陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

脳脊髄液減少症に辿り着くまで 3

2006-04-26 23:14:05 | 脳脊髄液減少症
今から思えば(思ってみたところで、どうしようもないが)
脳脊髄液減少症という病名に出会ったのが2年ほど前の事。
せめて、そこからさらに2年前に、この病名を知っていれば
或いは、今の苦しみはなかったのかもしれない。
そう思うと、やはりちょっと悔しくなってきます。

原因もハッキリとしないまま首の手術なんかしたお陰で、
症状は悪化するばかり、かと言って、当時は他に方法がなかったのですから
しょうがないといえば、しょうがないのかもしれませんが。

病院に行く前もそうでした。
首の痛み(他の痛みも現在と同じですが)なんてと、タカを括って
いたこと、病院嫌いだったこともあり、自分で治してやるぞと、
意気込んでみたところで、どうにもなるものではありませんでした。

職人や肉体労働の世界、身体を壊したら一瞬にして奈落の底へ。
まるでそれまでの自分の人生までもが全否定されるようなものです。
そもそもが、ちょっと体調が悪いからといって病院に行ったり、
仕事を休んだりすること自体、論外の話しなんですね。

そこで僕が取った行動とは、カイロプラクティックに通ったり、
鍼灸に通ったり、或いは漢方であったり、そんなことで治そうと
思っていたのですからバカな話しではあります。
でも仕事が終わって、夜遅くといえば、そんなことしか出来ないんですからね。

しかし、漢方というものも、驚くほどの金額が飛んで行きますね。
進められるものをあれやこれやと買っていたら月に5万10万なんて金額が
あっという間であります。
カイロなんて、今から思えば丸っきりインチキ。そうとしか思えません。
僕なんか葱を背負った鴨と同じだったかもしれません。
何で医者でもない人間が骨のことなんて、あれこれと、かまえるんでしょうか?
あくまでも、外からではありますが、ホント訳の分からない世界ですね。
腰や首が痛いと言ってカイロに通った人間は皆、最終的に
動けなくなったりして悪化していく人が多くを占めていましたからね。
「絶対、治してあげるから」そんな言葉を真に受けた僕がバカだったのでしょう。
何ヶ月も何ヶ月も通い、疑問を抱いて、もう止めますのでと伝えたら
暴言も吐かれました。
その時になって初めて、あ、これはやはり金を取る為の手段でしかなかったんだな
と気づかされました。

そんな事に、莫大な金額を注ぎ込み身体を余計に悪くしていく一方で、
友情なども失っていきました・・・。







健康グッズ?

2006-04-26 01:36:22 | 脳脊髄液減少症
金4000円也。(送料込み)
マタマタ、無駄な?お買い物をしてしまいました。
○○バンなる、体に貼るだけで痛みがとれる不思議なテープ。

新聞のローカル版に広告を打ってあった品物なんですが。
広告内容を読んでいるうちに、「ほほ~、これで痛みが取れれば見っけもんじゃん」
と、早速、お電話など・・・。
これって、女性が美容品などを試してみるのと同じような気持ちでしょうか。
しかし、病院から貰う鎮痛剤など屁の役にも立たない(座薬と湿布以外)のですから、
こちらとしては、藁にもすがる思いで、一回くらいは試してみるかとの思いですな。
所詮、根本的な治療とは何の関係もないのですから。

届いた品物を見て、「あ~ら、ビックリ!」
一応、何メートル巻きとは書いてあったのですが、首、肩、背中、腕と
痛みの酷いところだけ選んで貼っても、これどう考えても
2回分しかないではないですか
もったいないので、まだ1回しか貼ってませんけど、
当然、効果の程も分かる由もなし。
スポーツテーピングでも同じ気がしないような、するような・・・。
まあ、もう一回試してみるか・・・って、こんなの毎日使っていたら、
ざっと計算しても、月に1諭吉、2諭吉・・・6諭吉
今の僕には1諭吉でも大金なのであります。
もっと早く気がつけよって話しですが、とんでもない話しです。
お前も所詮、脳脊髄液減少症に太刀打ちできる相手では無かったのね・・・
まあでも、次はお得用版など買って、首だけに貼って試してみようかしらん










YOKOHAMA

2006-04-25 10:47:43 | 音楽
「YOKOHAMA」 柳ジョージ&レイニーウッド
 
僕の大好きな、名アルバムです。
何故今頃、柳ジョージかといえば、5月にレイニーウッドとの復活コンサート
を横浜?でやるらしいんですね。う~、行きたい
今の自分では、電車に乗る事も、人混みの中に出る事も、とてもとても、
で、無理ではありますが。
ソロとしての柳ジョージもいいのではありますが・・・。
やはり、レイニーウッドと一緒のほうが断然いいのであります。
後ろは振り返らないということで、昔の歌は歌っていなかったんですね。

横浜という街は、僕の大好きな街の一つであります。
街、というより海と言った方が正しいかな?
あの雑然とした海がなんともいえないのですね。
横浜の海はぼくにとって非常に身近な存在、
仕事でしょっちゅう潜ったものであります。
外航船が行き交い、ハシケ船や、
船乗りを引退したオヤジ達が操る通船(沖の現場や船などに行くタクシーみたいな船です)が
忙しく動き回る海。外国への夢も膨らんでいきますね~。
山下公園とか、海の見える丘公園とか、そんな洒落た場所は僕とは無関係。
街のほうも・・・黄金町あたりのドヤ街のほうが僕には似合ってる・・・。

東京湾奥から、本牧あたりまでくると海の中も大きく様変わりを見せてくれます。
本牧あたりの浜は、かつては岩礁地帯だったという(想像もつきませんが)、
海に潜れば、そんな面影も偲ばせてくれます。
タコさんや、外洋性の魚である、石鯛、イシガキ鯛の稚魚なども多く見られます。
「タコの海岸物語」な~んちゃって(つまらないギャグ)タコは俺だってか
東京湾を知らない方には、汚い海としか思われないから想像もできないでしょうが。
まっ、そんな話しは置いといて。

今は横浜までは行けなくとも
 
 「港亭」 「本牧奇談」 「高いフェンス越えて見たアメリカ」

 「青い瞳のステラ1962年夏・・・」

そんな歌が流れてくれば横浜の油臭い潮の香りが匂ってきそうですな~。

横浜といえば、他に、石黒ケイ、エディ藩といった超ローカル歌手ともいえる
歌手もいますね(すごいマニアックかも、ですが)
石黒ケイの少し(だいぶ?)Hな歌も面白いかも。
最近では「いいね!」でお馴染みの 横山 剣 率いるクレイジーケンバンド。
古い人なら(失礼)もちろん、カップス でしょうか?
秘かに・・・いしだあゆみ、の「ブルーライト横浜」も大好き。

忘れてはいけないのが 作詞:藤 竜也  作曲:エディ藩
  
  「横浜ホンキートンクブルース」

横浜では?隠れた名曲中の名曲ですね。
かつては、松田優作や原田芳雄なども歌っておりました(聴いたことありませんが)
石黒ケイも。エディ藩は、アルバム「ブルージェイド」の中で。
でもやっぱり一番は藤竜也の、ヨレ~ッとした感じの歌かな~?

♪一人飲む酒 わびしくて~ 映るグラスはブルースの色~

今日は、そんな横浜の、お話しでした。
って後ろには何故か・・・ジャズが流れてるじゃんかよ

ちなみに、この「~じゃん」て言葉、関西あたりの人には毛嫌いされますけど
関西の「~やん」と使い方が似ているそうな???(違うような気もするけど)
これ実は東京弁ではなくて、横浜弁らしいですよ ジャンジャン


 









今日の陽気に誘われて

2006-04-24 22:18:16 | 脳脊髄液減少症
今日は関東地方は非常に暖かく、夏日になった所もあるとか、
そんな陽気に誘われた訳でもないが、久し振りに、お散歩へ・・・。

大体が、目的も無く歩くって事自体が理解に苦しむのではありますが。
健康の為?それが目的じゃ、やはり楽しくないし・・・。
そんなことは、もうちょっと歳をとってからでいいですね。
せめて海沿いの道とか砂浜でもあれば、僕としては楽しく歩けるんですけど。

しかし最近の運動不足に、これではイカン、イカンと近所の河原へと
行ってまいりました。
河原沿いの土手道をテクテクテクテクと2~3キロ歩いてきたでしょうか。
短いのか、長いのかも良く分かりませんが、
やはり、首が動くと頭の中がフワフワフワフワと落ち着きませんね。
足も鉛を引きずっているようで、
心臓バクバク、目はクルクル、やはり・・・吐きました。

川の流れでも、風流に楽しめればいいんですけど、
いくら地元の川といえ、水は汚いし、生き物は少ないし・・・。
緑の息吹きと鳥のさえずりだけ楽しんで?帰ってきました。

それからまた腕の痺れ、痛みなども強くなってしまい・・・。
これって、ぶり返し?それとも明日の天気の崩れでしょうか。
やはり少しずつ、毎日続けるのがいいようで。




水産放浪歌

2006-04-24 01:37:38 | 海の話
我、心の歌に水産放浪歌という歌がある。
紹介したいと思うのだが、
少し不適切な表現があるのは、お許し願いたい(特に女性の方)・・・

序文

 富貴名門の女性に恋するが 純情の恋と誰が言おうぞ
 暗き紅橙の巷に蠢く女性に恋するが 不純で淫らな恋と誰が言おうぞ

 雨降れば 雨降るべし
 風吹けば 風吹くべし

 月下の酒場で媚を売る女性も 純情可憐な女性もあるものなれ

 酒は飲むべし 百薬の長
 女買うべし 人生無常の快楽

 酔うて窈窕(ヨウチョウ)美人の膝枕で一夜を過ごし明け暮れば
 人生夢もなし 恋もなし

 叩く電鍵 操る舵輪 覗くコンパス六分儀
 
 鴎よ 明日の命を誰が知ろうぞ
 されば歌わん我の歌を

          水産放浪歌

1. 心猛くも鬼神ならぬ 男と生まれて情けはあれど

  母を見捨てて波乗り越えて 友よ兄等と何時又会わん


2. 朝日夕日をデッキ(甲板)で浴びて 進む海原 男の世界

  今日も行く行く波乗り越えて 行くや万里の海原越えて


3. 波の彼方の南氷洋は 男多恨の身の捨て所

  胸に秘めたる大願あれど 生きて(行きて?)還らん望みは持たじ


全国の水産関係の大学や高校の校歌や寮歌として
現在も脈々と歌い継がれている歌である。
全国に拡がるうちに、学校によって序文、歌詞とも多少の違いはあるようだ。
作者不詳、曲は一度だけ、違う歌で同じ曲を聴いた事がある。
確か・・・中国大陸で暴れまわった?馬賊を歌った曲だった(♪朝日夕日を馬上で浴びて)
どちらの曲が先なのかは分からないが、いずれにしろ古い曲である事は確かだ。
発祥は、終戦直後の捕鯨船にあるらしい。
「板子一枚下は地獄」そんな言葉があるが、当時の船なら、まさにそうであったろう。
大シケの南氷洋、着氷などによる転覆の恐れ。
そんな中での操業は、まさに命懸けだったろう。

そんな男達の生き様、ロマン、はかなさ、せつなさ・・・
明日をも知れぬ命、そんな中で生まれた歌なのであろう。

この歌だけは、僕の心の中からいつも流れている・・・

  

がんばらない  (二人の医師)

2006-04-23 01:37:05 | 脳脊髄液減少症
昨日は昼からボーッと(薬のせいで)TVを見ていました。
見ていたと言うよりは、着けっぱなしではあったんですが。
見た方も多いかもしれませんが、あまりにも対照的な医師が二人出ていましたね。
どちらも日本TV系列の別々の番組で放送されたもの。

一人は水増し請求で逮捕された医師。
一日に400人弱の患者の診察に対し医師3人で対応していたという病院の院長らしい。
本来なら18人の医師がいないと駄目らしい。
レントゲンなどは事務職員や看護師に撮らせたり、
監査の際も事務職員などに医師の白衣を着せ10数人の医師がいるように装っていたらしい。
それに対して何か意見でも言えば即クビを切られるから職員も言いなりだったそうだ。
しかし、発覚してから逮捕されるまで6年間の空白があり、
医師免許も剥奪されていないという。
6年前の発覚で保険適用外となり病院は閉鎖、
しかし翌日?から副院長が院長になり経営を再開。
実質的には元院長が裏で経営を続けていたという話しなのだが。
逮捕まで6年間の空白が有った事や、免許剥奪がされないのにも
厚生省の課長職にある人間が、その院長と大学の同級生で、
その厚生省の課長が、裏で働きかけて見逃されていたらしい。

TV局からの質問に対し厚生省の答えは、
「病院には問題があったが、医師には問題が認められない」
だから、医師免許の剥奪はされないらしい。

こんな事で裏で動く厚生省の人間がいるのに、
脳脊髄液減少症のことに関しては一向に認めようとしない厚生省。
非常に腹立たしい話しですね
皆さんは、どう思われるでしょうか


もう一人の医師は
「がんばらない」という本を出している、諏訪中央病院、名誉院長、 鎌田 實先生
本は残念ながら読んだことはないのですが、、内科の医師らしいですね。
癌患者さんなどが、どう自分の人生を生きていくか。
その辺について語っておられました。
我々、脳脊髄液減少症の患者さんにも参考になる部分もあるのではないかと思い、
うろ覚えの一部を紹介させて頂きますと・・・

1.告知問題
 真実をどう患者さんに伝え、残りの人生をどう生きてもらうか。
 これについては、僕がここで論じる問題ではないと思いますので
 割愛させて頂きます。

2. 痛みとは? 4つの痛みがある(この場合、癌についての話しです)
 (1)体の痛み
 (2)心の痛み
 (3)社会的な痛み
 (4)スピリチュアルな痛み(自分がこの世からいなくなる不安)

3. かかりつけ医にするいい医者とは?
  話しを聞いてくれる医者
  相談に乗ってくれる医者  まずは心のケアー、ですね。
  そのうえで、難しい病気なら腕の立つ一流の医師を紹介してくれる医者

癌で闘っている患者さんには、我々の病気に置き換えて非常に申し訳なく思います。
この場を、お借りしてお詫び申し上げます。

2.3. については脳脊髄液減少症に、そのまま当てはまるのではないでしょうか?

2
(1)体の痛み、 まさに痛みのデパートとも言える多岐に渉る症状。
(2)心の痛み、 他人に理解されない苦しみ、医者から投げられる言葉・・・
(3)社会的な痛み、 仕事や家庭などに与える影響・・・そこからくる自分の苦しみ・・・
(4)スピリチュアルな痛み、 
   心の痛み、家庭的な崩壊、金銭的な破綻、先行きの見えない治療、諸々の事情から
   自ら命を絶ってしまう人間がいる現状。
3
 以前は医者不信だった僕も、今は、かかりつけ医を持っています。
 この場合、脳脊髄液減少症としての、かかりつけ医ではなく、
 自分の体調管理(血圧や血液の定期的な検査など)や、薬などの
 相談に乗ってもらいますし、当然、脳脊液減少症の話しもします。
 僕の経験からすると、小さな町医者などのほうが、しっかりと話を
 聞いてくれ、相談にも乗ってくれる医者が多いようですね。
 これだけでも、脳脊髄液減少症の方には救いになるのではないでしょうか?

ただ、多くの方が、そういった医師にも巡り会えず苦労しているようですね。
僕はこの点では運がいいのかもしれません。

末期の癌患者さんに対して日本の病院はモルヒネの使用量が、
医療先進国から比べて極端に少ないそうです。
日本の医者は患者に対して、「痛くない、痛くない頑張れ」
対して医療先進国の医者は、「痛いだろうね、痛かっただろうね」
そう言うそうですね。
これなど、我々が散々投げられた「精神的なもの」
このあたりの医者の本質の違いではないでしょうか?

「頑張れ」 この言葉を使うのは、実は本当に難しいものです。
人に対して、この言葉を言って、そう痛感させられた事もありました。
「がんばらなくていいんだよ」
そう言われたほうが、どれだけ楽になるか分かりませんね。

でも、僕は今までここで知り合った皆さんから「頑張れ」って
励まされた事は凄く嬉しかったので、誤解なさらないで下さい。
これからも、「頑張れ」って言って下さいね。よろしく、お願いします。

今日は、ものすごく長くなってしまって、
読んで下さっている方には申し訳ありませんでした。
そんなこんな、色々と考えさせられたgonzoでした・・・。

   




保険金詐欺??

2006-04-22 11:12:49 | 脳脊髄液減少症
今も昔も交通事故に絡む詐病や、それに絡み、
保険金を搾取する事案というのは、あまり減っていないようですね。

今だに、当たり屋が横行していたり、グループを組み、
故意的に事故を装ったり、わざと他人を巻き込んだり。
そして、追突事故に絡んでも同様の事が言えますね。

さらにそれに手を貸す?病院があるという事実。
どこの町にも必ず、そんな病院の一つや二つありません
あるいは、そんな噂を聞いたことがあるのではないでしょうか
ピンピンした患者(?)ばかり入院している病院が・・・。


この場合、本当に何でもない患者(?)を指します。
そして、保険金だけが目当ての患者(?)です。
しかし、外見上なんでもない鞭打ち症に対して的確な診断が出来ない現状。
それがあるから真の被害者まで十派一絡げに見られてしまうんです。
多くの場合、難しい入院治療など出来ない、
だけど入院施設だけは立派に整った一部の個人病院ですね。
病院も経営を維持していく為に部屋さえ空いていれば、喜んで入院させる訳です。
この場合、自己申告です。
「事故に遭って、どこどこが具合悪い、だから入院させて下さい」
そうして毎日、簡単な治療さえ受けていればいいわけですね。
例えば、牽引とか温熱治療とか。
診断書なども、言いなりに書いてくれるようです。
そしてそんな病院を2~3箇所も渡り歩いてしまえば目一杯
引っ張れるわけですよね、6ヶ月位は。

そうして得たお金をギャンブルにつぎ込んだり、飲み歩いたり、
中には立派な新車まで買ってしまったり・・・。
これは全て今まで僕が見たことのある真実です。

こんな輩が多いから、真の被害者が救われないんです
そんな病院があるから、医者がいるから、いけないんです

しかし、そんな病院の実態を知っているからといって、
訴えてみたところで、事故と言う既成事実があるから、
どうにもならないんですよね。

そのような病院は、ある程度、保険会社からはマークされているようです。
そんな事実があるから保険会社も、認めたくないんですよね。
厚生省にしても同様でしょう。
もっともっと医学が進歩しないと難しい問題のようです。


真の被害者が、正直者ばかりが損をする、この世の中、
最後は、一人一人の良心に訴えるしかないんでしょうか・・・



























保険屋の言い分

2006-04-21 01:07:10 | 脳脊髄液減少症
追突事故の後、車の修理見積もりは、100万近く。
そんな状態だから、修理しても、まともに戻るのかどうか、
車を買い替えてほしい位だった。
身体はと言えば、車がそれだけの大破にも係わらず、無傷だった。
あくまでも、外見上の話しだが・・・。

診断は全治2週間の安静だが、僕は翌日から仕事をしていた。
当時は、鞭打ちの後遺症のことも知らなかったし、
自分の身体も過信していた点があったので何も気にはしていなかった。
事故の瞬間、首にガックーンと強い衝撃があったのは確かなのだが。
別に、病院にも行く気がなかったし、車さえ修理して貰えれば、
それで良しとしよう。そう考えていた。
自分で考えても、良心的と言うか、バカというか・・・。
こんな人間、普通はいないですよね。

しかし、相手の保険屋からの電話は、そんな僕の良心さえ
打ち砕こうとする信じられない電話の内容だった。
会社名を名乗った後、開口一番「お宅には過失がなかったんですか?」
は~?何を言っているのかさえ理解できなくなってしまった。
普通、追突事故の場合、100%相手の過失である。
例え、どんな理由であれ。しかも相手はノーブレーキで突っ込んだのである。
「追突事故で何でこちらの非を認めなければならないんですか?
 別に、仕事も休む気はないから休業補償も請求する気はないし、
 医者にもかからないから、何も請求している訳じゃないんですよ。
 しかも代車さえ用意してもらってないんでしょ。
 だから、車の修理に関しては、こちらの保険は使わないし、
 お宅で全責任を持ってやって下さい。」

そんな、埒の明かない電話を何回繰り返したであろう。
2~3回目には
「加害者からはこちらの身体を気遣うどころか謝罪の電話の一本も
 ないんですよ。ふざけるのもいい加減にして下さい。」
そう言って電話を切った。それでも結局、謝罪の電話も来ず・・・。

その次の保険屋からの電話であったろうか、
「お宅が例え1でも非を認めなければ裁判にする事になりますが
 それでもいいですか?」
これって、脅しと同じ理屈じゃないでしょうか?

もうどうでも良かった。面倒臭くなってしまい、
「はいはい、勝手にして下さい。」
「じゃあ、お宅が注意していたら今回の事故は防げた可能性もあるわけですね?」
「はいはい、それでいいですよ」
話しは終わりである。
送られてきた書類には 9:1 の割合の事故責任と記入されていた。
後で聞いたら、その保険会社は必ず、そういうことを言う会社で
有名らしかった。

反対に、こちらがゴネる気になれば、いくらでもゴネる事は出来るのだが・・・
交通事故の場合、今も昔もそれは変わらない。
そしてそれは病院側にも大きな問題がある・・・










観天望気

2006-04-20 01:05:21 | Weblog
今夜半(朝方)から関東地方は雨の予報ですね。
昨日、今日と体調最悪で、夜になってやっと少しマシになってきました。

観天望気と言う言葉は聞いたことがあると思いますが。
最近ではあまり聞かなくなった言葉ですが、自然の変化などを見て
天気を経験的に予測する事ですね。
例えば、雲の形であったり、流れであったり、空の色であったり、
動物の行動であったり、こういったものを観察しながら身に付けたものです。
これが、経験的に知っている人ならば下手な天気予報などよりも
正確に当たるものなんですね。
病気を抱えた人や、古傷を抱えた人が、身体の調子で、
ある程度の天気の崩れが予想できるのも一種の観天望気というのかもしれません。

まあ、この場合、大雑把な天気の崩れしか分かりませんけどね。

簡単なところでは
 今の時期であれば、「雨の後は強い風が吹く」

「朝焼けなら天気が崩れてくる」「夕焼けなら次の日は晴れ」
これは結構、当たりますね。
「蛙が鳴くから雨」
「猫が顔を拭いたら雨」
これはちょっと
「とんびが空を高く飛んだら晴れ、低く飛んだら雨」

「カマキリが高いところに卵を作ると、その冬は雪が多い」
これなどは長期的な観天望気になるわけです。
その他にも、月や星の見え方が少し違っただけでも、ある程度の
天気の予測が出来たり。
海の上などであれば、同じ距離にいても陸が遠く見えたり、近く見えたり。
富士山にかかる雲の形など、天気によって色々と変わり顕著ですね。
その地方、地方によっても、色々と面白い言い伝えもありますね。
どなたか知っている人がいたら教えて下さいね


下駄やサンダルを投げて「明日、天気にな~れ!」
表なら晴れ、裏なら雨。遠足の前の日などやりませんでした?
これは・・・観天望気ではありません。
まあ今時こんな事して遊ぶ子供もいませんが

最近は衛星の発達などもあり、天気予報も結構正確になったし、
街中で暮らす人には天気の予測などできても関係ないでしょうかね。
まあ、花粉症の人くらいですか。

海や山を生業の場とする人などは、凄く敏感です。
海や山という所は、時に5分、10分で天気が急変する事もあるわけですから、
天気の予測が出来なければ命取りになる事もあります。
海の上なども最近では機械、機械で何でも機械頼りで、こういったことが
分からない人間が増えてきているのは寂しい限りです。
どの世界でもそうでありますが、先達からの知恵、教えなど
伝統として、しっかり伝え継いで欲しいものであります。
そう言えば、「おばあちゃんの知恵袋」なんて、どこかの「おせんべい」
の袋に書いてありましたっけ・・・。

明日は、「コチ(東風)が吹か~」 「ナライ(南西風)が吹か~」
東京から千葉にかけての漁師が使う言葉です。
僕の場合
  「明日は明日の風が吹か~」
そんな気楽な気持ちを持つ必要がありそうです。

時にはそんな事を、あれこれ考えながら自然や動物を観察してみるのも
楽しいものです。
皆さんもちょっと見かたを変えて如何ですか?

まっ、身体で天気が分かるというのは、もういい加減うんざりですけど・・・
これだけは身に付けたくないですね。









事故処理から保険屋の対応

2006-04-19 01:50:21 | 脳脊髄液減少症
しかし警察というのも、あまりにも事務的な対応しかしてくれませんね。
事故に遭って初めて分かりました。

まあ過去には、熱血警官とも言えるタイプの、「おまわりさん」には
出会ったこともありますが・・・。

これは医者にも言えることですが、若い医師には熱血ともとれる医師が多い?、
そう感じますね。理想と情熱に燃え・・・そんな感じでしょうか。
僕が昨年お世話になった若い医師などは、ホントに親身になって
心配してくれたものです。
大学病院に転勤(戻る)が決まった時なども
「何か困った事があったら病気の事でも何でもいいですから大学の方に
いつでも電話して下さいね」
同じ関東出身ということもあり、親しみを持ってくれていたのもあるが、
こんな医者もいるんだな~って、すごく嬉しくなっちゃいましたね。
脳脊髄液減少症なんて病気になってしまうと、ドクターハラスメントなんて
日常茶飯事
そんな事に慣れっこになってしまっている訳ですから、その一言だけで
感謝感激、雨霰
でも、そこに腕が伴うか、と言われれば若さゆえ「?」が付いてしまうのは
仕方の無いところでしょうか。
僕は「有難う御座います」本当に感謝の気持ちで、そう言ったが、
心の中では、もう一言・・・
「将来、偉い医者になっても、今の気持ちを忘れないでいて下さいね」
そう付け加えていた・・・。
多くの医師が最初はそうであっても、
現実の中で変わっていってしまうものなんですね。

話しが医者の話し中心にもっていったほうが良さそうになってしまいましたが。

警察は、民事不介入というのが前提にあるからでしょうか、
調書だけとると
「後は当事者同士で話をして下さい」それだけで終わりなんですね。
今も昔も、交通事故など後々トラブルが絶えないのですから、
もうちょっと警察の方で何とかしてもらいたいですね。

事故の相手もホントひどかったです。
僕が病院から警察に直行しても、ただの一言もないんですから
「もうどうでもいいや」そんな気持ちになり相手の連絡先、
保険屋の連絡先だけ聞き、帰り際に「気を付けて下さいね」
そう言ったのも僕のほうだった。それでも無言で帰っていったのだから
相当なものである。
このオヤジ、とうとう電話の一本もかけてこなかった・・・
今は、事故など起こしても、全て保険屋まかせで、
こういった人間が多いらしいですね。
もう人間的に疑うしかありません。
相手が保険に入っているだけ、まだましなほう
見舞いにくるだけ、まだましなほう
そう考えたほうがいいのかもしれません。

世知辛い世の中になったものです・・・

その後、保険屋から電話がかかって来る度に、
僕のはらわたは煮えくりかえって行く事になります・・・









未来の子供たちのために

2006-04-17 16:37:28 | 釣りの話
たいそうなタイトルではあるが。
僕には子供も嫁さんもいない・・・

まあ、これは関係ないが。

堰堤、である。
巨大な堰堤とも、小さなダムとも見てとれる。
一応、山女魚(ヤマメ)の生息する小さな里川にある。
我、故郷(ではないが、)、我が家から10分ほどの距離にある堰堤だ。
まだ、できて数年の堰堤だ。
高低差6m、距離70m、幅は20~30m位あるだろうか。
そして、この上流にも100m間隔位で、この半分の規模程度の
堰堤が2つもある。
まるで、万里の長城みたいではありませんか。
一応、魚道は3本付いているが・・・
こんなところを上る魚なんている訳がないですね。
というより、すでに自然の魚なんて、殆ど居ないのだから。

さらには立派な石碑まで造ってしまって、砂防堰堤などと
大きく書かれている始末です。
堰堤の上を見れば、最初から満砂状態。水はチョロチョロ。
これが砂防堰堤なんてチャンチャラおかしな話です。
一体、何の目的で造られているのでしょうか

結局、地元の土木業者を喰わせていく為のものでしょう。
土木業界の癒着体質は未だに変わらないものなんですね。
公共事業が無ければ、地方の人間は仕事に困る。
そして不景気を招く。ここらへんが地方の難しい問題ではありますが・・・

ゴルフ場開発にしても然り
最初は、近所の商店なども恩恵に与れるだろう、あるいは雇用が増えて
喜ばしいなどと期待してみても、結局、儲かるのは極々一部の人間
だけだと分かった時には後の祭りである。
それで失われた自然はもう二度と戻って来ない。

大体、中途半端な田舎ほど、自然を大切にしませんな。
都市部に近づけようとやたらと無駄な開発ばかり。

この堰堤の下はすでに水など、まともに流れてやしません。
それなのに今度はさらに上流部にダムまで造るという。
地域住民の殆どが反対しているというのに・・・
理由はと言えば水道水の確保と、この川で100年前にあった水害を例にとり
災害を無くす為に下流部の水を少なくしてしまおうと,まるで後から取って
付けた様な理由。
今現在は下流部の両面護岸工事も進み、果てには3面コンクリートになって
しまっている流れもある。
全部コンクリートにしてしまったら、今度は自然工法で工事をし、時間がたてば
またコンクリートで固めてしまう、永遠と工事できるんですから。

例えば、子供の頃この川で遊んだ人間がどんな気持ちで、
この川を見ているのだろう。きっとすごく寂しいだろう、悔しいだろう。
そして都市部に出ていた人間もこんな故郷に戻ろうなんて気持ちも
無くなってしまうだろう。

やはり田舎の自然はしっかりと守っていってほしい。
環境を守るのが田舎の人間の務めなのではないのだろうか

これから生まれ育つ未来の子供たちの為にも・・・






事故の経験 3 追突事故

2006-04-16 22:45:55 | 脳脊髄液減少症
3回目の事故
最初に首の手術をしてから3~4年過ぎてからであろうか。
やっと身体の調子も良くなってきた頃だった。

その日の仕事を終え、駐車場から車を出して100mも走らぬうち、
最初の交差点を通過しきろうとした時に後方から、ドーンと
ものすごい衝撃を受けた。車は制御不能、目の前には壁が迫るが、
片輪が浮いてしまい、そのまま突っ込んだ。

首を手術し、やっと調子の戻ってきた矢先、僕はものすごく不安になったが、
頭に血が上るのが先だった。「コラ!この野郎!!」怒鳴って相手の方に
走って行った(若かったんですね)しかし相手は70歳くらいのオヤジだった。
ポケ~と突っ立っているだけだったが、怒るわけにもいかず、
「オヤジさん何ともないんでしょ?」・・・(なんで被害者であるこちらが
そんな事言わなきゃならないんでしょう?)
「はい」と言うから「じゃあ警察に電話くらいしたら!」
そんなやり取り?があったが、警察に電話を入れてくれたのは、目の前にあった
右翼団体の事務所から出てきた、お兄さんだった。
そのお兄さんさえ、大破した僕の車を見て、僕の事を心配してくれているのに、
相手のオヤジときたら・・・これが大狸だった
被害者である僕には、一言の言葉も無く、最初は事故のショックで喋れないのかと、
かえってこちらが心配した位なのに、自分の同乗者(娘さん?)には
「タクシーで先に帰ってて」僕の目の前で、そんな声をかけているのだから、
もう呆れるしかなかった。
多分?よそ見でもしていたのであろう、ノーブレーキで突っ込んできたくせに
警察を待つ間も「だいじょうぶですか?」とか「すいません」とか
一言もないのには腹が立ってきてしょうがなかった。

警察官が来て、「お宅さんに何かあったら大変ですから、救急車を呼びますので
すぐ病院へ行って下さい」そう言われても、カリカリきているので
「身体なんか何ともないからいいですよ」そんなことを言っていた覚えがある。
この時は、ホントに病院なんか行きたくなかったんです。
2日ほど通しで仕事した後だったので早く家に帰って眠りたかったんですね。
仕方なく?行きましたが。

病院では「全治2週間の頚椎捻挫」そう診断された。
これって、どういう基準があるんでしょうね
追突事故の被害者には今まで何人も話を聞いたが、
追突事故で外傷の無い場合、みんな同じ診断されるんですね・・・
誰に聞いても、「全治2週間」です。
ホントに、いい加減なものです。
この時、もし僕が「痛い」とか「おかしい」とか言っていたら
どう診断されたんでしょう?

入院はしたくなかったので、診察を終えた足で、相手が事情聴取を
受けている警察署にタクシーで向かったが・・・

そこから、さらに僕の頭はカッカ、カッカと血が上って行くことになった。
相手にも、警察にも。
その後、相手の保険会社からは、脅し?とも思われる言葉を
吐かれる始末だった・・・







事故の経験 2 続き

2006-04-15 23:39:35 | 脳脊髄液減少症
前回は思いがけず、ジープの話しになんかなってしまいましたが。

仲間と富士に向かい、林道入り口に着いたのは深夜だったと思う。
樹海の中の林道。登りはガタガタの悪路、下りはダートを下りてくるのが
大体いつものパターンだった。

こういったオフロード車は、信じられないような道を走ってしまうもので
初めて行った人間などは、道を見ただけで、今からここを走るんだと
言っても絶対に信用しないか降りてしまうかの、どちらかだ。
一回走れば、車はボコボコになってしまう。

そんな道を一通り走り、林道の出口に近づいた頃、
僕の車のウインドーを何かが突き破り、車は止まった
その瞬間、僕の顔面を強烈な痛みとショックが襲った。
目の前には、何だか分からないけど、確かに何かがある。
木の切り株? 右側の山の斜面から伸びた木の根を
途中で切ったものだった。太さは1mもあろうか。

後ろから、仲間の車が近づいてくると、僕は照れ隠しに
笑いながら車を降りた。
「お前、笑ってる場合じゃねーよ」
僕は「どうしたの?」って感じだったが
「顔見てみろよ」
そう言われて顔を触ると、顔面血だらけで、鼻がプランプランと
しているではないか・・・
僕は、その時点で初めて血の気が引いていくのを感じた。

一般道に出て仲間がすぐに救急車を呼んでくれた。
何か、仲間にも申し訳ないし、こんな身勝手な事故で救急車を
呼ぶのにも申し訳ない気持ちでいっぱいだったが・・・

救急車は来たのだが、近くにやっている病院はないと言う。
そして救急隊員は僕の鼻を触り、「この位、大丈夫だよ」と言う。
そして、乗せられないと言った。事故の状況も分からずに。
これが一般道での事故ならどうするつもりだったのだろうか?
この時の僕には責める義務も無かったが・・・

眉間の下あたりがパックリと割れ、
ちょっと触られただけで滅茶苦茶痛かった。
そこで仲間の一人が詰め寄った。
「このあと何かあったら、あんた責任取るのか一筆書け
救急隊員は、真っ青になって返答もできずにいたが、
僕は「もういいですから東京に向かいましょう」
そう言って、車の運転はまかせ、後部シートに寝ながらジッと耐えていた。
ホントは痛くて痛くて、寒気はしてくるしで堪らなかったのだが。
でも、この後、ホント何かありそうだったのです。

東京に着き、すぐ救急病院へ行き診察を受け先生に怒られてしまった。
「何で早く近くの病院に行かなかったんだ。もう少し遅かったら
 失明するとこだったぞ」
その時はホントにゾッとしました・・・
診断は鼻骨陥没骨折。どうりで鼻がプランプランしていた訳ですね。
「麻酔はかけられないから我慢してね~」
へ?一体何をおやりになるの?
先生は棒のような物を手に取り。僕は怖さのあまり
鼻の穴から、その棒を突っ込まれたと思ったら、折れた骨を
それでグリグリと元の位置まで持ち上げて行きます。
痛いなんてもんじゃありませんでした。
そしてその後、さらに地獄の苦しみが・・・
鼻からガーゼを口の奥に飛び出すまでギュウギュウに詰め込まれ
「これで固定するからね、絶対に取ったらダメだよ」
顔はまるで火星人のように(見たことないですけど)腫上がり、
息は口でしか出来ないから、喉は渇くし、痛いしで、
それで1週間ほど我慢したでしょうか。

再通院の日がやってきました。顔の腫れはひきましたが鼻は曲がって・・・
そこでまた先生が棒を手に今度は僕が鏡を見ながら、
「元の鼻の高さどれ位?」それに答えながら先生が骨の位置を調節
していきました。そこでまたガーゼを突っ込まれ帰ってきましたが、
もう我慢できず3~4日でガーゼを取ってしまい、それっきり病院にも
行きませんでした。

それがいけなかったんでしょう、昨年何日も鼻血が止まらなくなり
手術をするハメになってしまいました。その時から10数年も過ぎているのに。
なんでも、鼻の中が癒着しているとかで。そこが切れたらしいです。
「昔、何かしなかった?」そう言われましたから・・・
皆さん、ちゃんと病院は通いましょうね。

ガラス1枚通しただけで、あの太い切り株が顔面直撃したんですから
当然、首にも物凄い衝撃を受けていたはずです。
僕はこんな事を何回も繰り返して行くんですね・・・






事故の経験 2 Jeep

2006-04-14 22:41:45 | 脳脊髄液減少症
Jeep(ジープ) 
僕が子供の頃から憧れていた車(変わった趣味ですね)
ジープといっても、チェロキーとかラングラーとか、そんなお洒落な
車ではありません。いわゆる、ミリタリーと呼ばれる軍用車です。

[M・B], [G・P・W] [M-38] [M-151 A1,A2]
これらは、ローフードと呼ばれ、ボンネットの低いマニア垂涎のタイプ。
[CJ-3B]これが、ボンネットの高い車です。
[CJ-3B]をライセンス生産された車が三菱の[J-3]
この車名、余程のジープマニアでないと分かりません(スイマセン)
時代で言えば1940年代から1950年代頃の車になります。
詳しい事は忘れてしまいましたが・・・
僕が生まれる、ずっと以前の車ですからね。
三菱ジープでいえば昭和51年に幅などが変更された以前の車。
このあたりの車が僕の興味のある車です(できればまた乗りたいです)
軍用車の持つ、機能美ともいいましょうか、無駄を一切排除したスタイル。
ワイパーなんて一つずつ手動ですよ(古い車は)。笑っちゃいますよね。
ある一時期、凝ってしまいました。

大体が、ジープ乗りなんて見かける事もなくなりましたね。
それはそうですよね、あまりに古くて維持するだけでも大変ですから。
ジープ乗り同士がすれ違えば今だに見知らぬ人間でも挨拶していきます。
現在、入手するとしたら、完全レストアされた車を購入するか、
自分でレストアするかしかありません。
レストアするといっても部品なんかないですし、大変な手間を強いられます。
部品取り用の車を何台も集めたり、アメリカや沖縄まで探しに行ったり。
こだわる人は、ボルトの一本、ビスの一本に至る迄、本物に執着します。
国内にもミリタリー車専門店もありますけど。

でも完全な本物になってしまうと、実際に走らせる人も今では少ないでしょう。
せいぜい何かのイベントの時に集まるくらいで、あとはコレクションとしての
飾りみたいになってしまいますね。
走ってこその車、悪路を走ってこそのジープ。

僕が乗っていたのは三菱ジープを[M-38]という車に似せて
改造した車です。いわゆる「もどき」ですが・・・
[M-38][M-151]本物は水中走行までできちゃうんですから
時代を考えたら驚きですよね。
僕の、M-38もどきは、見かけこそ古いが、エンジンフルチューン、
ウインチも付け、邪道ではありますが、凄い車でした。

今では車の入れる林道なども、殆ど無くなってしまいました。
入れたとしても悪路と言うには程遠い林道しかないですね。
一時の四駆ブームによってマナーを守らない人間が増えたことにより
殆どの道が立ち入り禁止になってしまいました。

ジープに乗っていた時、ジープ倶楽部の仲間と毎週のように
富士山の林道へ走りに行ってました。
中央道のP・Aなどに入ると、「写真を撮らせて下さい」と
人が集まってきたものです。仲間の車は本物が多かったですから。

ある夏の夜、定例の集まりの後で、「これから富士山行こうぜ」
誰からともなく声があがり、富士に向け、出発となりました。
そこから、僕の惨劇?が始まっていたとは予測も出来ずに・・・