次は何を・・・・? このようなな質問は、静が新人の時、何をしたらいいのか分からなくて、
「出すもの、ありますか?」
と、店長や副店長に まだ新人だった静が いちいち聞いていた頃 以来である。
「カップラーメンの補充をしようと思っていますが・・・何か?」
静は目線が定まらないまま、店長の方へ顔を向けて答えた。
「そうですか、いや、手があいたら・・・でいいです」
振り向きざまの うつろな目をした静に店長は一瞬、言葉を失いそうになったが、取りあえずは、自分の部下は今から何をするか、頭にあるらしい。 朝から心配そうに静を見守っていた店長も、ちょっとは安心したように、その場を離れた。
酒担当の川石も、
「西村君から話は聞いたけど・・・」
と、静に声をかけてきてくれた。
「副店長に明日、報告しなきゃいけないけど、言い方があるからねえ。本人から話を聞いておかないと・・・」
明日、静は早番、副店長は遅番で、会わないのだ。
「副店長に謝っておいて下さい」
と、静が言うと、
「気にせんでええ!」
と、三回繰り返す川石だった。
周囲の心配をよそに、マイペースで補充を終えた静は、店長の元へ行った。
「ああ」
店長は、そういうと、周囲を見回した。
「じゃ、これ、片付けて。台車二台を一台に、まとめられるよね?」
「はい」
片付け・・・?
補充した後、いつも静が自分でやっている事である。 片付けをしなさい、と助言するために、わざわざ店長は静に声をかけたのだろうか。何か違う気がする、と感じつつも、静は重たい身体を引きずるように片付け始めた。
その片付けが終わると、静は再び店長の元へ・・・。
本当は、片付け以外に やって欲しいことがあるのでは? と、思ったからだ。 ぼーっと突っ立ったままの静を前にして、店長は呟いた。
「そう・・・ですねえ」
店長は、ちょっと考え、
「そうだ、あれを・・・」
今度は静を売り場へ引率した。
そこには餅が並んでいる。
「丸と四角の餅があるので、それぞれ一箱ずつ箱を開けて、中身を出して下さい」
落ち着いた今なら、静にも店長の意図が分かるのだが、 その時は・・・。 自分がハイジ化しているとは、知る由もなかった静だった!
平常心で仕事が出来たかどうかは別として、それでもどうにか仕事を終了し、静はいつものように夕食の支度に取り掛かった。
テーブルでは雄太が本読みの練習をしている。
「おかあさん、どうしたの? 僕の本読み、ちゃんと聞いてくれている?」
ふいに、元気よく本を読んでいた雄太の声が止み、不安な声に変わった。
「うん。聞いているよ、続きは?」
「嘘だい! お母さん、へんだよ。いつもなら、僕が間違って読んだら本を見ているわけでもないのに、あれ? そこは違うわよって言うじゃないかぁ! 僕、わざと違って読んでみたのに、何も言わないんだもん。ずっとへんだよ。僕、今日はもう3回も、国語の教科書、読んでるのにさぁ。 良く出来ましたって言ってくれないから、もう一回、読んでみたんだよ」
そう・・・なのだ。雄太はいつも不思議がるが、小学校一年生の教科書は数回聞いていれば、暗唱してしまう。それは雄太も同じだが、ほぼ初めから、炊事しながら教科書を見てもいないのに、
「雄太、そこ、間違ったわよ」
と指摘できる母親のことが不思議でならないらしい。そんな雄太が今日の静は様子がおかしいと、勘付いたのだ。
ゴメンね、雄太。そして、ありがとう、こんな母親をちゃんと見ていてくれて。
「雄太の言うとおりだね。おかあさん、ちょっと ぼ~っとしちゃってゴメン。今度はちゃんと聞いているから、もう一度、読んでみる? それとも明日にする?」
何度も本読みをするのは嫌かなぁと思った静は、雄太の目を覗き込んで聞いてみる。
「僕、もう一回、読むよ! 読む読む! 明日の本読みテスト、絶対、満点を貰うんだ!」
雄太は目を輝かせて読み出した。お風呂から上がってきた静夫も褒めている。
「雄太、凄いじゃないか。一度もひっかからずに すらすら読めたな。もう、お母さんより上手じゃないか」
「ほんと?」
「あぁ!」
「じゃ、今度は算数の計算もやってみるね!」
上機嫌で自分の部屋へ戻っていく雄太の姿に静夫と静は顔を見合わせて笑った。
「それにしても・・・」
雄太の姿が見えなくなると、静夫は静を見た。
「お前の上司は凄いな」
静は職場の出来事を時々静夫に話す。職場結婚というのは、こういうときお互いを理解しやすくて いいものだ。静は気が付くと、売場で店長と目が合い、「次は何をしようとしているのですか?」と声を掛けてくれた今日一日の出来事を落ち着いて思い返しながら、つい、夫に喋ったのだ。 いつもなら、自分の馬鹿さ加減を笑う静も、今回は笑えなかった。疲れている夫に相談を持ちかけようか迷っていたとき、何と静夫の方から何かあったのか? と聞いていたのだ。今夜は静夫の帰宅を真っ先に玄関で迎えた雄太が母親のことを心配していたという。
「俺の職場にも、部下の様子がおかしいと感じたら、そっと店長室へ呼んで事情を聞いたりする上司もいるよ。静も今回は雄太の風邪が心配だったんだろ? そうかと思えば、大勢の人が居る前でも構わず怒鳴り散らす人も居る。前者は部下の信頼を勝ち取るだろうし・・・お前の店長が、そのタイプだな。・・・・で、後者は・・・いわゆるキレ上司は部下の信頼を失うってことだ」
そうだ、そうなんだ、と静は思った。落ち着いた今なら、店長の心配そうな視線も、いつもならまず、聞くはずも無い『片付けをして下さい』とか・・・。ショックで自分が何をしているか分かっていないのでは? と部下を心配する上司の気配りと見守りに、静は確かに店長に対する強い信頼感をこれまで以上に感じていた。
普段は何も言わない静夫に物足りなさを感じることもある静だが、ここぞ!というとき、心に響くことを言う! そんな静夫に静は感謝した。
「今日は店長は勿論、雄太にまで心配かけちゃった。子供を見守るのが親の責任だって思ってきたけれど、子供も親を見守っていてくれているんだね」
静はソファに腰掛けている静夫の隣に座り、そっと寄り添う。結婚生活も8年目になれば、多少照れる静だが。
「静の店長はきっと、部下の性格もよく把握しているんだろうな。常に売場の状況は勿論、部下一人ひとりをきちんと見守っている上司だけが出来ることだよ。お前に怒鳴った所で萎縮して、益々失敗を繰り返すタイプだって、よく分かっているんじゃないのか? 俺もなりたいよ。そういう上司に。部下を見守りつつ、理解しつつ、必要な時に声を掛けられる上司に・・・・さ」
静は思い出していた。
そういえば、店長は言っていたっけ。
「見ているということを示す為に、言わなきゃいけないときもある」って・・・・。
あの言葉は、とても有難いことに、静一人に店長が話してくれたことだ。いつか、夫の静夫も追いつくだろうか。静の店長に。嫉妬して人の足を引っ張ろうとしたり、逆キレするかわりに、自分の上司の良さをきちんと指摘し、『俺も、そうなりたい』と素直に言っている静夫なら、きっと理想の上司になって、部下にも慕われるに違いない。静はやっと幸福な気分で眠りに付いた。
今日も、ありがとう・・・・店長、職場のスタッフ、そして近すぎて気付かないこともあるけれど、そっと見守ってくれている夫の静夫、そして雄太。
静は夢をみた。それがどんな夢だったのか、覚えてはいないが、幸福感に包まれたかの感触だけが目覚めた手に残っていた。きっと雄太が寝ている間、手を握っていたからだろう。幸せとは、『そっと見守り、周囲に生かされていることに気付くこと』から始まるのだ・・・・・。
終わり
以下は、このお話の元となった実話の一部です。昔から読んで下さっている方は、きっと記憶にあるのでは・・・?
真面目一筋で感心な つばめ君は、私より先に台車を引っ張って、 戦場・・・じゃなかった売り場へ突進していった。
ぼけら~としてばかりも いられない。
私も続いて、雑貨の台車を引っ張った。
売り場へ到着。
つばめ君が洗剤類を荷出ししている。
私はトイレットペーパー類を荷出しする。
それにしても、重いわ、これ。
何度もバックと売り場を往復し、テイッシュー類ばかり,大きな箱の補充をした。
いつもは、向こうから私に声をかけてくることなど、めったにない つばめ君が、何か言いたげなのに気付いた。
「あの~。もし、補充しにくかったら、遠慮せずに、僕の台車、勝手に のけていいですよ」
つばめ君の言葉に はっとして、目の前を見た。
私が補充しようとしている商品の真横に、つばめ君使用中の台車がで~ん。
うん、確かに仕事は しにくい。
「大丈夫です、もうすぐ、終わりますから」
私が そういうと、つばめ君は、(ほんとかね・・・?) という ちょっと心配したような表情を見せた。
プラットホームは、ほぼ、からになり、雑貨の荷出しは終了。
私はバックへ戻るとダンボール箱をつぶしていた。
なんだか今日は、夢遊病者のように、ふらふ~らとしている。
フランクフルトの屋敷内を夜中に歩き回るハイジのような気分である。
そんな時、めずらしく、店長が声をかけてきた。
「鈴木さん、次は何をしようと思っているのですか?」
次は何を・・・・? こんな質問は、新人の時、何をしたらいいのか分からなくて、
「出すもの、ありますか?」
と、店長や副店長に いちいち聞いていた頃 以来である。
「カップラーメンの補充をしようと思っていますが・・・何か?」
「そうですか、いや、手があいたら・・・でいいです」
うつろな目をした私に店長も、ちょっとビビッタかもしれない。
酒担当の川石さんも、
「西村君から話は聞いたけど・・・」
と、声をかけてきてくれた。
「副店長に明日、報告しなきゃいけないけど、言い方があるからねえ。本人から話を聞いておかないと・・・」
日曜日、私は早番、副店長は遅番で、会わないのだ。
「副店長に謝っておいて下さい」
と、言うと、
「気にせんでええ!」
と、三回繰り返す川石さんだった。
補充を終えた私は、店長の元へ行った。
「ああ」
店長は、そういうと、周囲を見回した。
「じゃ、これ、片付けて。台車二台を一台に、まとめられるよね?」
「はい」
片付け・・・?
補充した後、いつも私が自分でやっている事である。
片付けが終わると、再び店長の元へ・・・。
ほんとは、片付け以外に やって欲しいことがあるのでは? と、思ったからだ。
「そう・・・ですねえ」
店長は、ちょっと考え、
「そうだ、あれを・・・」
今度は私を売り場へ引率した。
そこには餅が並んでいる。
「丸と四角の餅があるので、それぞれ一箱ずつ箱を開けて、中身を出して下さい」
落ちついた今なら、店長の意図が分かるのだが、 その時は・・・。
自分がハイジ化しているとは、知る由もなかったのである!