
世界各国で暮らすユダヤ人は、イスラエル建国以前までは、”ユダヤ人”という人種がありながらも”国家を持たない、自国を持たない、いわゆる根無し草の民”だった訳で…
日本に生まれ、日本と言う祖国(母国)があり、日本語を話すのが当たり前な自分には、想像も理解も遠く及ばないことなのかもしれない。
第二次世界大戦中のドイツ、ポーランド等で迫害を受けたユダヤ人、ホロコーストの印象が強い一方で、4~5年前に読んだ著書から、ロシア帝国時代から迫害を受けた周辺諸国の人々、例えば、ウクライナ人、ベラルーシ人、リトアニア人、サラビア人、更にはタタール人等の中央アジア人に至っては、人ですらない野蛮人とみなされ… ドイツのヒトラーは、ウクライナ人にとっては、救世主とすら映った、という、(あくまで、ヨーゼフさんにとっては…)建築家として戦後に活躍したウクライナ人の自伝を読み、ブログ記事として7年前に 紹介したことがある。恐怖のスターリン時代…
しかし、19世紀末、トルストイやドストエフスキーが活躍した時代でもありますが… 注目すべきは、ロシア全土の人口比を見ると、ロシア語を話すロシア人は全人口の半分にも満たなかったのですね。ロシア帝国は多民族国家。そしてフランスや大英帝国に後れを取っていた当時のロシアは、どう見ても後進国。 必ずしも、ロシア人が優位にいたという訳ではなかったよう… 革命後のロシアで設立された議会では、ユダヤ人も政党を持っていた、そんな歴史もあったのか… とはいえ、必ずしもうまくは行かず、ロシア国内において、政治に絡む、ユダヤ人としての地位を確立する等、ユダヤ人同士でも、また、シオニズムの中ですら、議論は割れていたようです。(当然ですね)ここを書き出すと終わらない長さなので、興味がある方は著書を当たって下さい。
今回、初めて知ったのは、イスラエル建国以前に、世界中に散らばって暮らすユダヤ人居住地は、ダントツでドイツが一位だろうと思っていたら・・・
意外なことに、ドイツはわずか 0.96%。(戦前)1パーセントにも満たない数字だったの!?ってこと。
では、一体、ユダヤ人は何処に居たかというと、帝国ロシアが半数以上!シオニズムと呼ばれるユダヤ人たちが目指したものも、いくつかの派に分れており…
①純粋に、農民として、パレスチナへ入植し、自分の母国を持って暮らしたい、というユダヤ人。
②アフリカでもよい。安住の地が欲しい、というユダヤ人。
③あくまでも、ロシア国内で生きることを選んだユダヤ人たち。
当時のロシアでは、キリスト教に改教すれば、ロシア人として取り扱う。←暮らしの中で何かと便利になる、以前、不可能だったことが可能となり、改教の垣根も低く、キリスト教徒になるユダヤ人が急増! 自分はユダヤ人だ!とあまり意識しないままロシア人が通う教育課程を受ける層もいた。天草の隠れキリシタンと違い、積極的にロシア人になろうとしたユダヤ人も結構多かった点も注目!
著書の中では、医者を目指し、宗教も洗礼もうけず、しかし、ユダヤ人としてユダヤ人アイデンティティを持った家庭で育ち、パレスチナ移住を夢見る女性と出逢ったことで、アイデンティティの葛藤が始まり、社会学を学び始めた男性の自伝を要約したものも記載されていて、興味深かった。
「このままでは、ユダヤ人といっても、中身はロシア人、話す言葉はロシア語、宗教に拘らない、ヘブライ語は全く話せない、そんなユダヤ人が増える…」
豪州で行われた白豪主義や同化政策のように、混血児を産ませ、アボリジニ人そのものを根絶しよう、というオーストラリア政府の取り組みとは、かなり違っていた。どちらかといえば、ユダヤ人自らの選択によるもの。
では、どうしてそうだったのかといえば、ユダヤ人の長い歴史の中で、「ユダヤ人だけは別」「ユダヤ人だけは、他の人種と違う」と虐げられ、忌み嫌われてきた…
それはキリスト教の中で、ユダヤ人は裏切り者と表記されていることだったり、一番大きいのは、「国土を持たないからだ!」だから、
「我々シオニストは、中心地の創設は、迫害されている者たちのために避難所を設けるという願いだけでなく、全世界による、ユダヤ人のナショナリティの承認への最短の道であり、ユダヤ文化の復活や文字通りに迫害されているユダヤ大衆の進歩のための最良の道と考えている」(147ページ1行目~4行目から抜粋)
今日の世界情勢をニュースや新聞(ネットでは殆ど時事情報はキャッチしないが💦)で見聞きするにつれ、1つの疑問がふつふつと湧いてくる。
ロシアによるウクライナ侵攻。イスラエルによるガザ地区の爆撃。一体、いつ終わるのか?
迫害を受け苦しんだユダヤ人が、何故、元々そこの土地で暮らしていたパレスチナ人が、この世から消え去ればよいとでも思っているのか⁉というような仕打ちをするのか。
食料搬入を許さず、やっと許可が下りたと思えば、食料調達のために集まってきたガザの人々めがけて爆撃する... あまりにも非人道的行為!
🗾今の日本で例えるなら、古々米を買うために並んでいたら、空から爆撃された、というようなことをするのか? 食料を求めて集まった人々が、攻撃の的とされる理不尽な状況が許される筈もなく...
イスラエル、パレスチナ問題は、19世紀まで遡るのか… 現状をより理解するため、少しでも何かヒントになることはないか?そう思い、この著書を手にしました。
まさか、こんなに分厚くて、文字も小さな論文だと知らず。 図書館員さんから一冊受け取ると、ズシリ!と重かった! ユダヤ、パレスチナ、ロシアの歴史の重さだと感じる!
この本を手に取るまでは、全く別の場所で、全く違う国によって 違う国の民が苦しめられている、そんな風に映っていたのですが…
紛争その①ロシア→ウクライナ
紛争その②イスラエル→ガザ地区
↑ 以前の、自分の頭の中…の図
この著書と出逢い、(図書検索で見つけはしましたが)物事は縦軸、横軸、複雑に混じりあっていて、想像以上に複雑だ、と思い知った。ロシア帝国時代から、ウクライナとユダヤ人は隣人で(ロシア帝国にあって、ロシア人に虐げられたウクライナ人、同時にウクライナ人に虐げられたユダヤ人の姿も。そうかと思えば、ロシア人が打ち出した政策の仲立ちをするお役目がユダヤ人に回ってくることが多く、(例えば農場主や農家、酒税を徴収する仕事をユダヤ人が請け負うことが多かった。そのため憎まれた。)「ロシア人に味方するような形となれば、その他の人種から忌み嫌われる。そうなってはならない、と論じたユダヤ人もいた)
これまでは:
①宗教的要素:ユダヤ教か、キリスト教か、イスラム教か?など
②民族的要素:ユダヤ人か、パレスチナ人、アラブ人か?
折り合いがつかず、争いが絶えない。どれも一神教だから、それぞれ自分が信じるものこそが正しいと信じていては、何処まで行っても平行線。
上記のように簡単に片づけてしまうのではなく、社会科学的にはどうなのか?切り込んだ論文…自分の頭でどの程度、消化出来ているのか… 同じ著者による本も予約中。
以前は宗教的要因、徐々に経済的要因が反ユダヤ主義の原因とされてきたが、それだけでは説明がつかない。
解決策として、ハレヴィー(1905年3月)に次のように述べている。
「我々は、我々の民族が他の民族の間に散らばっていることをやめるように努力しなければならない。数百万のユダヤ人が地上のあらゆる場所に散住して残ることはできようが、ユダヤ人の民族は自らの故郷を持たなければならない」
(147ページ9行~11行から抜粋)
また、居住地による東西の違いもあった。
先に述べた、ロシア人に積極的になろうとする例のように。たとえば、ドイツのオッペンハイマーは次のように述べている。
「西欧ユダヤ人は自らのユダヤ的出自のみを意識し、文化や愛国心という点では西欧人であるという意味で、「系統意識」でのみ、ユダヤ人である。それゆえ、こうしたユダヤ人が東欧の「野蛮さ」は中世のユダヤ文化よりも低俗であるため、強烈な反ユダヤ主義がはびこる東欧の国々でユダヤ人は愛国的になどなれるはずがないからである。必然的に東欧のユダヤ人は「民族意識」を持ってしまっている」 以下、略。(203ページ中央)
これに対して、イデルソンは、大まかには、次のように反論した。
「ロシア・ユダヤ人は、ユダヤ人として凝り固まっている訳ではなく、居住地との精神的つながりを持っていること、ロシアへの帰属意識を持つことと、ユダヤ人であることは両立する」と。
しかし、ロシアで最も進歩的文化人であっても、チェコ人やポーランド人の権利闘争を支持する一方で、ユダヤ人に対しては同化(オーストラリアでもありましたね、同化政策、 Assimilation
) を求める。その原因は、「国を持たない」からだと分析。
その後、オーストラリアでは、多文化共生 マルチカルチャリズムへと移行し、今日に至るのですが、ロシア・ユダヤ人の場合、あくまで、社会的にユダヤ人が認知され、社会で自律出来るようになることが最終目的だった、と締めくくっています。
こうして戦後、念願叶って…とはいえ、パレスチナ人が暮らす場所にイスラエルが建国され、今は、かつて、社会で自律することを願った民が、現地で元々暮らしていた人々を虐げ、追いやっているという目の前の事実… ベンヤミン・ネタニヤフは… そして多くのユダヤ人は、この現状をどう見ているのだろう?