2018年9月1日(土) 仮名文字の創出―万葉仮名
この所、当ブログに、
① いろはかるた (2018/7/1)
②、③、④、⑤ いろはかるた アラカルト 正、続、続々、続々々
(2018/7/6、7/16、8/5、8/13)
を投稿してきた。
①では、いろはかるたに興味を持ったきっかけと、いろはかるたの概略に触れた後、江戸いろはかるたについて、自分で思い出せるものをリストアップし、②では、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げた。③、④、⑤では、筆者の好きなかるた、余り好きでないかるた、残された話題等を取り上げた。前回で、個々のかるたについて触れるのは一区切りとしたい。
本稿以降では、日本の歴史の中での、仮名文字の創出や、五十音といろはの関係などについて取り上げることとし、今回は、日本の文化史上の画期的な出来事である仮名文字の創出に至る過程で、大きな意味があった万葉仮名について話題としている。
●日本への漢字の伝来
日本民族(日本列島に住んでいた固有の大和民族)は、言うまでもなく、言葉は持っていたが、世界の多くの民族のように、文字は持っていなかった。日本語の原型となる固有の言葉は、研究者の間では、「大和言葉」と呼ばれるようだ。
大和言葉は、漢語や外来語と動詞「する」からなる複合語を除く、ほとんどの動詞や形容詞、および、全ての助詞が大和言葉である。みる(見る)、はなす(話す)、よい(良い)、が(主格の助詞)、名詞では、うみ(海)、やま(山)、さくら(桜)などがあげられる。 (大和言葉 - Wikipedia より) 言うまでもないが、大和言葉には、固有の文法がある。
後述する日本への漢字伝来後には、漢字の音読み、訓読みが行われたが、音読みは、現地中国の発音に近いと言われ、訓読みは大和言葉に近いと言われる。
こんな状況の中に、他の文物とセットで、主に文書の形で、我が国に漢字が齎されたが、漢字を解する人間も渡来している。
次々と渡来した先進文化の膨大な量の文字群に触れ、その発音や意味を理解するのは、当時の人たちにとっては、並大抵のことではなく、大変な文化的衝撃だったことは想像に難くない。
日本への漢字の伝来時期には幅があり、明確ではないが、飛鳥時代から奈良時代頃と言われる。ルートも、朝鮮半島経由が大半だが、一部は中国から直接もあったろうか。
漢字文化とともに到来した各種情報は、律令制等の国のあり方や、仏教等に関する、わが国の手本となったことだ。
奈良時代は、唐招提寺を開いたと言われる、鑑真和上が、苦難の末に大陸から渡来したり、何度か派遣された遣隋使、隋遣唐使を通じて、大陸の先進文化の吸収に努めている。
●万葉仮名の発明
万葉集は、上代の国民的歌集として、現在も親しまれている古典だが、この歌集の表記に、「万葉仮名」が使われて、文献として残されてきた意義は計り知れない。
主に万葉集の表記に使われたことから、万葉仮名と呼ばれるが、表音文字の一種である。(万葉仮名 - Wikipedia )
後述するように、基となる漢字の発音の「音」を真似たり、日本語の意味の「訓」を真似た漢字の文字群が、時間を掛けて考案された。
万葉集は、第1巻が7世紀前半(629年)頃に編集され、最後の第20巻(783年頃)まで長期に亘って編集されている。(万葉集 - Wikipedia 他)
稗田阿礼が誦習したものを、太安万侶が書き取って編纂(712年)したとされる、「古事記」の記述の表記にも、万葉仮名が部分的に使われているようだ。
この万葉仮名が基となって、後の平安時代に、完全な表音文字である「ひらがな」、「カタカナ」が生み出されているのは、周知のことだ。
万葉集には、約4500首(長歌を除くと約4200首)もの歌が収録され、中央の皇族や貴人だけでなく、地方の下級役人など、多くの階層の人の歌が入っている。
この時代に、文字を持たない大和言葉の中に、5、7、5、7、7等の、リズムか既に出来ていたのは誇らしい驚きであり、万葉仮名によって記録され、伝えられることとなった。
● 万葉仮名の実際
ここで、ネットで手に入る情報の範囲内だが、万葉仮名を眺めてみたい。
筆者のよく知っている歌について、万葉仮名の表記と、現代語の表記とを対比しながら、以下に数首、取り上げたい。
万葉仮名には、漢字を中国語の発音のままで、表意文字として使う、「正音」が多いが、漢字を日本語の意味(訓)で発音して使われることもあり、これを「正訓」と呼んでいる。また、「借訓」というのもあるようだ。(万葉仮名―Wikibediaの記事内の1字1音万葉仮名一覧、あははっ 漢字の成り立ち 6 等を参照) 以下の歌には、正音が多いが、正訓だろうと思われる箇所(①、②、③、④など)や、借訓(⑤)も見受けられる。
以下の歌の万葉仮名の表記は、ネット内の複数のサイトから引用しているが、出典の詳細は省略する。
① 額田王謌(歌)
万葉集の原本では、この歌は、上図右のように、縦書きの万葉仮名で表記されているようだ。(万葉仮名 - Wikipedia より)。 以下の歌も同様である。
② 天皇の蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまへる時、額田王の作る歌
(万葉仮名)
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
茜、君、袖は正訓であろう。
前(さき)、逝(ゆき)、不見(みず)は面白い表示だ。
(現代語)
茜(あかね)さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(万1-20)
③ 有間皇子自傷結松枝謌
(万葉仮名)
家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛
家、笥、盛、飯、旅、椎、は正訓であろう。
乎は、を、を表している。
(現代語)
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
巻二(142)
④ 山上臣憶良、子等を思ふ歌
長歌
(万葉仮名)
宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 -- 『万葉集』巻五・802
ほぼ、1字1音の正音であり、まるで暗号文のようで、歌になっているとは思えない。
農(ヌ ノウ)、枳(キ からたち)、斯(シ)、爾(ニ ジ) は解るが、弓(キュウ テ?)は不明。
(現代語)
瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 何処より 来たりし
ものそ 目交に もとな懸かりて 安眠し寝さぬ
反歌
(万葉仮名)
銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母 --『万葉集』巻五・803
銀、金、玉は正訓で、他は、標準的な正音であろう。
(現代語)
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何ぜむに 勝れる宝 子に及かめやも
⑤ 志貴皇子
(万葉仮名)
巻八 1418
石、激、上、出、春、成は正訓だろうか。鴨(かも)は借訓というようだ。
(現代語)
岩はしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出る春に なりにけるかも