って間違いでは無いかと、再審査と共に再鑑定を強く求めたのである。
そして、東京高裁が依頼した再鑑定の結果は一転して犯人と菅家さんのDNA型はい一致しないと言う結果がでて、従って、東京高検は、「無罪の証拠にあたる蓋然性(がいぜんせい)が高い」とする意見書を東京高裁に提出されたのである。
此れにより、再審開始決定を待たずに受刑者の釈放をしたのは前例のない迅速適正な処置で人権尊重を重んじる「開かれた検察」をアピールする面を示したものと思うが、それにしても、今後は、DNA型鑑定だけに頼りすぎる判断や、自白の信憑性についても十分な検討が必要で、取調べ過程の録画や録音チェック機能も十分取っておく必要があるのではないかと思われる。
17年間も無実の罪を着せられ、獄中の生活を強いられた菅家さんの人生を思うと、検察庁の取調べや判断の仕方に一層の慎重さが必要であると思うが、その責任の重要さにも更なる思いを致して欲しいと思います。
人間が裁く事に完全無欠は無いかもしれないが、事件に対する先入観や、検察の思い込みが先行することは許されないことであり、十分な注意が必要である。
(えびなたろう)