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日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

悪名高き皇帝たち(20) ネロ皇帝

2016-07-30 19:16:59 | 読書

 皇帝クラウディウスが妻の野望により命をたたれたあとを継いだのは、わずか16歳の前皇帝にとっては義理の息子、すなわち2番目の妻アグリッピーナの連れ子であるネロだった。アグリッピーナはまだ少年でしかなかった息子、ネロの方が自分の意のままに操れるとでも思ったのかもしれないが、ネロとて いつまでも少年ではない。アグリッピーナが息子の教育係に…と選んだ哲学者であり教育係ともいえるセネカは、生まれはスペインだが、著者、塩野氏によると、本国ローマ以上にローマ人といえる人だった。若くして皇帝となったネロに、国を統治するとはどういうことか? 何が必要かを問いている。それが何とも深い。2000年近くも後の時代を生きる自分たちにとっても深いので、以下、21ページ1-3行目より抜粋して紹介したいと思う。

 「同情とは、現に目の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を生んだ要因にまでは心が向かない。これに対して寛容は、それを生んだ要因にまで心を向けての精神的対応であることから、知性とも完璧に共存できるのである」

 もう一つ興味深いことは、「教育の成果とは、教える側の資質よりも教わる側の資質に左右されるものである」と塩野氏が述べている点だ。遂、教わる側としての自分はこれまでどうであったか、或は逆の立場では?と自分に置き換えて考えこんでしまう。さてネロ皇帝の場合はどうか?

 当時のローマ市民には 「国家の敵」と断罪されてしまう。国家のために何もしなかったのではない。それどころかローマ市内が大火災に会った時など、暑さを避けてローマから50キロ離れた別荘にいたネロは、直ちにローマ入りし、テキパキと被災者救済の命を下した。ネロの敏速さには驚くばかりだ。「初めてのことじゃから」と言った何処かの国の高齢の首相とは違う。屋根がある公共施設すべては、避難民のために開放され、それでも収容しきれなかった避難民のために大量のテントが張られたという!ローマ人の軍隊はテント張りには慣れている。軍を指揮して被災者救済の指揮をとる若き皇帝は、ローマ市民にとって、さぞかし頼もしかったことだろう。実際、市民の支持率(世論調査などないだろうが)かなり上がったらしい。被災を免れた地区から小麦をすべて運ばせ、食料の提供も忘れなかったばかりか、すべて無料だったという。現代の日本なら…これは古代ローマの話。若き皇帝にも このようなシステムにも驚くばかりの私‼

 では、なぜネロ皇帝は、悪名高き皇帝として名を残すことになってしまったのだろうか…? それについては割愛し、どうしても憎めないどころか私にはむしろ良き皇帝で、愛着すら感じる彼について、忘れられないエピソードを書いておきたい。

 ネロはギリシア文化に魅せられていた。ギリシア発祥のオリンピック。これをローマでも始めようと提案。実際にローマンオリンピックがネロによって開催された。ただ、競技に参加するのは市民ではない。では、誰かというと、元老院の執政官たち…日本でいえば、国会議員や官僚たちだ。映画『テルマエ・ロマエ』の影響で、ローマといえば風呂好きローマ人の姿が浮かぶが、実際、古代ローマは上半身裸で風呂に入り、使用人である奴隷の前では、裸も見せてはいた。 見せてはいたのだが、競技場という言ってみれば公共の場で たるみかけた腹を見せつつは走ったり、やり投げをしたりする姿をローマ市民に披露することを好んだのでは勿論なかったらしい。皇帝の命令だから…と、元老院たちは仕方なく従ったようなのだ。「皇太子の命令だから。。。」と仕方なく安倍氏や大臣たちが競技場でかけっこをしたとしたら…市民である私は、お腹を抱えて笑い転げるかもしれない。実際、塩野氏の文章を読みながら、声を出して笑ってしまった。ネロ皇帝、やってくれるじゃない🎵ってなもんである。元老院側から見れば、苦々しく思ったようで、こうしたことも元老院を反ネロ皇帝派にしてしまったようだが…。  

 更にネロは、「歌う皇帝」でもあった。琴を演奏し、自作の歌を歌うことも好んだ文化人の皇帝は、地方で試しに歌手デビューしている。その時の拍手喝さいに気を良くしたネロは、ローマ市内で遂に中央デビューも果たした。のど自慢のようなイベントに出場し、一般市民と同じく歌い終わったあとも檀上に残り、最後の審査員の結果まで座っていたという。主催者は、ネロ皇帝には無条件に優勝を…と申し上げたらしいのだが、ネロ自身が断った! 檀上でハラハラしながら結果を待つ皇帝の姿にローマ市民の反応はどうであったのだろう。ローマンオリンピックで面白いものを見せてもらった時のように、やはり皇帝というよりは一般市民のようなネロに親しみすら感じたのではないだろうか。

 最期は自ら命を絶つという運命を辿る皇帝ネロ。私にはどうしても憎めないのだ。実際、ネロに ノーと言ったローマ市民だったが、時期皇帝が立った、わずか数か月後には、ネロを懐かしむ声がささやかれることになるのだった…。

 そして ここまで続いたユリウス・クラウデゥス朝も終焉の時を迎え、一年の内に皇帝が三人も変わるという混迷の時代となったのだった。

 

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首位攻防戦 ホークスvsファイターズ

2016-07-30 18:22:43 | ホークス

 昨夜はゲーム中盤からテレビ観戦したのですが、応援に力が入りすぎて、相当疲れました。でも、結果的には第一戦を取れたので、良かったです。これで負けていたらと思うと…

 昨日の殊勲賞は、なんといっても怪我から4か月ぶりに一軍復帰した、明石選手! 相手投手を打てないジレンマに陥っていたホークスナインも、彼が追い込まれながらも粘って3塁打。そのあと、低めを見送るようになって、攻略出来たようなもの。彼の18ファウルの記憶は、今だに私の中では、とっても鮮明!

 ワッチも11勝目。審判がボウルの判定ばっか出すので、(わっち自信の投球を・・・)途中、何度も座り込む場面も! あとのスワレスも、守護神サファテも同様!外国人投手は座り込みはしないけど、顔に出すので、今のがストライクじゃないのかっ!?Oh my God!!!って語っていました。アナウンサーも 「セーフ。…? いや、ボールです」と言い直し。 解説は 「今のは(投手に)気の毒ですね…」と別の場面でもコメント。その点、相撲は行事差し違いもあるのでフェアでいいなぁ。野球の審判を審判する制度があればいいのに。

 第二戦はナイター。ラジオで応援中でです♪

 そうだ! 今日は高校野球福岡大会、決勝戦で、九州国際大学付属高が勝ちましたっ! いい試合でした~ (中盤以降から見ましたが…)夏の甲子園も楽しみ~ リオ五輪も始まる~ スポーツの夏は熱い~

 

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悪名高き皇帝たち(19)巻を今、この時代に読み終えて感じること; 古代ローマから学ぶ寛容の精神

2016-07-28 06:06:52 | 読書

 実際には悪名高いどころか前皇帝によって破綻した政治経済の舵取りを誠心誠意行ったクラウディウスだった。50代まで歴史家として生きてきて、全く思っても見なかった突然の皇位だったとはいえ、歴史に通じていたということは、古代ローマの歴史を研究する中で、歴代の皇帝の長所、欠点も理解していたであろうから、その点も役に立ったのではないかと想像する。歴史研究に没頭し、静かに暮らしていたであろう人が、突然かり出されたことで、皇帝になった当初は人前に出ると、どもる傾向にあったようだ。身なりにも無頓着であったため、市民や元老院から馬鹿にされる要因ともなっていたらしい。しかし何度も演説を繰り返す内に どもりは消えたという。後に後世に語り継がれる名演説を残すことになる。

 もう一つ、「悪名高き」皇帝となってしまった理由として、妻にまったく恵まれなかったことがある。次期皇帝は、クラウディウスと前妻の間に生まれた男子ではなく、自分の連れ子をつかせようと準備を進めていた再婚した妻、アグリッピーナ(初婚の妻、メッサリーナも悪女で市民から嫌われ破綻した、すなわち殺された)の尻にひかれていたことが、市民たちから軽蔑される理由の一つとなった。自分の連れ子であるネロを皇帝につける準備を着々と進め、彼の脇でサポートする陣営を選び抜き、登用させることに成功。(皇帝は彼女のしつこさに負けて判を押すことがしばしばあった)遂には毒キノコ入りの食事を食べさせ、毒殺したのだった。なんという最期!

 世間の軽蔑にもろともせず、元歴史家らしく政務に没頭し、破綻した経済を立て直した皇帝クラウディウス。途中、島に隠居したかのように見世間からは見られてはいたが、(居心地よい家庭ではなかった)監視の目を緩めず離れた島から指示をだし、キッチリ最期まで政務を行った第二皇帝ティべリウスと重なる部分もあり、全くもって立派な皇帝であったと思う。著者である塩野七生さんも述べているが、いつの時代も自分たちが生きている時代が「大変な時代だ」と一般市民は思いがちであり、また政治に対して素人であるゆえ、人気取りのような政策(第三皇帝カリグラが税金を廃止し市民を喜ばせたが、国庫が破たんしたように)、パフォーマンスに騙される。どこかの国の何処かの政治家や国民のようだけど…。そして平和であったからこそ、ローマ市民は皇帝の身なりや妻などゴシップのような話題に関心を寄せる暇も十分あり、蹴散らすこともできたのかも…

 ここで歴史に残る演説の紹介を…。それは、開国路線を宣言した時のものだった。元老院の欠員をどのように補充するか?という問題が持ち上がった時のことである。ローマの議員の大量補充の必要性の事実を知ったガリアの部族長たちが、自分たちにもその議席を…と訴えてきたらしい。これに対してローマのエリートで占められている元老院たちは、猛反発した。歴史をみれば、統治先(元は敵国)から議員を大量に補充した最高司令官に、ユリウス・カエサルがいた。それが暗殺される原因となりはしたが…。ここは元歴史家で恐れを知らぬクラウデゥスらしい。元老院の反発には、次のように述べたという。

 「わたし個人の先祖を思い出すだけでも、その最も古い人と言われているクラウススは、サビーニ族の出身だった。その彼がローマに移住した紀元前50年、ローマ人はこの他部族出身者とその一家族を自分たちと同等のローマ市民にしただけでなく、クラウススには元老院の議席を与え、貴族の列に加えたのである。これら先人たちが示してくれたやり方は、われわれの時代になっても統治の指針になりうると考える。それは出身地がどこであろうと出身部族がかつての敗者であろうと、優秀な人材は中央に救い上げるべきとする考え方である。

 われわれはユリウス一門が、三代目の王トゥルス・ホスティリウス(紀元前673-641)によって征服されたアルバからの移住者であることを知っている。…(ここで あらゆるローマの名門といわれる一門も元は敗者からの移住等の歴史、そしてカエサルによるルビコン後の国境と敗者を組み込んできたローマの歴史を延べている)

 スパルタ人もアテネ人も戦場ではあれほども強かったのに、短期の繁栄しか享受できなかった。その主因は、かつての敵を自国の市民と同化させようとせず、いつまでも異邦人として閉め出すやり方を続けたからである。(以下、略)」『ローマ人の物語(19)』引用:133ページ11行~135ページ12行

 古代ローマにあった寛容の精神こそが、ローマ帝国繁栄の理由であっただろう。殺伐とした現代を生きている私達(障害者施設で起こった事件や世界中で多発するテロなど、他者を受け入れないとする考え方etc)今、求めるものは、古代ローマ帝国を繁栄させてきた根底にある寛容の精神だと思う。共存共栄の答えが、彼の演説に集約されていると思うのだが…。歴史家皇帝だからこそ生まれた演説であり統治のあり方だったのか。私達が歴史を学ぶ意義、現代に生かす意味を考えさせられる。 事件当日はショックすぎて何も語れず書けず触れることさえ出来ずだった、あの事件…しかも犯人は元職員だなんて… バングラデシュのテロからも まだ完全にショックが消えていなかったのに。今度は国内で、しかも障害者施設という自分にとっても馴染みのある場所で奪われた命…ご冥福を心からお祈り致します。

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塩野七生:著 『ローマ人の物語』 ~悪名高き皇帝たち~ (17)(18)巻

2016-07-27 22:23:36 | 読書

 著者の塩野さんは、「悪名高き~」と述べているが、これは逆説的な言い方だ。現代を生きる我々から見ると、少なくとも一人の皇帝を除けば、カエサルが練り、アウグストゥスが実行に移した帝政ローマを盤石なものとし、統治する能力という点に置いては間違いなくティべリウスは優れた皇帝であった‼といえる! アウグストゥスは跡継ぎに血を受け継いだ者を望んだが、彼の息子たちは相次いで亡くなったため、後継者となったのがティべリウスだった。彼は身内にこだわらず、適材適所に優れた者を登用し、カエサルが描いたローマの姿を完成させた。それなのに、なぜ、当時を生きたローマ人や歴史家、知識人から不評だったかといえば、小泉劇場のような人気取りのパフォーマンスは一切やらなかったから。彼の右腕、左腕となって活躍した数名を除いては、知人関係にいたっても大勢の人に囲まれて…というタイプではなかったこと。そして何よりも、アウグストゥスによって離婚させられた妻が忘れられず、その後、政略結婚させられた妻とは折りが合わず、その他諸々理由はあったあっただろうが、晩年になって首都ローマを離れ、島に引っこんでしまったことだ。市民や元老院の目には、皇帝が政治を放置し逃げ出したかのように映ってしまったようなのだ。しかし彼は何処にいても使者を本国ローマに送り、監視の目を怠ることなくローマを統治し続けた。老いてもティべリウスは何処までもティべリウスだった。カエサルのようにカリスマ性があった訳ではないが、見事なまでにカエサルが描いていた帝政ローマをほぼ完成させていた。時期、皇帝となったカリグラは、この上なく完璧に近い形でローマの第3代皇帝となる。

 「一人を除き」優れた皇帝だったと先に私は言ったが、この「一人」の悪名高き皇帝こそ、カリグラだった。前線で活躍し人気者だった父、ゲルマ二クスが本来であれば、ティべリウスの前に皇帝になるであろうと思われていた人物だった。30代で若くして亡くなったゲルマ二クスの息子であるカリグラが皇帝になった時、当然市民や元老院たちから大歓迎された。ローマ市民にとって最も大切な小麦の生産量もインフラ整備も周辺諸国との平和維持も、いってみれば すべてが順調に回っている状態での皇帝就任だったカリグラ。先の皇帝、ティべリウスのお蔭で国家資金も豊富にあった。若いカリグラは減税を行い市民に歓迎されはしたが、浪費癖があった。エジプト王のような巨大な船を作るなどし、あっという間に国家資金は減り、わずか4年の在籍期間で底をつき、地に落ちてしまったのだから呆れる。カリグラは、彼の父、ゲルマ二クスの下で働いていた近い側近によって暗殺され、生涯を終えたのだった。しかし この場合、暗殺した方が苦しかっただろうと察する。尊敬する師、ゲルマ二クスとは余りに掛け離れた息子、カリグラの悪政ぶりに…。 父、ゲルマ二クスと共に国境沿いで育った幼きカリグラのことを「小さい軍靴」と親しみを込めて兵士達は呼んでいたくらいなのだから…。

 何はともあれ、悪名高きカリグラによる時代は、側近による暗殺によって幕を閉じ、急遽、時期皇帝にされたのは、クラウディウスだった。彼はそれまでは歴史家として54歳まで生きてきた。最初は乗り気でなかったようだが、元老院によって『第一人者』、すなわち皇帝に推薦されると、(古代ローマは あくまで表向きは市民、元老院、による共和政だった。ユリウス以下、実質は皇帝による統治となっていたが…)「受け入れる」ことにする。ここに第四皇帝が誕生したのだった。

 破綻しかけたローマの経済と外交の立て直し。やるべきことは山ずみだったが早速、クラウディウスは取りかかる。…とはいえ、彼一人では到底出来ない仕事量だった。そこで彼が考えだしたのが、信頼できる3人の解放奴隷に仕事を振り分けることだった。クラウディウスに会いたければ、まず、元老院の面々も解放奴隷出身の秘書を通さねばならなくしたのである。プライド高き元老院には、不評だったようだ。だがこのシステムは機能し、のちの官僚政治の原型であるとも言われているそうだ。彼もまた、妻に振り回され、いいなりになるところがあった。なんというか…黙々と無言で仕事をこなした皇帝という点で、第二皇帝ティべリウスとクラウディウスは重なる。正直で、本当にローマのことを思い、ただ黙々と信じたことを突き進む… 決して市民受けするような、人気取りのようなことはしない。日本でいえば、元・福田首相(息子)の顔が浮かんでしまう。ただ、「小泉政権の尻拭い」といいつつ、途中で退任してしまった福田氏なので、島に引っこんでもなお政治のかじ取りをしていた先のティべリウスほどの政治家ではなかったのだろうけれど。非常に残念ながら…。

 クラウディウスの話だった!続きは明日以降に…

 

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楽しかったけど、終了直後はΣ(゚д゚lll)ガーンだった英検準一級の2次試験体験

2016-07-20 10:15:55 | 英検1級 漢検準1級 試験勉強

…なんて長いタイトル! 7月10日(日曜日)つまりは選挙の日。(もちろん投票しましたよ!当然だけど棄権したのは海外在住で簡単には投票出来なかった時期のみ)夜8時までなので、試験が終わって映画を2本(『家族はつらいよ』『ハナちゃんのみそ汁』)観終わってからでも、十分、間に合いました。

 本題の英検2次試験ですが…。朝9時15分。小倉YMCA集合!でした。 ここへ行くのは、妹が中学生だった今から何十年も昔。他教科は?な私も英語だけは熱心に教えていたある日、「英検4級を受ける!」という妹の付き添いでやってきて以来のこと。正直、あの時期の自分は小倉を全く知らず…。それなのに よく無事に辿りつけたなと、不思議に思います。妹の試験終了後、人生初の「マクドナルド」でミルクシェイクなるものを口にしましたっけ。「さすが~小倉は都会だ!」と軽く感動した記憶が… いやぁ~懐かしい。

 いざ、受験票に印刷された地図を頼りに受験地へ。YMCAって、こんな場所にあったっけ?みたいな場所にありました。教会の近くです。路地のような… 地元っぽい女性に道を尋ねても、「さあ?」のひとこと。早目に自宅を出て正解だった!と朝から焦る私。なんとか自力で辿りつき、受付を…しかし、

 「まだ、時間になりませんので」

とのこと。蚊がいるから外で待つのは嫌だなぁ…暑いし…。でも仕方ないか、まだ8時半。ちょっと早く着きすぎた? 私と一緒に数名が外に立たされた状態で待っていました。

 8時45分頃になると、道にあふれるとまでは行かずとも、結構人が集まってきました。

 「早いですが、受付開始します!」

やっと建物の中へ入れます。やれやれ… 高校の制服を着た人が多い所を見ると、予想外に一次突破出来たんだ…!と思っていたら、その多くは…というよりは、1、2名を除いて準2級受験者だったことが判明。控室が受験級によって違うのです。準一級は、教室ではなく、広いホールのような場所のテーブル席に順に座らせられました。他の受験者と向かいあって座って待つことになるので、ちょっと…でしたけど。一次も二次も何も持参しなかった私だけ、ぼ~っと待ち、他の人はテキストを熱心に眺めていました。母娘の親子受験組もいました。娘さんは私服だけど、恐らく高校生。(もしかしたら大学生?)あとでお母様はECCの先生だったと判明。そして偶然ですが、昨日はECCの面談/教室訪問の日だったのです。当然、準一級の話題にもなりました。 昨日は合格発表日でもあったので。

 私は2番目。私より先に外で立って待っていた女性が一番に入室。しーーんとした廊下に椅子を並べ、待つこと10分程度? 聴こえてくるのはブザーの音だけ。ちなみに私が試験を受けている間は、ナレーションを考える1分間終了を知らせるブザーが一度、鳴っただけでした。すべて即答だったからでしょうか…。質問されて、私が喋り始めると、ストップウオッチ?を押していたようなので。

 面接官は、私と同年齢くらいの日本人男性でした。いくつか質問をやり取り後、実際の試験が始まると思いこんでいた私は、「自己紹介をして下さい」と言われ、一瞬戸惑いました…が…しかし…先ほど名前はすでに述べていたので、仕事のこと、趣味のこと、家族のこと、住んでいる町のこと…っていつまで続けるのだろーか?と疑問に思いつつも もういいですよ、とはならないし、「英語を勉強し直して海外旅行をするのが夢です、あ、でも、今は時間がなくて…でも この年齢ではですね…Since I'm getting older,it's so hard for me to learn it all over again!といい、取りあえず照れ隠しのように にこっとしたつもりでしたが、多少、引きつっていたかもしれません…。でも面接官の方もにこっとされたので、よしとしませう。そして ここで自己紹介終了~(おお、やっと!) 今にして思えば、自然な流れでの自己紹介~試験開始~が大事ですものねぇ。

 次に4コマ漫画?が手渡され、ナレーションを考える時間は1分とのこと。「老人が魚釣りをしている。おそらく妻がグラフを老人に見せ、釣れる魚の数は減少していることを説明…ってことは、老人は漁師だね…親子の会話を老人が耳にする。海上体験ができたら面白そう!と、幼い女の子が両親に言っている。これに老人はぴんとする(ってとこは補足説明した私)老人が新しく始めたビジネス。舟から鯨を観て観光客が楽しんでいる。しかし、ある日、夫婦は環境破壊に関するニュースを見て、後悔し始める…」

 2分間でナレーション。各コマ2行プラス補足みたいな説明で、あ、時制の一致がなってない!と途中、言い直したりしつつ終了。Have you finished? と聞かれたところをみると、(え…短かすぎたのかな?)と不安に…。

 「では、今から4つの質問をしまーす!」

最初に聞かれたのは、「4つ目の写真を見て下さい。もし、あなたが男性(老人)だったら、何と思っていますか?」ですって! あの...すでに私、述べましたよね、ナレーションの最後で。「こんなことならビジネスを始めるのではなかったと、後悔し始めた」と。同じことを言ってもいいのだろうか…。と一瞬思ったものの、出だしは恐らくダブって答え、何か付けたしました。自己紹介と同じく慌てたので詳しいことは覚えていません…

残り3つの質問は、途中、論点がずれてるかも?と思ったものの、賛成か、反対か、最初に言って、あとはその理由…自分の意見を述べれば良いので、あっという間に終了~ 

そして・・・・運命の その時は・・・・やってきた

試験が行われた日、ブログも更新してはいますが、「英検の2次試験を受けた」とはっきり記述出来ない程にショックだったのは、「見えてしまった」からです。面接官が塗りつぶしたマークシートの黒丸がっ! 立ち上がった際、偶然丸見えでした。 端だったので、ナレーションの評価だけ上から2番目に黒丸。その他、中央はすべて一番上に黒丸がダダッと付いていたのです! 普通に考えたら、上から①②③④⑤の5段階評価だよね? ってことは、私は通知表でいえば、①のオンパレードと、たった1つの②ってこと? ナレーションは短すぎて(たぶん)或は話しながら文法ミスに気付いて言い直したりしたから、その他の質問はしゃべりすぎて論点がずれていたのがいけなかったのかしら? だって、いったんはイェスといいつつ、ちょっと待てよ、この場合は…と But...in this case... Well, it depends....と途中、言い始めて、結局まとまらないまま や~めた!みたいな…?

 Σ(゚д゚lll)ガーンなまま、「気分転換に映画でも観て帰るかぁ~」と気持ちを切り替えたのでした。立ち直り はやっ そして帰りは図書館、選挙、帰宅して相撲(おわりの方だけ)そんな試験日でした。

 そして昨日はインターネットで合格発表。最終的な結果は25日以降、届きますが、晴れて合格でした。面接だけ見ると、1級合格点にかなり近いではありませんか 信じられーん!帰国子女じゃないし、中学校に入ってから初めて英語を習い始めたし、日本帰国後、英語は使わないし、益々錆び付いたブロークンイングリッシュ。それでも(多少、論点がずれても)評価はされるみたいです。中高年の皆さん、やり直しイングリッシュ、共に楽しみましょう~

 PS 結局、上から⑤④③②①だったってことですよね。な~んだ 一次的でも落ち込んで損しちゃった。

 

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よしもとばなな著 『アルゼンチンババア』

2016-07-14 16:51:40 | 読書

 タイトルにまず驚く。アルゼンチンは国名だけど…ババア!? いったい、どんな物語なのだろう。『あこがれハワイ』のような異国情緒あふれる、時間がゆったりと流れているような物語とは反対に、アルゼンチンだものね。情熱の熱い国。ラテンの国。タンゴの国。きっと、夜通し踊りまくっているような元気なおばあちゃんが登場するような、やっぱり異国情緒あふれる話かな、と思い読み始めた。

 やはり 「キッチン」のよしもとばなな(さん)だった。身内の死から物語は幕開けする。誰もが直面する、だけど、それは ある日、突然、何の前触れもなくやってくるときもある。いや、むしろ、何の心の準備もなく ある日突然、これまでの生活が 180度、昨日までと違う歯車でもって回り始めた…いや違う。 ここで時間が ピタッと止まってしまった。 

 アルゼンチンビルと呼んでいた幼い頃の思い出。 そこに住む国籍不明のアルゼンチンババア。残された父が選んだ生き方。 不思議な空間を 不思議な時の流れと共に 主人公は、そして彼女の父は生き始める。

 一度は止まってしまった時間を 再び刻み始めさせるもの。 母との思い出と幼い頃の自分と今の自分、父、そして一歩、踏み入れた庭とビル…。一見、そこは廃墟のようでいて、そこに生きる人とー 何よりも確実に流れる時間(とき)があった。

 

 熊本・大分 猛烈な雨と土砂災害… 一日も早く時間が元通り流れ始めますように…

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ローマは一日にして成らず 『ローマ人の物語(2)』塩野七生:著

2016-07-14 16:01:18 | 読書

 あれほど高度な文化を築いたギリシアは何故衰退し、ローマは繁栄したのか…? この疑問を追及すべく3人のギリシア人がローマを研究した。彼らの名は、まず、ディオ二ッソス 彼は宗教についてのローマ人の考え方をあげた。「人間を律するよりも人間を守護する型の宗教であったためか、狂信的傾向が全くなく、それゆえ他の民族とも、対立関係よりも内包関係に進みやすかったからだろう」(207ページから抜粋)ほかの民族の宗教はもちろん、言葉もすべて認めるということになる。今でこそ当たり前的な価値観となった多文化共存も、ギリシアを始め古代はそうではなかったのだから。

 次に塩野氏があげたギリシア人の名は、自身政治指導者であったポリビウス。彼は、「ローマ独自の政治システムの確立にあった」とする。(同207ページから抜粋)更には 「王政、貴族政、民主政という、それぞれが共同体の一部の利益を代表しがちな政体に固執せず、王政の利点は執政官制度によって、貴族政の利点は元老院制度によって、民主政の良いところは市民集会によって活用するという」、ローマ協和政独自の政治システムを確立した点をあげた。

 三人目はプルタルコス。彼は、「ローマ人は敗者さえも同化する彼らの生き方である」、と明言。ギリシアでは同じアテネに生まれても、多民族にアテネの市民権を与えるなど、問題外だった、というから頷ける。日本では今なお外国人が日本の永住権or国籍を取得するのは難しいのだから。

 

 軍事力だけで古代ローマが繁栄し続けたとは到底思えなかったが、「宗教、人種、言葉、文化や肌の色…」これらすべてを超えて 七生さんは「同化」と言っているがオーストラリアの同化政策と混同してしまいそうなので、ここでは多文化が上手く交じりあった結果… 故の古代ローマの繁栄であったのだろう。(これに統制された軍事力とインフラ整備があったから)

 読む順序があとになってしまったが、「パスク・ロマーナ」まで読み終えた後だからこそ、これまでのローマ史を振り返り、「ローマは一日にして成らず」を実感てきた点は良かった!と思う。

 

 

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御厨まさと:著 『僕たちの70's(セブンティーズ)あの混沌とした、輝ける時代 』

2016-07-11 23:17:48 | 読書

 随分前、著者ご本人から購入しました。私と同じく福岡在住でFBでお世話になっております。過去に2冊の著書をブログにてご紹介しましたので、お名前を覚えていらっしゃる方も…いらっしゃるかと…? 

 過去2冊の著書は、購入と同時に一気読みでしたが、今回の著書はこれまでとは勝手が違います。70年代辞典的な読み物というか、何処から読んでも、つまみ食いしてもOKな感じです。実際、私も気になった箇所から読み、しばらく置いておき、また思いだしたように…といったような読み方をしました。Youtubeで懐かしくなって、改めて聴いてみた曲もありました。それゆえ紹介が遅くなってしまいました。

 69年生まれの私は、70年代は赤ちゃん~幼児期~小学校低学年です。その時期、この世に送りだされた歌、曲、映画、CM、事件などなどが紹介されています。全く知らないものもあれば、懐かしい~と思うものもありました。キャンディーズ、ピンク・レディーなどがそれでしょうか。特に好きだったのは、打者、王さんがモデルとしか思えない曲、サウスポー。当時は野球に詳しくなかったので、わけも分からず歌っていた歌詞もあります。「弱気なサインに首を振り…」くらいは分りますが(笑) ドリフターズも懐かしいです。家族そろって同じテレビ場組を観る、なんてこと、最近は少ないのでは? スマホ片手に、それぞれに…になっていそうです。

 リアルタイムでは知らないものの、ヒットから20年近く経ってから親友を通じて知った懐かしい曲も紹介されていました。その中の一曲が、

Bridge over troubled water サイモン&ガーファンクル『明日に架ける橋』 です。ギターで弾き語りをしながらこの曲を紹介してくれた友達自身、"This song was just a "common sense song" until I met you. It's YOU who give the meaning to this song" と語っていました。こんなに嬉しいことは無かったです。Because that was the first time I felt I found someone very special, so trusting friend in life. 

皆さんにとっての70年代は? 今回は洋楽を一曲選びましたが、もし機会があれば、See you again and let me talk more about the 70's for me!

 

 

 

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ローマ人の物語⑭⑮⑯巻 パスク・ロマーナ

2016-07-11 20:35:21 | 読書

 ユリウス・カエサルの養子オクタヴィアヌスは、カエサルの暗殺により、突然19歳の若さで後継者となる。ユリウスが遺言書を残し跡継ぎとしたのが彼だったが、ユリウス自身、遺言書を残して数年後に暗殺されるなどとは、思ってもいなかったであろうからあと何十年かは元気でいると仮定して…の若き跡継ぎだった…? その若き後継者は胃腸が弱く、戦場で力を発揮するタイプではなく、しかし平穏な時代を統治するにはふさわしい人物だったようだ。結局、77歳という長寿を全うし、若くして国政を任された訳だから、彼には時間があった。

 著者、塩見七生氏によると、「アウグストゥス」それは、権力抗争からは超超した立場を意味したらしい。以後、彼はオクタヴィアヌスではなく、アウグストゥスと呼ばれることになる。

 もう一つ、インぺラトール。”これもまた、亡き父カエサルに認められていた使用権を自分にも認めてほしい、という彼の要請に許可を与えた元老院にしてみれば、勝戦の将に兵士たちが贈る呼び名にすぎなかったのである。だが、この名称の使用権が、彼に認められていたローマ全軍の最高司令権を意味する「インぺリウム・プロコンスラーレ・マ亻ウス」と連結すると、「インぺラトール」とは、ローマ全軍の終身最高司令官ということになるのだった。”(116ページ 5-10行目から引用)

 彼はカエサルが目指した「帝政」ではなく、キケロや元老院が求めた「共和政」への復帰を宣言するのだ。遺言は?義理の父、カエサルの意思は?と思うが、これには訳がある。敵を作っては目的を果たせない。周到な準備や根回しを以って事実上、カエサルが目指した「帝政」を着実に形作っていくところは、後の世に生まれ、歴史や父から学んだからかもしれない。七生さん曰く、「ローマの『第一人者』としての地位を元老院も認め、カエサルの理想であった『帝政』への巧妙な布石であった」とし、天才カエサルの構想を実現した初代皇帝の生涯を通じ、帝政の成り立ちを明らかにしている。

 現在とは違うのだから、消費税とはいわないが、税金は低く抑え、時には自腹を切ることもし、ローマ人の伝統でもあるが彼もまたローマ国内においても、その先においてもインフラにも力を注いでいる。(日本が台湾や朝鮮半島にてインフラ整備をしたことと似て…というと叩かれるかもしれないが共通点も感じる)ただ、カルタゴやシリアなどすでに文明国家であった国においてのインフラ整備は現地の人に、その必要性も理解され、感謝もされたが、そうではない地帯…当時はゲルマン部族(多くの部族がゲリラ戦法で…というような場所)においては、インフラの意味も理解されず、ローマ人も苦労したようだ。

 カエサルとアウグストゥス。二人の決定的な違いは、カエサルは血縁よりも能力重視というか、適材適所というか… その一方で、アウグストゥスは何処までも血縁にこだわった、という点である。すでに結婚している娘までも離婚させ、血を継ぐ跡取りを一人でも多く得るため、政略結婚を繰り返させている。法律までも作り、(不倫は罰せられた)身内でも容赦なく、実際、実の娘と孫娘を島流しにしているのだから、驚いた。父であるカエサルは、あれだけ複数の恋人(不倫相手)がいたというのに…(苦笑)

 いずれにせよ、彼によって、ローマは約200年もの間、平和が続く。(まるで戦国時代の後の江戸時代)3冊に渡ってその間の歴史を読んだが、正直、ハンニバル戦記やユリウス・カエサルのようなワクワク感はなかった…がしかし、若くして偉大なる父、カエサルの後を継ぎ、病弱ながらも77歳まで生き、平和なローマを築き上げた彼の物語もまた、日本のあらゆる時代と比較しつつ読むことができて、とても興味深いものだった。七生さんがいう「平和はただではない」「平和を維持するにはお金がかかる」ただ祈るだけでは平和は維持できないという言葉が今日の世界情勢…止まらぬテロ社会には重く響く… 今も昔も自衛隊に国外へ出ていってほしくはない。それができる憲法改正には反対の立場だ。最初から日本の憲法は日本人の手によって作られるべきものであったのに… パスク・ロマーナとは、ローマによってもたらされた平和だった。パスク・ザ ワールドとなるために今、古代ローマから学ぶものは何だろうと考えてしまう夜だった…。

 

 

 

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復活!

2016-07-10 17:17:37 | ホークス

ソフトB大隣 1年ぶり復帰登板飾る、女房役・細川が適時打&一発

となりん!良くヤッタ☆ …とはいえ、私は最後のヒーローインタビューしかテレビで見れなかった! 細川捕手もホームラン☆凄いっ!VTRでそのホームランを拝みましたよ!

今日は朝から小倉行き。小倉からそのまま選挙へ行ってきました。前回も出口調査とやらに協力させて頂きましたが、今回もっ! 前回、人生初だったんですが、まさか2度続けてとはねぇ。投票率、アップするでしょうか? 18歳以上が投票できる選挙なので、注目しております。

そして今日、所要のあと、小倉昭和館にて 映画を2本、1100円で観てきました。「家族はつらいよ」と「ハナちゃんの みそ汁」

どちらも笑いあり涙ありのアットホームな映画。何か用事がなければ行かない小倉ですが、今日は9時45分には第一の目的が終了!したので(8時半に現場に到着)そのまま映画館へ直行しました。とっても昭和な映画館で、ゆっくりと時間が流れる良い映画を見て夏バテに備えられた感じ?です。

大相撲名古屋場所も始まりましたね!稀勢の里の 「僕の恋人はまわしです!」には笑いましたが…!

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