玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

山尾悠子『山尾悠子作品集成』(2)

2015年08月09日 | ゴシック論

「傳説」は明らかに17世紀ナポリで活躍したモンス・デジデリオの廃墟画の数々を参照することによって成立している。山尾はデジデリオのことを渋澤龍彦の「崩壊の画家モンス・デジデリオ」によって知ったと言っている。渋澤の文章が発表されたのは1965年で、その後ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』やマルセル・ブリヨンの『幻想芸術』の翻訳・出版によってデジデリオの名は日本でも知られるようになっていく。
 トレヴィルから「ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ」の第1巻として『モンス・デジデリオ画集』が出るのが1995年である。山尾悠子は「傳説」を1982年に書いているし、そこにはデジデリオの影響が顕著に見られるから、山尾はかなり早い時期から洋書でデジデリオの作品に親しんでいたのだろう。
 出だしの部分、「憂愁の世界の涯ての涯てまで、累々と滅びた石の都の廃墟で埋まっている。まずはそう思え」の一節は、おそらくデジデリオのすべての作品のイメージを正確に伝えている。さしあたり〈ヨナと怪魚〉を参照しておこう。

 そこにひと組の男女が登場し、世界の涯てを目指して歩き出す。そしてこの男女を追い、併行して進む一群があり、それは次のように描写される。
「西の地平が顫えている。ざわざわと黒い洪水のように膨れ、蠢きながら左右に増えていくものがある。数も知れず、見果てもなく、深紅の遠火事を光背として行軍してくる群と群と群だ。幻のようにとりとめなく、しかし生きている絨緞のように確実に、犇々と押し寄せてくるものは……錆びた甲冑。赤黒い凝血を残す剣と槍。焼け残った襤褸の旗」
 デジデリオの作品にはよく甲冑をまとった人物を模造した人像柱が描かれているが、この場面での群のイメージはおそらく〈聖ゲオルギウスの竜退治伝説のある幻想的建築〉に、デジデリオが描いた昂進する無数の兵達のレリーフ(これも建築の一部なのだ)によるものだろう。

〈聖ゲオルギウスの竜退治伝説のある幻想的建築〉部分

「深紅の遠火事」とあるが、デジデリオは作品中に遠火事を好んで描いている。それは破壊と崩壊の予兆としての表現であって、デジデリオの描く建築物は、いつでも破壊と崩壊を自ら待ち望んでいるのである。

〈炎上する廃墟〉

 山尾悠子の描くのも「憂愁の世界の涯ての涯てまで、累々と滅びた石の都の廃墟」なのである。山尾悠子の作品にはデジデリオのイメージが溢れかえっていると言ってもよい。