玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起原』(3)

2015年05月08日 | ゴシック論
 では、エドマンド・バークの『崇高と美の観念の起原』を読んでいくことにしよう。この本はバークの今日でも読まれている二著のうちの一つで、もう一つはフランス革命について批判的に論じた『フランス革命の省察』であるという。『崇高と美の観念の起原』はしかも、あのカントの美学にまで影響を与えたと言われる名著であるから、襟元を正して読まなければならない。
 序論として「趣味について」という文章が置かれている。この部分は再版にあたって追加されたもので、美学というものの基本に触れている部分なので、おざなりにすることはできない。
 人間の趣味については「蓼食う虫も好きずき」と言われて、趣味に正しいも間違っているもないとされることがあるが、そうした考え方からは“美学”は決して生まれない。バークが美学の基礎に置くものは、人間における感覚の共通性と想像力の共通性である。
 感覚についてバークは次のように書いてその共通性に根拠を与える。
「我々すべての人間においてはその器官の構造がほとんど或いは全く同一であるが故に、外界の対象を知覚する仕方も万人において全く同一であるかほとんど差異がないと想定せねばならぬし、現にそのように想定している」
 バークは味覚、嗅覚、視覚、聴覚、触覚における快と苦の共通性を例証に、美学の基礎をなす感覚の共通性というものを最初に提示する。まことに用意周到と言わなければならない。
 次にバークが提示するのは“想像力”の共通性である。バークはそれを「事物の映像をそれが実際に感覚に受け入れられたままの順序と流儀で任意に再現することも、或いはこれらの映像を新しい流儀で異なった順序に従って結合することも可能である」、さらには「想像力の力能は絶対的に新しい要素を生み出すことはできない」と書いていることから、我々が今日イメージする“想像力”とは若干ニュアンスが異なっていることに気づくだろう。
 バークの言う“想像力”は我々が考える“想起・再現力”とでもいうもので、それは記憶に関わる能力であって、存在しないものをも想念の中に生じさせるあの“想像力”とは違っている。


エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起原』(2)

2015年05月08日 | ゴシック論
 野島秀勝はその「英国ロマン派とゴシック小説」という文章(国書刊行会『城と眩暈~ゴシックを読む』所収)で、エドマンド・バークの言う「崇高と美」について次のように要約している。
「バークは「美」とは小さなもの、女性的なもの、ひとの心を「満足させるplease」ものと規定し、それに対して「崇高」とは巨大なもの、男性的なもの、ひとの心を「畏怖させるものterrible」と定義している」
これまで混同されていた“崇高”と“美”の観念を区別し、“崇高”の観念を畏怖や恐怖と結びつけて捉えたのは、確かにバークの卓見であった。それがゴシック小説について考えるときに極めて便利な思考装置として働くのである。
 野島秀勝もまた「英国ロマン派とゴシック小説」の中で、イギリスロマン主義からゴシック小説に至る流れを“崇高”の概念を使って交通整理している。ロマン主義はアルプスの巨大な自然の風景に“崇高”を求めたし、ゴシック小説は中世の古城、廃墟、修道院、地下牢などに“崇高”を求めたのだとされる。
 エドマンド・バークは前回にも書いたように、決してゴシック小説を念頭に置いて『崇高と美の観念の起原』を書いたわけでもないし、ゴシック小説のもたらす“恐怖”を“崇高”と関連づけたわけでもない。まだ最初のゴシック小説『オトラント城奇譚』は書かれていなかったのだから。
 にも関わらず、バークの議論がゴシック小説を考えるときに有効に働くように思われるし、多くの論者がバークの議論を持ち出すのはなぜなのだろう。それによってゴシック小説に一定の権威が与えられるのは確かである。
 しかし私は、ゴシック小説に“崇高”という形容詞を与えることに躊躇をおぼえないわけにはいかない。その多くは俗悪であり、通俗的であり、“崇高”とはほど遠いものがあるからだ。“崇高”という日本語と
“sublime”という英語の間に見過ごすことのできない齟齬があるような気がする。
 あるいはゴシック小説とバークの美学を結びつけて考える論者が間違っているのか、さらにあるいはバーク自身が間違っているのか、ということも視野に入れて考えてみなければならない。

小池滋、志村正雄、富山太佳夫編集『城と眩暈~ゴシックを読む』(1982年、国書刊行会「ゴシック叢書」の第20巻として刊行)