goo blog サービス終了のお知らせ 

日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

ホークス劇的サヨナラ~

2016-06-29 23:32:55 | ホークス

栗山監督7連勝もソフト劇勝に「テンション下がる」

ロッテマリーンズに まっ…まさかの2連敗!? …と思いつつ、途中から(試合の終わりの方からですが…)ラジオを聴いていた。ホークス大負けしていたみたいだけど、途中で同点に追いつき、延長戦。最後は今宮選手、やるじゃ~ん!ヒーローインタビューの声も元気いっぱいだった!

ホークス勝利の記事を(ネットのgoo)で探したけど、見つからず。記者の皆さん、よほど…気が乗らないのか、(審判の判定も ちょっと…な場面があったそうだけど?…)被災地のためにも九州の球団ホークス頑張れ! 今夜の勝利で、つい先ほどまで酷かった雨も(北部は)静かになった。雨戸の外は小雨かもしれないけれど、激しい音はなし。早く雨が上がり、安心出来ますように…

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裕次郎・著 『こっち向いて! たっけー☆☆』

2016-06-25 14:13:25 | 読書

 「間もなく発売」という告知を被災地熊本にある出版社HPを通じて知った時、「待ってました♪」と思った。裕次郎氏という当時まだ20代の若い著者の本を初めて手にしたあの日から、もう10年近い歳月が流れた。本の面白さと才能は本物だと思った。出版社に直接、注文し、発売前から楽しみに待った。今回、新聞掲載された長編『弱虫時計と君だけの神様』、そして書下ろしの『こっち向いて! たっけー☆☆』2冊同時発売となり、2冊一緒に出版社から手元に届けられた。ルール違反で申し訳ないけれど、最初に開いたページは『あとがき』だった。(あれ…?)と思った。(何だか違う人みたい)これが正直な最初の感想だった。嬉しい違和感だった。10年という歳月の間に何があったのだろう…。

 現在、著者は35歳になっている(らしい。著書の中で自己紹介している)。35歳といえば、私は0歳だった甥っ子の専業子育てを3年間続けていた頃だ。子育てを経験することで全てが変わった。見えなかったことが見え、感じなかった種類の愛情を知った。社会から離れて数年、不安はあったけど、取りあえず社会復帰(正職に就けなかった結果というのもあったが)しようと、とあるスーパーにてパート勤務を始めた。色々と最初は泣きたいようなこともあったが、どんな相手にも(蒲鉾に対してさえ)優しい気持ちになれたのは、身内の闘病生活と共にあった子育て経験があったからこそだと思う。抜けられないトンネルなどないのだと、今なら言える。

 『こっち向いて! たっけー☆☆』を読みながら、そんな当時を思い出していた。母親の気持ちになっていた。ルビがなく活字も小さいため、児童書として低学年のお子さんが直接読むには難しいかもしれない。しかし、そのことがかえって母による「読み聞かせ」というコミュニケーションを生む機会になるだろうと思う。「福生市の ゆるキャラ・たっけー☆☆ 明日はどんな活躍をするんだろう。誰の願いを叶えるんだろうね。今夜はここまでね。続きはまた明日。おやすみ」あのハリー・ポッターの作者も最初は我が子に自分で作った話を聞かせていたと言っていたっけ。

 母親が我が子に伝えたいこと。これだけは忘れずに生きていってほしいと願うこと。それらが「こっち向いて!たっけー☆☆」には散りばめられている。七夕にちなんだ今の時期にピッタリな著書だ。幼い子から高齢者まで様々な人々が登場する。世代を超えて読まれるといいなぁと思う。

 

 本当は こんなところで わざわざ時間を割いて紹介しない選択肢だってあったし、著者本人が読めば気を悪くするようなことまで馬鹿正直に書かずともいいのに…とも思う。でも…。20代から35歳までの間に劇的な心の変化が自分にあったように、彼の場合も…と思ったので、書いてしまったのだった。

 スーパーに勤務していた頃、「いつも元気やね」「いつもニコニコしとるね」と言われた。アホだから、ともいえるし、辛い時期を乗り越えた直後だったから、ともいえる。黙っていたら、のほほんとしているだけ、に見えても、皆、それぞれ何かを抱えて生きている。それは幼い子供だって違いはない。今年の七夕の日、あなたも たっけー☆☆と出会えますように…

 

http://goodbook.jp/newpage11.html

お求めはgoodbook出版へ。郵便振替と本が当時に届きます。くまもんにそっくり愛嬌ある編集長も被災地で頑張っています。 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローマ人の物語 ユリウス・カエサル(ルビコン以前8・9・10)(ルビコン以後11・12・13)

2016-06-22 23:03:05 | 読書

 どのようにヨーロッパの歴史が形作られていったのか、ユリウス・カエサルによる「ガリア戦記」を辿っていくと見えてくる。これより以前、カエサルはスペイン統治を成功させ、ポンペイウスも地中海全域を覇権下に収めている。ガリア、ゲルマン、遂には島であるブルタ二ア… (現在EU脱退するか否かで揉めているが…)ジェントルマンのイギリス人も当時は長髪&髭で毛皮をまとった原住民族。カエサルによってイギリスの歴史も始まるのか…と何も知らずにいた私は、今更ながら驚くのであった!!!

  当時のローマでは「元老院派」がカエサルとポンペイウスを排除しようとしていたが、二人にクラックスを加え、「三頭政治」の密約を交わすことを提案したカエサルだった。のちにクラックスがこの世を去り、ポンペイウスとカエサルが対立し、ローマ人同士による闘いとなるのだが…。まずは塩野七生さんによる『ガリア戦記より』

 『ローマ人は、その中でもローマ人であることを強く意識するカエサルは、誓約をことのほか重要視する。多神教のローマ人だから、神との契約ではない。人間同士の誓約である。たとえ異人種でも対等の人間と認めるがゆえに、交わされた誓いを信じるのである。武士に二言はない、という言葉をもつ日本人のほうが、一神教的な契約に慣れた欧米人よりも、ローマ人が重要視した人間同士の誓約にこめられた心情をよりよく理解できるのではないかと思う。

 戦いを起こすこと自体は、カエサルにしてみれば罪ではなかった。しかし、いったん交わした誓約を破り攻めてきたことは、明らかに罪に値したのである。人間であることを放棄した者には、彼にしてみれば、奴隷がふさわしい運命だった。(塩野七生・著『ローマ人の物語』ユリウス・カエサル ルビコン以前(9)新潮文庫 1995 152ページ3行目~11行目)より抜粋』

 「誓約」を一方的に破棄して北方領土になだれ込んできた旧ソビエト連邦を思い出してしまう。戦後71年…一時期、民主の前原氏が「解決」に向けて、かなり本気だったように思えたし、今も変わらない想いだろうが、両者(日露)あってのことだから…安倍総理もプーチンに踊らされている気が… ローマ人の物語を読みながら、日本の歴史や現代の世界情勢と重ねてしまう。UKが仮にEU離脱することにでもなったら、カエサル以前の時代へでも逆戻りしそうで… カエサルがここまで苦労を重ね作り上げたヨーロッパの「平和」。カエサルが抱く古代ローマによる統治は、まさしくEUの理念に近いものだと感じる。…勝った者が負けた者に何をしても良いというのではない、昨日の敵であっても罰を与えず自由にしている。(唯一の例外が自ら進んで捕われの身となったヴェルチンジェトリックスではないか。有能すぎるため、生かしておいては危険だということで…)言葉もラテン語に統一しようとしていない。当時のローマ人はむしろギリシア語を熱心に学び、共通語として使用している。多神教のローマらしく、現地の土着宗教も認めている。カエサルが暗殺された際、最も嘆き悲しんだのは、一神教のユダヤ人であったというのも頷ける。カエサルはユダヤ教を当然、認めていたのだから。オーストラリアではアボリジニや移民に対して、かつて同化政策を行った。カエサルの時代から2000年近くもたって、ようやくマルチカルチャリズムの世になったオーストラリア。まさか紀元前の古代ローマに こうした概念がすでにあったとは!! 目から鱗の私!!!

 

 「ローマの覇権下にある【ローマ世界】は、多民族で多宗教で使用語も多いという国家である。これを古代人は、帝国と呼んだ。ゆえにローマも、皇帝が統治をする時代に入る二百年も前から、つまりカルタゴを降した時代からすでに、「帝国」と呼ばれ書かれてきたのである。でなければ、「共和国」だった。帝国とは覇者国という意味だから、帝政でも共和制でも矛盾しないのである。そして、この「ローマ帝国」での共通規範はローマ法であり、共通言語は、ギリシア語とラテン語だった」(塩野七生・著『ローマ人の物語』ユリウス・カエサル ルビコン以後(12)新潮文庫 1996 15ページ1行目~6行目から抜粋」

 現在、12巻の途中まで読書中の私。続きはユリウス・カエサルをすべて読み終えてから、このページに随時追記しようと思う。

 仕事を終えて帰宅した後、カエサルの続きを読んでいた。気になるEU離脱か残留か…国民投票の結果は、離脱だった。ブルータスらによるユリウス・カエサル暗殺後、安定していたローマとローマ市民は突如混乱の渦に巻き込まれた。ブルータス他主犯の14名も直ちに逃げ出し安全な場所へと身を隠し、「いったい、何のため?どのような大義名分がカエサル暗殺にあったというのか?」「カエサル亡き後、ローマをどう導くつもりだったのか、どのようなかじ取りをするのか?」を考えていなかった、あの時と同じように、離脱派も「何をどうするのか」考えているのだろうかと疑問がわく。

それにしてもキケロ!祖国を愛し、ユリウス・カエサルと政治的には考えが違っても。私的にはカエサルの友人であり続け、愛情も感じていたであろう知識人。なんていうか…ローマ共和政復活を望んだ彼はカエサルの死を喜びすらしたのだが…最後はカエサル派によって反逆者リストの筆頭に名前を載せられ死刑となった、その人を最後まで憎めなかった。豚もおだてりゃ木に登る、はキケロのためにある言葉のような気さえする(苦笑)人間味を感じる彼の書簡も数々の行動も、2000年以上も後の時代を生きる私ですら…これ以上は言わず、心の中での感想に…

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Hawks 交流戦2年連続優勝おめでとう!

2016-06-19 23:39:14 | ホークス

ソフトB、2年連続の交流戦V 城所が6号満弾、武田はリーグトップ8勝目

 城所選手、30歳の遅咲きブレイク! 代走としての彼、勝ちゲームの9回守り、として登場する選手だと思ってきた10年… 顔つきが違う!投手を見る目も鋭い!まるで鷹のよう! やっぱり鷹だ! 満塁ホームランには参った!打率もトップの4割超え。交流戦MVP間違いなしでしょう~ 武田翔太投手も8勝目!

 今日は雨。グラウンドもぬかるんで外野は特に守りにくかっただろうけれど… 9回、守りについていた城所選手に向かって阪神ファンがメガフォンを投げ入れた!とラジオ中継。「この放送は(KBC)福岡のみなさまにしか届きませんが… ファンとして恥ずかしい行為ですよね」とアナウンサー。同感…

 

 世界遺産に登録された官営八幡製鉄所について、講演会が地元であったので参加。とても有意義な時間を過ごせて良かった。近代日本の礎がどのように成されたのか、良い勉強になる。もっと地元を知らなきゃ…と思うと同時に、東区にある八幡図書館に想いを馳せた。 熊本城は地震により、あのようなことになってしまった…しかし、何年かけても元に戻そうということで専門家も県民の意見も一致している。一方、貴重な建築物である八幡図書館は、地震で崩壊したわけでもないのに、人の手によって…しかも、市長が専門家の話に耳をかさず、解体作業はすでに始まっている。「今」ではなく、100年後、200年後のことを考えてほしい。 本事務所だって、100年以上の歴史を重ねたから世界遺産にもなったのだから。

 このままでは 「価値ある八幡の建築物を市民や専門家の反対を押し切って、解体した北橋健二市長」として歴史にその名を刻むことになるだろう。 舛添氏も北九州の恥だが…

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾旅日記  天燈あげ体験

2016-06-19 06:39:35 | 台湾

ここは十分ですねぇ。...ということは、前回の坂が多い場所の方が九扮なのでしょうか…どうもそのようです。 間違えていたらごめんなさい!

 

天燈上げを体験しました! 4人一組になり、天燈の4面にそれぞれ願い事を筆で書きます。私はですね…家族の健康と、もう一つ、「社会鵜福祉士合格」と書きました。なにせ わずか1か月後に試験が迫っていましたから。願いがかない、合格できました。

 

こちらは 私達のグループの一つ前、台湾人の若者のグループ!自分たちの時は写真に収められないだろうと思い、「その時」を撮影。

 

 空高く、上がっていきます。夜の様子であれば、写真で見たことがあったのですが、日中の様子は初めて~ っていうか、思ったより大きいのでびっくりぽんでした。

 自分たちの時は、台湾人のおじさまが、私が手にしていたカメラを見て、「よこしなさい!撮ってあげるから!」と英語でっ!仰って下さって~ わ~い!とカメラを渡しました。ここでは公開できませんけど…。お蔭で良い記念になりました。

 天燈上げのあと、「使わない路線」だと思っていた線路に、、、なんと電車がっ! 入ってくるではないですかぁ~ 我々日本人は皆驚き、慌てて逃げだした…とほぼ同時にカメラの用意!

 

結構、近いところから撮影出来ました。ギリギリちょい前くらいで、上っていた場所から飛び降りましたけど… 2メーターくらいは離れていたとは思いますが、吸いこまれそう…列車の圧というか、何というか…空気?

 

免税店へも行きましたが、省略し… ランチはヌードル。 スープはさっぱりしていました。とんこつラーメンに慣れている九州人の我々は皆、「さっぱりすぎ」くらいに感じるでしょうけど…大好きなエビも入っていて、満足

そして~

いよいよ最終目的地である、台北へ向かいました。自分にとっては2度目の台北。懐かしの場所です

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾旅日記(12) 十分訪問 

2016-06-18 08:29:09 | 台湾

 Here I am! I fouond 湯婆婆 in Taiwan! You can meet her in  Hayao Miyazaki's movie, "Sen to Chihiro no Kami(Gods) kakushi" ガイドさん曰く、千と千尋の神隠しのモデルになった場所…だそう。

湯婆婆の屋敷だそうです。十分という細い坂道をひたすら上って行った先にあります。

映画のロケ地としても有名なのだそうです。

 

It seemd a bit hard for my Dad to keep walking!

坂道なうえ、階段が多いため、高齢者の方は、途中で 一休みされていらっしゃる方も…

 

Nice vews! しかし上へ登れば、このような景色も楽しめました。

 

途中、ワンちゃんもお共してくれましたよ!

 

台湾映画、「非情城市」のロケ地となり、有名になったのですね。今回、自由散策時間が2時間だったので、(結構、ゆっくり時間は確保してくれてはいたものの…)中へ入る時間はありませんでした。

 

To be continued....

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交流戦☆

2016-06-12 22:08:56 | ホークス

 交流戦、今年もパリーグ強し! ホークスは相変わらず強いわ~ 横浜DeNAに3連勝し、お次の相手は交流戦1位(だった)巨人。

蓋を開けてみればパリーグ首位をひた走るホークスが3連勝! 巨人はセリーグ4位に転落 キャハハッ 愉快ゆかいっ!と鍋ツネ時代ならいうところだけど、高橋監督でしょう~ WBCに怪我で出場出来なかった彼がNHKスタジオパークに生出演し、「僕だったら、電話一本で断るような真似はしません!(松井ゴジラのように)」と真顔でいうのを聞いて以来、好感度超アップ 巨人は嫌いだけど高橋選手(今は監督)は好きというわけでして…。似たような理由で当時横浜の選手だった多村選手の大ファンになったお話は度々こちらでしましたので、省略しますけど…。 何はともあれ、現役時代を知っている人達が監督に…自分も年を取るわけだなあ~と思う今日この頃です。

 ホークス今日も強かった。翔太くん、7勝目。 ホームラン城所選手2本、マッチ1本、前日はウッチーが満塁ホームランでしょ? ビックリな強さだよね。 わざわざ自分が応援するまでもない…今シーズンは、そんな感じであまり真剣に試合みてない(仕事で見れない日でなくても) これは今までになかった現象です… ホークスが強いので、安心していられるってことと、読書に忙しいってこと、などなど。(タムがいないってこともかなり関係あるなぁ)

 でも今年は久々に(昨年は一度も行かなかったので)福岡ドーム観戦することにしました。交流戦には間に合わないけど、8月上旬の日曜日。甥っ子が福岡へ来れば、連れていけます。(まだ未定。あちらの都合が分からないので)日ハム戦のチケットを購入しました 翔太くんは、今のところローテーションの関係で日曜日に登板なので。まだ生で武田翔太投手を見たことないので、楽しみです。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローマ人の物語(6)(7)~勝者の混迷~

2016-06-08 21:46:50 | 読書

 「グラックス兄弟」 スキピオ亡き後、孫にあたるグラックス兄弟が歴史に名を残す。

 紀元前2世紀半ば、カルタゴ滅亡後、ローマは地中海世界の覇者と呼ばれるようになっていた。ただ一つ、信じがたいことは… あの名将スキピオ・アフリカヌスの「その後」だ。彼は、哀しきかなローマ内部の人によって、あらぬ疑いをかけられ、引退し、故郷ローマを離れることになる。ローマのために尽くした彼が… 身体を壊し、亡くなるのだが、自分の遺骨はローマの地に眠らせないでくれと言ったらしい。このことには触れずにいたかったが、そういうわけにも… 。そして スキピオの名前こそ名乗らなかったが、彼の孫であるティべリウス・グラックスは、若くして護民官となり、内部から病み始めたローマの改革に乗り出す。権力を持ちすぎてしまった元老院を改革するため次々に法を提案するのだ!公共事業の発注を仕事に含む財務官に選ばれた彼は、建設事業の発注が一部の業者に偏るのを禁じた法律を可決させた。日本にも見習って欲しいものだと思う。 また、5歳以上の息子を持ち、ある程度の資産(正しくは覚えていない、、、著書には記述あり)を持つ解放奴隷には、ローマ市民権取得の権利を認めた法を可決させることに成功。 こうして解放奴隷の人達もローマの平民と同じ権利を与えられ、同じく義務を追うことになり、いわゆる新市民が多く誕生したのだった。

 しかし彼は30歳という若さで殴り殺されてしまう…農地改革に反対する派と正面からぶつかった末の事故…というべきなのか…改革道半ばでの死だった。どれだけ心残りだったことか…。しかも護民官としての在任期間はわずか7か月だった。その短い期間に多くのことを成し遂げようとした彼は流石スキピオ・アフリカヌスの孫だと思うが…。その後、兄の農地改革を推し進めようとした9歳年下の弟のガイウスもまた、内なる敵により殺されてしまうのだった…。なんてこと… 二人の無念の死をスキピオも天国で悲しんだに違いないが、著者の七生さんはいう。

 「ティべリウスとガイウスのグラックス兄弟は、兄が7か月、弟は二年の実働期間しかもてなかったにしても、成長一路であった時代を終えて新時代に入ったローマにとって、最初の道標(みちしるべ)、つまり一里塚を打ち立てたのである」

 「結局は(ローマは)兄弟が建てた道標の示す道を行くことになるのだから」(6)(P110)

 ところで、二人の母であるコルネリアは、アフリカヌスの娘でもあった。そんな彼女は理想の女性像として、ローマ人から肖像を掲げられているそうだ。女性の地位が低かった古代ローマにおいて、珍しいことだったらしい。

 そしてー

ローマの混迷は、カルタゴのような ローマの 「外」にではなく、「内側」にこそあった、という史実が、6巻、7巻で語られている。グラックス兄弟がなしとげられなかったことを簡単に成し遂げたのはマリウスだった。それらについては、ここでは省くが、この間、英語名では、ジュリアス・シーザー、ローマではユリウス・カエサルが誕生してくる。 私の場合、シェイクスピアの影響で、ジュリアス・シーザーという方が正直、ピンとくるが、今後はローマ人なのだから、現地語で呼ぼうと思う(苦笑) 今から二年前、シェイクスピア劇、「ジュリアス・シーザー」の舞台を両親と一緒に見に行き、強烈な印象だったが、古代ローマの歴史の流れを知らずに、劇を見たことが今となっては何とも悔やまれる… いずれにせよ、遂に (8)巻から始まる新たなローマの歴史を楽しみに読もうと思っている。

 

 ここから話題が変わるが…

 最近、「高齢者レク 英会話」 「障害者レク 英会話」 etcといった検索ワードで、このブログに辿り着く方が、毎日平均3アクセスほどある。 「体操レク」も。 体操レクなら、全国どこの施設でも行われているだろうから、特に不思議もないものの、 高齢者レク 英会話_? そんなに高齢者向けの英会話レクリエーションが盛んなのだろうか…と不思議に思う今日この頃。 この一、二年で この検索ワードが急激に増えた気がする。 体操レクのシナリオも、英会話レクのシナリオも 無い知恵を絞りだして考えた末のものだったが、どのくらい役に立てているのだろーか

 そして今日、高齢者の皆さんの笑顔に迎えられ、数か月ぶりに「英会話レク」を行ってきた。それが終わると、とんぼ返りのように小学校へ。 高齢者と小学生。関わる人々は変わっても、元気を頂いた、という点は変わらないと思う、そんな一日だった

 明日はECCジュニアの研修で小倉へ行ってきます~

 

 

 

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼける前に読んでおきたい『宅老所よりあい』のおもしろい雑誌 ヨレヨレ

2016-06-07 10:07:17 | 読書

 「いつまでも あると思うな親と金! あるうちに何とかしよう68P!」 今回のブログタイトルも、ここまでのフレーズも、そのまま今回、ご紹介する雑誌から「引用」しています。なんて衝撃的なうたい文句。 ぼける前に… ぼけ、一昔前であれば、あのおばあちゃん ぼけちゃって…みたいな言い方、子供だった自分も耳にしたものです。 まだ 痴ほう、更に時代が進んで認知症、という言葉が定着する以前です。 ボケ老人なんて、差別用語! となったところから 「お年寄りはみな介護認定を受けたら認知症と診断され、病人になった」 それって どうなんだろう…? と。 現場にいれば、「お年寄り」という単語は次第に使わなくなります。 ボケ老人なんて、間違ってもいいません。 ぼけちゃった! とも 例え日常会話、家庭限定でも…? うーーん、ここは違うかな。 ちょっと私、ボケたかも? お父さん、大丈夫かね~認知症が始まってるかも…しれん… くらいに使ってますねぇ。 自分のことはボケた、人の名前が思い出せない! といいます。特に芸能人… 

 

 まぁ、言ってみれば、介護保険制度前の自然な感覚で読める、人間味のある 『宅老所よりあい』にて、起こること、利用者さん、っていう言い方も?かなぁ、そこで暮らす普通のお年寄りの姿が そのまま描かれている…といいましょうか。 「個人情報保護法」すらなければ、昔、デイサービスでお世話になった〇〇さんとか、〇〇さんも… もう~い~っぱい! チャーミングで素敵な人生の先輩方がいらっしゃって。 ほんとうは、こんな文章でもって、(いわゆる「とあるスーパーのブログを書いていたような感じで🎶) 描きたかったのですが、それが許される「現代の日本ではない」と思っていました。スーパーマーケットでの日常をほんわかと描けたのは、まだ2006年…今から10年も昔で、今ほどは個人情報、個人情報と言われていなかったからだと思います。上層部もOKして下さっていたし、私は恵まれていました。

 

 介護現場…この言い方も、この雑誌を読んだあととなると、? ですが…普段通り、お年寄りが生活する場所で…ですね、今の日本では許されそうにないことを… 

 しかし、それを 実名かどうかは別として、(恐らく実名…) ご本人の顔写真入りで 実行しちゃってるのが この雑誌、「ヨレヨレ」なのです!!! はぁ…なんとも羨ましい~

 最も印象に残ったのは、職員が泊まり込みで、「看取り合宿」をした連載でした。 GH時代、たった2日連続の夜勤だけで、「もう ふらふらだ~」言っていた自分には、とうてい出来ない… それを職員5名が洗濯も宅老所でして、男女関係なく自宅へも戻らず食事も現場で、夜は一人だけ付き添って他の人は雑魚寝して… 緊急時に備える… 緊急時は病院へ搬送されるのがふつうだと思っていた私には、ここでも驚きでいっぱいで… 最期をみとる場面では、自分もその場に立ち尽くしているかのような気分になりました…。 今日まで1号から4号まで、4冊発売されています。 1冊500円。 福岡県福岡市城南区別府 7-9-21 『よりあいの森』 内に記者&編集、写真すべてを一人で行っている鹿子(かのこ)裕文氏はいらっしゃいます。 『よりあいの森』に 宅老所はあります!

 この雑誌、『ヨレヨレ』4冊は、絵手紙教室でお世話になっている方からお借りして読みました。 4冊を2日間で、それこそ あっという間! に読んでしまいました。 

 そしてー 2015年12月というから、すでに発売になっていますね。 雑誌ではなく 新刊 『へろへろ』が発売になっています! こちらは本です! 四六判 288ページ 1500円 プラス税です。 出版社は ナナロク社。 小さな出版社らしいので、 お取り寄せ用に書いておきます。

ISBN978-4-904292-64-8 C0095  出版社のHPもあります http://nanarokusha.com

 

 何かピンときたら… 雑誌『ヨレヨレ』 或は『へろへろ』を開いてみて下さい

 

アクセスアクセス
閲覧 830 PV UP!
訪問者 212 IP UP!
トータルトータル
閲覧 1,423,541 PV  
訪問者 367,373 IP  
ランキングランキング
日別 4,273 UP!
週別 7,239 DOWN!
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代ローマの講和条約

2016-06-05 23:10:45 | 読書

 第二次世界大戦以後に生まれた私達こそ、古代ローマに学びたいと今、心から思う。

 勝者=正義

 敗者=非正義

東京裁判で一方的に裁かれた戦後日本に生まれた私は、小学校6年生の社会科の授業で、「米国に2つの原爆を落とされて戦争が終わり、日本は平和になった」と教えられた。10年前に再会した当時の先生も、「確かに、そのように教えた」と言った。当時はその先生も若干26歳。戦後生まれの一般的な若者は、直接当時のことを知らずとも 「日本は悪いことをした」と戦争の話題になるたびに肩身の狭い想いをしてきた…と思う。お詫びと反省は歴代の首相によって何度も繰り返されてきた。戦後補償も国家同士で日本側は完了したとしても、その後も何度も持ちあがる。今は日本企業が個人に戦後補償をする時代に入った。「日本は平和国家になった。世界は日本の過ちを許してくれて、平和国家日本のことも きっと認めてくれている筈!」と6年生の少女だった自分は思ったものだ。実際には幻想だったけれど… 日本という国が存在する限り謝罪は繰り返すべきなのだろうか。「どんな強国もいつかは滅びる」 カルタゴが700年の歴史を閉じたとき、古代ローマのスキピオ・エミリアヌスは、勝者であるにもかかわらず、敵の運命を想い涙したという。 ここまで カルタゴの兵(ツワモノ)、ハンニバルと長年に渡り、Battle闘争を続けてきた古代ローマ。 ある時はローマが敗れ、ハンニバル率いるカルタゴが勝者となった。 

カルタゴとローマ。 ハンニバルとスキピオ・アフリカヌス(アフリカを制したことで、後にニックネームでアフリカヌスと呼ばれた)

二国は、時に勝者となったが正義とはならず、敗者となっても非正義と定義されたわけではなかった。

勝っても敗者を称える。まるで現代であれば、スポーツで一戦を交えた後、勝利者が敗者と握手を交わし、お互いをねぎらい力を認め合うかのように…。 ハンニバル戦記を読みながら、近代の戦争について書かれた史実を読む時のような重苦しさは全く感じず、何故か痛快だったのは、スキピオが昨日の敵と言葉を交わし、今日には男の友情を確かめあい、共に戦う親友となる者まで現れるからだろう。マシ二ッサがそうだ。 スキピオの父を死に追いやった相手にさえ、父の敵を打つといったような感情で動くことはしない。 著者の塩田七生さんも スキピオほど仇を討つという感情と無縁な男はいないと何処かに書かれていたが、スキピオその人ほど、古代ローマ人の「ひととなり」をそのまま感じさせてくれる人はいなかった。

策の巧妙さに驚いたり呆気に取られたり… 知恵比べ。裏の裏をかく戦法。 時に涙し、勝者に拍手を送り… 戦争ではない、そこには戦闘があった。 近代のように 勝者があとから慌ててこしらえた、国際法(…の内、平和に関する罪)なるものを振りかざして一方的に敗者を裁いたりするのではない。 それゆえカルタゴが遂に滅びても、ローマは敗者に想いを馳せたのだ。

紀元前202年、ザマ… ここが事実上、ハンニバルとスキピオが一線を交える最後の会戦となった。

ローマ人の裏をかいてきたハンニバルの裏をかく形で、ローマ軍はよりハンニバル的な布陣。一方のハンニバル軍はよりローマ的であったという。結果はローマがかつて敗れたカンネでの戦いをザマで再現させたような形でローマ軍が勝利した。 ハンニバルの策をこの時はスキピオが再現する形で…

☆講和条約☆

1.ローマはカルタゴを以後、独立国とみなしカルタゴの自衛権を尊重する…

・・・・

9.賠償金として一万タレントをローマに五0年間分の分割払いで支払う (日本円にして一年間に2億円)

10.…スキピオが選抜するカルタゴ人の子弟14歳から30歳までの若者100人を人質として送る。

 

賠償金は妥当な金額であり、しかも50年間の分割払い!…と七生さんは述べている。カルタゴの自衛権も独立国家とも認めているし、再起不能な額ではない、ということ。 若者100人の人質だが、これも現在でいうところのフルブライト奨学金と同じで、ローマ人の家庭に家族として迎えられ、その家庭の子供と一緒に教育を受けることが古代ローマ人が考える人質だったそうだ。 牢屋に入れられ鎖でつながれるのかと思ったら、そうではないらしい。いわゆる国費留学生のような待遇というわけ。

そしてー ここは七生さんの文をそのまま引用することにする;

「そして、日本人である私にとってとくに興味をひかれるのは、ここには勝者と敗者しかいないという事実である。正義と非正義とに分けられてはいない。ゆえに、戦争は犯罪であるとは言っていない。もしも戦争犯罪者の裁判でも行われていたならば、ハンニバルがまず、戦犯第一号であったろう。」

「しかも、ローマ人が『ハンニバル戦争』と呼んだように、第二次ポエ二戦役は、カルタゴ側がはじめたことは明らかである。ハンニバルが実に巧みにローマの宣戦布告を誘導したにしても、である。ローマ側が払った16年間の苦労、十万人以上の戦死者、十人を超える執政官クラスの武将の死を思えば、敗戦国にはなったにしろ、カルタゴの払った犠牲は驚くほど少ない。これを見ても、ローマ人は、敗者との間の講和を結ぶに際し、復讐に眼がくらむようなことはなかったのである。」(塩野七生:著 『ローマ人の物語 ハンニバル戦記(5)』 1993 P88)

七生さんによれば、スキピオ自身が講和の作成に関わっているそうなので、温和で人々に愛され、時には敵方ですら魅了したスキピオだったからこその講和内容だったのかもしれない。 そてにしても当時のローマ市民が 「市民集会」において、ただ一度で可決した、というのだから、これはもう、古代ローマ人が寛容だったというしかない。

 

 

 

紀元前200年頃までの古代ローマは、なんて寛大なのだろう。 いわゆる戦争WarsではなくBattles戦闘の後の講和条約に目を通し、七生さんの解説を読むと、とても分かりやすい。自分で歴史資料に目を通したとしても、素人の私には、第二次世界大戦当時の戦争の勝者が正義、負ければ単なる敗者ではなく非正義となってしまう歴史認識は間違っていると思ってはいても、上手く説明できない。 いったい、いつから敗者が悪、という風潮にかわったのか… そして当時のローマは意図的に市民を巻き添えにしていない。市民も兵として(税として)集められることもあったにせよ、常時ではなかった。古代ローマ人の価値観を現代にも生かせないだろうかと遂、思ってしまう。1945年当時の米国の価値観で生きてはいないオバマ大統領が広島を訪問した意義は大きい。オバマ大統領に同行する予定だったが、突然の病で広島訪問を取りやめた元米国兵士(だっただろうか)・・・古代ローマについて学んだことがあるかな…。何度も書き替えられたというオバマ大統領の原稿の一部が毎日新聞に掲載されていた。それは、オバマ大統領の手書きだった。米国民の半数にあたる世論に配慮し、本当に言いたいことも言葉にできない一人の”人”としてのオバマさんに触れた気がした。オバマ大統領はきっと歴史に精通し未来永劫…人類の平和を心から願ってやまない人であることだけは確かだ。Thank you, the President Obama, for visiting Hiroshima and wishing a world peace together with us!!!

 

アクセスアクセス
閲覧 781 PV UP!
訪問者 192 IP DOWN!
トータルトータル
閲覧 1,421,894 PV  
訪問者 366,965 IP  
ランキングランキング
日別 5,917 DOWN!
週別 7,239 DOWN!
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする