玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

Ann Radcliffe The Mysteries of Udolpho(12)

2016年04月02日 | ゴシック論

 すでに第34章まで進んでいるが、私はこれまでのように詳しくこの小説の筋を追っていく忍耐力を失っている。27章からは、叔母のモントーニ夫人が夫による監禁の末に死亡し、その死によってモントーニの矛先はエミリーに集中して向けられるようになっていくが、ユドルフォ城が敵の攻撃を受けたために、エミリーは一時トスカーニの領地に避難のため移送され……というように進んでいく。
 26章でエミリーが発見した死体は叔母のものではなかったのであるが、なぜラドクリフがそのような回りくどい展開をしつらえたのか、よく分からない。ここで叔母が死んでいないにしても、瀕死の状態で発見され、エミリーに領地を託して死んでゆくのでもいっこうにかまわないと思うが、やはりここにも出来るだけ物語を先延ばししようというラドクリフの意図が読み取れる。
 さらに、城が攻撃され一時難を逃れるためモントーニがエミリーをトスカーニの領地へ送り込む場面も、読者にエミリーの城からの脱出の期待を抱かせながらも、それを裏切っていくという先延ばしの意図が露骨に現れている。結局エミリーは城に戻されモントーニの更なる掣肘の下に置かれるのであるが、ほとんど不必要な場面と言わざるを得ない。
 さて、いよいよ謎の解明が始められていく。夜ごと妙なる音楽を奏でる幽霊の正体がようやく明かされるのである。これまで深夜の不可思議な楽の音とそれに関係しているらしい人影のシーンが、何度繰り返し描かれて来たことだろう。
 エミリーがヴァランクールかも知れないと思いなしていた、その囚人の名はデュポンといい、ラヴァレの頃からエミリーにひそかに思いを寄せていた男だったのである。デュポンはラヴァレの釣り小屋に置かれていたエミリーの肖像画を盗み出し、そこに一編の詩篇を残していた。
 読者がすでに忘れてしまっている謎が、遠く時を隔ててここで解明される。ここにエミリーを愛している男を一人登場させることは、エミリーをユドルフォ城から脱出させるためにどうしても必要な設定なのだろうか?
 あるいはデュポンが囚われの身でありながら、歩哨に賄賂を渡して比較的自由に城の内部を移動していたという事実が、幽霊を装うことにつながっていたというような謎の解明が、はたして説得力のあるものなのかどうかについてもよく分からない。
 しかし、このような謎の解明が少しも面白くないことは確かである。それらの謎が超自然的な現象として意識されていないからである。少なくともエミリーにとって、つまりは読者にとっても。
 だから謎が解明されても「なんだ、そんなことだったのか」で終わってしまうのである。『ユドルフォの謎』は、超自然的な現象を超自然的なものとして放置しない類のゴシック小説であり、だから推理小説の元祖とも言われるのだが、エミリーの合理的精神が理屈にあった謎の解明を予感させ、それをつまらないものに変えてしまうことになる。
"理屈にあった謎の解明"ということを言ったが、超自然的な現象を超自然的なものとして描くゴシック小説の場合でも、謎の解明ということは行われる。ただそれがトリックとしての謎に止まることなく、超常現象の"因果の解明"というかたちを取ることで、単なる"理屈にあった謎の解明"を逃れていくことは確かである。
 どちらの場合も18世紀の合理主義精神をその背景としていることは、共通して言えることだと思うが、私には後者の方が望ましいように思われる。いかにありえない事象であったにしても、それが人間というものの本質の一部に触れて来るからである。ラドクリフにそのようなものを期待することは出来ない。
 ところで第34章はユドルフォ城からの逃亡の章である。この章はエミリーとデュポン、アネットとその恋人ルドヴィコの逃亡を一気呵成に描いて読ませる章となっている。
 エミリーがデュポンの話を聞いているところへ、冷血漢ヴェレッジが剣を抜いて乱入してくる。デュポンはヴェレッジを叩き伏せるが、このままだとすべてが露見してしまう。もはや一刻の猶予もならない。城を抜け出さない限りエミリーに未来はない。
 逃亡の決断とその可能性への血路はルドヴィコの機転によって切り開かれるのであり、ここでもデュポンの果たす役割はよく分からない。しかし、これまで執拗に描かれてきたゴシック城の重圧からの逃亡が与える開放感は、この小説にあっては初めて与えられる感覚ですらある。
 物語はこうしてハッピーエンドの方向へ向かって進んでいくのである。

 

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