玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

E・T・A・ホフマン『悪魔の霊酒』(5)

2015年05月01日 | ゴシック論


 上に掲げた系図を見て欲しい。これがちくま文庫版『悪魔の霊酒』の巻頭に掲載されている「登場人物系譜」である。=は婚姻関係、-は婚外関係を示している。訳者が作成したものなのだろう。
(異邦の画家)フランチェスコ~(捨て子)フランチェスコ~パオロ・フランチェスコ~(フランツ)フランチェスコ~メダルドゥスに至る系譜がこの物語の主軸をなしている。しかもこの五世代にわたる悪の主役たちが、すべてフランチェスコという名を与えられている(ドイツ名でフランツであるから、メダルドゥスもまた同じ名ということになる)ことに注目しなければならない。
 この読者をわざと混乱させる手法はホフマンのいたずらとも言えるが、あるいはそこに名前と同様に同じ血が流れていることを強調するための仕掛けであるとも言うことができる。これと同じような仕掛けを施しているのが二〇世紀最高の小説といわれるガルシア・マルケスの『百年の孤独』である。
『悪魔の霊酒』の読者はどのフランチェスコがどのフランチェスコなのか分からなくなるし、『百年の孤独』でもホセ・アルカディオとアウレリャノの名前が何世代にもわたって繰り返されるため、どれがどのアルカディオでどれがどのアウレリャノだか分からなくなる。
 マルケスの場合は血縁と地縁の強固な連続性を表現するための手法とみることが出来るし、ホフマンの場合も血縁の強固な連続性を強調するための手法とみることが出来る。しかもその殆どが婚外関係による連続性であって、極めてイレギュラーな連続性である。
 それは最初の(異邦の画家)フランチェスコと魔女との婚姻関係の中に胚胎されることになる“因縁”に他ならず、この魔女こそが歴代のフランチェスコたちの背徳の人生を決定づけているのである。
 またこの凄まじい相関図を見ていると、登場人物の誰もが正常な婚姻関係を全うしていないことに気づくし、その関係の複雑さも尋常なものではない。“相姦図”とでも呼びたくなるような系譜である。
 ホフマンは『マンク』に学んだかも知れないが、『マンク』には『悪魔の霊酒』におけるような複雑な相姦関係はない。最後にアンブロシオとアントニアが兄妹であったことが、悪魔によって明かされるのみで、『マンク』における相関図は極めて単純なものである。
 ここに血脈の迷路を見るとすれば、ホフマンは『マンク』における地下納骨堂の迷路を、血脈の迷路へと拡大してみせたのである。だからホフマンはゴシック小説に新しい要素を注ぎ込んだのだと言うことができる。
 ゴシック小説において旅が空間的な世界のゴシック化の企てであるとすれば、激しい相姦関係は時間的な世界のゴシック化の企てであると言わなければならない。

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E・T・A・ホフマン『悪魔の霊酒』(4)

2015年05月01日 | ゴシック論
“カロ風”という要素はホフマンの多くの作品に共通しているのであり、その代表作『カロ風幻想作品集』を私は読んでいないが、私が読んだ作品の中で最もそうした要素の強いのは『黄金の壺』や『ブラムビルラ王女』だと思う。
 ホフマンらしい作品といえば『悪魔の霊酒』よりもむしろ『黄金の壺』の方だと思うし、“カロ風”という要素はゴシック小説よりもメルヘンにこそ相応しいと思う。
 しかしホフマンは『悪魔の霊酒』というゴシック小説に“カロ風”の要素を導入していく。第一に挙げられるのは、メダルドゥスの再三にわたる苦境を救うピエトロ・ベルカンボという名(時にドイツ流にペーター・シェーンフェルトとも呼ばれる)の道化者の理髪師の存在である。
 ベルカンボは四六時中酔っているかのように珍妙な議論を弄び、真面目とも不真面目ともとれる言辞を連ね、時にメダルドゥスをいらだたせさえする人物である。
 ジャック・カロはコンメディア・デッラルテの道化師たちを好んで描いたことで知られる版画家であり(それだけではなく〈戦争の惨禍〉というシリーズではシリアスな面を見せる画家でもあるが)、ホフマンの言う“カロ風”とはこの辺りの画風のことである。
 ピエトロ・ベルカンボのような滑稽な人物は、通常のゴシック小説にはまず登場しないタイプの人物であって、このような人物を登場させたゴシック小説として、『悪魔の霊酒』は記憶されるべきかも知れない。
 ベルカンボはなぜメダルドゥスを救うのか? 「あんたが好きだからだ」とベルカンボは言うが、冗談を絵に描いたような人物がどうしてメダルドゥスのようなゴシックを絵に描いたような人物を好むのかその理由は示されない。
 理由は別にある。メダルドゥスが犯した罪は実はメダルドゥスがそう思い込んでいるだけで、分身のようにつきまとう彼の異母兄弟ヴィクトリーン伯爵の犯罪であったかも知れないのだ。
 ベルカンボのような好人物はメダルドゥス擁護のために必要とされる存在なのである。
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