ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

何万人もの「日本男児」が、

2014-02-27 07:40:32 | 日記
『日本兵とみられる ほぼ一体がそろった遺骨が見つかった。』
と報じられました。
沖縄の旧日本軍の陣地周辺の浅い壕跡で発見されたとのことです。
表土から約40センチ、仰向けで、手を胸に置いた形で埋まっていたとのこと。
左腹には、砲弾の破片を思わせる 鉄の塊があったとも報じられました。

「安らかに」と祈るには悲しすぎます。
「長い間ご苦労さまでした」
私は、そう思って掌(て)を合わせました。

「地上に出してあげられて良かった」
「若い兵だと思う。活動を続けてきたかいがあった」
と話したのは、修養団 沖縄がじまる会の会長さんでした。
遺骨は慰霊祭を行った後、収骨した20柱分と共に、県平和祈念財団の 
戦没者遺骨収集情報センターに託されたそうです。

私は硫黄島玉砕のことを思い出しました。
昭和20年2月、太平洋に浮かぶ小さな火山島硫黄島で、アメリカ海兵隊60,000人、
日本軍守備隊21,000人が激突しました。

戦いは1ヶ月以上続き、米軍は太平洋戦争以来最悪の、28,000人の死傷者を出しました。
補給もないまま戦った日本軍は、持久戦の果てに悲壮な最期を遂げ、
硫黄島は玉砕の島となったのです。
地下壕に充満した飢えと乾き。
日本軍2万1000人のうち、生還したのはわずか1,000人だったと伝えられています。

硫黄島に急遽送りこまれた兵士たちの多くは、戦争にあまり経験のない年配者と少年兵だったそうです。
彼らは、「戦闘心得」と共に、捕虜になることさえ禁じられ、孤島で逃げ場のない戦いを強いられました。

平成6年度までに祖国に帰った遺骨は約8600柱。
未だに数多くの遺骨が取り残されているのです。

攻撃を前にして、白襷(だすき)をした栗林と市丸の両司令官は、兵士達に、
「日本が戦に敗れたりと言えども、いつの日か国民が諸君等の勲功を讃え、
諸君等の霊に涙し黙祷を捧げる日が必ずや来るであろう。
安んじて国に殉ずるべし。予は常に諸子の先頭にあり!」
と述べ、日本刀を手に自らが先頭を進み突撃して行ったと伝えられています。

かつて、愛国少女だった私は、今でもこの『檄』に涙してしまうのです。
でも、靖国神社への参拝はしたくありません。
若者を戦場で死なせたくないから、憲法9条を守りたいと思っています。

安倍首相は、金メダルの羽生選手に
《たくさんの日本人が羽生選手の演技を見て胸が熱くなる思いだった。
氷に一礼するたたずまい、さすが日本男児だ》
と祝福の電話をしました。

この言葉に、私は背筋が寒くなる思いでした。
何万人もの「日本男児」が、先の戦争で、そのいのちを奪われたことを想起させられたからです。
                                     〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする