今もフェイスブックで繋がっている、16歳から24歳くらいまで~
手書きの文通を続けた、Singapore 出身のペンフレンド、及びにJICA国際事業団、九州センターで知り合い、44歳の春に23年ぶりに再会を果たしたChat とArt夫妻から届いた手紙が写真では見えます。段ボール箱、一体、いくつ分⁉ くらいあったのですが、音信不通になったペンフレンドの手紙の多くは20年近く前、一度、処分しました。Singaporeのペンフレンドと親しい友人から届いた手紙はすべて保管してあります。上記はその一部。
高校一年生の秋になって目覚めた英語ですが、きっかけは単純。
当時は月に1回、巡礼のように市内の公立高校を回って来る米国人講師がいました。その米国人とT英語教師が私たち生徒の目の前で会話したから! 英語オンリーでっ!
それまで英語の先生が実際に英語で外人さんと会話する場面に遭遇したことはなく、中学時代の先生に至っては、転校してきた帰国者(中学生徒)から、「英語の先生なのに、英語で喋っても通じないし、言ってることが分からない」なんて言われる始末で… 正直、受験科目の1つ、という認識しかなく、全く英語に興味が持てずにいました。
しか~し!
単細胞な私。 T先生が日本国内のみで、英語をマスターしたと知り、やる気スイッチがオン👍
この先生についていけば、私も将来、英語で会話が出来るようになるんだ!
やったるでぇ~という訳。
中学時代から集英社のコバルトシリーズは相変わらず読み、芥川龍之介が書いた、羅生門の続きを自分勝手にノートに書いては喜び… 福武書店主催、高校生ショートショートコンテスト応募、落選、選外! 読書にも親しんではいましたが、興味の対象は、日本語の文章から英語へと一気にシフトしてしまいました。
で…ですね。英検1級試験勉強のカテゴリー、最初の方の記事で述べているので、ここでは省略しますが… etc 進研ゼミと赤ペン先生と、Dear Daddy Long Leggs(あしながおじさん)英語バージョンについて。
この時期の大きな変化は海外文通を始めたこと。 その直後、米国でNASAチャレンジャー墜落事故が…。ニューヨークの10代の子供達が発行していた雑誌の住所を見つけ、英語でねぎらいの手紙を書きました。 思いがけずお返事がきて、そのまま3つ年下の少女と文通も。3年間は続きました。
ケント・デリカットさんの『英語は外人にまっかせなさい』著書を購入し、ファンレターも英語で書き出版社へ~ お返事は届きませんでしたが、楽しい思い出です。
ラジオで洋楽を聴き始めた動機も、生きた英語を学びたい!ということが目的でした。
松本道弘 著:『速聴の英語 ~聴けないから話せない~』
松本道弘先生の本は、私の目も前で英語で会話をし、驚かせたT先生のお勧めもあって、読みました。
先生が最初に勧めてくれたのは、しかも、私、個人に、職員室でっ!
『英語ひとすじの道』という著書でしたが…
現代のように世界は、特に日本はグローバル化しておらず、海外旅行もまだ稀で、しかもインターネットがなかった自分の高校時代。
生の英語に触れる機会なんて、ほんと限られていました。
それまで文庫本を購入することに使っていたお小遣いの内、700円は、Student Times 英字新聞の学生向けを毎月、購入したり、英語関連の著書を買ったり…あ、切手代ね! My English Teacher というタイトルで、英語で書いた初エッセイも、掲載して頂きました。1000円分の図書券が届き、(紫式部のイラストでした~)とても嬉しかったものです。何より、「Student Timesに載っちゃった~!」と子供のように先生が喜んで下さったことも印象的でした。
Wham! ,Pet Shop Boys, Duran Duran, Queenのレコードも購入したなぁ。
ここから卒業まで~英語ひとすじの人生になっちゃいまして。遅かったんですけどね。目覚めたのは。高校時代、塾にも英会話教室へも行かず、(中学2年の数か月だけ、母の命令で)高校の授業だけ。いいえ、積極的に高校英語の枠の外へ飛び出し、放課後など、先生にもお世話になりつつ学んだことが血となり肉となり。大学入学直後、米国人講師の講義で、何もφ(..)メモメモを見ないで(そもそもメモを準備していなかった)会話のやり取りをしただけで、帰国子女という噂が…違いますって! でも。T先生など、個人的に英作文ノートを添削し、「オレの方が勉強になる。たまにお前のような生徒がいると…👍」と言って下さった先生のお蔭。本物の先生は、伸び盛りの生徒/教え子に全く嫉妬はしません。自分を超えていってくれることに心から喜びを感じます。そんな先生との出会いは稀ですが、(経験から言わせて頂くと…『エール』でも度々、指導者の嫉妬心がテーマに上がりましたが…)そもそも嫉妬の原因は、自分に自信がないから、じゃない? そうでなければ嫉妬する理由は勿論ない筈。先生も努力し続けなきゃね! そうすれば素直な気持ちで、その人にあったレベルで賞賛できる筈。積極的に学ぼうとする生徒さんのことは、やはり実力に関係なく、どの教師も好きだとは思います。(加筆、余談でした)
ただ、最近の生徒さんは皆、普通に授業を受けるだけで、英会話できますね。検定教科書がそういう内容ですし、生の英語に触れる機会も多いので、普通のこととなって、良いことなのでしょう~。英語の先生も当然ながら、自分の時代とは違います。昔のように、英文を一行、読み和訳して、終わり!という授業ではありませんから。
古い形式で英語を学んだ、最後の世代が私たち、昭和44~45年生まれですが、(改訂版が2年後に出ました。ハンバーガーショップの設定等)それでも高校に外国人講師が、たとえ月1回の割合でも派遣されるようになったことは、ビックチャンス☆彡でした!
…とはいえ、私と一緒に授業を受けた生徒、45名全員が英語に目覚めた訳では、当然、ありませぬ。
21歳の時、再再開を果たした小学校の担任曰く、(19歳で再会、1回目)
「みんな、平等にチャンスはあったんよ。だけど、皆がみな、そのチャンスを生かす訳じゃないから!」
(その時、一緒にいた男子生徒の同級生二人も頷く)
「俺たちの高校にもいたよ!」
「オレの学校にも! それにたった1か月、短期留学したからって、英語ペラペラになるとか、そういう甘いもんじゃないんだよな~」
と言った彼は、短期留学を終えたばかりだったか、行く直前だったか。小学校時代は勿論のこと、ずっと成績優秀だった!
ブックカバーチャレンジが、英語チャレンジになりましたっ。ただ、英語は受験科目の1つから、確実に、学ぶ意義があるもの、楽しいもの、常に上を目指すもの~へと変化したことだけは確かです。
そして現在は… 英語以外のことに関心が再び移ってしまいました。いやぁ~人のこころは移り行くもの、ですわ。
これからもよろしくね。
若いって本当に羨ましい!その時その時の自分を大切にね。二度と無い自分ですから。
英語…最大の私の苦手なもの!これがなきゃ…と受験の時言われたっけ…
だから今のIT時代の情報の横文字、略語など、など…お手上げです。
pcも何がなにやらという状態なんですよ。でも、頑張ってます。
こちらこそ、ご訪問頂きありがとうございます!
カヌマ先生の記事で、とても素敵なお話が紹介されており、読者登録させて頂きました。
フォロー&コメントも頂き、とても感激です!
ありがとうございます。
ちわきさんは俳句の先生なのですね。
国語は好きでしたが、俳句は勿論のこと、季語も何も分かっておらず、お恥ずかしい限りではありますが…
色々学ばせて頂きたいと思います。
中学までは、私も英語が苦手というか、興味が持てず…
ちょっとした「きっかけ」で人生が変わってしまうこと。
実際にあるんですよねぇ。
ネットは私もよく分からないまま、使っています
これからも宜しくお願い致します!
ゴメンナサイ。
すず、より
ちわきさんへ
自分の時代は完璧な受験英語、あれだけ勉強して
全く会話ができない、貴重な時間を返せ~(受験英語苦手でした)
なんてよく思ってました(笑)
何かのきっかけで人生大きく変わりますね~
なぜか思い出したのが、自分の高校時代のあだ名
今ではそんなに高校時代の友人に会うこともなく
呼ばれることも、ここ数年ありませんが、
Whichと言うのが自分のあだ名でした。
理由は高校の英語の授業で英語読んでるとき
Whichの発音がうまくいかず、何回も繰り返し発音したことから、それが高校時代のあだ名になりました。(笑)
あ、分かります、わかります!
実は私も中学時代、似たようなことを思っていました。
高校に入学後も、物凄くリーダーが難しくなり、
最初の1か月、つまり外人の先生が教室へ来るまでは…
「肩が凝るほど辞書を引き、英文和訳ばかりやって、一体何になるんじゃ~! あたしの貴重な時間が…!」
本読みたい。
テレビみたい。
そんな入学直後の高校生活スタートでしたっけ。
Whichとは…!
一歩、間違えると魔女と聴こえてしまいますよね…
確かに難しい発音ですっ!
そういえば、オーストラリアで下宿(ホームステイ)していた頃、日本人留学生も数人いたのですが、ある夜、停電してしまい…
ホストマザーがロウソクをもって現れたんです。
あちらの方は老けてますし…
ヘンゼルとグレーテルに登場する魔女、そのものに見えるな、と思ったら!
「魔女だよ! 魔女!」
と日本語で、トオルという学生が(今も、ここ見てるかな?)呟いたんです。
日本語なので、本人には分かりませんが…
いけないと思いつつ、吹いてしまいました
翻訳こんにゃくが無いと私は外国の方とは全くコミュニケーション出来ません。
昨日私のブログを訪ねていただきましたfumiel-shimaと申します。
ありがとうございました。
どなたかを経由して私のブログに・・・ということだったのでしょうか。
嬉しさのあまりどんな方なのかな・・・とそっと訪れてみましたら・・・・驚きました。
エレクトーンの写真(動画)がど~んと目に入り、大変失礼ですが一気に親近感が増大・・・・
実は私の娘(49歳)も幼い頃からエレクトーンをやっており、今も職業としてヤマハ音楽教室の講師をしているのです。
私生活のことなども考慮し、今は教室の数も減らして講師会議なども含め、週3回としていますので心身ともに少しゆっくりした時間も持てるようになったようです。
私も妻も弾くことはできませんがエレクトーンが好きで、発表会、演奏会などにもよく出かけました。
今日、あらためてすずさんのブログを拝見し、引き込まれるように次々と日付をさかのぼって読ませていただきました。
そこでまた発見したのです。
すずさんは「絵手紙」もやってらっしゃるのですか?
ここでまた私の家族の登場です。
実は・・・私の妻も「日本絵手紙協会」の講師としていくつかの教室で仲間たちと楽しんでおります。
数年前から腎臓機能の低下や脊柱管狭窄症の影響もあり、教室も減らして無理のないよう今は三つの教室と自治会や小中学校の依頼による不定期のボランティア活動として楽しくやっています。
嬉しさのあまりコメントが長くなってしまいましたがこれからも思うことを素直に明るく楽しく書いていきたいと考えています。
よろしきお願いします。
せしおさんの修学旅行の思い出。
読ませて頂いて、笑ってしまいました。
先程、この話を両親にも話して聞かせると、
「それ、普通! 特に昔は!」
だそうです。
This is a pen.
これで会話なんか、出来る訳がない!
と笑っていました~
翻訳こんにゃく!?
誰でしょう、こんな命名!天才ですね~
余談ですが、昔、こんにゃく副店長と呼ばれた方もいました。
パートさんに、毎朝、
「こんにゃく出して!」
と指示をするから、という理由でした。
南副店長、(現在は店長、いや、部長に昇格かも)元気かなぁ。
初めまして。
先程、そちらを先に再訪問させて頂き、コメントを残して参りました。
…ということで、本日、2度目の初めまして~ですが、私もお話をお伺いして、驚きました!
娘さんはエレクトーン講師!
しかも、49歳なら、51歳になったばかりの私と1歳か2歳の差!
同世代ですね。
私が子供の頃、エレクトーンが大ブームになり、周囲に習っている子が結構、いました。
私は2歳から憧れていましたが、買ってもらったのはオルガンでした。
母の勧めでエレクトーンではなくピアノを少々かじりましたが、長続きせず…
45歳になって、初めて自分のエレクトーンを購入した次第です。
レッスンへは3年通い、その後は独学で時々弾いています。
そして奥様は絵手紙の講師!
何て偶然!
私は絵心が全く無くて。
それでも 「へたでいい、へたがいい」
という合言葉?に励まされ、数年、月に一度の教室へ通いました。
この3月から、コロナで教室休講。
その間、仕事が週6日勤務となり、退会しましたが、時々、描いては友人に送っています。
この方法で、絵手紙も 細々と続けたいと思っております。
読者登録させて頂きました。
ブログの過去記事まで遡って読んで頂けるなんて、光栄です
ご家族にも宜しくお伝え下さいませ。
これからも宜しくお願い致します!
英語に関しては先生(時代)によって成績が違うので、興味を持てるか身につくかは指導者側の問題も半分以上…頑張ります😅
中学で英語に出会った頃、兄の勧めで洋楽聴いて勉強しました🎵
あの頃はマイケルジャクソン始め流行ってましたね、Duran Duran好きでした~☺️