へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

早大、12年ぶりに往路優勝

2008年01月03日 03時59分10秒 | Weblog
その一方で、連覇を目指していた順大が、ゴールを目前に途中棄権。
栄光の隣には、常に悲劇が待っているものである。
夜のテレビでは、イチローの特集番組をやっていた。
「天才バッター」と言われているイチローでさえ、人知れず苦悩している。
私を含め、多くの人の場合、「頂点に立つ人」の「華やかな面」ばかりに目が行きがちである。
これは「隣の芝生は青く見える」と言うのと同じ事で、いざその立場(めったにその様なチャンスはないのだが)に立って見ると、「予想外の問題に戸惑う」と言う事になる。
他人の「恵まれている部分」ばかり見ていると、「自分自身がミジメ」になってしまう。
華やかに「光の当たる場所」があれば、必ず「光の当たらない陰の場所」がある事を忘れてはならない。
当たる光が強ければ強いほど、影の部分は見えにくくなってしまう。
舞台で、「主役にスポットライトを当てる」と言うのも同じ事である。
この事は、政治の世界などにも言える事である。
各政党が発表する政策・公約は、有権者にとって「美味しい話」であれば有るほど、注意しなくてはいけない。
有権者にとって「美味しい政策・公約」を立案した人(政党ではありません)は、その「弊害」が出た頃には、何処かに消えてしまっているのである。
郵政事業を民営化した張本人も、サッパリ表舞台には顔を出さない。
「郵政民営化の弊害」は、これから出てくるのであるが、出て来た頃には「当の本人」は政界に残っているのだろうか?。
今年はいよいよ「温室効果ガス排出削減」に関する「京都議定書」を実行しなくてはならない。
「6%削減」が義務ずけられていると言うのに、2007年度は7%も増加していると言う。
6%+7%=「13%」もの削減をしなくてはいけないのである。
産業界などでは削減に対して、様々な「対策」が取られているようだが、我々「民需」の部分は、「個々の人の自覚」に任されている。
私が聞いた範囲では、「排出削減は、政府や企業がするもの」と言う意見が殆どである。
一人の人だけで決まるもの以外は、「全員の協力」がなくては結果は出せない。
一人だけ飛びぬけた人がいても、他の人が足を引っ張れば、けして良い結果は出ないであろう。
「海外から排出権を買う」と言う方法も有るが、「その財源」はどうするのであろうか?。
結局の所、税金で賄わなければいけないのである。
国民一人一人が「排出削減の努力」をしなければ、「排出権を買うための財源負担増」と言う「しっぺ返し」を受けなくてはいけなくなる。
何度も書いているのだが、「資源少国」である日本にとって、「経済発展」と言う事は、「絵に描いた餅」と考えるべきである。
自動車メーカーなどが、「新たな市場(需要)」として、インドに目を向けているようだが、これにしても「諸刃の刃」と考えなくてはいけない。
「新たな市場(需要)を開発する」と言う事は、タダでさえ需給が逼迫してきている「原油、工業原材料などの価格高騰」を増幅させるであろう。
ガソリンの高騰につれて「バイオエタノール」の生産が増加すれば、「直接、間接を問わず食料になっていた穀物」が、「バイオエタノールの原料」にまわされ、「食料としての穀物相場を高騰させる」と言う「悪循環」を招く事になる。
「角を矯めて牛を殺す」と言う事にならなければよいのだが・・・・・。
コメント (2)
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