日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

広島原爆資料館

2010-05-07 19:20:41 | 広島

広島旅行記、最終回です。

もう二週間以上が経過してしまいましたね。 今朝の新聞にも広島の話題が社会面に記載されていました。季節は初夏。 高校野球が甲子園で始まり、真夏日の、、、広島に原爆を落とされた、あの日、核廃絶に祈りをささげる日がやってきます。 平和公園にあるここでもインド系の外国人一家が写真を撮ったり、英語版の案内に耳を傾けていました。

そして、あの有名な献花台。

「あやまちは くりかえしません」

主語が誰なのか、ここには書かれていません。日本語だからこそできる曖昧さです。

この点については よく議論が展開されるところでです。

今、ここで個人的な意見は言いません。 

しかし、資料館を訪れ、原爆が落とされた経緯を歴史的資料を観ながら一回りした人なら誰でも、ある確信に辿り着くと思います。たとえ、左翼と呼ばれる偏った考え方の教科書で、「戦争を早く終わらせる為にアメリカによって原爆が落とされた。 こうして日本人は反省し、原爆投下によって戦争終結となった」と習っていたとしても…。

少なくとも、小学校の社会科の教科書には、当時、こういうニュアンスで書かれてあったし、私も、そうなのだと子供心に理解しました。担任教師も、こういう風に教えてくれたので、(先生本人も、そういっていました。ほんの数年前に) 当時の小学生にとっては、(私と同世代) 原爆が落ちで戦争が終わった、悪い国、日本も平和になった、アメリカありがとう、、、でした。 当時、我が家は最悪なことに、朝日新聞を取り続けていたし、中学生になった私が良く読んでいた記事は、例の「教科書問題」でした。 当時の文部省が 「日本が中国へ侵略した」という記述を「進出した」と書き直させただとか、何とか…。 中学生の私の記憶ですが、朝日では連日、この問題を取り上げていたので、すっかり自分の国も嫌いになりかけていた、そんな中学生でした。 教育の力、マスコミ、特に朝日新聞の影響力って、そのくらい思春期の私には大きかったのです。平成になって、「朝日のでっちあげ記事だった」と分かった訳ですが…。 純粋な小学生、中学生程、教育、新聞といったものを そのままに信じてしまいます。 何だかオカシイ、と感じたのは、「戦争中はすべて日本が悪かった」という私に、ブルネイ出身のタッシムさんが 「日本のお陰でマレーシア、インドネシア、と次々に独立できた、と親達はみんな喜んでいた。日本人の兵隊さんを尊敬している」と熱く語っていたとき。 フィリピン出身のラミールやアートとの出逢いがあったあと。戦前の日本人、日本という国のファンが東南アジアに多いことに驚きを隠せませんでした。(華僑を除く)

 でも、今は違います。 若い世代はすっかりアメリカが世界へ向けて発信する情報や娯楽映画の中に含まれるさりげないメッセージの影響を受けています。 私がラミール達と出会ってから、さらに10年以上が経過したのち・・・

「パールハーバー」というハリウッド映画を観て、「日本は病院を攻撃したのか、ひどい話だ」 「日本は戦前、ジャングルだったが、アメリカのお陰で先進国になれた」と威張るアジアの友に絶句してしまったり…。

「ジャングル? もし、日本が当時、貴方が言うような本当に何もないジャングルだったら、日本も単純に植民地化されていたんじゃないの? 当時のアジアで独立を保っていたのは、タイ国と日本だけよ。 貴方が大好きなインドですら、イギリスの植民地だった訳で、清だって、そうよ!」

「Shin???」

「チャイナのことよ。本当は清は漢民族の国じゃなかったから、今の中国とは違うんだけどね」

最後は7対1(私だけ日本人)で、必死に「誤った歴史観」を議論したShoyebと私。

日本に住んでいたアサチャンですら、映画、「パールハーバー」を すべて実話だった、とすっかり信じ込んでいる。

歴史は事実なのだから、ひとつであるべき、と主張する彼らに、「では、イラクに関する情報は? 米国側の報道と、イスラム側との報道が全く同じだと思う? 英語もアラビア語も両方理解できる貴方達なら、分かるでしょ?」 

かつて、社会学専攻の学生だった私が大学院の講義の為に用意した資料まで引っ張り出してきて、説明したのでした。 その資料とは…

「マス・コミュニケーション」報道の仕方: 黒人と警察がにらみ合うシーン…オリジナル写真を横長にし、周囲の木々を削除することで、より双方がぶつかっていることを強調させる「見せ方」

真実は一つでも、マスメディアが 「強調したいこと」を より 「強調する手段」を写真等を使用して際立出せる訳で、こういうことを頭の片隅に置いて記事を読まなければ、すべてを鵜呑みに出来るのは 純な小・中学生まで、にしたいもの。 

「教育」と「マスコミ」の子供達に与える影響力というものに、報道する側も教える側も、もっと責任を持つべきでもありますよね…。

個人的意見は書かない、といいながら、結局は書いてしまいました…。 でも、十代の頃は、戦争を体験した親達を持つ、自分より10歳くらい年上の海外の人の 「日本はアジア独立に貢献した立派な国。何故、そんなに悲観するのか?」 という人達と、その後、私と同世代か、年下の人達の、「ハリウッド映画版、歴史認識」を持つ世代との議論と…。

色々経験できた私は、幸運だったと思います。国際語である英語は、今後、今以上に必要になってくるでしょう。 スーパーの店員も、ガソリンスタンドの店員も、数ヶ国語 話せることが普通のヨーロッパ人のように、次の世紀は日本もなってくるのでしょうね? 

 

そしてー。 「戦前の日本はジャングルだった!」 と最初はバカにしたように、その後、殺気だって「戦前の日本はすべてが悪い」、と言ったShoyebは 数時間に及ぶ、私との議論の後、 「すずが言うように、自分はアメリカ人が書いた本を読んだだけ、映画を観て知っているかのように思っただけだったかも。 もっと歴史を勉強したいし、日本に実際に行ってみたい」 と言いました。

すべての歴史小説、映画にも共通することかもしれませんが、歴史は幾通りでも解釈できるし、小説や映画なら、なおさらのこと。

あの頃は、私も最後の方は泣きながらの攻防だったけれど、今では良い思い出。

そのShoyebにも勧めました。 いつか、広島資料館へ行ってみて。 10年前に議論したこと、きっと思いだすよ。 ここに歴史資料が保管されているよ! アインシュタインが米国、ルーズベルト大統領にあてた手紙も展示されているよ。戦争終結に、原爆が使用されたなんて方便だと分かるよ…と。

当時、ドイツが原子爆弾を開発中では? というアインシュタインは、ルーズベルトに宛てて、原子爆弾の必要性について手紙を書いています。 自分が原子爆弾を開発するための資金が米国政府から欲しい…と。 

その手紙が資料館に展示されていました。私は英語と和訳の両方を読んできました。この男は狂っている、と思いました。ルーズベルトもチャーチルも狂っていたのかもしれませんが…。欧米人の人だかりができていたのは、まさしく、ここの「原爆投下に至った経緯」の資料が集められた場所でした。私はここで30分くらいかけて展示資料をすべて読みましたが、欧米人は悲壮感溢れる表情で熱心に読んでいる。 その後ろを、ちらっと観るだけで通り過ぎる日本人。 ここだけは誰にも「ちらっ見」だけで素通りしてほしくない、と心から思いました。非核を叫ぶ広島の被爆者団体の人達が、米国の大学で講演を行っていますが、「原爆投下は必要だった」と自らを正当化しようとする米国人も、この資料を読めば、そんなことは言えない筈です。(言っている人もいますが…)

広島にはウラン、長崎にはプルトリウム、それぞれに違う原子爆弾を投下したのは、原子爆弾の威力を「広島・長崎」で人体実験し、「原子爆弾によって戦争を終結できた」とすることが米国人の世論を味方にし、アインシュタインを初めてとする一部の科学者達にとって、今後の「原子爆弾の開発とソ連に対抗する為には必要とされたから」

広島に落とされる爆弾は、原子爆弾だということを 日本側にあらかじめ知らせるべきだ!と主張した、少なからず「人間としての心を持った良心的な米国人科学者もいた」ことを付けくわえておきます。せめてもの救いです。

アインシュタインは、その後、「申し訳なかった」と湯川さんに謝った、と何処かで聞いたことがありましたが、謝罪すればすむことじゃないよね。こんな虐殺しておいて、東京裁判で一方的に日本が戦勝国から裁かれて。米国側の犯罪は全く問われずに。感情的になってはいけませんが、怒りがこみ上げてきました。

被爆者の時間は、この時刻で止まったまま、永遠に命を、家族を、生活を、失った人達の無念さを思いました。 今も苦しんでいる人達。 今後、こうした悲劇を生まない為に、命ある限り被爆体験を語っていきたいという、広島の願い。社会面の記事を今朝も読み、再び心は広島に跳んでいました…。広島であの日、失われた多くの人達の命。 あの日の悲しみ、怒りを 非核化運動に結び付け今も頑張っている精神的強さ。9.11の家族と手を取り会う場面も見られたという記事に、少しだけ気持ちも落ち着きました。

合掌。

すず

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原爆ドーム

2010-04-28 09:19:43 | 広島

みなさん、おはようございます。お久しぶりの更新です。いつもながら、仕事は忙しく、突発的なこともよくある人間相手のお仕事なので、(すべての仕事は人間相手ではありますが^^;) ブログ更新さぼっていました。 でも、元気に毎日過ごしております。皆さんもお変わりなくお過ごしのことと思います。

昨日からホークスは9連戦! 阪神タイガーズならば、毎年夏の甲子園の時期にやってくる連戦のようなもの。でも、タイガーズは長~いロード。ホークスは地元も含むので、まだいいよね。 タムは私の希望通り、彼の同点ホームランで勝利した試合後、ブログを更新してくれました。 タム、ありがとうです。

昨日の試合は残念ながら、仕事で最後の放送時間が終わる直前しか観ることが出来ず…でも、 ラジオに家族全員で耳を傾けました。 宗リンのホームラン、流石ですねぇ~。あとで知りましたが、彼の好プレーもあったのですね。 

「まさか、ホームランになるとは…思いました」

というヒーローインタビュー。 大笑いしてしまいましたよ。 いつものように、仕事が仕事なだけに、疲れ果てて帰宅しましたが、彼の台詞に一気に疲れも吹き飛びました。 選手の力ってすごいです。  秋山監督を始め、選手の皆さん、いつもありがとう。 昨日は宗リンのお母様の誕生日だったそうで、母へ向けたメッセージにも、じ~んときました。  まもなく博多どんたくシリーズも始まります。 昨日の勝ちで勢いつくことを願います。 試合は勝つか、負けるか、引き分けか。 どのチームも必死に勝ちにくる中での勝負。 私のような凡人には分からない苦労が多いことでしょう。 (特に負けた時の外野の声など) 勝っても負けても 「次に繋がるプレーをしたい」 というタムの言葉通り、そんなプレーにファンも毎日、支えられています。 今夜は勉強会に19時から出席するため、ラジオですら試合経過を見守ることが出来ませんが、いつでも応援しています。 頑張ってね。

…というわけで、ここから広島旅行記が始まります。 前置きが長くなりましたが、その前にブレイクファーストといきます。   予定では、ビザトーストと、すず特製のトマトスープとバナナとヨーグルト。 この下に更新記事を足していきます。 ひとまず、さよなら…さよならさよなら

 

私達が平和公園に到着すると、中国人の学生達と先生らしき人達が、記念写真を撮っていました。 全部で50人くらいの学生達。 日本で言う修学旅行のようなものでしょうか…? 喋っている言葉から、中国人だとすぐに分かりましたが、勿論、何と言っているのかは分かりません。 上記の説明を読みながら学生同士、何か熱を込めて喋っていました。   

    テレビや写真では何度も観ている原爆ドーム。

段々と近付くにつれ、生々しさが迫ってきます。それは、後に訪れる資料館で読んだ、『あの日、広島の朝、快晴。 この日が広島の運命を決めた…』 『身体中に火傷をおいながらも自宅近くまで行きつき、母親の元で翌朝亡くなった…』 「焼け焦げたお弁当箱と、本人が口にすることがなかったご飯』…あまりにも衝撃的な、あの日、広島で起こったことを思いながら、再び今、こうして自宅へ戻り、目の前で見た原爆ドームを思い出すからかもしれませんね…。

当時の多くの建物は、解体作業が行われ、広島の街から消えてなくなってしまったそうです。 資料館で模型を見ながら、出来れば残して欲しかった…と思う建築物も多かったです。そんな中、この原爆ドームも 「解体すべきでは?」という時期もあったのですね。こうして残してくれて良かったと、多くの海外から訪れている人達の思いつめた表情を見ながら尚さら思いました。 原爆の恐ろしさは、この原爆ドームを目の当たりにしてこそ、胸に迫ってくる、そんな気がしました。

 

↑↑ 瓦礫の山も、そのままに…残されていました。

私の隣では、アメリカ人男性が熱心にカメラのシャッターを切っていま

した。

「柵を乗り越えないで下さい。防犯ブザーがなります」

と、表示されています。慌てて後ろへ下がりました。

「カァ~…カァ~…」

という鳴き声に、思わず目線を下から上空に向けました。

「ピカドン」 

資料館でも、社会科の授業でも、毎年夏に聞いた広島・長崎特集番組でも、体験者が口にする 「ピカドン」

一瞬で広島の街を焼け野原にした原爆の恐ろしさを今に伝える原爆ドーム。

しばらく言葉もなく、アメリカ人のおじさんと二人、きっと思うことは同じだろうと感じつつ、その場に立っていました…。

 

 「水が欲しい」 「身体が熱い」

ここに飛び込んで亡くなられた方々に、思わず手を合わせました。 資料館では、市民の方々が描いた、『あの日の広島』の絵を拝見しましたが、その中にもこの川の、あの日の様子が地獄絵のように描かれていました。 思わず息をのんだほどです。

広島市内でも、原爆ドームでも、そして資料館でもー。

多くの外国人観光客を見かけました。皆、一つ、ひとつの展示物の前で食い入るように資料を読み、目を見張り、一瞬、目を背けては再び目を開き、ゴクッと飲み込み、呼吸をすることすら忘れて…という表現がぴったりのように真剣なまなざしに多く出逢いました。 言葉が英語なら、何を言っているのか分かるため、日本では誰でもよく目にする写真や広島の廃墟化した街の写真も、海外ではそれほど知られてはいないどころか、それこそ、どれもこれも初めて目にする資料であるケースが多いのでは? 原爆の恐ろしさを世界に知らせるのに、「広島原爆ドームと資料館」こそが 世界に向けて非核を訴える生きた教材なんだと、肌で感じました。 原爆ドームが世界遺産となったことは大きな意味を持ちますね。 ここへきて、資料と合わせ、外国から来た人達のショックで何も言えない表情を見つつ、色々なことを思いました。 

詳しくは、明日以降の記事にて…。

上記の写真は、原爆ドーム前にて。熱心に資料を読みながら、想像を絶する被害状況に驚きを隠せないと語る外国人観光客達。 多くの人達にこの地を訪れて欲しい、そう思いました。私も、もっと早く来るべきでした。ここへ。 核廃絶は広島から世界へ向けて訴えて行こう、と頑張っていらっしゃる方々こそ、ノーベル平和賞を授与されるべきでしたよね? そう、米大統領より先に…。

すず   

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広島の「あし」

2010-04-24 06:21:13 | 広島

広島名物、お好み焼きを食べたあとは、ツアーの集合場所でもある 「平和公園」へ戻ります。「連れ」は一生懸命に添乗員さんが配ってくれた地図を見ていましたが、私にはある考えがありました。 日本へ一時帰国するときは、大抵JALなど乗り換えなしの便ではなく、海外の航空会社を選び、ストップオーバーして、「ついで旅行を楽しむ」…ということをしていました。

現地の乗り物を乗りこなすこと。歩くこと。

そこから思いがけない体験をしたり、出逢いがあったり、掘り出し物を見つけたり…。今回のような「連れ」がいる場合の「日帰りツアー」では難しいかなと思いつつも、お好み焼き村で解散した後は、(解散とはいっても、それぞれに食べる場所もペースも違う為、実際には到着時点で解散。。。) 現地の乗り物に是非とも乗って見よう…と計画を練っていました。

その前に、商店街を歩きました。写真は撮りませんでしたが、結構にぎわっていました。観光地の中心だからでしょうか。 私の地元の商店街も私が幼児の頃は、こんな風に人がいっぱいいて、チンドン屋さんが賑やかで…と、少しタイムスリップした感じ。それに、外国人が多いのも広島市の特徴です。観光客もいれば、いかにも「くらしています」という雰囲気で颯爽と歩いている人とか…。こうして歩きながらも街を行きかう人々を眺めることが楽しいですね。

(上記の写真は人が写っていると困るので、あえて誰も写っていないものを使用しています)

 広島の足といえば…

そう! 路面電車。 我が市でも私が子供の頃が全盛期だったと思います。 路面電車に乗り、買い物へ行ったり、おじいちゃんが入院していた病院へお見舞いに行ったりした記憶があります。その路面電車で動物園へ行ったこともありましたっけ。残念なことに、一時期、ほとんどの路線が「廃止!」になり、路面電車に代わってバスが主流になりました。 今でも路面電車は我が市でも残ってはいます。でも、動物園へはバスになったのよね。 あの路線を維持出来なかったのが残念ではあります。 環境面でも路面電車の方がいいのでは…??? 違うのかな? 

 信号待ちの「ふり?」をしつつ、「連れ」を待たせて、(どこかへ消えそうでしたが)路面電車が入ってくるところを狙います。おっ! ついに、やってきましたよ~! たぬき部長、見えますか? え? 見えないって? 確かに、この日の広島は、曇り空でしたね。 えっ? そういう問題じゃない??  しばらくお待ちを…今、画像をアップしますんで。

 

ほらぁ~! 見えてきたでしょ? でしょ、でしょ?? たぬき部長、見えますか?

今回は、たぬき部長の為に特別企画でお送りしております。

スポンサード BY 日清食品。メーカーのお兄さん、元気? たぬき部長に愛される坦々麺を届け続けて早、何年? 今日もお仕事頑張ってね! 職種は違っても、「人と関わる仕事。美味しいを届ける愛ある仕事」 すずもブログを通じて皆さんに前回、「食べられない画像だけの広島お好み焼き」届けましたぁ。  褒めて つかあさい。(ちょっと龍馬風おしゃべり?

ほら、ほら! 近付いてきましたよ!

これが広島市内を走る市民の「あし」です。

カッコイイですね~。私が実際に乗車したのは、写真のものではありませんが…。

 

 路面電車で思い出すのは、オーストラリアのメルボルン。

あちらは、「トラム」と呼ばれています。2つの仕事と掛け持ちしながら大学院生活一年目を過ごしていた最初の夏休み。(オーストラリアは南半球ですので、夏休みは12月に始まります。大学/院の新学期は2月の終わりから3月の初め。小学校は1月の終わりが新学期です) 無理がたたって学期末、体調を崩した時期でしたが、無事にエッセイをすべて提出し、プレゼンテーションもすべてパス出来たことを祝って、長距離バスに乗り、メルボルンへ2泊3日の自由旅行をしたことがありました。 この時は、独り旅。 「なんで言ってくれんかったの? 一緒に行けたのに…っていうか、一度も行ったことがないメルボルンへ行ってみたかった」 と、韓国人の女性とトンガ人のケプから言われましたが、あの時は独りで行きたい気分でした。自分の体調復活を確認し、元気になったと しみじみ味わいたいときだったので。ケプはその後、独りで自家用車でメルボルンへ行き、なんと…エンストしちゃったというおまけ付き。 彼の車で行かなくて良かったねぇ…と、ホストファミリーのジーアに夕食時間に言われ、その場に居た学生、ホストパパ、全員大爆笑~となったんだ。

いやぁ…ひとことで、「路面電車」といっても、色々と思い出は尽きないですね。

メルボルンのトラムも乗り心地良かったと記憶しています。クリスマスの時期で街中も賑やかでした。

シドニーにもあるのですよ! 路面電車。 とてもカラフルです! 原色を多用している特徴ある車体が多いです。 初めてオーストラリアを訪れた両親も驚いていました。 「派手ね~」って。

  そういえば、今、思い出しましたが、私達の前に

 「では、完全フリーのオプション無しのお客様は、ここでお降り下さい」

と言われ、降りた人達の中に、実はお好み焼きツアー組だったのに、間違ってフリーの組の人達と一緒に、平和公園前で降りてしまった…。

…と言う人達がいました。女性4人グループ。

「歩いて来たのよ。疲れたぁ~」

私たちがお好み焼きをほぼ、食べ終えた頃でした…。 大幅に時間を無駄にしてしまったと嘆いておいででしたが、焦ったでしょうね…。

そうでなければ、市内を歩くことも、私達のように路面電車に乗って、街行く人を観察することも面白いんだけど。

 シンガポールでも台湾でも、バスよりは地下鉄の方が使い勝手が良かったです。広島は路面電車に一票。 大型バスで移動することが多くても、フリーがあると、こういう乗り物を利用しながら楽しむこともできます。

 今回のツアー。オプションあり、自由行動あり。お好み焼きツアーあり。色々あって、Gooでした。

 

 そして、ついに私達が乗った広島の路面電車ガ目的地に到着しました。料金は150円。何処まで行っても150円みたいでしたよ。料金は、これしか表示されていなかったから。

「150円でいいのですか?」

「はい」

「二人分なので、300円入れます」

車掌さんにそういうと、「はい」というお返事でした。 安いよね。我が市の路面電車、結構なお値段するけれど…。

 

原爆ドーム前に着きました。

 明日以降に続く…。

 

すず

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広島市内へ…広島といえば、これ! 「お好み焼き」

2010-04-21 19:24:57 | 広島

春の旅行記の続きです。 夜勤明けから、眠らないダブル日中を二日、(16時間×2日) 眠る夜を二晩…は無理だった(汗) そんな不思議体験をしている最中の…すず、です。

もうしばらく旅行記にお付き合い下さいませ。

広島造幣局で幾種類もの桜を見物し、感嘆の声を上げたあと、再びバスに乗り込み向かった先は…。

広島市内です。ここで、3時間の「フリータイム」となるのですが、オプショナルツアーもあります。

私と「連れ」は、2つのオプションを選ぶか、完全フリーにするか、いずれかの内、これまでのツアー旅行経験上、

「土地勘がない観光地で、しかも時間が限られている場所で「食事する場所確保」することは困難を極める! 時には、飲食店巡りでだけで、フリーが終わった…なんてことになりかねない!」

…ということで、「お好み焼きツアー」参加後、フリータイム♪ というオプションを選んだのでした。

「では、ここで、フリーのお客様はバスをお降り下さい」

約3分の1の方が、ここで降ります。若いカップルは、ここで降りるケースが多いですね。私は中年の仲間入りを果たしたところです。つい最近、20代だった筈の私もいつのまにやらアラフォーですから…。年の為。。。。

「今、14時ですね…。ではバスの集合時間は17時45分です」

「はーい♪♪

みなさん、元気よくお返事をしました! 私もです。

次は、お好み焼き村ツアー客がバスを降ります。

添乗員さんが近くまでご案内。

 「お好み焼き店が全部でこのビルに6つあります。何処でもお好きなものをお選び下さい。 この券を渡してくださいね!」

お好み焼きビルへ~

私達は3階を見まわしたあと、あまりにも人が多いので、2階へ降りました。

エレベーター向かって一番右のお店を選びます。

有名人の写真と、お好み焼きを焼いているおばちゃまが一緒に撮った写真がいっぱい。

美川けんいちの写真も!

「彼はここのレギュラーよん

と、何故か、この時だけ…ちょっと色気を出して、おばちゃま、答えておりました。

「お好み焼きの写真を撮ってもいいですか?」

「いいよ! バンバン撮って!!!」

バンバン撮って! と言われて遠慮なく撮影させて頂きました。

隣に居た同じツアーの奥様が、「バンバン宣伝したらいいよ♪」

まるで私の意図するところをご存じのご様子…。

お好み焼の殿堂 広島・新天地 お好み村 http://www.okonomimura.jp/←見つけました! ここをクリック!

私がお世話になった「おばちゃま」の写真も出ています! 「山ちゃん」

肝心のお店の名前ですが、ビルの中なのね。いくつもあるけど、2階の一番右。

でも、行けばすぐに分かるでしょう。 

鉄板の上で食べてもいいし、お皿に盛り付けてもくれます。

希望を聞かれますから、どちらでも。。。。

私は長女でネコ舌なので、お皿に盛って頂きました。

こちらの自慢は、らー油、油を一切使わないことだそうです。

油をひかずに鉄板の上で確かにお好み焼きを焼いていました。

もうひとつは、バラ肉ではなく赤みが多い豚肉を使っているところなのだとか。

こちらも目の前で見ていました。

ヘルシー志向の方に特にお勧めです。店主のそんなモットーで、マヨネーズですら使わないのだとか。

広島風お好み焼きにはマヨネーズ! と思っていた私には、え~っ? でしたが、必要なら持参しましょう。怒られるかな?(爆)

上記が一人前。 普通サイズの1・5倍、ありそうです。

お値段は1200円。 ヘルシーならでは、材料も良いものを使用しているので、ちょっと高めですが美味しかったです。

上記にソース、青のりをたっぷりふりかけて、出来あがり。

お好み焼き、特に広島風お好み焼きって九州にもたくさんありますが、本場で食べたのは初めて。

広島へは甥っ子&両親と、「広島ワイン工房」など、ツアーで何度か来ていますが市内は初! だったので。

勿論、本場の広島お好み焼きも人生初!

いつの日か、大阪造幣局へ行き、大阪のお好み焼きを食べたい…と思っているのでした…。(いつのことやら…苦笑)

ここでご一緒させていただいた同じツアーのご夫婦。お水はセルフサービスだったのですが、席に着くと入れて下さって…御親切にありがとうございました。

また、御縁がありましたら、何処かのバスツアーでお会いしましょう~。

「お好み焼きを焼いて、26年のベテランおばちゃま。ご馳走さまでした。お約束通り、バンバン宣伝しましたよ!

 

では、次回まで~

 

すず

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造幣局 (春の旅行記3)

2010-04-19 10:21:53 | 広島

昨日の記事の続きです。 綺麗な桜をご覧くださいませ。

みなさん、手にはカメラを持ち、写真をパチパチ。

乙女時代を思い出し桜と一緒に、にっこり微笑まれる女性も、ちらほら…。

私も「つれ」も桜と共に写真を撮ることは、しませんでした。 

桜の鑑賞だけで、充分。

ここは、広島造幣局。 大阪造幣局から、毎年少しずつ、桜が遷されているそうです。

桜って、こんなに種類があったのか…と思いました。

ぼんぼりのような桜が印象的です。

濃いピンク色。

「最初、バスを降りて、出入口では、 なんだ、大したことないな。大阪造幣局の桜の方が、ずっと綺麗だな…とおっしゃっている方が目立ちましたが、奥へ進むと、公園になっていて、種類も多いですし、わあ~と歓声を上げられる方ばかりでしたね。綺麗だったでしょう?」

…という添乗員さんの言葉に、苦笑していた方が多かったですね。

私の「つれ」も似たような発言をしていたので、「やめてよ!」 と囁くと、さらに声がでかくなり…そーーーっと離れました。 

「おつれさま」だと造幣局で警備にあたっている方に思われることが、ちょっと恥ずかしいので。 

大阪造幣局へ行ったことがない私ですが、広島造幣局の桜、とても綺麗でした。

こんなに多くの種類の桜を観たこと自体、初めてのことです。 

緑の葉のような桜もありました!! 下の写真です。

「あ! 桜の花が葉のように、緑色だっ!!!

「こんな桜は生れて初めて観たね!」

周囲の人達も驚いています。この桜の名は… 御衣黄 でした!

記念硬貨も販売されていたのですが、「今日の分は完売しました」 と看板が出ており、買えませんでした。残念です…。折角、造幣局まで来たのだから、記念に…と思ったのですが。ここでは職場へのお土産、「さくら餅」を私は購入し、「つれ」は「造幣局の紙幣せんべい」を買っているところを目撃しました。硬貨が無かったので、おせんべいだけでも…ということでしょうか。

そして、次の目的地へ向かいます。

旅行記、続く…

 

すず

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紅華

2010-04-18 16:03:28 | 広島

 山口県下関市の村田蒲鉾店を出て、ひたすらバスは走行中。。。。。

途中、15分のトイレ休憩をはさみ、やってきたのは、桜の名所。

「花のまわりみち」です。

残念ながら、大型バスを降りて、「花のまわりみち」まで歩く途中、小雨が降り出しました。 その為、画像が暗めですが、まずは珍しい種類の桜からご紹介。

下記は 「うこん」と呼ばれています。緑かかった色が特徴です。

 

 ちゃんと札がありますね。鬱(うつ)って漢字を書いて、「うこん」 初めて見ました!

鬱の金で 「うこん」 人間誰しも、うつうつする時もありますが、「鬱金」を眺めていると、気持ちも落ち着いてくるということでしょう。

 

お次は、「楊貴妃」 薔薇のようですね…。

 お天気が悪く、空が灰色。

青空なら桜の花も更に綺麗に見えるのに…と、言いながら写真を撮ってしまいました。でも、まだ、満開ではない桜の木も多く、この週末には 更に綺麗に咲いていることでしょう。 週末は晴れて良かったですね!

 桜を見物をする人々…。

さくらだけ撮って!」

私が映ったら、桜が泣くが・・・

そんな会話をしながら桜をカメラに収めているグループを ちょっと離れた所から、パチリ

桜の陰に隠れて、顔は見えませんから。

 空が青空だったら、ホント良かったよね。

(まだ、言ってる!)

 

  

何だか、雛祭りを思い出させませんか? 明りをつけましょう。ぼんぼりに…。みたい。 薄色ピンクの可愛い桜。 そして、ついに…

今年の主役の登場です!!!

北海道松前町の浅利政俊氏が実生の中から選出育成した桜だそうです。

『濃紅色の花が密生して咲き、咲き方が華やかであるところから、この名が付いた』、と頂いたパンフに説明書きがありました。

その名の通り、紅色が華やかな桜です!

思わず、うっとり…してしまいました。

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九州脱出~p(^-^)q  旅行記 その1

2010-04-17 19:24:47 | 広島

 

2010年4月16日。朝、8時半に自宅を出て 「つれ」と共にバスに乗り込みました。

今年になって、初めての旅行です。

今回はバス旅行。大型バス22台福岡から同じ目的地へ向かいました。凄いでしょ? 

私たちが乗ったバスは6号車。

最初の到着場所は、上記の写真のパーキングエリア。 

九州と本州を結ぶ玄関口。 福岡県北九州市門司区にある布刈です。

関門海峡は、JR電車で地下を走る他、上記の関門橋を渡ることもできれば、地下トンネルを歩いて渡ることもできます。私も一度、歩いて渡りました!! 

福岡県 山口県と道路に書かれてあり、

本州と九州を股にかける男!

と、言いつつ写真撮影をすることを勧められますので、貴方も是非、トライして下さいね。

関門海峡を渡っているところ。

今回はバスなので、関門橋を渡ります・・・・!!!

玄界灘だよぉ。

古くは平氏と源氏の壇ノ浦の戦い。

潮の流れが非常に早いことで有名です。

 ちょっと先には宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦;巌流島も近く!

歴史ロマンを感じる場所、それが福岡の門司。山口の下関。

もし、そこの貴方!! が、すずを訪ねて来られた場合は、この周辺へご案内しますね。いっぱい歩きましょ~。(車無いの、私

関門海峡を渡り終えると、そこは山口県。 

遂に本州上陸~です!

 

途中、かまぼこ店へ寄り、母世代の人だかりに圧倒される若いカップルとおじちゃま集団をなにげに見学し…。

おばちゃまパワー、恐るべし

と、次々と完売していく蒲鉾類の山を眺めていたのでした…。

味見しましたが、ふぐの竹輪、美味しかったですよ。

下関のお土産に是非、どうぞ~

では、旅行記の続きは、後ほどね。

すず

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明日から…

2010-04-15 22:45:33 | 広島

海を渡り、本州へ旅行します。
九州を出るのは、いつ以来だっけ…? 
家族で島根へ行って以来かも。
桃から生まれたもも太郎で有名な岡山の方が先だったよね…。(デンマークへもついで旅行したっけ)

帰宅したら、旅行記を書きますねぇ。
すぐにはスタート出来ないかもしれませんが。
旅行から戻った翌日は朝7時から勤務の早番ですので。
その翌日は、欠席者を対象にしたECCの春の研修日ですし、予定がぎっしり。

まだまだ寒い今年の4月。
体調管理に気をつけてお過ごし下さいね。

では、明日、行ってきます。

すず

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