陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

泣き尺

2007-05-29 23:15:48 | 釣行記 利根川編
本来、泣き尺などという言葉は無い。
尺・・・つまり、約30センチ。
一尺は30センチ、二尺は60センチになる。
釣りや漁の世界では、未だにこのような尺貫法がよく使われる。

渓流釣りでは、山女魚(ヤマメ)や岩魚(イワナ)など、
一尺という大きさが、一つの大物の目安になっている。
つまり渓流釣り師は、尺物を求めて躍起になるのだ。

そんな魚を求めて、利根川の沼田地区に行ってきた。
沼田辺りではまだ渓流という雰囲気ではなく、
流れは広く激しい(藤原ダムの放水も加わって)。
実は今年の釣行は初めてと言っていい。
体が言う事を聞いてくれない。
釣りに行きたい欲求はあるのだが、それに相反するように体がイヤイヤをしてしまうのだ。
それを証明するかのように、ほんの僅かの時間の釣りでさえ辛いものだった。

まず目が見えない。
渓流釣りでは毛糸のような目印を付け、それを目で追い魚の当たりを取る。
通常二つか三つ付けるのだが、それを五つ、しかも大きく付ける。
それでも見えない。
そして普段どうりの全身の痛み、眩暈、吐き気・・・。

現場にいたのは実質2時間、その中で釣りをしていたのは正味30分位だろうか。
健康な時なら勿論、日が暮れるまでどっぷりと釣りをしていたであろうに。
正直滅茶苦茶イラついた。
糸を結ぶ、針を結ぶ、竿を振る、竿を構える、
そんな当たり前の作業が丸っきり当たり前で無くなってしまった。

話を元に戻そう。
泣き尺とは釣り師の造語。
30センチに5ミリとか1センチ、僅かに届かない魚が釣れた時にそう表現するものだ。
釣り師の粋と言おうか、それとも悪あがきか。
でも前述したように、釣りの世界では古き良き言葉が未だに多く残っている。
悔し涙を呑んで30センチ、それもまた良いではないか。

そんな訳で本日の釣果。
メッチャ綺麗な(釣った直後は)山女魚1匹。
大きさは29センチちょっと。
申し分のない体高と肉厚の素晴らしい魚体。
こんな魚が1匹釣れてくれれば満足ということにしよう。
と言う訳で、立派な泣き尺の山女魚でした・・・。
そしてこの魚は美味しく頂きました。

はあ~、それにしても、せめて半日くらいは釣りのできる身体になりたいものです
って。。。泣くところが違ってますが。
なんたって余裕というものがありません。
景色を楽しむ、水の流れを楽しむ、鳥や虫などの鳴き声を楽しむ、
そんな余裕を持たなければいけません。
せっかくお出掛けしても、心の中では「早く帰りたい」と言っているのですから。

暗くなるまで夢中になって竿を振ったあの頃へ戻りたい・・・。





けしの花

2007-05-21 21:58:00 | Weblog
人知れずひっそりと咲く、美しい野生のけしの花。
けしと言えば、言わずと知れた阿片の原料。

しかしこのけしは、観賞用として植えてもいい種類のものだと思う(多分)。
栽培や観賞用として植えてはいけない物があると言っても、
けしそのものには全く罪は無い。
悪いのはいつも人間だ。
ひとたび人間の手が加わる事によって、
美しい花も悪の華へと変貌を遂げる。

世界に目を向ければ、
けし栽培(勿論、阿片としての)だけが生活の糧の貧困地帯もある。
国や政治家、果ては軍までが絡んで、けしの花に惑わされる。
根底を変えていかなければ、決して麻薬は無くならない。

今、10代の若者の間では、麻薬が悪い物だという認識が非常に低いそうだ。
入手も非常に簡単だ。
だが決して手を伸ばさないでほしい。
そこには地獄の入り口が待っている。






視力の低下

2007-05-13 21:58:32 | 脳脊髄液減少症
視力の低下について何度か書いたが、
どうも左目の調節機能が全く働いていないようだ。

左目と比べれば右目は意外にクリアな視界を捉えることが出来る。
左の目も、おぼろげな景色は捉えられる。
しかし、どうやっても左目で字などを読む事が出来ない。
今も、パソコン画面の字は大きくしようが何をしようが全く読めない。
老眼とか近視などのように近くになれば読めるとか、離せば読めるとか、
そのような調節も利かないようだ。
もう長年、眼鏡を掛けているが、左目だけは眼鏡を掛けても掛けなくても、変わらない。
そこに文字らしきものがあるというのだけは分かるのだが。
(これも、右目であらかじめ認識しているからだと思うが)

右目も、あくまで左の目と比べればというだけで、
やはり普段の生活にかなりの支障が出てくるようになってきた。
体の痛みやだるさなどは、ある程度の我慢はできるのだろうが(限界を越えているが)
最近は手足に麻痺状態が多く出てきたり、目が見え辛くなってきたりと、
大きな不安を抱えるようになってきた。






一安心

2007-05-09 20:47:23 | Weblog
母の手術が無事に済んだ。
卵巣にできた腫瘍は大きかったが、悪性の物は一切無かったようだ。
入院も2週間程度で済みそうなので、まずは心配ないだろう。

これで一安心。
しかしこちらは(自分は)絶不調、相も変わらず血尿が出ている。

金払ってんだから

2007-05-07 23:11:34 | Weblog
最近、よく聞くようになって気になる言葉「金払ってんだから・・・」
お金さえ払えば、どんな我侭も利己主義も何でも通ると思っている奴等。

いくらお金を払おうが札束を積もうが、
払う側にも最低限のルールや礼儀というものはあるはずだ。

いい例を挙げてみよう。
僕が入院した時に同部屋になった人がいた。
ある日、頭が痛いからと、担当の看護師に薬を持ってきてくれるように頼んだ。
30分ほど経ってから、薬を頼んだ担当看護師とは別の看護師が薬を持ってきたが、
その患者は烈火の如く怒り怒鳴りまくった。
「患者が頭が痛いと言ってるんだから、何ですぐに持ってこないんだ?
担当と名が付いているのに何で別の人間に頼むんだ?
俺は金を払ってるんだぞ」
さて当の本人は、頭が痛いと言いながら、喫煙室で煙草を吸っていたようですが。
入院費の請求の事でも揉めていました。
入院した日がなんでも病院の都合で夕方になったらしいのだが、
何でその日の分まで一日分の部屋代を払わなくちゃいけないんだ?
「後で訴えてやる」なんて言ってました・・・。
もう、この人には周りにいた全ての人が呆れかえっていました。
ちなみにその人、高校の教師でしたが・・・。
給食費を払わない親の理屈と似ている気がしないでもありません。

そこまでサービスを求めるのなら、もっと大金を払って、
豪華な個室にでも入れよって言いたくなってしまいます。
飲食店や夜の社交場などでもこの手の人は多いですね。
金払ってんだからと、場所柄もわきまえないサービスを強要したりする人。
「金払ってんだから」って言葉を聞くと何故か無性に腹が立ってきます。
まあ、その言葉が通る場合もありますが、
やはり時と場所、その場の状況など充分選んでから発してもらいたいと思いますね。












気温25℃

2007-05-03 22:25:30 | 脳脊髄液減少症
五月に入り、やっと気温も落ち着いてきたようだ。
気温25℃、どうもここらへんの数字に、僕の痛みの大きな境界線があるようだ。

一番の苦痛はやはり首からその下辺りにあるのだが、
朝の起床時にその違いがはっきりと出る。
とは言え、この時期の朝にはまだ25℃までには到底達さない。
だが、昼間がその気温に上がるような日だと、朝が多少寒くても大分調子が違う。

だが悲しいかな、やはり時間の経過や仕事の姿勢などでいつもの痛みに戻ってしまうのだが。
それでも、幾分かは気持ちも変わってくる。
一日のうちの数十分、数時間だけでも多少は痛みが和らいでくれるこの季節、
できれば永遠に続いてほしいものだ。

それでもやはり、普通の健康体から比べたら、
滅茶苦茶調子は悪い。
歩き方も大分おかしくなってきた。

昨日も今日も、仕事から帰るとすぐに鼻血が出る・・・。