漱石といえば、坊ちゃん、吾輩は猫である、こころ、など一人称で書かれた小説が多い。私が初めて三人称で書かれた漱石の著書と出合ったのは、2018年3月の図書館で♪ 最初は見慣れないタイトルだぁ~!と手に取り、数ページ立ったまま読み始めて驚いた。
「三人称だ! 珍しい~‼ しかも漢検2級の試験範囲の四字熟語や漢字のオンパレードだわぁ!」実際には新聞を読むだけでは出合わない漢字も結構あり、これらは準一級以上でしょう。
漱石の文庫本は何冊も我が家の本棚にある。時々引っ張り出しては読み返すのだが、そのたびに新たな発見あり。明治の文豪の語彙の豊富さ、知識人だなぁ~と改めて思ってしまう。こんなに巻末の注釈を読みながら読書しなければならない作家って、漱石くらいなんじゃ… 『虞美人草」はまさにその代表!
新年、北九州伯林的管弦楽団による演奏会を拝聴し、感激したことについては1月に書いたが、その時、配布されたプログラムノート、曲紹介の中で 夏目漱石による「未完成」作品『明暗』についても触れられていた。
『明暗』は未完成故、一度も読んだことがなかった。これは是が非でも読まねば~と興味をそそられ、遂に手にした。今回も図書館で♪
2週間かけて、少しずつ、じっくり読んだ。『明暗』の中で描かれる物語は、お延と結婚した主人公が痔の病で手術を受けるか否か、診察を受けて悩む場面から始まり、入院中の場面へと展開する。退院後、「療養の為に温泉へ行く」と妻、お延には伝えながら、実は療養先には結婚前の相手、清子が居て…というクライマックスの場面まで、約2週間。 まさに本を通して彼らと共に生きたような2週間だった。
「自分の実家はカネの工面に困ることはない」と妻、お延に見栄を張りたい主人公、津田。
「私には男性を見る目があるのよ。何不自由なく暮らしている」と従妹の継子と両親である岡本家に見栄をはりたい お延。
「妹は容姿の良さから裕福な男性へ嫁ぐことが出来たのだ」「書物をちょっと読んだくらいで何かを論じるなど…」と、多少の女性蔑視もあってか、身内だから余計にこうなるのか…? 入院費用の工面に困っていても、素直に「ありがとう」の一言が口から出ない主人公、津田。
そんな兄を…兄嫁を良くは思わない妹、お秀。
虞美人草を読んでいた時は、「登場人物の口を借りて、漱石が言いたいことを読者に伝えている」と、もろに感じたものだったが、今回はそれがない。原稿用紙の上で漱石の手が勝手に動く中、登場人物たちが兄弟喧嘩を繰り広げ、昔の人、「清子」について お秀が触れたところで、嫁であるお延が ひょいと顔を出す。 いやはや、それより前には、夫の留守中に小林が お延に「告げ口」。お延は真意を確かめたくて入院先へ向かう途中、女性の影を認めて自宅へ引き返せば、そこには「今日は見舞いへ来なくて良い」という、理由も書かれていない夫からの短い手紙… 自分が頼れるのは夫しかいない、いや、自分だけが夫からも騙されているのではないか? 一方、津田の方は、お延が "どこまで” 知っているのか それによっては答え方も…等々。なんという心理戦!
漱石の手を離れ、勝手に行動し始めた登場人物たちの心理戦に、自分の心もざわめく。遂、のめり込んでしまう。「こころ」以上に衝撃的だ。そこにあるのは虚栄心。虞美人草の中でも似たテーマで描かれていた。正直な読者なら、「自分の中にも小林がいる。お延もいる。自分を繕うために、饒舌になる場面なんて、まさに…」と思わないだろうか。「自分の中にも お延がいるかも。かつては継子のようだったのに。自分で何も決められなくて…」
相手と自分を比較するがゆえに生まれる優越感だったり、劣等感だったり。『明暗』で描かれた登場人物たちは、誰の心の中にも大なり小なりきっと存在している。SNS無しでは もはや生活に支障が出るまでとなった現代社会こそ、他者に対する虚栄心や妬みといった負の感情は匿名だからか大勢渦巻いている。(…と思う)
漱石がもう少し長生きしていたら…
未完に終わらず、最後まで書き上げていたなら…
ノーベル文学賞だ!
でも…
何故だか未完という気がしない。
津田も お延も お秀も 小林も
意識していないだけで、心の中で生き続けている。
ちなみに 本日は夏目漱石の日、なのだそう。
漱石文学を楽しめるだけでも、明治より後の世の日本に生まれて良かった~♪🖊