玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

長期入院と幻覚(6)

2016年10月16日 | 日記

⑤鮮度抜群の居酒屋のつづき
やはり見えている画像がおかしい。仰向けに寝ているのに私の横にではなく、私の上に居酒屋の店内が見えている。しかも普通に眺めるときのように見えているので、「これはおかしいのでは?」という疑問が湧いてくる。
 夢の中での疑問というのは恣意的で、病院の内部に居酒屋があったり、県外にあるのに病院内にあるということに対して疑問は湧かないのに、そんなことには疑問が湧いてくる。これも夢の持つ身勝手さというものであろう。
仰向けになって見えるとすれば、居酒屋の透明な床の地下に入っていなければならない。そうすると客のお尻しか見えないわけで、それでは具合が悪いから画像を90度回転させなければならない。
 で、実際に私は居酒屋の地下に入って画像を回転させて眺めることになるのであった。私はこの回転画像をほかの夢でもう一度見ることになるが、まことに便利なものである。いつでも寝ていられるからである。
 実は夢の中では画像が90度回転するのではない。部屋そのものが90度回転するのである。だからお客は垂直の平面に座っていたり、立っていたりするわけで、完全に重力に逆らっていることになる。しかしそんなことはまったく感じさせないのが夢の夢たる所以であった。
 お客の姿がこうしてよく見えるようになったわけだが、お客は親子であったり、サラリーマン風の集団であったり、様々である。彼等は居酒屋の出す美味しい料理をさも満足そうに食べているのであった。
 しかし、彼等を眺めているうちに何か不自然なものを感じてくる。なぜだろう。彼等が自主的にこの居酒屋に来ているのではなくて、無理やり連れてこられているのではないかという疑念に囚われていくのである。
 よく見ると彼等は仮面を被っていて、それらの仮面はさも典型的なもので、彼等は彼等の出自を偽っているということが次第に明瞭になってくる。親子などではない。サラリーマンなどでもない。彼等はすべて芸人のようなもので、お客を装っていたのである。
 それどころか彼等は料理を食べる振りをしながら、私の方を見ている。ベッドに横たわり、治療のため下半身を露出した状態の私をさも面白そうに眺めているのであった。「このやろう」と思うのだが、私にはどうしてみようもない。私は無力である。
 ベッドに寝たきりで動けない状態は、大きな無力感を生じさせる。拘禁状態に対する悪あがきの夢も私が見た夢の中で重要な位置を占めていたように思う。忘れそうなのでタイトルを付けておこう。
 
1.ベッドに何度も押し込まれる夢
2.両手手袋による拘禁
3.冷凍庫内に拘束

 


長期入院と幻覚(5)

2016年10月15日 | 日記

④冷凍された少女達
 冷凍イカの夢の中で「冷凍された少女達」についても十分説明出来たと思う。冷凍少女の独立した夢は見ていないので、項目を立てる必要もなかったかも知れない。
 冷凍少女については、イカと同じように裸に剥かれ真っ白い肌を露出した裸の少女達が、整然と並べられ、冷気を発散させている様子を想像して頂ければいい。このいささか残酷で、悪趣味ではあるが、少なくともデルヴォーの絵のようには美しい情景がガラス貼りの冷凍庫の中に展開されているわけである。

⑤「鮮度抜群の居酒屋」
この夢でも、冷凍少女は冷凍イカと等しいものとして出現してくる。この「鮮度抜群の居酒屋」は長い夢で、ほかの夢ともリンクしているのだが、居酒屋部分だけでも十分長いので、そこだけとりあえず紹介する。
 まず、病院内の施設として居酒屋が紹介される。その居酒屋は待合室もかねていてカウンターで、順番を待ちながら呑んでいる人もいる。私はベッドごとこの待合室に担ぎ込まれている。視線は仰向けの筈なのに、なぜか夢の中の物事は普通の視線で見えてくる。
 院内に居酒屋がある等というあり得ない設定も、夢にとっては大きな障害ではない。しかもこの居酒屋が病院の敷地内にありながら、同時に新潟県外にあってそれもどこの県かわからないということになっていることも、夢を見る主体にとって不可能事ではない。
 夢は不可能を可能にするし、不条理な設定は日常的なのである。その居酒屋は抜群の鮮度を売り物にしている。店主はガラスケースに入った冷凍庫をいつでも見せてくれる。冷凍庫に入った魚のどこが鮮度がいいのだと言われるかもしれないが、確かに冷凍ケースの上のほうにはおいしそうな魚の切り身が並んでいる。
 ケースの下には言うまでもなく冷凍イカが並んでいて、それはいつでも冷凍少女達と代替可能である。私はそれを冷凍イカであると同時に冷凍少女であると思っている。エロチックな冷凍イカなのである。
 注文すると品物が出てくるが、店主は決して姿を見せることはない。カウンターの上が霞がかかったようになって、その霞が晴れるとそこに品物がおかれているのである。それがどうしてなのか、種明かしもなされる。
 冷凍庫にはエチルアルコールの匂いが充満していて、それが冷気と一緒になっていわゆる鮮度を保証しているように感じられる。店主が姿を見せないで注文された品物をカウンターに置いていくのも、この冷気とエチルアルコールの匂いに拠っている。店主は厨房とホールを区切る小さな隙間から姿を出すときにこの冷気とエチルアルコールを使うのだ。そうすると客からは何も見えないことになっている。
 店主の自慢はそれとメニューの抜群の鮮度である。仕入れ先が違うのだそうで、魚は日本各地の産地から取り寄せられている。本格的な居酒屋なのである。なぜ冷凍魚の切り身ばかりなのかは分からないが。
(この夢つづく)

 


長期入院と幻覚(4)

2016年10月14日 | 日記

③エロチックな冷凍イカ
 なんでトラバーチン模様が冷凍イカに結びつくのか、しかもエロチックなそれに結びつくのか自分でも解らない。ここでの冷凍装置は横長のガラスケースを持ったもので、そこに冷凍イカが整然と冷気を発散しながら並べられている。
多分トラバーチン模様の規則性が、きちんと並べられた冷凍イカの姿に反映されている。
 なぜエロチックなのか? その夢を見ている私の中で、囁く誰かがいる。「イカは全然不格好で、品のない食べ物だったが、最近綺麗になって、エロチックな魅力さえ持つようになりましたね」というのである。このエロチックな冷凍イカのイメージがそのまま、冷凍された裸の少女達のイメージに結びついていく。
 私は長岡市のある大学から、柏崎市の病院に大きな冷凍車で運ばれている。目の前にガラス張りの大きな冷凍庫がある。そこに冷凍イカが左から右に整然と並べられているのである。
 イカは厚みのあるもので、多分アオリイカかモンゴウイカのたぐい。形良く仕上げるためだろう、げそは外してある。しかも皮もむいてあるのか、身は白く極めて美しい(写真参照、これはスルメイカだからもっと厚いのが整然と並べられている)。それが冷凍の冷気を発散しているのを見ると、手術室の清潔ささえ感じさせるのである。


 そして、その冷凍イカは見ている私の前で、冷凍された裸の少女達の姿にすり替えられていく。目の前で変身するのではない。私にとってエロチックな冷凍イカは冷凍少女達と等価なのであって、「綺麗になったエロチックなイカ」という言葉が直接に冷凍少女達を導いてくる。
 私を運ぶ車は中型バスくらいの大きさで、片側に座席が、もう片側には冷凍庫が収められている。車は私と冷凍イカ=冷凍少女を柏崎の病院の手術室に運ぶ途中なのだと私には了解されている。国道を進む車、病院に到着する車が私には認識されてくる。
 意識があるのはそこまで。その後私がどこに運ばれたのか、そこでどのような扱いを受けることになるのかについては、描かれることはない。まるで、手術時の麻酔の世界に入っていくかのように。
 それにしてもガラス扉つきの冷凍車というのは面白い。こういう奇想は夢につきものであり、夢の持つ大きな力を感じないではいられない。

 


長期入院と幻覚(3)

2016年10月13日 | 日記

①「動き出す巨大建築群」
 初期の幻覚ヴァージョンだと思う。天井パネルそのままに、白い地にペンか何か黒で建物が描かれている。実際の建物ではなく描かれた建物であって、イラストのように見える。それがただ一棟ではなくて天井パネルのトラバーチン模様のように横長に、建物群が連なっている。
 明らかにこれはトラバーチン模様を見ている状態でなければ、生まれようもないイメージであり、幻覚だったのだと思う。夢にしては短すぎるし、夢の持つドラマ性やストーリー性をまったく持っていない。
 ドラマ性はないが、パノラマ的である。これらの建築群が動き出すのである。最初に真ん中の建物が動き出す。正面に向かって動きだし、左にターンしていく。同時にほかの建物も真ん中の建物の動きを追っていき、結果的に建築物が行列状態をなす。どこへ向かっていくのかは知らない。そうした場面がクローズアップなども使って映画的に描かれる。
 スケール感がなかなかにすごい。天井パネルとの最も大きな違いはそこにある。トラバーチン模様の一つ一つの要素が組み合わさって建築物となり、それがいくつも増幅し、巨大化して動いていくのである。
 この建物が動き出す瞬間を何度も私は見たという記憶がある。同じ幻覚を何回も見たのだろうか? それとも幻覚の記憶が譫妄状態の中で繰り返されたのだろうか。人間はまったく同じ夢を見ることはないはずだから、その幻覚もまた繰り返される記憶の中で複数化されていったのだと思う。
 スケッチでも描ければいいのだが、あいにく絵が描けない。次も同様である。

②「勢揃いした兵器群」
 ①のヴァリエーションだと思う。こちらも実際の兵器ではなく描かれた兵器である。①が建物と同じレベルに視線があったのに対して、こちらはやや俯瞰する位置に目がある。大量で様々な兵器が横に広く並んでいる。真ん中に戦車のようなものがあって、全体を牽引している。
 ところでこちらは全然動かない。なぜかは分からないが、これらの兵器が韓国軍に属していることが、私には認識されている。このような根拠のない認識は夢の持つ大きな特徴であり、この情景が夢の一部であった可能性が高いのだが、戦車のほかの兵器ははっきりしないし、なぜ場面が全く動かないのかも理解できない。
 兵器の後方に広大な平地の情景が認識されているが、視野の中に入っては来ない。まるで、イラストや絵画における省略のように。だから①も②も、絵画的な要素が強い。面倒な部分は適当に省略して見せようという意図が感じられる(誰の意図?)。
 そして③以降の夢(たぶん)が持っているストーリー性をまったく欠いていることから、夢とは区別される幻覚であったに違いない。


 


長期入院と幻覚(2)

2016年10月12日 | 日記

 この天井板の模様は天然大理石を模したトラバーチン模様というのだそうで、ごく一般的にどこででも見ることのできるものだ。このトラバーチン模様が執拗に私の想像力を刺激することになるとは、入院するまで予想もしないことであった。
 トラバーチン模様をずっと見ていると、人の顔が現れてくるようになると言われているが、私の場合にはまずそれは有意味な文字のつながりとして読まれるべき連続として出現した。この天井の模様に誰かが何らかのメッセージを隠しているのだという強い思いこみが、そこに文字を読み取ることを強制した。
 特にその模様が横に走査されるとき、それは文字列のようなものとして認識されやすい。そこには規則的な繰り返しがあり、文字列には必ず単位としての文字に繰り返しが現れるからである。これを朝から晩まで飽きず眺めていたら、どうしたって、そこに意味のある文字列の存在を読み取らないわけにはいかない。

 あるときそこには文学の言葉が読まれたし、別のあるときにはそこに呪術の言葉が出現した。またコンサートのプログラムそのものとしての働きを担ったこともあった(というよりもアルバムの曲目紹介のようなもの)。
しかし、記憶は曖昧である。もともとトラバーチン模様に意味などあるわけはないのだし、文字情報そのものが夢や幻覚の記憶として残ることは少ない。よく夢の中で本を読むことがあるが、そこに何が書いてあったかを思い出すことは出来ない。
夢や幻覚においては文字情報が記録されることはもともとないのだ。トラバーチン模様はそれが文字であるかのように振る舞うだけで、決して文字の意味を開示しない。だから私の記憶の中にも、それら文字として読まれるべき記号情報の意味だけは排除されているのである。
 もちろん、あるひとにとって顔がそこに出現してくるように、私にとっても忘れられない記憶として刻み込まれたのは、映像であった。私はこのトラバーチン模様を源泉とした幻覚や夢をたくさん見たし、そのほとんどを覚えているが、それらを見た順番は忘れてしまっている。
 いくつか忘れかけているものもあるので、忘れないうちに題名をつけておこうかと思う。以下のような夢、あるいは幻覚である。

① 「動き出す巨大建築」
② 「勢揃いした兵器群」
③ 「エロチックな冷凍イカ」
④ 「冷凍された少女達」
⑤ 「鮮度抜群の居酒屋」

以下、ひとつずつどんなものか説明していこう。


長期入院と幻覚(1)

2016年10月10日 | 日記

 ブログを3か月以上更新出来なかった。腸閉塞で手術を行い、3か月の入院生活を余儀なくされたからだ。まだ生きている。
 入院期間中もこの「玄文社主人の書斎」を読んでくださる方が、一日50人以上はいた。ご愛読に感謝申し上げたいと思う。
 6月26日に入院して10月1日に退院した。季節は初夏から秋へと移りすぎていったが、毎日空調完備の病室に寝起きしていた者にとって、季節というものは存在しなかった。手術直後の期間は自分でも何をしているのかまるで分からず、その後は極めて退屈な期間を過ごすことになった。病室にパソコンを持ち込んでブログを続けるほどのマニアではなかった。
 退院後失われた3か月を取り戻したいと言ったら、「闘病記を書け」という人がいたが、たかが3か月では「闘病」にも値しないし、腸閉塞ではあまりイメージの良い病気とは言えず、感動的な「闘病記」など書けそうもない。極めて散文的な3か月を過ごしたわけだが、最初の10日くらいだけは違った。多分モルヒネが効いていたのだろう、のべつ幕なしに幻覚に襲われることになった。
 私としてはこの時見た幻覚が極めて印象的で、そのほとんどをはっきりと覚えている。そのうちの一部は睡眠時の夢であったのかも知れない。しかし、その幻覚の源泉が、病室の壁紙と天井板の模様から来ていたところを見ると、睡眠時の夢でさえ昼間の幻覚の延長であったことは確かと思われる。
 一週間の間に手術を3回施された。後で聞けば、かなり危機的な場面もあったようだが、そのおかげで幻覚の10日間を経験することが出来たのかも知れない。最初の幻覚は病室の壁紙がめくれあがるというものであった。だからこれは意識のある状態での経験であり、睡眠時の夢ではあり得ない。

 壁紙の模様は写真のような「青海波」を基調としたもので、これがベッドで寝ている私に向かってめくれ上がってくるのだ。別に恐怖は感じなかったが、壁紙の裏に何があるのか? という興味をどこまでもそそるのである。私はしかし、結局壁紙の裏側を見ることは出来なかったが、なぜ病室の壁紙が動くのか? それは何を意味しているのか? というような疑問を何度も感じたことを覚えている。
 だから同じような幻覚を何度も見ていたのだと思う。壁紙がめくれ上がるいくつかのパターンを今でも思い出すことが出来る。横にめくれてベッドまで壁紙のはしが押し寄せてくるようなときもあったし、上方の安全なところでめくれ上がっていることもあった。壁紙の青海波の模様を源泉とする夢も見ることになる。
 しかし私の幻覚と夢を大きく左右したのは、壁紙よりも天井板の模様である。その模様は写真のようなもので、結構ありふれているように思う。病人は上向きに寝ているから(横向きだと手術の痕が痛い)、壁紙よりも天井を見ることの方が多かったためと思われる。
 何の変哲もない模様が意味を持ち始める。何回も何回も模様を見ているうちに、それが意味を持った記号の連続のように見えてくる。あるいは意識の方がそこに意味の連続を求めようとすると言った方がいいのかも知れない。それが文字としての意味であったり、画像としての意味であったりするわけで、そのたびに私は違った幻覚に襲われるようになっていく。