ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「背後に見知らぬ世界が……」

2014-01-05 07:28:04 | 日記
新しい年も5日となりました。
最近とみに、
「あぁ 今年も お正月が迎えられたな」
の感が強くなりました。
身近の者が逝ったり、「喪中はがき」などが、暮れ近くに届くことが
多くなってきたからかもしれません。

帰省していた長男夫婦が戻り、いつもの様に「今、家に着いた」の連絡が入りました。
今年は、
『餅 食うときは 気をつけなって』
の言葉が付け加えられました。
「はい はい」
と応えましたが、ありがたい様な、言われたくないような気持です。

このところ、ちょっと時間の余裕がありましたので、
好きな作家・藤沢周平の『海鳴り』を読み返してみました。

紙問屋小野屋の主人・新兵衛は、四十歳前の頃のある日、頭に一本の白髪を見つけます。
その時の心境が次の様に語られています。

     ≪………おどろき疑ったが、見たものに紛れはなかった。
     信じられないことだが、それは老いの兆候だったのである。
     ひとが老いるということを知らなかったわけではない。
     また、いずれ自分にも、その時が来ると思わなかったわけではない。
     だが思うだけで実感は薄く、新兵衛は老いというものを他人事に考えていたふしがある。
     だが、目の前にその印があらわれていた。
     見たのは一本の白髪だったが、
     その背後に見知らぬ世界が口をあけていた。………≫
                               『海鳴り』(白い胸)より

私が、「老いの兆候を見つけた」などというのは、もうずっと以前のことです。
美容院で、「後頭部に白いものが入ってきましたね。カラーしてみましょうか」
と言われた時は、確かにショックではありました。

あれから30年。
何はともあれ、ここまでの齢を重ねられたということに、まず感謝いたしましょう。

日本は、確実に少子化・高齢化社会になります。
「老い」と、どう向かいあうか。

≪その背後に見知らぬ世界が口をあけていた。≫
は、単に個人の内面のことに限らず、日本という「国のかたち」の
これからが問われなければいけないのだと考えます。

「強い国・日本」のイメージソングは、唱和できなくなる気がします。

                              〈ゴマメのばーば〉
コメント
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