まず始めに、黒船来航に至る前に、どのようなことがあったか、書いておく必要があります。
17巻の感想を書いた際に触れましたが、オランダ以外、最初に日本と接触したのは、黒船来航、すなわち米国ではなく、実はロシアでした。私はこの本を読むまで、そんな史実を全く❕❕知らなかったのです。Σ(・□・;) ずっと黒船が突然、現れたと思っていました。
逆説の日本史 17 アイヌ民族と幕府崩壊の謎 井沢元彦
これは歴史の流れを教えない(歴史家の皆さんが意図的に隠そうとしているのかどうか分かりませんが)学校教育上での歴史教科に問題がある気が… 💦
同時に、幕末の政府(幕府)の対応にはガッカリ…
非常に紳士的で忍耐強かったロシア使節団に対する幕府の対応次第では、その後の日露戦争、ノモンハンも避けられたのではないかと… 義和団で最も勇敢だったのは日本人とロシア人だったようですし。当時の清国在外公館にいた英国人マクドナルド氏は、実際、日本の駐在武官、柴五郎(しばごろう)を絶賛。その内容はタイムズ紙にも掲載されたそうです。小説、『黄砂の籠城』の巻末にも実際の記事が紹介されていました。
チャプリンやモネ、アインシュタイン、ヘレンケラーが述べている日本人観とほぼ同じでした。
最後にマクドナルド氏は、「日本はこれを持って列強の仲間入り」と述べたそうで、その後の日英同盟へ。
…話がズレてしまいましたが、来航した外国船に対する幕府の対応を以下に抜粋します~;(101ページを参考に)
1792年、ロシア使節 アダム・ラックスマンに対し、幕府は 「漂流民は松前で受け取り、シベリア総督の通商要求の信書は受理せず、通商拒否。 長崎へ入港するよう指示。ロシアはこの時は長崎へ寄港せずロシアへ帰国。
1804年、 ロシア使節 ニコライ・レザノフ 最初のコンタクトから12年後、日本に言われた通り、長崎へ入港。この際、幕府は日本の漂流民は長崎で受け取り、半年間もレザノフを長崎の出島に監禁に近い形で留め置いた。(信じられんん!) 「家康公より日本は通商を行わない、とウソをつく。いや、本気でそう信じていたのかも? 家康は英国と交易しており、鎖国主義者では全くなかった! 更に信じられないことに、食料も燃料も装備も不十分な状態で長崎から出航させた! 幕府の老中は鬼か!
1837年、アメリカ商船、モリソン号 浦賀に来航。 非常に不幸なことに イギリス軍艦にヤラレテいたこともあり、(フェートン号事件 詳しくは17巻の感想を~)その後こしらえた「異国船打払令」により砲撃。民間から貿易を…とやってきたアメリカ商船だったが、民間外交は難しく、米国政府が動いてくれ~という話になる。 幕府は通商拒否。漂流民はオランダを介して薩摩藩へ送還させた。
1846年、アメリカ使節、ビットル艦隊 浦賀に来航。 またしても幕府は通商拒否の方針を書付で伝える。この時は食料等を与え、立ち去らせる。
この流れで 幕府の二枚舌交渉を研究し尽くしたペリーが準備万端 (…と言うわけでもないようですが。政府が約束した船の数より少なく、4隻でやってきたので) 来航。 突然やってきた!と思っていたのは そのように歴史の授業で思わせられただけだったと今頃になって判明。 あ~ 恥ずかしや~ 💦
「たった4杯で 夜も眠れず🍵」って小学校ノートに書きましたわよ、私。4杯は黒船ですね、いうまでもなく。
そりゃ一般庶民は驚いたかもしれないものの、幕府は当然、「予測できたこと」だったのに。 1884年、オランダ国王から 「開国せねば日本は滅びますよ」と親書を受け取っていながら、無礼な返書を送り、黒船来航まで猶予もあったにもかかわらず、準備を怠った老中の責任は重い。老中阿部正弘、の署名があるのですが… 薩摩の島津斉彬と親しく、彼を藩主に押し上げたり…と、大河ドラマを見ていると賢そうだったのですが… 外交はまるでダメ! かなり阿部氏の印象が変わりましたね… 『西郷どん』の時は、やり手と思ってみていただけにガッカリ。
この18巻の後、19巻は先に読んでいるので、簡単な感想をすでに書いており、更に20巻も読み終えました。こちらの副題は、『西郷隆盛と薩英戦争の謎』
こちらで変わった印象といえば… 長州藩。まるでテロリスト集団ですが、最初は攘夷、鎖国派から徐々に開国派へと変わっていった志士たちの筆頭、高杉晋作。公使館焼き討ちを計画するも、桂小太郎から 「松陰先生も米国へ渡り、学ぼうとされた」と留学(密航)を勧められ、実際に行った先は上海。清国は 便も垂れ流し、その川の水を飲料水にしている。このままでは日本は列強の思うがままだと、開国派となった高杉晋作。 ところが長州では、そんなことを口にすれば裏切り者!と斬られる。 長州藩の隠れ開国派は他にも。 藩命を受けて密航し、イギリス・ロンドンで学んだ『長州ファイブ:伊藤博文、井上馨、野村弥吉(やきち)、遠藤謹助(きんすけ)、山尾庸三(ようぞう)。彼らが密命で留学していた、しかも、その前はバリバリの攘夷派で、伊藤博文も公使館焼き討ち(正しくは建設中の公使館だったので、誰も死ななかった)に加わっており、そのことをイギリスには当然伏せていたため、 ある英国人が 彼らに 「ほら、日本人のことが褒めてあるよ」と見せたらしいのですが。 そこに書かれた記事では、長州藩が異国船に立ち向かう様子が語られ、そのうちアームストロング銃も自前で製造し、改良さえ加えるだろう。 清国民であれば、街が燃え上がる前に、戦わずに逃げ出しているだろう。日本は侮れない、日本と手を組む道を探るべきだ」という内容。 (英語で読みました) 日本人職人の技術の高さを褒めちぎっている印象でした。
記事を彼らに見せたイギリス人も、まさか彼らが公使館焼き討ちに関わった、記事で悪党とされる長州出身とは知らなかったでしょうが… 伊藤と井上は慌てて帰国を決意。 もし二人が同時に殺されることを想定し、3人はイギリスに留まることにしたそうです。
結局、彼らは「間に合った」のですが、交渉する二人を 「イギリスに媚びる裏切り者」と長州藩の志士に命を狙われているのですね。しかも何度も。 高杉晋作も 「いくつ命があっても足りない」と言っている。
そうそう! 長州ファイブのイギリス留学については、世間には余り知れ渡っていないらしいですが、こちらの小説でも伊藤博文らが 藩命を受けてイギリスへ密航し、公使館焼き討ちの過去をシャーロックホームズに知られるシーンも描かれています。
面白い小説ですのでご一読を~
先日、紹介したばかりの、こちらの小説と同じ作家さんです
西郷隆盛については… 久光との確執など、大河ドラマでも観ていますし、今回は省略します。
(今年、20冊、21冊目)
うずらにゃんこ