玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

子供の遊び方

2006年11月10日 | 日記
 期せずして、ソフィアセンターの「柏崎の百年」第二回展と、市立博物館の「ちょっと昔の道具展」が同時期に開催された。「ちょっと昔の道具展」では、日本民俗建築学会評議員の宮崎玲子氏による、台所の模型と説明パネルが興味深かった。台所の移り変わりほど、人々の生活に密着した影響の大きい変化はないからである。
 特に炊飯の変遷は、台所仕事にかかる大きな手間を軽減した。東日本では囲炉裏に鍋でご飯を炊いていたのが、かまどに変わり、ガスの普及でガス釜に変わり、さらには電気炊飯器、そして電子炊飯ジャーへと移り変わっていく。
 朝ご飯を炊くのに、かまどに薪をくべて炊くのでは、早起きを強いられ大変な手間ひまがかかるが、電子炊飯器なら朝起きればタイマーでご飯は炊けている。(時々、時間の設定をまちがえて炊けていないこともあるが)。多くの女性達を家庭から社会へと解放したのは、台所の変化抜きには考えられない。
 一方、「柏崎の百年」では、子供達の遊びに注目した。砂山を転げ回って遊ぶ子供達、神社の梁にへばりついて遊んだり、カニとりやかくれんぼで遊ぶ子供達の姿が眩しい。昭和三十年代に少年少女であった世代までは、みんなこうして遊んでいた。ほとんどが屋外の遊びで、道具も何もない。創意工夫で遊ぶのだ。遊びに創造力があった。
 市教育委員会が、教師対象に子供達の体力低下をどう見るか調査を行ったところ、「生活の便利さで、日常的に歩いたり体を動かすことが減っているため」と答えた教師がほとんどだったという。明らかに体を動かす遊びが不足しているのだ。
 台所の変化は、女性達を社会へと解放したが、遊びの変化は子供達をどこにも解放することはない。むしろ、子供達を家庭の部屋の一室に閉じこめることにしかなっていない。このような変化を“進歩”などと呼ぶことは到底できないと思ってしまった。

越後タイムス11月3日「週末点描」より)


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