玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

「北方文学」73号刊行

2016年05月30日 | 玄文社

 

 遅くなりましたが、玄文社では4月30日、「北方文学」第73号を刊行しました。
 今号も264頁の大冊となりました。長編の研究、評論の連載が続いていますので、どうしてもページ数が多くなってしまいます。今号も評論中心の構成になっていますが、なんといっても新村苑子の小説「一夜」が光っていますので、無味乾燥を免れているかも。決して評論が無味乾燥というわけではありませんが……。
 巻頭は館路子の「朝に、夢を訪れるものは」です。朝に夢を訪れる非在のものたち、父母や見知らぬ人、亡くした猫などを詠った作品で、いつもの息の長い長詩になっています。それらの訪問は何なのか? それらは何を告げようとしているのか? そしてそれらはいつ消滅するのであろうか?
 大橋土百は詩と紀行文が交錯する「ディアスポラの子午線」でかつての「青の陶酔」の世界へと帰っていきます。2010年のシルクロードの旅、2012年のイランへの旅を回想しながら、民族流浪について思いを巡らせています。
 評論の最初は鎌田陵人の「三島由紀夫の二重性」。21世紀の世界的潮流としての「多文化主義」と「原理主義」との相剋について、三島の作品群を通して追究しています。
 私の「完全なる虚構性の追究」はチリの作家、ホセ・ドノソの長編『別荘』についての作品論です。2014年に初めて翻訳出版されたドノソのこの作品について、おそらく日本で初めて本格的に論じたものと思います。このとんでもない小説を紹介したいという一念から、少し長くなってしまい、反省しています。
 徳間佳信の「私説 中国新時期文学史(2)」は72号の続きです。(1)ではあまりにも政治的な中国現代文学について、読みたくもないのに無理して読んでいるという部分もありましたが、それも(2)につなげるための準備にすぎなかったという感じですね。日本ではまだ誰もやったことのないことに挑戦した成果は(2)で達成されています。莫言などおなじみの作家も出てきますし、韓少功という作家に対しては、かなりの思い入れが感じられます。この連載が続いてくれることを祈っています。
大井邦雄の「優秀な劇作家から偉大な劇作家へ(2)」も先号に続く連載となりました。ハーリー・グランヴィル=バーカーが1925年に英国学術院で行った講演「『ヘンリー五世』から『ハムレット』へ」のうち、四つの項目を取り上げ、膨大な注を施して訳述したものです。
 先号は評論ばかりでしたが、今号には新村苑子の「一夜」が掲載されました。小説のつくりといい、心理描写といい、完璧な作品で、賞を取ってもおかしくない作品です。この人79歳ですが、どんどん小説がうまくなっています。ずっと新潟水俣病についての連作を続けてきましたが、この作品は方言を使わない読みやすい作品です。
 なお表紙はいつものように佐藤伸夫さん。佐藤さんこのところ体調を崩しているので、カットは霜田文子が担当しています。

 以下に目次を掲げさせて頂きます。


朝に、夢を訪れるものは◆館 路子
ディアスポラの子午線◆大橋土百
三島由紀夫の二重性◆鎌田陵人
完全なる虚構性の追究について――ホセ・ドノソ『別荘』を読む――◆柴野毅実
私説 中国新時期文学史(二)◆徳間佳信
優秀な劇作家から偉大な劇作家へ(二)――シェイクスピアの一大転換点のありかはどこか――◆ハーリー・グランヴィル=バーカー 大木邦雄訳述
語り得なかった魂の声を聴く――新村苑子『葦辺の母子』新潟水俣病第二短編集――◆霜田文子
文平、隠居(上)◆福原国郎
高村光太郎・智恵子への旅(10)――智恵子の実像を求めて――◆松井郁子
新潟県戦後五十年詩史 隣人としての詩人たち-〈7〉◆鈴木良一
一夜◆新村苑子

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