陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

郡上竿

2008-03-30 21:20:43 | 釣りの話
郡上(ぐじょう)竿
言わずと知れた、岐阜県は郡上八幡で、職漁師達によって使われてきた竿である。
郡上竿とは本来、竹竿だが、その竹竿の調子をカーボンによって再現されたのが、
写真の、宮田作(郡上八幡の宮田釣具店) 郡上アマゴである。
この竿の開発には、故人となられたしまった
釣聖 恩田俊夫氏がテスターとして携わったと聞く。

郡上竿というのは、独特の調子を持っている。
普通の渓流竿の調子は、ごく一般的な7:3調子あるいは極先調子の8:2調子が主流であるが、
郡上竿の調子は、総調子と言われる、握りの手元からグニャっと曲がるタイプの竿だ。
この竿に慣れるのは、ある程度の時間を必要とするかも知れない。
この竿を入手したのは、もう10数年前。
たまたま立ち寄った釣具店に並んでいたのを見て、衝動買いしたものである。
長さは、7.2mと8.1m。
最新の渓流竿と比較すると、非常に重たい。
その独特の調子と合間って、持ち重り感も相当なものがある。
7.2mはともかく、8.1mは一般的ではないだろう。
この竿を一日振り回すには、相当の体力、集中力を要する。
僕が健康な身体を持っていた時期でも、8.1mはかなりキツかった思いがある。
だが現代の竿には無い独特の味がある。
この竿を購入した当時でも、最先端の竿は6~10万の値がしたものだが、
この竿は2万そこそこで購入した記憶がある。
今の身体ではこの竿を使うのは難しいが、一生大事に使っていきたい。

残念ながら、宮田釣具店のご主人は亡くなってしまったらしく、
この郡上アマゴという竿を入手するのは不可能である。

だが郡上八幡では、未だに竹による郡上竿を作っている職人さんが、
たった一人いるらしい。






渓流タモ 2

2008-03-29 21:20:52 | 渓流タモ
柄と枠の付け根は、こんな感じまで曲げました。
枠の枝部分は、所々に節があり、水平に修正するのに結構手間取りました。
ですが、味を出す為に敢えて細かくは修正しませんし、上から見ても真円ではありません。
柄も枠も、節の出っ張りはある程度残そうと思っています。

さて、ただこのまま一年二年と乾燥させるだけというのも面白くないので、
柄の部分だけ先行して、磨き始めました。
耐水ペーパーの400→1000→1200と進み、
最終的には、刃物まで砥げてしまうという、研磨フィルムの2400番で磨きあげる予定です。

実は僕にとって、このペーパー掛けが一番厄介です。
まず、左右の腕に激しい痛みを抱えている点と、
同じ姿勢で長い時間いると首の痛みも酷くなってくるからです。
このへんは、毎日少しずつやっていくしかありません。

取り敢えずは、塗装だけ残して、柄の部分だけは作り上げていこうと思います。
磨きが終わったら、少しだけ籐を巻いたり、尻部分に鹿の角で装飾する予定です。
来年まで、気長に仕上げていきましょう・・・。







渓流タモ

2008-03-26 21:25:39 | 渓流タモ
昨年、何本かの素材を切り出したのですが、
皮むきをした段階で気に入った物がなく、結局は作りませんでした。

今年新たに、一本だけ良さげな素材を見つけたので、皮むきをして型に嵌め込みました。
自分で山を持っているならいざ知らず、
やたらと山に入って切ってくるわけにもいかないので、
気に入った素材を手に入れるだけでも、困難を極めます。
今回入手したのは、カヤという木で、これは伐採してあった物の中から探してきたものです。
枠部分の太さもちょうどいいし、柄の部分の微妙な曲がり具合も気にいってます。
難を言えば柄の部分には、
もうちょっと節があったり、自然に出来たネジレや腐れなどがあれば、
もう少し味のある物が出来るのですけどね。
でも、枠の接合にさえ失敗しなければ(枠の上部で分からないように接合します)、
かなりの物が出来そうで楽しみです。

今回、枠の型は、ステンレス製の針金で作りました。
鉄製の物ならば、必ずビニールテープをグルグル巻きにします。
そうでないと、錆が出て木枠に染み付いてしまいます。
枠の部分の枝はかなり太めなので(小指の太さほど)、
全体に蒸気を当てながら丸めていきました。
直径は30センチと、渓流タモとしては多少大きめでしょうか。
そして、柄に対して角度を付けて番線で引っ張ってあります。
気は逸りますが、この状態で狂いが出ないように、来年まで乾燥させるつもりです。

写真手前の網が付いているものは、かなり前に作ったものです。
ただ、素材が一本物ではなく、柄の頭の部分に枠を差し込んで作ったものです。
やはり一本物の素材と比べると、いま一つ味に欠けますね。


腹 減った

2008-03-21 19:58:47 | 脳脊髄液減少症
腹が減った。
飯も食べたい。
食欲は充分ある。

だが食べたくない。
食べたいのに食べたくない。
大きな矛盾だ。

以前は、一度の食事に三合の米を食べていた。
今と言えば、ごく普通の茶碗に半分も食べたらいい。
まるで、食べ物が口の中で遊んでいるようで、上手く噛めない。
噛むのが疲れるので、スローモーションのようにしか噛めない。

もう、何事も普通には出来ない。
箸を持ったり、服を着たり、爪を切ることでさえ誰かの手を借りたい。

自分の身体の不甲斐無さ、痛さ辛さに、無性に腹が立つ。

それでも仕事には行っている。
どんなに辛くとも、見た目は普通だし、動けてしまう(これは普通には動けないが)
我慢している事に気が狂いそうになる。





杉花粉

2008-03-13 20:50:19 | Weblog
杉の葉は、胞子を孕んで真っ茶になっています。
風が吹くと、まるで煙幕のように花粉が帯状になって飛散しています。
これでは花粉症の人は、たまらないと思います。

山の魚である山女魚や岩魚なども、杉の花粉を嫌うと言います。
川の下流から上流に向かって、同規模の流れが二つに分かれているとします。
一方の流れの岸には杉の木があり、一方の流れには杉の木がありません。
すると、杉の木のある方の流れには極端に魚が少なくなるそうです。
ただ、実際に杉の花粉を嫌うのかどうかは疑問です。
杉には実が付かないし、広葉樹の落ち葉などと違って、腐葉土もできません。
となれば自然と、虫類なども少なくなり、それを餌とする動物類も少なくなります。
当然、川にも餌が流れ込みません。
代わりと言ってはなんですが、根を張らない為、赤土などの土砂が流れ込みます。
魚が少なくなるのは、道理でしょうね。
あくまでもこれは、僕の稚拙な頭で考えた勝手な推測なんですが。

幸い僕には花粉症の気がありません。
でも周りの人を見ていると、皆さん相当に悩まされているようです。
関東近県では今がピークなんでしょうか。
早く落ち着くといいですね。

さて、この数日、常にカメラを持ち歩いています。
こんな杉の写真なんか撮りたかった訳ではないんです。
実は先週、毎日のように大きな鷹と遭遇していたのです。
これは絶対に写真に収めてやろうと思っていたのですが、
カメラを持ち出してからは、パッタリと姿を見せないようになってしまいました。
寝床を変えてしまったのでしょうか、ちょっとガッカリです。
でも、さすがに鷹は精悍な顔付きをしています。
カッコイイですよ。





2008-03-13 20:22:41 | Weblog
今週の日曜日に開花したばかりの梅は、こんなに咲きました。

昨日、ウグイスの声も聞きました。

梅の開花までは寒い日も多かったですが、
ここのところ気温もグンと上がり、暖かな日が続くようになりました。
桜の開花は、昨年より早くなりそうな気がします。
今年は、梅と桜の花が同時に楽しめるのではないでしょうか。



やっと・・・。

2008-03-10 23:54:27 | Weblog
昨日の暖かさで、やっと梅が開花しました。
昨年より一月程遅いですね。
足元で、色鮮やかなテントウ虫も見つけました。
明日からは暖かい日も続くようですし、ようやく春到来といったところでしょうか。
ほんの小さな命の輝きを見つけられる春。
それだけでも気持ちが晴れてきます。

3月10日
東京大空襲があった日だそうです。
だそうです、としか書けないのが情けなくもありますが、
ものの本や、人伝にしか聞いた事がないので、そう書くしかありません。
今日のTVで、東京大空襲の事実に基づいて製作したドラマが放映されていましたが、
御覧になったでしょうか。
この場で感想を云々することは止めておきます。
石川光陽という人が撮った、物言わぬ死者の写真が、全てを物語っていると思います。
悲惨な戦争が二度と起きないよう、切に願います。

年金特別便

2008-03-07 22:11:05 | Weblog
年金特別便が来た。
例の、年金加入記録の漏れがありそうな人に送られてくるというやつだが。
開封してみてブッタマゲタ。
僕は自営などもしていたので、国民年金が長いのだが、国民年金の記録漏れは無さそうだ。
だがだが、厚生年金に関して、一切の記録が無いのだ。
実はちょっと職を転々としているので、自分でも確実には把握出来ないのだが、
思いつく限りで考えてみても、
おそらく通算で7~8年分の加入記録が消滅してしまっているではないか。

これが役所のやる仕事ですよ、皆さん。
消滅してしまった記録が出てくればいいのですけどね。
僕自身、すでに忘れてしまった会社名もあるし、
何年から何年まで勤めた、なんて記憶は全く定かではありません。
もし記録が出てこなかった場合、社会保険庁は一体どんな責任を取ってくれるのでしょうか?
間違いなく、こちらが泣き寝入りするしかないんでしょうね。

今の健康状態を考えたら、年金支給の開始年齢を過ぎてまでも働きたくはありません。
いや、おそらくそんな年齢になったら働けないでしょう。
でも7~8年もの期間の記録が消滅してしまったとなると、
その分を先延ばしして働かなければ、とてもではありませんが生活が出来なくなります。
本当に、よくもここまでいい加減な仕事をしてくれたぜ。
そう言いたいです。
こんないい加減な事が、一般企業で通用するとでも思っているのでしょうか?
税収を上げる事よりも何よりも先に、いっそ公務員の給料を半額にして、
それを国の予算に上乗せすればいいのです。
一般企業での仕事と比べれば、公務員の給料を今の半額にしたって貰い過ぎですよ。
勿論、公務員全部が全部とは言いませんけど。

しかし!
頭に来るね本当に!!




腕の痛み 足の痛み 顔の疲れ

2008-03-06 21:29:32 | 脳脊髄液減少症
腕の痛み、足の痛み、筋肉の硬直感、グニャグニャ感、最近、富みに酷い。
そして顔の疲れ。
ついに、関節という関節全てに痛みが出てきた。
そして、関節と関節を繋ぐ筋肉の痛み。
全身の筋肉の酷い硬直感と、それに相反するかのようなグニャグニャ感。
自分の足で立って、自分の足で歩いているという感覚に乏しい。
そういった症状が酷くなっているということ=首の痛みが一番酷いのだが。

顔が疲れる。
顔の疲れと言っても、所謂見た目の疲れでは無い。
今までにも、顎関節や眼の周りの筋肉に痛みはあったが、
顔全体の筋肉がだるくてしょうがないのだ。
食事に時間が掛かるようになった。
噛むのが億劫で、食事量が大分減った。
麺類などを、すする事が出来ない。
顔の疲れとは関係ないが、この一週間で2度の鼻血。
一度は床に入ってすぐ、一度は仕事中いきなり。

この病気は、神経と筋肉の病気だ。
そうとしか思えない。
神経と筋肉の病気は治らない。
昔も今も医師の定説だ。
かろうじて、痛みだけは緩和させることは出来る?
しかし、薬物治療などというものは、治療であって治療ではない。
ほんの一時、痛みを和らげることは出来たとしても、
長い間、薬の服用や注射を打つことは、確実に心も体も蝕んでいく(と感じる)
飲み薬も注射も、神経ブロックも、一切の効果が無かった。
ならば少しでも心を保つ為にもと、薬の服用を止めた。
様々な薬の服用中には一時、それこそパニック症候群、
あるいはエコノミー症候群と言われるような酷い症状が出たが、
薬を止めてからは、それは大分落ち着いてきたように感じる。
まあ、一度飲み始めた薬を止めた後にも、強い副作用が出るときがあるのが、
これまた薬の厄介な所でもあるのだが。

結局、今の僕は、治療を放棄したような形になっているかもしれない。
治らない病気ならば治らないものとして、
そう認識したほうが、今後の長い人生、
病気を抱えた身体とどう向き合って生きていくのか?
上手く付き合っていけるのかもしれない。
そう感じる今日この頃だ。
治らないものと、そう受け入れる事が嫌だっただけなのだ。

はあ~、それにしても、この身体の症状を我慢する限界は、
とっくのとうに越えてしまっているが・・・。
一時も早く、確立された治療法が出てこないものだろうか。










横転

2008-03-02 21:50:53 | 脳脊髄液減少症
かなり以前の写真ですが、ジープに凝っていた頃、富士のオフロードで横転したものです。

この写真と、今日の本文とは何の関係も無いのですが。
今日、車の運転をしていて、まさに横倒しになってしまったと思ったのです。
アレッと思ったのですが、衝撃が伝わってきません。
当たり前です。
平らな道を真っ直ぐに走っていただけなのですから。
自分の平衡感覚がオカシクなっただけだと気付くのに、時間はかかりませんでした。
フワフワした感覚、所謂浮遊感や、グルグル回る眩暈はしょっちゅうなんですが、
真横になったまま止まった感覚は初めてでした。
幸い、直ぐに治まりましたが、此処最近の身体の異常には自分でも怖さを覚えます。
検査では絶対に出ない不整脈?
暫くの間は治まっていたのですが、また頻繁に出るようになってきました。
その瞬間、俺はここで死んでしまうんだ。そう思うほどです。
時間にすれば、ほんの数秒なのでしょうが、意識が遠のき呼吸が止まり、
死への恐怖というものを、まざまざと感じさせてくれます。
でも不思議なもので、そんな時、
気持ちは比較的穏やかに死というものを迎え入れています。
いえ、穏やかと言うのは嘘かもしれません。
ヤバイッと思った瞬間、何の猶予もないまま諦めの境地になってしまうのです。
でも最近は、そんな穏やかな死を迎えるのなら、それでもいいかとも思えます。
もがき苦しんで死んでいくよりかは・・・。

暦もやっと3月。
暖かさを感じる日も出てきました。
緑の芽吹き、鳥のさえずり、春のそよ風。
まだまだそんな時を何十回と迎えなければなりません。
いや、迎えたいのです。
それが長く苦しい道程だったとしても、
その為に前を向いて歩いて行きたい(生きたい)と思います・・・。