陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

紆余曲折 脳脊髄液減少症に辿り着くまで

2006-04-06 02:00:38 | 脳脊髄液減少症
ここらへんで、僕の闘病経過はちょっとお休みにして、
脳脊髄液減少症という病名に辿り着くまでを少し振り返っていこうかと思う。
これから治療を受ける方、まだ脳脊髄液減少症という病名を知らない方が
僕と同じような失敗を繰り返さない為にも。

思えば本当に遠い道のりを辿ったような気がする。
失ったものも数多く
お金、時間、友情、仕事、・・・

発症原因・・・余りにも多く有り過ぎて分からない?
発症時期・・・これも実は、あやふや?

もしかすると、幼少時にブランコに乗っていて後頭部から転落したものかも?
そういえば、入院中にも髄液の検査と言われて2回も髄液を採られた事を
覚えている。あの時の強烈な痛みは忘れようもない。
激しい頭痛が襲ってきたのが、その時からなのも間違いはない。
まだ物心がつき始めたばかりの歳頃・・・

この時を経て実は僕の医者不信、人間不信が始まったのかもしれない。
それから10年、20年と一体何回病院に通ったのだろう。
「精神的なもの」そんな言葉、本当はこの頃から聞き飽きていた。

いや、だから多分、その頃の経験があるから、この4年?(と多分書いた闘病生活)
の前半、整形外科医から投げられた言葉に耐えられたのかもしれない。
子供心にも、青春期(今もそうだが)にも納得する事など出来ず、病院から帰る時にはいつも
悔しい気持ちで一杯だった。
余りの苦痛に壁に頭を打ちつけ、痛みを誤魔化した事もあった。
痛みから来る激しい吐き気も。

周囲から理解されない。そんなことも、その頃から感じ取っていたかもしれない。
「死んでしまいたい」誰にも言う事は無かったが、何回考えただろう。

そんな日々を繰り返すうちに、
10代後半から酷い円形脱毛症にも悩まされることになった。
酷いときは10数個も出来、終いには自らスキンヘッドにしてしまった。
(今は、ちゃんと?生えてますが)
そして体毛という体毛全てが白髪に・・・