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日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

スイング・アウト・ブラザーズ 石田衣良

2021-08-31 00:18:47 | 読書

 野球が好きな方は、即反応しそうなタイトルです。

スイング・アウト、すなわち、空振り三振。

大学時代から仲間である男三人、33歳、独身。彼女無し。

いや、彼女はいたけれど、揃いもそろってフラれた... スイング・アウト・ブラザーズが 男を磨く講座の特待生に!!!

しかも講師の一人は大学の1学年先輩、憧れの姫。💕

小説を読んで、久々に大笑いしました。

エステやフェイシャルなんたら...一応、おなごの自分も全く無縁なオシャレから、教養講座まで~

はたまたナンパの仕方まで(!?) 幅広く学ぶ彼らの様子は、そのまま一部、自分にも当てはまったりして(;^_^A

女心が良く分かっていらっしゃる衣良さんが、講師の姫に語らせる台詞が凄い!

「女性は自分の内面を話せる相手を好きになる」

確かにそうだな。

でも、逆もあり、だと思う。 

内面を殆ど目も合わさず語る男は、無意識に、その相手を好きになっている。しかし、ある女性に対して内面を語らない(語ってくれない)男が、その女性を好きになることは、まず100%ない。

...と、ここまで書いて、ふと朝ドラ『お帰りモネ』の りょうちん & ももね を思い出したわ~

妹、みーちゃんの台詞、「あの二人は通じ合ってる」

あるね~ 男女以前に、こういう関係。

ただ、私が思う、理想の関係は、『半分青い』の方だけどねぇ。律とスズメ

 話題がズレてしまった気が… スイング・アウト・ブラザーズ、既婚者にもお勧めです。

 

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三毛猫ミーと子猫たち (My cat, Mie and her four kittens)

2021-08-29 18:56:42 | Electone & Piano

三毛猫ミーと子猫たち (My cat, Mie and her four kittens)

murasakiさんに、以下の質問を頂きました。ちょっと面白い話題だな、と思ったので、予定通り、記事にしてみますね👍
 
そえそう、お尋ねしたいのですが、
YouTubeも色んな権利を持っていますが、
カラオケとか、アカペラ、演奏、など、
全てが自作出ないと罰金がいる?とか、では
無いのですが?私はたまに、旅行した時に
写真が多いので、動画を作ってYouTubeに
あげてるのがあるのですが、
歌の、場合、作詞、作曲、とかは著作権があるので申請とかしなくて大丈夫なんですか?。
 
 
自分の動画の画面は以下のような感じです
今回の自作曲、My Cat Mieは、ご覧の通り、「制限なし」(トップ画面から最新)
 
2つ目は、こういんさんとお盆にコラボした曲、「安奈」著作権侵害の申...とあります。
3つ目の、ワインレッドの心も 同じく。
 クリックし、詳細を読むと、
『著作権侵害の申し立て
著作権侵害の申し立てにより、動画は収益化の対象外となっています」
 
もともと1000人以上、登録者数がいなければ、収益化も無いらしい(耳にしたところ)ですし、自分には関係ないですが...。
この著作権侵害の申し立ても、面白いものでして、
多くの場合、エレクトーン用楽譜とプロのレジストを使用すると、ほぼ間違いなく「申し立て」になります。
稀に、「春なのに」「酒よ」など、楽譜なしの即興でも、『著作権侵害の申し立て』と表示されます。
そんな時は、「うまく演奏できたかも?」とちょっとだけ嬉しくなります。💕
「雪国」は「なし」(´;ω;`)ウッ…
 
 もっと興味深いのは、小林亜星メドレーでも、パートⅡは「なし」 パート1は『著作権侵害申し立て」
どちらも殆ど変わらない気もするのですが... 
 
いずれにしても、収益化は出来ません、というだけで、他人様の曲を演奏して動画アップしても、問題はないようです。
これで回答になったかな~
 
 
 
 murasakiさんの1つの質問から、思いもしなかった展開へ~🎵
 
 私は長女ですが、妹が生まれた時、私は5歳半。
それまでは一人っ子のように育ちました。
毎月届く絵本を抱え、繰り返し読み、またある時は、ぬいぐるみをずらっと並べ、腹話術のように一人で何役もこなし…
一人遊びの天才!?だったかも。 一人で退屈することが無かったです。
 
 本好きな子供の想像力は、その後も発揮され続け...
自分でも書いてみたくなり、
小3から画用紙(らくがき帳)にイラストと童話を書き始めました。
処女作は、『三毛猫ピッキー』
わが家へ迷い込んだ三毛猫が子猫を4匹産み、実体験をもとに書いたものでした。
「昔むかし、あるところに…」で始まるところが、いかにも 初めてっぽいのですが。あれ、まだどっかにあるかな?
 
 さて、子供の妄想は更に続きます。
自分で作った物語がアニメ化されて、それには主題歌がいるから~という理由だけで、ブランコを漕ぎながら作りました~。
それが、今回、初披露することとなった、上記の動画です。
でも、あとにも先にも、これ1曲のみ、ですわ~(* ´艸`)
 あ、もちろん、アニメ化されて~っていうのは、子供の妄想遊びです。(≧▽≦)
 
 
 
 らくがき帳には、『三毛猫ピッキー』でしたが実際に我が家へ来たネコは、何度、ピッキーと呼び掛けても振り返らず。父がたまたま「ミー」と呼ぶと、振り返って、「にゃ~」と鳴いたのです! こんな単純な名前は嫌だ!と言っていた私も(実はピッキーはその後、セキセイインコの名前となりました) 前の飼い主さんが、ミーと名付けていたんだな~ということとなり、ミーに落ち着きました。
 
4匹の子猫の名は、「クー♪ クー クー クー♪ クーは食いしん坊♪」(最初のメロディーライン)
...という風に続き、最後は親猫で、 「ミー♪ ミー ミー ミー♪ ミーと呼べばこっちを向いて にゃ~と鳴くのよ~お~」
最後に一匹ずつ名前を呼ぶシーンがあり、 「クー♪ シー♪ シロ~♪ ミヨ~♪ ミー い~ い~♪」
で、1番終わり。
 
 
murasakiさん、ご質問、ありがとうございました。お陰様で、墓場へもっていく予定だった曲を披露することとなりました。(≧▽≦)
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ボローニャ紀行 著:井上ひさし

2021-08-28 23:22:06 | 読書

ボローニャは、ルネサンス時代の都市国家の一つで、ボローニャ大学がある都市だ~

急いで図書館内を回っている時、たまたま目にした本のタイトルを見て、手を伸ばしました。

単なる旅行記ではありません。

その証拠に(?)塩野七生さんの著書、『イタリア便り』(1975年)からの引用もあります。✋

塩野さん曰く、ボローニャはイタリアの『飾り窓』なのだそうですが、その真相は? (本をお読み下さいませ)

 

ボロ―ニャにはいくつも劇場があり、しかも1000円と超お得☆彡なのだそう。

1つ先の記事にも書きましたが、ここ北九州市では一番お安いC席でも5000円。

ボロ―ニャでは、わずか1000円で劇場で役者さん達の姿を拝見出来るとは~ なんとも 羨ましい~💕

 

興味深いお言葉をここに~

「都市を発展させるには?」という質問に対し、その答えは~

「今ある建築物を100年、保存しなさい。そうすれば、自然と観光客を呼ぶことが出来ます!」

大正時代の図書館や市民会館を残す運動を北九州市民も頑張ったのですが...

北橋市長に聞かせたいです。

 

古い建物を壊さず残す、中身は 現代を生きる人々が創意工夫し、アイデアを出し合い、生かしていく。

(シドニーもこれ、やってます。クイーンズビクトリアビルディング;現代は、商業施設として、お店やスーパーが入っております。外見は昔...100年前のまま。)

これが街の発展~生きた街となる~ 深~いです。

 

もう一つ、注目したのは歴史あるボローニャ大学の試験。論文のみならず、市民にも視聴してもらう形での、口頭試験。

たとえば、

「十字軍はキリスト教徒が、「神が望んでおられる」という合言葉と共に、聖地奪還のために始めた;これをクリティカル反対意見を持って論じなさい」

そうだわね。

私なら~

「十字軍は、それまで西ヨーロッパ内で同じキリスト教同士による争いが絶えないことに困っていた法王が、「神が望んでおられる」という掛け声で、彼らの関心ごとを他国(中近東)にいる異教徒へ向けさせようとしたことから始まった。キリスト教徒同士で戦闘を繰り返す代わりに、異教徒をターゲットにして、皆一つにまとまってくれよ、というものであった。私にいわせれば、「神が望んで」ではなく、「悪魔が望んでおられる」でしかない。イエスキリストが、そんなことを望むか、といいたい。いずれにせよ、法王の計画は 諸侯の関心ごとを異教徒へ向けさせることには一応、成功した、といえるが、8回に及ぶ十字軍はキリスト教徒にとっても、何より中近東で暮らす人々にとって迷惑でしかなかった」

 

 私も一応、英語圏の大学院を卒業していますが、(大学付属の語学学校ではなく 林真理子さんのエッセイで、書いてあったのを読み終わったばかり。いずれまた~)

どの教授も口癖のように、「クリティカル・リーディング

日本と逆ですね。反対意見は言わない教育が主流だったから。英語(教科)を中心に少しずつ変化しているようですけど。

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ピグマリオン 著:バーナード・ショー

2021-08-28 20:02:43 | 読書

もし、コロナが終息したら、したいこと、その1

演劇鑑賞したいなぁ~

 

そんな気持ちに益々させた2冊の本をご紹介します;まずは、1冊目。

「ピグマリオン」

タイトルだけみて、ああ、あの話!と分かる方は?

劇作家バーナード・ショーの出世作。

舞台を見てみたいものですねぇ。特にラスト。役者とバーナード・ショーとの間で、かなり揉めたようですが💦

言語学者ヒギンズが花売り娘、イライザのなまりをなおし、社交界で通用するレディーに~というストーリー。

イライザと聞くと、どうしてもキャンディ♡キャンディに出てくる意地悪娘のイライザが浮かびますが。

 

世代にもよると思いますが、オードリー・ヘップバーン主演映画、『マイ・フェア・レディ』を思い浮かべる方が最も多いかもしれませんね。

ちなみに私の場合は、

ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアの プリティ・ウーマン かな。

この映画でジュリア・ロバーツを知りました。実際、彼女の出世作であり、映画の内容そのもの。

当時はハリウッド版、シンデレラ・ストーリーを楽しんだものです。

 

この原作、ピグマリオンを読み、本当は単純なシンデレラストーリ―ではなかったことを始めて知りました。

イライザとヒギンズは、結ばれるどころか... おっと、ここは敢えて書かずにおきましょう。

テーマは女性の自立、でしょうか。

こんなテーマが隠されているのですから、役者さんによるアドリブで、勝手に舞台上でハッピーエンドに変更されたら、劇作家が怒るのも当然でしょうね。

 

舞台は一度、みると 病みつきになるものですが、料金が... 

一番お安い席でも、5000円。 家族3人で観賞すると、1万5千円。

結構な出費だねぇ~ しょっちゅうは無理だね~ 

...と、幾度も気になる舞台を流して~~~~ コロナになると知っていたら、あれも、こちらも観たかったなぁ。

 

今は本を読んでイメージを膨らませ、楽しんでおります、はい。

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ワインレッドの心  安全地帯

2021-08-26 00:06:52 | Electone & Piano

ワインレッドの心  安全地帯

お盆休み初日に弾きました。安全地帯⦅玉置浩二さん⦆『ワインレッドの心』

私が中学2年生の時の大ヒット曲です。この曲で彼らを知りました。ベストテンに登場したので🎵

楽譜もなく 専用レジストも無く、いきなり弾いた訳ですけど、色々なリズムを試していたら、ドラマティックなものを偶然見つけ、「これ、いいかも!」と一回弾いて、次は録画。ただ、あとになって、

「原曲のしっとり感がまるでない。失敗だった」

と思い、ブログで記事にすることはなく...。

 

そしたら、またまた偶然、下記のリズム感テストを見つけ、リズム感に全く自信がない私がやってみると意外なことに満点でした。え? 

すでに数か月前に購入した曲集の中から、「トルコ行進曲」を練習していたのですが、テンポが速すぎてついていけず、挫折。

Jポップも速いものは、「テンポキープ出来ない~っ💦」が口癖です。

 

ただ...

ちょっと考えると、

「ここはテンポキープ出来ていない。ここは出来る」と認識出来るってことは、正しいテンポと合っているか、合っていないか分かっているということ。

なので、最初の3問くらいは絶対バッチリ出来るんですね。

問題は裏拍ですが、これも「素敵なあなた」「リベルタンゴ」等で6年くらい前、相当練習したから、(当時はレッスン通いで)テストでいきなり~ではなかったし、出来ました。

すぐできるので、次のリズム感テスト、是非ぜひ挑戦してみて下さい。面白いですよ。

リズム感をテスト!あなたはどこまでできる?? 初級〜超高難易度レベルを用意

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マスカレード・ホテル 東野圭吾

2021-08-23 23:07:34 | 読書

 昨夜8時45分、37.1度まで熱は下がりました。翌日仕事へ行くかどうかは、朝の体温次第、ということにして~

今朝はお陰様で36.3度の平熱。仕事へ行き、お陰様で無事帰宅しました。

今は注射した腕と関節の一部が痛いだけです。皆様、心温まるコメントをありがとうございました。この場を借りてお礼を~💕

 

 いつか原作を読んでみたいと思っていました

2019年に小倉昭和館にて、映画を観ていたので🎵 マスカレード・ホテル 東野圭吾

 

 8月20日から緊急事態宣言となり、図書館も閉館かな、と思い、18日の夕方、図書館へ行くと、駐車場はほぼ満車状態。皆、考えることは一緒だな~と。

ところが、図書館で感染したとか、クラスターといった話がないからかなぁ。30分までの滞在時間という制約はあるものの、閉館しないそうです。

この日は慌てて目に留まった📚をチョイス。その中には、長年、恋焦がれたとまではいいませんが、ここ数年、いずれ読みたいと思っていた本も含まれています。まだ読んではいませんが。

 マスカレード ホテル

新田刑事の、どの台詞を読んでもキムタクの顔が浮かんでしまうし、彼の声。

ラストを知っているというか、犯人を知っているので安心して(怖がらずに)さらっと読めました。熱があったにも関わらず。

実は私、小中学生の頃は扁桃炎で、冬になれば必ずと言ってよいほど、喉が痛くなり、40度近い高熱で一週間学校を休むことが「お決まり」のような子でした。

平熱は高めで、熱には強い子ではあったのですが、ワクチン接種で38度を超える熱というのは予想外でした。

でも、熱には慣れた子だったため、病に伏せても寝床で本は読んでいた訳です。

勿論、熱の上がり始めと下がり始め。朝と治りかけた頃...ではありますが。

こういう状況で読むのに適した本でしたね、マスカレードホテルは。

塩野さんの本は心身ともに元気な時が良いかな。

読みながら頭に血が上ることが多く、(十字軍)第三者の自分がこうだから、誤解されるイスラム教徒は尚更のこと...と。

まぁ、冷静ではいられなくなりましたわ。

先に塩野さんファンの知り合いが途中まで読んでおり、「おもしろくない」「がんばって読む」という感想だったんで、そうなのかな、と思っていたら、全く違っておりました。

勿論、「キャハハ!楽しい~ 笑える~(⌒▽⌒)アハハ!」

といった部類の面白さではなく、長年の謎が解けて行く...。なかなか耳にしないイスラム側に立った話に興味をそそられるというか、そういった面白さに惹きつけられました。

『ギリシア人の物語』や『海の都の物語』は、ギリシア、ヴェネツィア共和国という元々自分が興味ある国なので、面白いことは読む前から分ってはいたんですけど。

他人の感想は、参考にはなけれど、当然ながら当てにならないです。

私がここで、面白いです~といっても、他の人にとっては、そうでないかも~ですよ。

その場合はすみません

 

 

 

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もう一度ベートーヴェン 中山七里

2021-08-22 09:25:02 | 読書

ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 「皇帝」 ゼルキン / バーンスタイン Beethoven : Piano Concert No.5 Es-Dur

 まだ本調子ではないため、短めに。

のちにピアニスト或は講師となる岬先生が法曹のホープと期待され、研修生だった頃のお話です。

勿論、今回も どんでん返しの謎解きあり。

 

 

金曜日。2回目のワクチン接種。

その前の2日間、片頭痛だったため、木曜の夜は早く寝ました。そのおかげもあって、接種当日は元気👍

仕事終了後、体温測定36.5度の平熱。

その日の夜は、腕の痛み意外の変化はなく、さっさと寝る。

 

翌朝(土曜日、つまり昨日)

朝6時、37.4度。(仕事は休む)

9時、37.9度。

食欲はあったので、何か…体に良いものを食べようと、冷蔵庫を物色。食パンにレタス、釜揚げしらす、カニ蒲鉾、チーズをのせてトースト。他にトマトジュースの朝食。

「てのひらの迷路」石田衣良:著 短編集を読む。

10時、38・4度。 特に首回りや股関節など、リンパ腺回りが火照って熱い。アイスノンで冷やす。

13時、38.1度。 食欲ない。それでも何か食べねば… ヨーグルト、バナナ、冷凍枝豆をチーンして一皿。(小皿)直後に腹痛。

 

15時、38.6度。一度、体温下がり、また上がる。母のCD ベートーヴェン「田園」を聴く。腕の痛みは勿論のこと、両手足の指一本、一本まで関節痛。インフルエンザみたいだ~

16時 入浴。38度ぬるま湯で半身浴。 へんな汗をかいていたので、気分スッキリ。でも歩くとふらつく。その後、熟睡。

19時、38.4度。 お粥と梅干の夕食。

読みかけの本を少し読み、20時就寝。

 

今朝の体温は38度。5時頃測れば、もっと低かった筈。

 

ワクチン2回目の副反応は、発熱38,6度(最高で)

関節痛、腹痛(一時的)、ふらつきは熱のため...かな。

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てのひらの迷路 石田衣良

2021-08-22 06:54:35 | 読書

 原稿用紙10枚分のショートショートと、それにまつわるエッセイを集めた一冊。母の死を看取る話や、会社をスパッと辞める話など、実話も含まれたものもあります。衣良さんのエッセイ自体、これまで読んだことがなかったため、とても新鮮でした。

短編とエッセイ集というのも、発熱中の自分には読みやすかったです。寝ながら一篇読んで、休む、の繰り返し。今は早朝なので熱も低めで気分もいいです。

ついでながら...。18日返却した為、手元に📚がないため、簡単に。

第七次十字軍;フランス王ルイがエリート騎士団を率いて中近東へ。彼らを待ち構えていたのは、奴隷出身で戦士として戦うことのみを目的とし鍛え上げた、教育も受けていない奴隷軍団だった。エリート騎士団は、奴隷軍団によって虐殺されナイル川に捨てられる。これをきっかけに奴隷軍団の力が増す。

教養あるサラディン、アラディール、アル・カミ―ルと三代続いた王朝は、アル・カミ―ルの息子が殺されたことで滅亡。その後、ルイも含めた十字軍全員が人質に。ルイは妻同伴だったので、妻が釈放金集めに走り回り、まず初めに王と側近が釈放。その他の人質も数年後、釈放金と引き換えに全員、釈放される。

第八次十字軍:懲りないフランス王ルイは、またもや十字軍結成。しかし、中近東へ向かう途中で病に倒れ、病死をもって第八次十字軍、何もせずに僅か数週間で終了。

 

フランス国内では...

法王は責任を問われない。神の代理だから。ルイは死んでいいる。そこで十字軍失敗の矢面に立たされたのはテンプル騎士団だった。元騎士団もすべて捕らえられ、高齢だったこともあり牢獄で最期を迎える。騎士団長で生き残っていた二人は、生きたまま火炙りの刑となった。

 

中近東では...

モンゴル帝国VS奴隷軍団

西ヨーロッパからの脅威は無くなっていたが、急激に勢力拡大していたモンゴル帝国に攻められる。

 

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十字軍物語 3⃣ 第六次十字軍、別名:無血の十字軍

2021-08-18 01:11:22 | 読書

 「絵でみる十字軍物語」より

塩野七生さんによる、十字軍物語の序章といえる著書に掲載された、一枚の写真。

無残にも、誰かによって叩き壊されたのか、あちらこちら傷だらけの像。それでも残っているだけでも良かった、と思う。ここまで第一次から第五次十字軍まで。完全なる無血というものはなかった。それを外交手腕で目的を果たしたのだから、褒められて然るべきなのに。『十字軍の歴史』の挿絵が一枚も描かれていない。

この後、登場することになる第七次、第八次十字軍は、コテンパンに負けた。しかも、2度も指揮を執ったフランス王、ルイ自身も、全軍までもが一人残らず捕虜にまでなったというのに、彼の死後は聖人として祀られているのとは、余りにも対称的。

 

南の島シチリア

 当時のシチリアは、アラブ人とキリスト教徒が共生していた、夢の楽園だった。フリードリッヒは3歳で父を、4歳で母を亡くし、一人っ子だったので、この年齢で母方のノルマン・シチリアを相続、ノルマンの王であり、赤ひげ皇帝の直系だったので、神聖ローマ帝国の「控えの間入り」、そして 未来の十字軍率いる「イェルサレム王」だった。

 1220年、26歳で皇帝就任するも、なかなか遠征へ行こうとしない。彼の教育は独学型だったため、イスラム文明が今なお残り、周囲で飛び交うアラビア語もマスターした。更には古典を読むため、ラテン語、ギリシア語も学んだ。中世という時代は、特に聖職者にとっては、ギリシア・ローマ帝国はキリスト教の敵である。自らの好奇心の赴くままに学んだことが、今の時代になって、ようやく叫ばれるようになった“異文化共生”という感覚を身に付けたのだろうなぁ。

 

二度の破門

 皇帝にはなったが、なかなか遠征へ行かず、法王にとっては、「けしからん!」こと、実際にはとても良い事を次々と国内でやっていく。

 ❶ルチェラを中近東出身者のための移住区とした。宗教もイスラムのままでいることを認めた。

 ❷1224年、30歳になる頃、ナポリ大学を創設。そこでは古代ローマ法を学べた、つまり法にのっとって考え行動する、政教分離な人材を育てたかったのかも。

 ❸サレルノ医学校再興 医学を学びたい人は、宗教も民族も問わない、とした。

 

破門されたまま、フリードリッヒは1228年6月遂に出発。

あーだ、こーだ、と法王に対し、出発を引き延ばしたお陰で、その間も平和は維持された。

 

アッコン到着

 初めて見る若き皇帝に、住民たちは歓声を上げた。しかし、皇帝の到着と同時に、法王からの「破門した皇帝には従わないこと」という勅命も届き、アッコンのキリスト教徒たちは動揺した。

 3つある騎士団も、法王につくか、皇帝につくか? ドイツ人のみで結成されたチュートン騎士団は勿論のこと、テンプル騎士団、病院騎士団すべて皇帝につく。法王には、「今の所、という条件付きで皇帝に従います」と苦しい言い訳。(;^_^A

 

交渉

 アル・カミ―ルが交渉人に選んだのは、ファラデン。彼と同年代のフリードリッヒは通訳無しで向かい合う。これにはファデランも、かなり驚いたらしい。中近東は初上陸の皇帝が彼らの言葉を話すのだから。好印象だったことは間違いない。二人はチェスをしながら、常に親しげな雰囲気で交渉が進むのが常だったらしい。

ファデランが持ち帰る話を聴いたアル・カミ―ルとフリードリッヒは文を交換する。時には詩を書き送ったらしい。

ある時、フリードリッヒはファデランに西洋式の儀式にのっとって、騎士に叙任したことがあった。少年の頃を思い出し、

「お前も騎士にされちゃったか!」と談笑したかもしれない、とは塩野さんの想像。(#^^#)

 

講和締結

1228年、実際には一度も合わなかった二人だが、フリードリッヒとアル・カミ―ルの間に講和が成立した。

ただ、第一級資料なのに、この講和の原文は残っていないらしい。キリスト教側は、「破門した者による十字軍は認めなかった」から。 イスラム側は、21世紀になった今、「イスラムの屈辱」となっているらしい。残念すぎる解釈!!!

いずれにせよ、項目・一、としてよい点は、「イスラム側は、イェルサレムをキリスト側に譲り渡す。ただし、東側の非武装の3分の1はイスラム地区として残す」

🉂 イェルサレムは「イスラム地区」を除いた全市はキリスト側に譲渡されるが、その周辺一帯は、イスラム側として残る。

3,4,と続き、5は、双方が保管している捕虜を釈放する。

最後に、この講和の有効期限は、10年とする。

1239年2月までは平和が続くことになり、更新の可能性もあった。

 

平和の接吻

1230年9月。「仲直りセレモニー」は60歳の法王グレゴリウスと36歳のフリードリッヒが、互いに肩を抱いて、接吻することで終わった。波紋は解かれたのだった。

 

フリードリッヒは、その後も、交渉相手だったフェラディンに手紙を送り続けている。それらはアラビア語で書かれ、アル・カミ―ルに通じることを見通して、であった。

親しい間柄の友人に書いた手紙としか思えない内容だったという。有効期限が切れた後も、共生は続いていたのだった。

 

それが破れるのは、1248年になってから。

フランス王ルイ9世率いる第七次十字軍がエジプトへ向けて出港する。だがわずか2年後に彼は捕虜となる。この知らせはフリードリッヒにも届いていただろう。それから4か月が過ぎる頃、フリードリッヒはこの世を去った。1250年12月13日、56歳を迎える二週間前だった。

 

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十字軍物語 3⃣ 第五次十字軍(1218~1221)わずか3年‼

2021-08-17 22:46:14 | 読書

 

 

 リチャードとサラディンの講和は1192年。

講和の期限は3年8か月と決めた。

では、その”後” は再び戦闘状態になったのかというと、全く ち・が・う!

期限切れの1196年には平和が破られてもしかたなかった が、そうならなかった。サラディンは1193年に亡くなっている。リチャートも1199年にこの世を去った。それでも尚、二人の間で締結された講和は更新され続けた

兄、サラディンの権力と地位のみならず、その ”想い”までも受け継いだ弟のアラディールが更新し続けたからだった。

そのアラディールには、キリスト教側に格好の協力者・理解者、バリアーノ・イベリンがいた。

イベリンが世を去った後も代々のイェルサレム王に受け継がれ、アラディールは1211年、その前年に王位に就いたブリエンヌとの間で、講和の更新をしていた。この講和は1217年までの6年間。これがアラディールがキリスト教側と交わした最後の講和、つまり共生の試みの最後だった。

1192年から1217年までの共生。実に四分の一世紀の25年間!『人』と『物』が交流し、双方が平和を享受した。特に経済の方は盛んになる一方だった。

ヨーロッパから十字軍がやってくる、となれば、平和が享受出来なくなる状態になること。「十字軍❓ やってこなくてもいいよ」中近東に住む大方のキリスト教徒の気持ちだった。

 

一方、ヨーロッパでは~

しかし、ヨーロッパに住むキリスト教徒は、そうは考えなかった。

まず、第四次十字軍でヴェネツィア共和国に大きく距離を開けられたジェノバが第五次十字軍に参加することで失地挽回を期したから。

次にローマの法王は、”今度こそ” 十字軍の主導権を(前回はフランスとヴェネツィア共和国だった)法王庁に取り戻そうと、法王ホノリウスは、「法王代理」ぺラーヨを送り込む。この人がまた、最悪なんだわ...

フランスなどその他の王は、神の戦いどころか、人間の戦いに忙しく、この時期、十字軍どころではなかった。

他にはノルウェーの王、ハンガリー王、オーストリア公が向かう。しかし、彼らは聖地を訪れ聖遺物を貰うや帰国したため、結婚資金を都合してもらい、法王庁に弱い立場にあったイェルサレム王、ブリエンヌが法王にお尻を叩かれエジプトへ向かった。

こうして、中近東のキリスト教徒が全く気乗りしない形で、第五次十字軍となったのだった… アーメン。

 

この時、アラディールは73歳という高齢者になっていた。長男のアル・カミ―ル、ほら、あの12歳の少年だった、彼ですよ! すでに38歳となり、有能な指導者だったが、新旧の世代交代期は、長年善政で鳴らしてきた旧世代が退くだけに、シリア派、エジプト派の間で権力の引き合いという問題も表面化し、微妙な時期だった。

 

1218年5月24日、キリスト教側、ダミエッタ上陸。

このことを知ったアラディールもエジプトへ向かう。

父からエジプト統治を任されていたアル・カミ―ルもエジプト軍を編成し、北上。ジェノバ艦隊攻撃開始から3か月後、ダエミッタ陥落。

その一週間後、かつてリチャードが、「話が分かるイスラム教徒だ」と感心し、彼の側近から「フランク人みたいなイスラム教徒」と言われたアラディールも、そのフランク人に攻められる中、この世を去った。73歳だった。

 

そんな中、法王代理がダミエッタ到着。

どちらに指揮権があるかで、法王代理ペラーヨイェルサレム王プリエンヌの間で日増しに険悪化。

アル・カミ―ルも突如、軍を撤退。弟の一人を担いで反旗を翻した大守の一派を鎮圧するためだった。

双方とも、動きが取れない状態に。

 

この時期、修道僧フランチェスコが登場。どのような経緯で参加できたのかは分っていないらしいが、アル・カミ―ルに敵の陣営地で直接会い、キリスト教徒に改宗するよう、勧める。スルタンの周囲に居た人達は、殺気立ったらしいが、少年の頃、騎士に任命されたアル・カミ―ルだから~ 微笑して、キリスト陣営へ送り届けるよう命じただけだった。

 

アル・カミ―ルから、講和の提案 (1)

10月、ダミエッタを攻撃中の十字軍をスルタンから特使が訪れ、講和を提案。その内容は、十字軍には信じられないものだった。

エジプトから出て行ってくれさえすれば、イェルサレムは返す、というのだ。

しかも、リチャード・サラディンの講和でイスラム側の領土と決められたガリラヤ地方までも返還する用意あり、というのだ。

しかも! これらに加え、これら地方に点在するキリスト教側の城塞の維持費を毎年、支払っても良い、とまで言うのである!

想像もしていなかった好条件に、イェルサレム王も領主たちも講和に大きく傾いた。なにせ、十字軍の最終目的は平和と聖地奪還だったのだから。

と・こ・ろ・が、である。

あの「法王代理」が立ちふさがる。

「そもそも異教徒と講和など、結べるか~! 話合などもってのほか!全員殺せ! 神が望んでおられる」

「血を流すことで奪還しべき!」

 

これ以上はない好条件を…受け入れず、拒否。

その結果、2年の攻防の末に陥落した。市内に流れ込んだ十字軍によって、逃げ場所がないイスラム市民の多くが殺される。

だが、今度はダミエッタを誰が統治するかで法王代理ペラーヨイェルサレム王プリエンヌは揉める。

結局は、ヨーロッパから「しかるべき人」が来たら、その人に~ということで落ち着く。

この時点では、争う二人に具体的な「しかるべき人」が頭にあった訳ではないが、その後、26歳の誕生日を迎えたドイツ皇帝フリードリッヒが国内安定後、「十字軍遠征へ行く」という約束の許、皇帝となったことで、「フリードリッヒ待ち」となった。

 

アル・カミ―ルからの提案 (2)

 十字軍のこの動きを察知したアル・カミ―ルは、十字軍が待っているという、この人物について情報取集したらしい。カイロに滞在していたヴェネツィア領事や商人たちから。英名であり、戦闘巧者。「赤ひげ皇帝」と呼ばれた男の直系であること。

 これには考え込んだ、だろうね。あの大軍を率いて(溺死はしても)サラディンでさえ眠れぬ夜を過ごしたことは、父から👂にしていた。

 翌年、2度目の特使が送られる。

講和の内容は、1回目と同じ。更に次の2項が付け加えられた;

❶講和の有効期限を30年とする。

❷イェルサレムの城壁の再建費用は、イスラム側の負担とする。

 

前回より更に好条件の講和の申し出に、十字軍側は動揺した。

だが、またもや、あの「法王代理」ペラーヨが反対した。

 

これほどまでに寛容な講和を二度も拒否されたアル・カミ―ル。

そこへ、この年のナイル河は、増水量が多く、上流から満々と流れてくる、というのだ。アル・カミ―ルは勝負にでた。

ダムの水を毎年、調整していたのだが、この年はしなかった。水があふれだす直前まで待ったのだ。そして一気にダム自体を破壊した。

ナイルの水路にそって北上中だった十字軍。

荷物や兵士、🐴までも流される。町中も安全ではなかった。洪水となった水があふれ、ジェノバ船も近づけなくなった。敵中で孤立無援だった。

 

この状況を知った、アル・カミ―ルは3度目の使者を送るが、その講和の内容は前2回とは全く違った。

❶ダミエッタを放棄し、キリスト教軍はエジプトから完全に撤退する。

❷この講和の有効期限は8年とする。

 

これが3年をかけた第五次十字軍の終わり方だった。

 

アル・カミ―ルは、講和で約束した8年の不可侵を守る。そればかりか、講和に記さなかったサラディン・リチャード間の講和に明記された講和も守った。

なので、この3年間を除き、1229年までの間、再び二人が結んだ講和の状態に戻った。要するに平和を享受できた。

 

まぁ、第五次十字軍とは、やっただけ無駄、であり、その責任は法王と法王代理のペラーヨにある。「不信仰の徒とは、話し合わぬ」「講和など結べぬ」「血を流して奪還」狂信的な信者ほど怖いものはない… 

…で、ですね。

塩野七生さんが、最後にまとめているのです。

「戦争は、人類にとって最大の悪業である。にもかかわらず、人類は、この悪から抜け出すことができないでいる。

 ならば、戦争を 勝った、負けた、で評価するのではなく、この悪を冒した後にどれだけの歳月の平和がつづいたか、で評価されてもよいのではないか」(288ページ10行~11行)

 サラディン・リチャードの講和のあと、3年の負があったとしても、(法王に尻たたかれて)更に8年の平和が続いた、ということは、ここまでで、すでに33年間になる

 

 もしも、さらに平和を享受したければ...

イスラムにはサラディン、弟アラディールの想いを受け継いだアル・カミ―ルがいた。

キリスト教側は?

無血の十字軍を指揮した、皇帝の登場である。

 

 

Comments (6)
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