玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

長期入院と幻覚(15)

2016年10月27日 | 日記

「両手手袋」のつづき
 両手手袋の夢をもう一つ見ている。こちらもなぜか親戚が絡んでくる。親族や親戚にすがろうという私の気持ちがよくでているように思う。
 私は合掌の状態で両手手袋をはめられ、ベッドに寝ながらあちこち救いを求めて出歩いている。親戚の女性を訪ねてその家を訪れるが、玄関先でいくら呼んでも女性は出てこない。とにかく拘禁状態で何も出来ないので、携帯電話で妻に連絡する。どうして両手が動かせないのに携帯電話をかけられたのかは不明である。どうやって移動しているのかも不明で疑問の対象とはならない。
 出てきてくれない。妻にも連絡が取れない。ここは諦めて、医院の看護師をしている女性のことを思い出したので、その医院を目指して移動する。
 医院に着くと受付で「手袋を外してくれ。何にも出来ない」と訴えるのだが、なかなか看護師の女性は出てきてくれない。ようやく奥の方から出てくると、私に向かって冷たく、「ダメです」のひと言。
 それはないだろう。こちらはベッドのまま病院を抜け出して来ているのに、手袋を外すくらい造作もないことではないか。医者も奥から出てきたので、手袋の件を訴えるが、どうも医者には権限がないらしく、私の訴えをよく理解出来ない風である。この医院の実権は医師ではなく、看護師が握っているらしい。
 待合室に入ってまた携帯電話で妻に来てくれるよう頼む。妻は「直ぐ行く」とのことで、妻には感謝しなければならない。待合室で、仰向けに寝ながら妻を待つ。だが、看護士の女性は見て見ぬふりをしている。
 この間の息苦しさといったら夢とはいえ、あるいは夢だからこそ、耐えられないほどである。私は手袋による拘禁の苦しさと、看護師のつれなさの両方に耐えていなければならない。
 とにかくここは妻が手袋を外してくれたので、私は解放される。しかし私は、私がなぜ両手手袋をはめられているのか、理解はしている。つまり、手術の傷跡を自由な手で引っかき回さないようにとの配慮からなのである。
 でも妻には感謝しなければならない。私は決して手術跡を掻きむしることなどしないからと言って、感謝の気持ちを表すのであった。

 

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