日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

台湾旅日記(7) ダム(Dam)

2016-04-26 00:15:33 | 台湾

八田技師の銅像と機関車を見学し、いよいよダムを訪ねます。

 

 

逆行で白っぽくなってしまったのが残念ですが、歴史を感じるダムです。今も現役だそうですから、どれだけ台湾の方が大切に使用してくださってきたか、わかるというものです。ほんとうに有難いことだなぁとガイドさんの説明を聞きながら思いました。

 

台湾人制作による子供向けの映画も道中の滞中で見ました。現地の子供と八田技師の息子さんの交流を通し、どのようにダムが建設されたか、最初は八田さんを信用しなかった村の人々が徐々に協力するようになり、数々の苦難を乗り越えた末にダム放流の日を迎え…感動の物語でした。ガイドさんもお子さんを連れて、映画館へ行き、一緒に見たそうです。子供目線でアニメ映画は描かれていますが、大人の私が観ても心を揺すぶられました。映画のタイトルが台湾の現地語だったので、覚えていないのが残念ですが、意味は八田さんのニックネームでした。

  

「八田技師記念室」もありました。グループ行動なので、ここへ立ち寄る時間がなく残念でした。

 

「八田興一記念公園」へ・・・ この公園内に入ると、日本の演歌が流れていました。粋な計らいです!

しかも、日本の国旗&桃太郎の看板まで♪

ガイドさん曰く、「台湾人は日本の木造建築が大好きで、ここはとっても人気がある場所です!」

当時の面影をそのまま残した八田技師の自宅です。

ここからは暗くて良く見えませんが、向かって左奥には なんと!雛人形が飾られていました。少しだけ見えていますが、わかるかな…?

 

家の中へは入れませんが、お庭を歩くことは出来ます。

つづきは次回ということで・・・

 

 

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台湾旅日記(6) 台南 日本人技術者 八田興一氏の面影を探して…

2016-04-23 18:55:14 | 台湾

旅日記の続き。。。お待ちかねのランチ

 

 

初日の夕食は、初のグループでテーブルを囲んでの食事だったため、緊張のあまり写真を撮りそこねてしまい、ちょっと残念。

あの日はシーフードがメインで今回もやはりシーフード。エビはサクッとしていて、日本人好みの味。

こちらは最初、何の魚だろう・・・?と最初は様子見。勇気ある方が最初に箸をつけ、「白身の川魚のような味。まあまあ、美味しい」とのこと。

ガイドさんに魚の名前も聞いたものの、その瞬間に右から左で忘れちゃった…。

恐るおそる食べてみる… うん、見た目通りの味。

 

レストランから見た風景。この後、今回の旅の第一目的地である鳥山頭(Wusanto)ダムへ…

緑に囲まれた台南。バスから降りたあと、徒歩で日本人技術者、八田興一さんが眠る場所へ…

  

丘の上に見えてきました。胸が高鳴ります!日本人観光客グループの最後の方の列をかみしめるように ゆっくりと歩いていた私ですが、ここへきて歩調が速くなります。 「あの銅像が 八田興一さんだ~!」

毎年、地元台湾の人々による慰霊祭も行われ、お花も絶えないそう。

「あれは造花ではありませんよ。生花です」と、わざわざガイドさんが仰っていました。(最初から造花だとは思わなかったんだけどなぁ)

なんでも八田さんは、かしこまった姿の銅像は好まないだろうということで、この姿の銅像になったのだとか。手持ちのパンフレットには、以下のように説明されています。

   「八田技師がダムと嘉南平原を建設した偉大な貢献をたたえるため、働いたパートナーと現地の農民と共に出資して銅像を建てた。銅像の姿は作業服を着て、一手に頭を支え、一手に足の上に置いて、どのようなダムを造るかをまじめに考えた八田技師の姿をイメージした。銅像の後ろには八田興一ご夫婦の墓地がある。銅像を置いた場所はダムの一番高いところで、ここから、一生をかけて成し遂げたダムのきれいな景色を眺めることができる。」 

こんな風に今も地元の人々に慕われる八田技師ご夫婦。複数の著書で読むばかりで当時を想像するしかなかった場所を実際に訪れることができて感無量。 静かに手を合わせてきました・・・

 

  ダムを建設する際に使用された蒸気機関車。運送のみならず、当時の人の足として、交通手段としても活躍したのだとか…。ちなみに この蒸気機関車はベルギー製で、当時のものを大切に保管しているそうです。

 そして次回は いよいよ八田技師が手掛けたダムを見学します

 

 

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慌てて・・・

2016-04-17 23:37:02 | ホークス

ホークス吉村、奇跡的サヨナラ弾 工藤監督「すごいの一言でございます」

テレビへ駆け寄り見たかったのは、ホークス戦。 これまで開幕から代打登場もノーヒットの吉村選手。背番号6が映しだされると、嫌でも(いえ、もちろん嫌な訳ない、けど、ちょっと寂しくも懐かしく・・・)タムを思いだす。 えっと今、打席に立っているのは 数年前、あのタムとトレードでホークスへやってきた吉村選手。2球を空振り。ファーボールを選んで長谷川選手にどうにか回して欲しい・・・なんて、その時は失礼なことを思っていた。

翔太くんが投げて4-7で負けてる状態。かなり厳しい・・・もう9回だし。ランナーが二人、塁にいるから一振りで同点になれば・・・なんて、いつも思うものの、そうなったことって ほとんど…ない…と思う…

しかし…

奇跡のホームラン! え~まさか、まさか! ほんの5日ほど前、熊本でプレーして勝ったホークス。その後、熊本を襲った大地震。 この声援、熊本の空まで届け! と思わず心の中で叫んだ。

ゲームは振りだし。ベンチは笑顔。私も母も勿論大はしゃぎ!しかしテレビ放送はここで終了。だけど最後のいい場面がぎりぎり見れて良かった!あとはラジオ、ラジオで応援!

延長12回裏。ホークスの負けはもうない。あるのは引き分けか勝利か… ここで一巡して まさかの吉村選手に打順が回ってきた! まさか、まさかのサヨナラ打! 二打席連続アーチ! 信じられなーい! 本当にすごいの一言でございます♪ 今日は勝って欲しかった。九州の球団ホークスに

他球団も延長戦や1点差など、好ゲームが続いたようだ。これぞ野球の底力!相手チームが東北楽天イーグルスというのも運命的。あとで(NHKスポーツニュース)嶋捕手とウッチーたちが共に試合前、募金活動をしているシーンをみて、5年前を思いだした。あの時、私は熊本県の八代在住のシンガーソングライターさん御一行と共に→天草へと向かい、東日本大震災チャリティーコンサートを手伝った。コンサート会場となる市民会館に椅子等を設置して、天草の皆さんと一緒に歌に耳を傾けつつ、写真を撮った。熊本から東北の被災地へ…私達の想いだけでも届きますように・・・と。 

まさか5年後、あの熊本が被災することになるなんて。しかも大地震で・・・あの時、だれが想像しただろう。あの日、コンサート後に食事を準備してくれていた地元の人々は今頃、どうしているのだろう。 熊本の人々は今頃、不安な夜を過ごしているんだろうな・・・ 

Heart to Heart  離れていても心は繋がっている、想いは届いている、そう信じたい。I'm praying for you!

 

 

 

 

 

 

 

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台湾旅日記(5)台南 延平郡王(鄭成功)

2016-04-14 14:56:09 | 台湾

 民芸品店へ案内され、ここでお土産の一部を購入したあと、台湾産のフレッシュマンゴジュースを購入🎵

すっごく甘くて 幸せ~な気分に 懐かしい味

 

 高雄からバスで台南へ移動し、延平郡王を祭っている場所を訪問。

延平郡王(鄭成功)は、1624年、日本 肥前平戸藩の千里浜生まれ。

母親は日本人 田川松

7歳の時、日本から台湾へ帰国。

1645年 隆武帝に謁見した際、「鄭成功」と改名。

営中軍都督に任命され、当時「国姓爺」と呼ばれた。

1646年 隆武帝から招討大将軍に任命される。

8月、福州が攻略され、唐王は捕虜になり絶食して殉国。

父・鄭芝龍は清に降伏して北京に護送され、母は自害した。

1658年 桂王が再び鄭成功を延平王に任命。

大軍を率いてアモイから出港し、北伐を開始。1661年 台湾へ進出。

翌年 オランダ人が投降して台湾を去り、38年間のオランダ占領から解放される。

鄭成功は台南に承天府を設け、当時の行政中心とした。

天興県、万年県を置き、県知事を任命して県を管理させた。

安平にて志を全うすることなく病死。享年39歳。

オランダ軍から台湾を奪還し、開拓して領土を拡大した彼を偲ぶ人々によって「開山王」と呼ばれた。

1895年、日本人が台湾を占領すると、鄭成功の忠君愛国の精神を宣揚し、日本人の血をひく鄭成功を掲げつつ、「開山神社」として改築された。

1963年に再建され、4月29日を記念祭日と定めた。

 

2008年 開山王の「同心敬」開台聖王神像が台南政府により延平郡王大殿に安置される。

2010年 「誠心敬」 「和心敬」 の2体の開台王像を安置。3体すべてが祀られ、鄭成功を祀る祖が台湾によみがえった。

 以上 台湾市政府文化局 広告(手持ちのパンフレット)から抜粋

開山神社と呼ばれた頃の写真も飾られていた 

 

絵馬に日本の神社の面影も・・・。延平小店と呼ばれるお店があり、「店内で冷たいドリンクを飲みながら開山王政府の風景を一望できます」とある。

 ここには笑顔で迎えてくれた台湾人女性が二人。「日本人?」とにこやかに話しかけられた。まるで日本の神社においてあるようなお守りを見つけ、驚いて眺めていると、「こちらは家内安全、こちらは勉学に…」と一つひとつ説明していただいた。父と二人、「まるで日本のお守りみたいだねえ」と話しながら、いくつか手にとると、「では、1つサービスするよ」とのこと。父が旅仲間に3つ購入。私は2つ購入(甥っ子と受験生がいる生徒さん宅へ) 

 今、我が家にあるお守りは、親切な台湾の方にサービスしていただいたもの。 日本に生まれ、台湾独立のために身をささげた鄭成功氏の面影を感じつつ、この場を後にした。

 

 

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台湾旅日記(4) 高雄 寿山公園

2016-04-12 19:58:29 | 台湾

 台湾滞在2日目の朝は、モーニングコールより遥かに早く目覚め、(4時半!) 海外では当たり前の朝シャワーで気分もすっきり! この日は7時半出発なので、それより15分前にホテルロビーに集合!朝食バイキングは6時オープン。…ってことは、5時50分頃には荷物もまとめて、朝食から戻ったら、直ちに歯磨き等済ませ、ロビーへ行けるようにしておきたいもんね。朝シャワーなしの父は、私がドライヤーで髪を乾かしている間、テレビを見ていた。国際放送で見るNHKが珍しいらしい。5時を回ったところで、父が洗面所へ入り、何やら準備していた。

 さてっと。5時半には着替えも済ませ、準備はバッチリ。朝食へ向かうとしますか!

取りあえず、ゆで野菜(…と思ったら、実際は炒めた野菜でしたが、美味しかった♬)カボチャ、ブロッコリー、青梗菜、キャベツ、じゃが芋にコーン。美味しかったのは おかゆ。欲張りだけどパンもお一つ。この後、フルーツも食べてお腹いっぱい。父も満足そうにもぐもぐ。海外へ行くと、食べ物も大事なポイント。父の口にもあったようで、ほっ。かつては「朝はご飯と味噌汁は絶対」だった父だが、細川政権のコメ不足以来、朝食はパン。今になって海外で役に立つとは

 予定通り、7時半に出発し、「ホテルグレードアップ組」をピックアップし、(我らは割り増し料金無しのスタンダードホテル組。でも満足の内容) バスが満車になったところで、この日、最初の目的地である 寿山公園へ。

 霧が深い中、目的地に到着。その名も 「キリンバス」 ガイドさん曰く、「日本の方のためのバスですよー 日本語ですから~」 これには 「え~? キリンって英語じゃないんですか~?」と皆さん。 キリンは英語でgiraffe ですもんね。私もオーストラリアの動物園へ行くまで(Taronga Zoo) 知らなかった気もする・・・ 日本人には馴染みやすい(キリンビールもあるし…)名前を付けて頂いちゃって、ここでも感激☆彡

高雄は港町でもある。霧で視界が悪く、あまりよく見えなかったのが残念なような、これもまた雰囲気があっていいような…

寿山公園到着後、ガイドさんが最初に説明してくれたのは、こちら。

 分かるでしょうか…「滋賀県」と彫られています。戦前、日本が建てた物を残してあるのです。

 

さらにガイドさんは、「一番上をご覧下さい。石の色が違うでしょう。本土から渡ってきた中国人が、あとから作って日本の石碑の上に乗せたのです。中国人は何でも日本の物の上に中国の物を乗せるのが好きですね。 中国は日本より上、ということです」とのこと。 

説明されなければ、気付きもしないことだった いかなる理由であれ、日本に関わるすべてのものが壊されてしまうよりは、(ここには かつて神社があったそうですが…) これだけでも残って良かった…

 

いかにも中国的な門構え。 台湾は日中、気温が上がり暑いため、早朝から散歩やジョギングをする人が多いそうで、ジョギングコースの一部を巡ることに。 その中で面白いーっ、と思ったのが こちら↓↓

 

観光客のうち、殆どの男性が素足になり、修行のごとく石の上をウオーキング! 足の裏のツボが刺激され、健康には良さそう。

 

途中、野生のリスにも遭遇。 父たちは、階段でゴール! お疲れ様でした~

立派な建物だなぁ・・・と思いながら歩いていると、

木造建築が このようになってしまいました…」ガイドさんは私と同世代か、少し年上と思われますが、言葉の端々に何が言いたいか伝わってきた・・・。もし、地元台湾のガイドさんではなく、中国の方だったら、どのように観光案内したのだろう、と今になって思ってしまう。ガイドさんによると台湾にとって戦後こそ苦難の時代だったようだから… 「日本が台湾を放棄し、台湾は独立の機会を失った」という話も…

 

廊下に展示されていた写真には孫文の姿が・・・

 

 広場には御猿さんもいました♪ 

 

 

最後に、高台から高雄の街を眺めていた私達にガイドさんが教えてくれた 日本統治時代の名残である、神社の鳥居。

「子供の頃は、もっと多くの鳥居が残されていたんですが… ほら、あそこに見えますか?日本の鳥居です」

 

「戦争は最初ではなく最後の手段であるべきだ」

と語った原爆資料館訪問直後の米国ケリー国務長官。

最後の…? いかなる理由であれ、あってはならない選択肢だと思う。

それが我々が歴史から学ぶべきこと。

台湾旅日記、つづく…

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台湾旅日記(3) 高雄 六合夜市

2016-04-12 00:42:52 | 台湾

ツアーに組み込まれた海鮮シーフード♪の夕食後、 高雄の夜市散策へ出発

地図の中央に 「六合夜市」 スタート地点から奥まで歩いて約20分

 

夜市のスターと地点まできたら、その後は40分の自由行動。 すでにお腹は満たされていたため、何も買わず、ぶらぶら~っと見て回るのみ。

しかし、これが結構楽しかったりする。8年前、台北で出店がずらっと並んだところ歩き回り、行き着いたのはデザート&フルーツ屋さん。写真を見て注文したら、3~4人分は軽くありそうな量で、仰天したものだ。マンゴはとろけるように甘く、南国フルーツたっぷり!小豆のような豆も数種類入っていてアイスクリームも勿論おいしかったっけ。今度は絶対家族を連れて来なきゃ~と思ったっけ。

さて今回、家族である父も一緒だが、満腹状態で、あとは寝るだけ・・・だからなぁ。結局、早朝、ホテルを出ることもあり、食べ物は諦めたのだった。

 ここで折り返し。来た道を戻ることに。

それにしても、今、見たら、「台湾の味」 ~の…って、日本語だわっ。「観光夜市」 

 

戻る途中、父の目に留まったのは、この看板。「蛇肉」 ぎょえ~っ!?

「記念に写真を撮ってくれ~」というのでパチリ。しかし、お客さんは極端に少ない・・・蛇じゃ・・・ねえ。

他は賑わっているのに、ここだけガラガラ。お値段も それなりにするのだろーか?確かめなかったが…。

 

ところで、以下の写真は参加者全員で行った 海鮮レストランの外の写真。

 

丸いテーブルをくるくる回しながら、行きあたりバッタリで作ったグループで食事したが、お互い知らない者同士。ちょっと緊張しましたわーっ!

夜市のあとは、バスに乗り込み、ホテルへ~ おやすみなさ~い

つづく

 

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台湾旅日記(2)高雄 蓮池澤

2016-04-10 13:05:09 | 台湾

 福岡から高雄までのフライト時間は2時間弱。事前に受け取ったスケジュール表には、13:40福岡発、15:45高雄着とある。(第一回の台湾日記を書いた際、記憶が曖昧になっているなと感じたので、チェック!)実際には予定時刻より早く到着し、現地で観光地が変更された。「時間に余裕があるので、先に蓮池澤へ行きましょう~」というふうに。

ガジュマル

 

高雄国際空港で入国審査の際、「お泊りのホテルは?」と、ここでも父が英語で尋ねられているのが聞こえた。入国カードに そういえばホテル名、記載しなかったんだ!慌てて英語名、「EVERGREEN HOTELだよ~」と背後から父に声をかける。ところが私の声は父にではなく、入国審査員に聞こえたようで、"OK, I will write it down" と、親切にも記載してくれていた。 ここまで関わった台湾の方、すべて英語で日本語なし。事務的に業務をこなしている感じで、8年前の台北での入国審査と随分雰囲気が違うなぁ・・・当時は個人旅行でやってくる日本人女子が珍しかったのか、それとも今回は団体様だからかな。

父の分の荷物も積めたのは私だから、ピックアップするのも私。父ではどれがうちのスーツケースか、そもそも見分けがつかないようだし…。渡航1か月前に後期高齢者になったばかりの父。荷物持ち、その他は私がかって出ましょう~

ピンクのハートマークの阪急トラピックス荷物が次々とピックアップされ、ぞろぞろとガイドさんが待つ到着ロビーへ

 

現地ガイドは この道20年以上のベテランガイド、チョウさん。生まれも育ちも台湾で、「台湾語と中国語、北京の標準語と日本語を話します!」

それぞれ名前をチェックし、全員がそろったところで まずはトイレへ行きたい方、バスに乗り込む前に、どうぞ~。そしていよいよ空港の外へ。 真冬の日本から真夏の台湾を実感する。上着を脱ぎすて、夏バージョンでバスに乗り込む。参加者30名で、満員御礼 あと一人、参加者が多ければ、バス二台になったらしい。ギリギリ経済的な旅となったわけですねっ!

台湾には冬がないので、バスには冷房しかありません。よって大人数でバスに乗ると、窓ガラスが曇るので、冷房を入れることになります。そうすると日本から来たお客様は、寒い!といわれる方が結構いらっしゃいます。何でも今の日本はエコで設定温度を高めにし、夏でも冷房をきかせないのだとか…? 寒い方は上着を着て下さい~」

まぁ、この日は皆、つい先ほどまで冬の日本にいたわけで、気温差のギャップは確かに…でも寒いとは感じなかったのは、やはり冬の日本にいたからかな。8年前の2月に来た時は、空港⇔市内間のシャトルバス以外、冷房が利いた場所におらず、とにかく自分の足で歩き回ったので、暑かった~という印象しかなく・・・8年前は足として地下鉄に乗ったが、あの時の感想は、「あ~涼しくて気持ちいい~」だったな、確か 地下鉄の綺麗な座席に腰を下ろしてほっとし、リュックサックからペットボトルの水を取りだして、一口飲んだ時、あるいは飲もうとしたときだったか…車内の電光掲示板に、「飲食禁止。飲み物もダメ違反すればペナルティー」 えっ?罰金取るの 慌てた記憶ありルールを説明してくれるガイドさんなしの一人旅って、こんな感じだよね。

・・・まっ、そういうわけで、今回は いたせりつくせりの旅の予感。実際、移動は貸し切りバスなわけで、観光地を無駄なく回るという点で、とても効率的なのだった。 現地の人との交流は極端に減る!という点では物足りなさも感じたが… ただ、移動中、バスの中で飲み物を飲むのはOKとのこと。ガイドさん曰く、「日本人は飲食しても散らかさない。これが〇〇人だと散らかして…」 う…ん、何となく想像できる。

24時間オープンの図書館を車窓から眺めながら、「もし、高雄にきて宿がなかったら、図書館に泊まるといいですよ!」というガイドさんの提案?に皆、爆笑 そうこうする内、バスは最初の観光地、蓮池澤に到着。

我々を出迎えてくれたのは、ガジュマルやマンゴの木。

 

思わず覗いてみたくなる! トトロやまっ黒くろすけに出会えそう~

途中までガイドさんが案内してくれ、皆で南国の景色を楽しみながら歩いていくと…

  

虎の口から内部へ入れるそう! 「このあと、自由行動ですので、是非、中へ入って下さい」

よし!あとで行ってみよう!今は混雑するだろうから(≧◇≦)

 

自由行動として与えられた時間は30分。来た道を戻ることを頭に入れると、お店を一つひとつ見ている時間はなさそう。でも、ちょっとだけ…地元の人らしき人が出はいりする店をパチリ。道路を横切ると、寺院があり、その前で出店を開いている方も!手前の緑色でゴツゴツしたフルーツって、どんな味がするのかなぁ。見た目は美味しそうじゃないけど、気になる! マンゴもあった!台湾マンゴ、甘くておいしいのよねえ。8年前は一人だったのでお腹いっぱいで、食べきれなかったっけ・・・。

  

道路を渡り切ったところで、再びガイドさんと一緒になり、半数以上の人が寺院についてガイドさんの説明を聞きながらの観光。

階段も大理石でできているのだとか!思わずカメラに収め、慎重に歩を進める私。なにせ大理石!

  

驚くことなかれ! 日本では多くの観光施設は 「内部の写真撮影禁止」ですが、ガイドさん曰く、「写真撮影は自由です!皆さん、どうぞ~」

「え~? そうなの!? では遠慮なく・・・」

フラッシュは たかず。よって多少、暗めの写真。一緒にツアーに参加した皆さん、熱心なカメラ小僧ぶりを発揮! 天井も壁も柱も日本とは違う!派手というか目を見張るものがある!

   

中央に帝大生保 という4文字 

今、写真を改めて見て気付いたくらいだから、今更ガイドさんに聞くこともできず…

 

こちらは台湾式おみくじ。初めて見た!

日本のおみくじはお金が要りますが、台湾は無料です。気に入った結果になるまで台湾の人は何度でも繰り返します」ですって! 面白いですね。

  こちらも 台湾式おみくじ

 

再び池の方へ向かいます。虎のほかに竜も発見!虎と竜(タイガースとドラゴンズが並んでる!)

私達は折角なので、虎の口から中へ~

塔の4階からの眺め 

時間が押してきたので、急いで元来た道を戻ることに。

 

鯘恋人たちの撮影場所にいいですね! …と思ったら、ちょっと歩くと 地元っ子が ちょっとおふざけ写真を撮っている場面を目撃!ずらっと並んでムカデ競争みたい~(笑)

  

途中、まるで死んだように眠っているワンちゃんがいて、気になってしばらく見ていると、同じツアーのおじさま二人が私に声をかけ、

「大丈夫なのかね、この犬・・・」 

すると我々の気持ちが通じたかのように目を開きました。

「あ!生きてる!良かった、よかった!」

 

つづく

 

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人生2度目の台湾旅行(^^♪ (2015年12月)

2016-04-06 21:55:20 | 台湾

 本の発売日に合わせて異国へ旅立ったということは・・・2008年2月下旬の出来事でした。私が生まれて初めて台湾へ向けて雪の中、福岡空港から台湾へ旅立ったのは… あの時は特に計画もたてぬ完全一人旅。台湾経由シドニー行きのチャイナエアライン格安航空券をゲットし、意気揚々と機上の人となったのでした。 

 行く先々で親切で良い意味でおせっかいで、心温かな台湾の人々と出会いました。まるで昭和にタイムスリップしたかのような感覚が居心地よく感じられ、「絶対、また ぜーったい!台湾へ戻ってくるぞお~」と心に誓ったものです。 私を魅了したのは台湾の人懐っこい人々。親切心。自然な笑顔。どれも今の自分に欠けているものです。だからこそ、行くのです。今こそ、台湾へ~

 ただし、今回は一人旅ではありません。連れがいます。同伴者は父。しかも格安航空券の自由旅ではなく、団体旅行です! ここが大きく前回とは異なります。実際、びっくりぽんだらけの旅でしたが… 

 前回は台北へ~。空港内にあるバス案内所の受付で、親切な女性スタッフに日本語と英語のちゃんぽんで総統府への行き方を教わりました。しかも地図に分かりやすく印までつけて頂いちゃって(^^♪ 安心して大型バスに乗り込んだのでした。この時点で十分感動していたところ、運転手に行き先を告げると、「降りる場所で知らせるよ~」とのこと。流れたビデオはなぜか日本のもの。(具体的に何を見たか、忘れたけど…) 「ここだよ~!」と叫んだかと思ったら、運転席から降りて、わざわざ私一人のために、英語で説明してくださったのでした。 「タクシーで〇〇台湾ドルくらいだから」とおおよその値段まで告げて…感動の台湾市内入り。タクシーに乗ったと思ったら、私が見せた地図を見て、「総統府へ行きたいのか!」と何やら嬉しそう。「ほら、あれが・・・!」といろいろ車窓を説明してくれて、これまた親切で優しい運転手さんでした。「あっちだよー」とタクシーを降りた後も見守っていてくれて。 そんな台湾にまた会える!しかも8年ぶりだ~!そう思っただけで、翌月に控えた社会福祉士国家試験のことも忘れてしまいそうでした。(この時点で昨年12月)

 オーストラリアから日本へ帰国後、日本の近代史、特に台湾に関する著書を読みあさり、どうしても行ってみたい場所がありました。日本人技師である八田さんが戦前に建設した八田ダムです。このダムは今も健在です。そこには八田氏の銅像があり台湾の人々は今も献花しているとの噂。どうやって行くのか分からないけれど、いつか・・・そう思っていた私の目に留まったのは、新聞に掲載された阪急トラピックスの宣伝。 「高雄⇔福岡直行便就航記念企画!3泊4日 39999円」高雄イン、台北アウト、という日程で、高雄から台南、台中、台北へと北上し、台北から福岡へ戻るというもの。なんて効率的! そして何よりも普通はツアーに組み込まれることがない 八田ダムが訪問先に入っていたことでした! これにはある種の運命すら感じました。 一人ではなかなか行けない(行き方が分からない)場所。ダムですもん! ここへ行くんだ! 一人で申し込むと 一人部屋追加料金が加算されます。それならば甥っ子を・・・(保護者に断られました) では両親を・・・(母はパスポートがない!とお断り) 結局、父は 「行きたい」といい、一緒に行くことに。費用は私が一括で二人分をお支払。(後日、母が父の分だけ、私にくれました) 申し込みを済ませ、入金が終われば、あとは荷物を詰めるだけ。仕事と試験勉強をしながら、真冬に南国である台湾に行くため、夏服を引っ張り出し準備!二年前のフィリピンスタディーツアーへ行った時のよう~。多少の不安とワクワク感! 今回は一度、行ったことがあり、知っている国、台湾。食事も美味しい、気候も治安もいい。なので楽しみの方が断然勝ってる!

 福岡空港へは13時集合。(だったと思う)わりと朝はゆっくりです。タクシーで高速バス停まで行き、国際空港へ~ 荷物に 「阪急トラピックス」のシールを貼っていると、「あ!仲間ですね!」とご夫婦で参加の方から声をかけられました。皆さん、良い方ばかりで楽しい旅の始まり~ チェックインカウンターには台湾の方も当然、多数、並んでいらっしゃいます。ワイドショーでみた通り、荷物がいっぱいです。しかも段ボール箱に! それを見た父、「爆買いや~」 他の人も 「ほんと!爆買いやねえ。あれが噂の・・・!」

 飛行機に乗り込むと、後ろの座席も隣の座席も台湾の方。言葉でわかります。中国語台湾語の聴きわけはもちろん出来ないものの、日本語かそうでないかは分かります(笑) 振り返ると台湾人のおじさまと目があい、「にこにこ」されていました。私もつられて「ニコニコ。。。」

 フライトアテンダントが飲み物の注文を取りにきました。英語です。

「オレンジジュース、プリーズ!」と父。

しかし、通じませんでした。聞き返されています、しかも英語で。仕方がないので、父と私にそれぞれオレンジジュースを下さいと英語でいいました。今度はすんなり理解され、テーブルに。 ま、普通だと思うけど、父はぼそっと 「通じなかった。英語で言ったのに」 (いやあ 今のは英語というよりカタカナでしょう・・・ってことは、つまりは日本語)←すず、心の声

 

 

機内食は 「親子丼」か「パスタ」のチョイスで、父も私も当然のように 「親子丼」を選びました。

これがなかなか美味しかったです。父も満足とのこと。しばし和食は食べられないので、やはり親子丼。これ、よかったです!

・・・と今日のところはこの辺で。

 

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