正直、苦労が絶えないことも多い。やりたくないことをやらされている感覚が強いと尚更だと思う。大人の私だって、そう。好きなことなら自ら率先して打ち込める。子供の頃は、本を読むのが好きだった。物心ついたころから、手が届く範囲内に絵本が置かれてあったからだ。もし、小学校に上がると同時に親から、或は先生から、「本を読みなさい!」と怖い顔で言われたらどうだっただろう。結局は、そういうことだ。
先週あたりだったかな。普段、意識せずに自分の顔というより表情を目にすることなんて、テレビに映る芸能人のほかはない筈だが、偶然、そういう機会を得た。その時、少なからずショックだった。不細工だから、とか老けたから、ということじゃなく、(それは自覚済)あの瞬間、自分の中では怒ってなんかいない筈なのに、何だか怖い顔をしていたからだ。そういえば最近…と思い当たる節もある。笑うより、全くもう…と思う機会の方が断然多いのではないか。これでは普段の顔も「不機嫌な顔が私です!」になってしまって当然だ。出かける前、「笑顔でいこう!」と決意☆
出会ってから数か月も過ぎた今、最初は大人しかったのに、今では慣れてしまって悪ふざけが過ぎる子供もいれば、自分の名前さえきちんと書こうとすらしなかったのに、急にやる気を出してくれている子もいる。その子は一番最後にやってくることが多かったが、ここ数日はクラスで一番のり!しかも、「先生、ここ、わからん」と質問しながらあっという間に課題をやり遂げてしまった。感想覧には、今までのような薄い文字の羅列ではなく、しっかりとした筆圧で、「楽しかった!」と力強く書かれていた。しかも、「先生、コメント、書いて!」と初めて嬉しい催促をされた。これには私の方が唖然としてしまった。今までは仕方なく書かれた感想に返した私のコメントなど、目を通しているのかさえ疑問だったのに…。いつもは一行で終わる私のコメントも、この日は数行と長くなった。その子は私がコメントを書いている間、じーーっと文字を目で追っていた。5分もじっと座っては居られないほど、落ち着きがなかったのに、この日は驚くばかりの集中力!そのことを口頭で一番に誉めた。「はい、どうぞ」と顔を上げると、そこには何ともいえない笑顔があった。その後は遅れてきた生徒さんに、「ここはね…」と解き方の説明までしていたのだ。 同級生同士だが、まるで頼れるお兄さんだ。
出会った頃、話をしていても、ただ、ただ眠そうで、疲れ切っていて、(ちゃんと睡眠時間取れてるのかな…)そっとしておこうという子がいた。ちゃんと自力で歩いて帰宅できるのか心配にさえなった。ある日、外まで子供たちを見送ったあと、その子と色々な話をした…というより、私の1つの質問がきっかけで、その子が次から次へと話をしてくれた。好きなスポーツのこと、お稽古事のこと、お父さんと一緒に熱中していること、本当にやりたいことが実は他にもあること、などなど。その時の会話で、それまでい抱いていたいくつかの疑問が消え、少し安心した瞬間でもあった。あの日以来、いつ会っても生き生きしている。あんなに眠そうだったのが嘘のように。本当は今、自由におしゃべりしていい時間じゃないんだけどな…と思う場面もあるが、大声で喋るわけでもなく、報告したいことが山のようにあるから聞いて!という雰囲気だ。「先生、今日、一緒に帰れる? 見せたいモノがあるんだけど…」見せたいモノは何なのか聞き、思わず (えっ…そういうものは、ちょっと苦手かも…)と伝えた。「でも可愛いよ。先生、触れんの?」「触ろうとしたら、逃げないの?」「逃げんよ。捕まえられる」 それでも寄り道できないことを伝え、解散となった。 しかし、その後、二人の男の子に遭遇。あれ、まだ帰ってなかったんだ…。一人は帰りによく話しかけてくる子で、温和で小学生の頃の甥っ子に雰囲気が似ている。もう一人は私に「見せたいモノがある」男の子。学年は違うが解散後は一緒に居ることが多い。草木を二人でよく眺めている。二人の目線の先には、たいてい小さな生き物がいる。その日は巻貝のような…カタツムリの一種だろうか…? 当然、昆虫の話題になった。
そういえば、2歳だった甥っ子も、列をつくって行進していくアリ達の様子を飽きもせずに、じーっと眺めていたっけ。「ゆうちゃん、アリの観察をしてるの?」と聞くと、”かんさつ”の意味を説明したわけでもないのに、「そう、かんさつしてるの」と答えが返ってきた。翌日も公園へ行くと、うずくまってアリを見ている。今度は試しに、「ゆうちゃん、何をしているの?」と聞いてみた。「アリの観察してるの」と ”かんさつ”を自分の語彙にすでに取り入れているのに驚いた。まだ2歳だ!以来、あえて説明を加えなくても文脈で語彙も獲得できる能力が幼児にあるんだ、と思えた。似たようなことは度々起こる。美術館で、「ぐちゃぐちゃな絵だね」と言うので、「これが芸術よ」というと、「芸術かぁ~」と2歳児にしては、感慨深げだった。以来、絵画を見れば、「おねえちゃん、これが芸術だね!」と言うようになった。甥っ子自身、数々の芸術作品を生み出してくれた。私が段ボールでバスを作ったり、こいのぼりを作ったりしていたからか…。
時間は人間の記憶と共に逆戻りする時もあるが、小学生二人が小さな生き物について嬉しそうに語るのを見て、甥っ子の幼児期を思い出していた。こうなると意識せずとも自然と笑みがこぼれる。台風が去った翌日の放課後。
「葉っぱに虫がいてね、落っこちそうになってたから、安全な場所に避難させたよ。例えばね、ここに居たとするやろ、そしたら…(詳しく身振り手振りで説明)」
「二人とも優しいねぇ」
「昆虫図鑑、家に持ってるよ!何か見つけたら、いつもそれで調べると」
「すごいなぁ…感心、感心!」
…。
反対側から歩いてきた二人の先生にも、昆虫好きな男の子たちの話をすると、「(先生というより?)お姉さんみたいね~ 可愛くて仕方ないって顔してたよ」
もし、そうだとしたら、それは遠い日の甥っ子と、今、目の前にいる子供たちのお蔭だ。なんだ、結局、自分の方が助けられている。
翌日、10年目になる高校生の生徒さんにライティングの課題をやってもらっている間、事前に目を通す時間がなかったため、頭の中で解いていた。ふと顔を上げると目が合ったので、(先生、老けたなぁ…とでも思ってるのかも?)と思うと吹きだしそうになってしまった。彼が あの子たちと同じ年齢だったのは、遂、こないだのことのような気がするのに…。もう高校生かぁ…しかも、自分が大学時代、語彙力アップの苦労を避けて、受験を断念した英検準1級を受けてみようと決意させた張本人。実際に受けてみたら、恐ろしがるほど難しくもなく、あっさり1発合格した。大学院時代、英語で文献を読みあさって書きまくった土台があったからかもしれない。でも帰国して早15年。忘れてしまっていることも多い。語彙1万2千とも言われる英検1級こそ、本当に難関で、受かる筈もないが、(あの米国人、デイブ氏さえ不合格…)この秋、初トライすることに…。やはりここでも私の方が生徒さんの存在に動かされている。うかうかしていると、生徒さんに抜かれるかも…と。
更に翌日、つまり昨日の出来事だが、あの男の子が、「先生に見せたいモノ」をなんと!虫かごに入れ、持参してきたのだ!予想もしていなかった嬉しい展開だった。そんなにしてまで私に見せたかったんだ…と…。当然のように途中まで一緒に帰った。(そのあと、仕事には戻るけど) 2歳~3歳だった頃の甥っ子は、蝉の抜け殻をいくつも集めては、大事に虫かごに入れていた。たまたま公園で会った中学生が甥っ子の目の前で蝉の抜け殻を引裂こうとするのを見て、「いけんよ! いけんよーっ!」と甥っ子は必死に叫んでいた。抜け殻に命はないかもしれない。でも、そいういことじゃない。道路を歩いていくカマキリを見て、私達が止める中、足で故意に踏みつぶした人もいた。還暦はとうに過ぎたおじさんだ。(身内ではない)
「何を食べるの?」
「だんご虫とか。あと、柔らかい葉っぱも。これはね、まだ赤ちゃん。生まれて2週間くらい」
「どのくらいまで大きくなるの?」
「20センチにはなるよ。種類も色々あって…〇〇とか、〇〇とか…でも、ここに逃がしてあげようかなぁ…」
え~? 逃がしちゃうの? やめとけば~? という女の子の声が周囲からあがり、取りあえずは しばらく飼ってみることになったようだ。今より更に幼い頃は、きっと甥っ子のような日々を過ごしてきたんだろうなぁ、この子たちは…と容易に想像できる。だから安心出来て、これから先も この優しさがある限り、きっと大丈夫だと思える。なにせ三つ子の魂、百まで、だ。
台風が去ったあと、真夏のような陽射しが戻ってきた。今週は30度或は、30度近くまで最高気温も上がるらしい。それでも木陰は涼しくて、気持ちがいい風が吹いてくるようになった。やっと人間が(冷房なしで)生きていける気温になったという気がする。
今日も一日、良い日でありますように。
個人情報保護法に照らし合わせても、個人が特定できる情報が記載はされていない筈…ということで書きましたが… 甥っ子に関する一部のエピソードは、すでに10年以上前、毎日新聞に掲載済。”どこまで”個人情報か難しい問題ではありますが、行き過ぎては新聞投稿も出来なくなり、プロのエッセイストも恐らく失業…? 今朝は「良い話も何も書けない虚しさ」から少し救われた気分…です。