陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

テレ マカシィ

2006-08-19 14:57:50 | 海の話
タイトルを見て、何のこっちゃと思ってるでしょうね。
カタカナで表現するのは難しいのだが、マレー語で、有難うという意味だ。

大分前の話しになるが、マレーシアの沖合いで潜った。
海底ケーブルの敷設ルート上にある、障害物を見てくるだけの簡単な仕事だった。
その日は、地元漁師が設置した漁礁の調査だった。
現地の言葉で「ウンジャン」「ブーブー」と言われる二種類の漁礁があった。
漁礁と言っても、非常に簡単な物で、その日に調べた物は、
一本のロープに多数の椰子の葉を縛りつけ、それに簡単な木?(沈む木)を
重し代わりに付けて沈めただけの物だった。
そして目印代わりに竹を束ねて浮かべてあった。
これが、どっちの呼び名だったかは覚えていない。

その日は、タグボートから小型の地元漁船に乗り換え、
その漁礁に向かった。
近くに寄ると、夥しい数の魚、魚、魚。
船から手を差し出すと、50センチほどもある、ツバメ魚などが、
寄ってきて、手を突っつく。
人間にスレていない自然の魚が、あれほど従順だとは。
人間の姿に怯えている気持ちは、これっぽっちも伺えない。
現地の漁師は、一網打尽なんて獲り方はしない。
一匹ずつ針で釣る手釣りだ。
そして、必要充分だけしか獲らない。
魚には学習能力がある。
いつも網で追い掛け回されているような魚だと、例え中層魚であろうと、
海底にへばり付いて、浮き上がってこなかったり、神経質になるのだ。

そんな状況の中、そのロープに沿って潜っていった。
あの時の感動は忘れない。
水深30数m、その海面から海底まで数万匹、いや、数十万匹の数はいたであろう。
ロープの周りをグルグルと隙間無く回遊する姿はまるで、魚でできたカーテンのようであった。
魚の向こう側が見えず、光さえ遮断され、暗くなるほどだった。

海底に着き、状況写真を撮り終えた頃、僕の背丈とほぼ同じくらいの
大型の亀が近寄ってきた。
しばしの間、僕はその亀と一緒に遊んだ。
もしかしたらあれは、竜宮城からの使いだったのかも・・・。

船に上がると、地元漁師がカレーとアジのから揚げを作ってご馳走してくれた。
その場で椰子の実を削り、ココナッツミルクや、油を作る。
そして、スープ状のカレーを作ってくれたのだが、
こいつは美味かった。絶品だった。
そして、スープカレーはまた、タイ米(マレー米?)とピッタリ合うのだ。
ただ、料理に使っている水だけは、見ないほうが良かったと思った。
白いと言うか、灰色と言うか、生で飲んだら恐らくは・・・。
多分、川の水を汲み置きしたものだろう。
ま、火を通しているのだから、気にはするまい。
船の上では水は命と同じくらい大切な物。

現地人は、男も女も腰に布を巻いただけの素朴な姿。
そして常に裸足で過ごしていた。
例え釘が刺さっても痛くないそうだ。
文明に慣らされた、我々とは違って、明るく逞しいその姿が眩しかった。

大いなる自然に、テレ マカシィ(ありがとう)
素朴な人間に、テレ マカシィ

あの姿は今でも残っているのであろうか?